37 / 84
第二章 桐壺と澪標
桐壺と澪標 -25
しおりを挟む
「急に距離を詰めすぎだ、馬鹿。お前はいつも口数が少ないくせに、こういう時は饒舌になるから、こちらが驚くんだ。ほら、女御も驚いてしまったよ」
「あの、こういう時、とは……」
「自分が主君と決めた相手を褒める時、かな」
つまり、宵子は宗征に認められたらしい。ほっとして、思わず笑みが零れる。
「ありがとう、学士殿」
「今後、誠心誠意、東宮様、東宮女御様のために、尽くして参ります」
新たな決意表明のように、宗征は彰胤と宵子にそう宣言した。
「あの! 丸く収まった感じになっていますけど、学士殿への御咎めが何もなしではいけませんよ! もちろん、雑仕女の二人にもです!」
頬を膨らませて、怒ったままの仲子がそう言った。その大声に、なんじゃ、と巴が目を覚ました。
「でも、東宮様のためにやったことだし……」
「だめです! きちんと沙汰を下さなくては! ねえ、東宮様!」
仲子は彰胤へ同意が求めたが、彰胤はすぐには頷かず、考えてから答えた。
「確かに、宗征への沙汰が何もなしでは道理が通らない。好きにしてくれて構わない。それに、俺の臣下がしたことだ。俺のことも好きにしてくれ」
「お待ちを! 私の独断でやったことでございます。東宮様がそのようなことをなさらずとも」
「黙れ。お前がやったことはこういうことだ。俺を守りたいのであれば、やり方を間違えるな」
「……はっ」
彰胤は、さあどうぞ、と宵子が沙汰を下すのを待っている。学士殿なんか、殴っちゃえばいいんですよ! と言う仲子の提案がさすがに受け入れられない。どうしたらいいのか、分からず、おろおろしていると、話を一切聞いていなかった巴が、どうしたのじゃーと足元に纏わりついて来る。
「巴、後で話すから今はちょっと待っていて、ね」
「ふーん、この二人が何かやらかしたのかと思ったのじゃがな」
意外と鋭い。
巴は、なぜか宗征の目の前を行ったり来たりし始めた。ニャーと鳴いてみたり、飛び跳ねたりしてみせた。
「どうしたの、巴」
「こやつ、猫の姿が見えておらぬのか? 全く目が合わないんじゃが?」
確かに、せわしなく動いて喋っている巴に、宗征は一切、目を向けない。
「ああ、学士殿は――」
「命婦」
何か言いかけた仲子を、宗征は鋭いながらも少し慌てた口調で止めた。それを見て、宵子はもしかして、と思うことがあったが口にはしなかった。だが、同じように気付いた巴が、にやにやしながら言ってしまった。
「ほおー、もしかして、猫が苦手なのかのう」
「――っ」
宗征は仲子を無言で睨んだ。
「あたしは何も言っていないですって」
「……苦手ではありません。予測不能な行動をする小さなものは対処が困難。出来るだけ関わりたくないだけでございます」
「それを苦手というのじゃろう。なぜ、こちらを見ないのじゃ」
「視界に入らなければいないも同じ。つまりここには猫などいない」
早口で持論を語った宗征が口を閉じると、梨壺には数秒間の沈黙が生まれた。
「ふふっ、変な理屈」
その沈黙を破ったのは、宵子自身の笑い声だった。こんなに素直に笑ったのは久しぶりだ。
「猫が近くにいて、体調が悪くなることはないのよね?」
「それはございません」
「じゃあ、学士殿には、明日から三日間、巴の世話をお願いするわ」
宗征はあからさまに嫌そうな顔をした。ならば、ちゃんと沙汰になるだろう。巴とは一緒に暮らしていくつもりだから、宗征にも慣れて欲しい。
「女御様、今のが沙汰でございますか?」
「ええ」
「ずいぶんお優しいことですね。雑仕女の二人にはいかがなさいますか」
「桐壺の周りを隅から隅まで、綺麗に掃除をしてもらうことにしましょう。二人だけで、となると、かなり大変なはずだもの」
「お優しすぎると思いますが、女御様がそうおっしゃるのなら」
何かしなければ収まらないから言っただけ。仲子もそれを分かっているから、膨らませた頬を徐々に戻してくれた。
「命婦、ありがとう。わたしのために怒ってくれて」
「そのようなこと、当然でございます!」
その当然が、宵子にとっては特別で何よりも嬉しかった。
「女御、俺にはどんな沙汰を?」
彰胤がそう言って首を傾げた。正直、彰胤は何もしていないのだから、沙汰も何も――いや、一つちょうどいいのがある。宵子は、自分の中に浮かんだものに微笑みが零れた。
「おや、悪い顔をしているね」
「そのようなことは」
「で、俺への沙汰は?」
宵子は、彰胤に向けてもう一度、同じ望みを口にした。
「わたしを、お役目に加えてくださいませ」
彰胤は目を見開いた。そして、楽しそうに笑いだした。
「はははっ、これは一本取られたなあ。女御も、ずるいことをするじゃないか」
「だめ、でございますか」
「お役目、と言えば聞こえはいいけど、ただの宮中の嫌われ者だよ。女御はそれでもいいのかい」
「東宮様のお役に立ちたいのです。この呪いと言われた力が、役に立つと教えてくださったのは、東宮様です。わたしにも少し、背負わせてくださいませ」
最後のは言わなくても良かったかもしれない。気付けば口にしてしまっていた。彰胤は、微笑みながら胸に手を当てて一礼をしてみせた。
「では、女御の沙汰のままに」
宵子は、ふと思った。老師の言っていた『試練』は暗殺を遂行することではなく、それを拒絶し、鷹狩で行動を起こすこと。『認められる』相手は、父ではなく、この人達のことだったのかと。
「せんせい、叶ったよ、ありがとう」
(二章・了)
「あの、こういう時、とは……」
「自分が主君と決めた相手を褒める時、かな」
つまり、宵子は宗征に認められたらしい。ほっとして、思わず笑みが零れる。
「ありがとう、学士殿」
「今後、誠心誠意、東宮様、東宮女御様のために、尽くして参ります」
新たな決意表明のように、宗征は彰胤と宵子にそう宣言した。
「あの! 丸く収まった感じになっていますけど、学士殿への御咎めが何もなしではいけませんよ! もちろん、雑仕女の二人にもです!」
頬を膨らませて、怒ったままの仲子がそう言った。その大声に、なんじゃ、と巴が目を覚ました。
「でも、東宮様のためにやったことだし……」
「だめです! きちんと沙汰を下さなくては! ねえ、東宮様!」
仲子は彰胤へ同意が求めたが、彰胤はすぐには頷かず、考えてから答えた。
「確かに、宗征への沙汰が何もなしでは道理が通らない。好きにしてくれて構わない。それに、俺の臣下がしたことだ。俺のことも好きにしてくれ」
「お待ちを! 私の独断でやったことでございます。東宮様がそのようなことをなさらずとも」
「黙れ。お前がやったことはこういうことだ。俺を守りたいのであれば、やり方を間違えるな」
「……はっ」
彰胤は、さあどうぞ、と宵子が沙汰を下すのを待っている。学士殿なんか、殴っちゃえばいいんですよ! と言う仲子の提案がさすがに受け入れられない。どうしたらいいのか、分からず、おろおろしていると、話を一切聞いていなかった巴が、どうしたのじゃーと足元に纏わりついて来る。
「巴、後で話すから今はちょっと待っていて、ね」
「ふーん、この二人が何かやらかしたのかと思ったのじゃがな」
意外と鋭い。
巴は、なぜか宗征の目の前を行ったり来たりし始めた。ニャーと鳴いてみたり、飛び跳ねたりしてみせた。
「どうしたの、巴」
「こやつ、猫の姿が見えておらぬのか? 全く目が合わないんじゃが?」
確かに、せわしなく動いて喋っている巴に、宗征は一切、目を向けない。
「ああ、学士殿は――」
「命婦」
何か言いかけた仲子を、宗征は鋭いながらも少し慌てた口調で止めた。それを見て、宵子はもしかして、と思うことがあったが口にはしなかった。だが、同じように気付いた巴が、にやにやしながら言ってしまった。
「ほおー、もしかして、猫が苦手なのかのう」
「――っ」
宗征は仲子を無言で睨んだ。
「あたしは何も言っていないですって」
「……苦手ではありません。予測不能な行動をする小さなものは対処が困難。出来るだけ関わりたくないだけでございます」
「それを苦手というのじゃろう。なぜ、こちらを見ないのじゃ」
「視界に入らなければいないも同じ。つまりここには猫などいない」
早口で持論を語った宗征が口を閉じると、梨壺には数秒間の沈黙が生まれた。
「ふふっ、変な理屈」
その沈黙を破ったのは、宵子自身の笑い声だった。こんなに素直に笑ったのは久しぶりだ。
「猫が近くにいて、体調が悪くなることはないのよね?」
「それはございません」
「じゃあ、学士殿には、明日から三日間、巴の世話をお願いするわ」
宗征はあからさまに嫌そうな顔をした。ならば、ちゃんと沙汰になるだろう。巴とは一緒に暮らしていくつもりだから、宗征にも慣れて欲しい。
「女御様、今のが沙汰でございますか?」
「ええ」
「ずいぶんお優しいことですね。雑仕女の二人にはいかがなさいますか」
「桐壺の周りを隅から隅まで、綺麗に掃除をしてもらうことにしましょう。二人だけで、となると、かなり大変なはずだもの」
「お優しすぎると思いますが、女御様がそうおっしゃるのなら」
何かしなければ収まらないから言っただけ。仲子もそれを分かっているから、膨らませた頬を徐々に戻してくれた。
「命婦、ありがとう。わたしのために怒ってくれて」
「そのようなこと、当然でございます!」
その当然が、宵子にとっては特別で何よりも嬉しかった。
「女御、俺にはどんな沙汰を?」
彰胤がそう言って首を傾げた。正直、彰胤は何もしていないのだから、沙汰も何も――いや、一つちょうどいいのがある。宵子は、自分の中に浮かんだものに微笑みが零れた。
「おや、悪い顔をしているね」
「そのようなことは」
「で、俺への沙汰は?」
宵子は、彰胤に向けてもう一度、同じ望みを口にした。
「わたしを、お役目に加えてくださいませ」
彰胤は目を見開いた。そして、楽しそうに笑いだした。
「はははっ、これは一本取られたなあ。女御も、ずるいことをするじゃないか」
「だめ、でございますか」
「お役目、と言えば聞こえはいいけど、ただの宮中の嫌われ者だよ。女御はそれでもいいのかい」
「東宮様のお役に立ちたいのです。この呪いと言われた力が、役に立つと教えてくださったのは、東宮様です。わたしにも少し、背負わせてくださいませ」
最後のは言わなくても良かったかもしれない。気付けば口にしてしまっていた。彰胤は、微笑みながら胸に手を当てて一礼をしてみせた。
「では、女御の沙汰のままに」
宵子は、ふと思った。老師の言っていた『試練』は暗殺を遂行することではなく、それを拒絶し、鷹狩で行動を起こすこと。『認められる』相手は、父ではなく、この人達のことだったのかと。
「せんせい、叶ったよ、ありがとう」
(二章・了)
13
お気に入りに追加
206
あなたにおすすめの小説
毒小町、宮中にめぐり逢ふ
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。
生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。
しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話
束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。
クライヴには想い人がいるという噂があった。
それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。
晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。
鬼と契りて 桃華は桜鬼に囚われる
しろ卯
キャラ文芸
幕府を倒した新政府のもとで鬼の討伐を任される家に生まれた桃矢は、お家断絶を避けるため男として育てられた。しかししばらくして弟が生まれ、桃矢は家から必要とされないばかりか、むしろ、邪魔な存在となってしまう。今更、女にも戻れず、父母に疎まれていることを知りながら必死に生きる桃矢の支えは、彼女の「使鬼」である咲良だけ。桃矢は咲良を少女だと思っているが、咲良は実は桃矢を密かに熱愛する男で――実父によって死地へ追いやられていく桃矢を、唯一護り助けるようになり!?
諦めて溺愛されてください~皇帝陛下の湯たんぽ係やってます~
七瀬京
キャラ文芸
庶民中の庶民、王宮の洗濯係のリリアは、ある日皇帝陛下の『湯たんぽ』係に任命される。
冷酷無比極まりないと評判の皇帝陛下と毎晩同衾するだけの簡単なお仕事だが、皇帝陛下は妙にリリアを気に入ってしまい……??
三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃
紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。
【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる