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第三章 東宮女御と斎宮女御

東宮女御と斎宮女御 -4

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 桐壺へ帰る前に、昭陽しょうよう北舎ほくしゃに寄ることにする。昭陽北舎は、梨壺と桐壺の間にある小さめの殿舎で、普段、人は住んでおらず、使い方はその時の梨壺の主によって様々。

 今は、主にお菓子を作る場となっているらしい。唐果物を入れていた箱を、ここへ持って帰ってきた。

「学士殿、箱を持って帰って来ましたよー」
「仕舞っておいてくれ」
「はいはーい」

 宗征は、手を止めないまま仲子に返事をしていた。仲子は慣れた様子で箱を洗うと、棚に仕舞っていた。どこに何があるかをきちんと把握していて、動きに無駄がない。

 宵子は、そっと後ろから宗征の手元を見る。細長い生地をころころと転がして伸ばしている。

「本当に、学士殿がお菓子を作っていたのね……」
「疑っておられたのですか」
「いいえ、疑っていたわけじゃなくて、手の器用さに感心しているのよ。とても手際がいいんだもの」

 話している間にも、細長い生地が二つ、転がされて同じ長さに伸ばされた。
 藤壺に向かう前に、仲子から、唐果物は宗征が作ったものだと教えられて、とても驚いた。婚姻の儀の夜の、亥の子餅も、宗征が作ったものらしい。

「菓子を作っていると無心になれて、良いのでございます。この時間は割と好きなのです」
「分量や手順をきっちり守って作らないと、お菓子って美味しく出来ないらしいので、あたしには無理ですねー。絶対に途中から適当になっちゃいますもん」

「そうね」
「そうだな」

 宵子と宗征は、ほぼ同時に頷いた。仲子は自分で言い出したものの、そんなことないよ、という類の言葉を期待していたようで、むすーっと頬を膨らませてしまった。

「世間的には、命婦が菓子上手ということになっているから、良いではないか」
「あら、そうなの?」

「男の従者が、菓子が得意だと広まると、東宮様にご迷惑がかかるかもしれないため、作ったものは命婦に持っていってもらうことにしております」
「持ってくのはいいんですけど、どうやって作るの、とか聞かれると困るんですよねー」

 まだ頬を膨らませた仲子が、不満そうにそう言った。だが、すぐに宗征が反論した。

「作り方を教えても、すぐに忘れるだろう」
「早口で一気に全部言われても、覚えられないですー」

 ああ言えばこう言うと、二人の掛け合いのような会話が面白い。宵子を東宮妃に迎えるかどうかで対立していたが、それがなければ、元々仲が良いのだろう。恋人の距離感とはまた違う、兄妹のような、熟練の夫婦のような。

「ねえ、学士殿、今は何を作っているのかしら」

 仲子との言い合いの最中でも、宗征は手を一切止めていない。今は、全部で五本になった生地を、湯がいているところ。宵子は気になって、出来上がる前にそう聞いてみた。

「こちらは、粉熟ふずくでございます」

 粉熟は、五穀を使って五色の生地を作り、高価ではあるけれど甘い蜜、甘葛あまづらと合わせてこねていく。そして、細長く伸ばして茹でて、一口大に切り分けて完成する。

 ことこと茹でながら、宗征が丁寧に手順を教えてくれた。冷やしてから、一口大に切られていく。丸くて碁の石のような形になった。仲子がそれを、こっそり摘んで口に放り込んだ。宗征は怒るかと思ったが、手を止めて短く聞いた。

「味は?」
「ばっちりですよ! 形もころころして可愛いです!」
「なら良し」

 なるほど、いつもの流れらしい。ならどうしてこっそり食べるのか不思議だけれど。

「こちらは東宮様に持っていくものでございます。女御様も味見なさいますか」
「いいの?」
「どうぞ」

 宗征は、粉熟をわざわざ小さな皿に乗せて差し出してくれた。宵子は指で摘んで、一口で食べた。ほろほろと口の中でほどけながら、ほんのり甘さが満ちてきて優しい味だ。一つが小さいから、また次が欲しくなる。

「美味しいわ、とても」
「お気に召していただけて何よりです」
「東宮様のお菓子はいつも学士殿が作っているの?」
「はい。東宮様は私の作った菓子しか食べない――いえ、食べられないのでございます」

 宗征は、何かを耐えるように悔しそうな表情でそう言った。固く握りしめて震えた手を見て、分かった。耐えているのは、怒りだ。

「……私が東宮様と出会った頃のことで、ございます」
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