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第二章 桐壺と澪標

桐壺と澪標 -25

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「急に距離を詰めすぎだ、馬鹿。お前はいつも口数が少ないくせに、こういう時は饒舌になるから、こちらが驚くんだ。ほら、女御も驚いてしまったよ」

「あの、こういう時、とは……」
「自分が主君と決めた相手を褒める時、かな」

 つまり、宵子は宗征に認められたらしい。ほっとして、思わず笑みが零れる。

「ありがとう、学士殿」
「今後、誠心誠意、東宮様、東宮女御様のために、尽くして参ります」

 新たな決意表明のように、宗征は彰胤と宵子にそう宣言した。

「あの! 丸く収まった感じになっていますけど、学士殿への御咎めが何もなしではいけませんよ! もちろん、雑仕女の二人にもです!」

 頬を膨らませて、怒ったままの仲子がそう言った。その大声に、なんじゃ、と巴が目を覚ました。

「でも、東宮様のためにやったことだし……」
「だめです! きちんと沙汰を下さなくては! ねえ、東宮様!」

 仲子は彰胤へ同意が求めたが、彰胤はすぐには頷かず、考えてから答えた。

「確かに、宗征への沙汰が何もなしでは道理が通らない。好きにしてくれて構わない。それに、俺の臣下がしたことだ。俺のことも好きにしてくれ」
「お待ちを! 私の独断でやったことでございます。東宮様がそのようなことをなさらずとも」

「黙れ。お前がやったことはこういうことだ。俺を守りたいのであれば、やり方を間違えるな」
「……はっ」

 彰胤は、さあどうぞ、と宵子が沙汰を下すのを待っている。学士殿なんか、殴っちゃえばいいんですよ! と言う仲子の提案がさすがに受け入れられない。どうしたらいいのか、分からず、おろおろしていると、話を一切聞いていなかった巴が、どうしたのじゃーと足元に纏わりついて来る。

「巴、後で話すから今はちょっと待っていて、ね」
「ふーん、この二人が何かやらかしたのかと思ったのじゃがな」

 意外と鋭い。
 巴は、なぜか宗征の目の前を行ったり来たりし始めた。ニャーと鳴いてみたり、飛び跳ねたりしてみせた。

「どうしたの、巴」
「こやつ、猫の姿が見えておらぬのか? 全く目が合わないんじゃが?」
 確かに、せわしなく動いて喋っている巴に、宗征は一切、目を向けない。

「ああ、学士殿は――」
「命婦」

 何か言いかけた仲子を、宗征は鋭いながらも少し慌てた口調で止めた。それを見て、宵子はもしかして、と思うことがあったが口にはしなかった。だが、同じように気付いた巴が、にやにやしながら言ってしまった。

「ほおー、もしかして、猫が苦手なのかのう」
「――っ」
 宗征は仲子を無言で睨んだ。

「あたしは何も言っていないですって」
「……苦手ではありません。予測不能な行動をする小さなものは対処が困難。出来るだけ関わりたくないだけでございます」

「それを苦手というのじゃろう。なぜ、こちらを見ないのじゃ」
「視界に入らなければいないも同じ。つまりここには猫などいない」

 早口で持論を語った宗征が口を閉じると、梨壺には数秒間の沈黙が生まれた。

「ふふっ、変な理屈」

 その沈黙を破ったのは、宵子自身の笑い声だった。こんなに素直に笑ったのは久しぶりだ。

「猫が近くにいて、体調が悪くなることはないのよね?」
「それはございません」
「じゃあ、学士殿には、明日から三日間、巴の世話をお願いするわ」

 宗征はあからさまに嫌そうな顔をした。ならば、ちゃんと沙汰になるだろう。巴とは一緒に暮らしていくつもりだから、宗征にも慣れて欲しい。

「女御様、今のが沙汰でございますか?」
「ええ」
「ずいぶんお優しいことですね。雑仕女の二人にはいかがなさいますか」

「桐壺の周りを隅から隅まで、綺麗に掃除をしてもらうことにしましょう。二人だけで、となると、かなり大変なはずだもの」
「お優しすぎると思いますが、女御様がそうおっしゃるのなら」

 何かしなければ収まらないから言っただけ。仲子もそれを分かっているから、膨らませた頬を徐々に戻してくれた。

「命婦、ありがとう。わたしのために怒ってくれて」
「そのようなこと、当然でございます!」
 その当然が、宵子にとっては特別で何よりも嬉しかった。

「女御、俺にはどんな沙汰を?」

 彰胤がそう言って首を傾げた。正直、彰胤は何もしていないのだから、沙汰も何も――いや、一つちょうどいいのがある。宵子は、自分の中に浮かんだものに微笑みが零れた。

「おや、悪い顔をしているね」
「そのようなことは」
「で、俺への沙汰は?」
 宵子は、彰胤に向けてもう一度、同じ望みを口にした。

「わたしを、お役目に加えてくださいませ」
 彰胤は目を見開いた。そして、楽しそうに笑いだした。

「はははっ、これは一本取られたなあ。女御も、ずるいことをするじゃないか」
「だめ、でございますか」
「お役目、と言えば聞こえはいいけど、ただの宮中の嫌われ者だよ。女御はそれでもいいのかい」
「東宮様のお役に立ちたいのです。この呪いと言われた力が、役に立つと教えてくださったのは、東宮様です。わたしにも少し、背負わせてくださいませ」

 最後のは言わなくても良かったかもしれない。気付けば口にしてしまっていた。彰胤は、微笑みながら胸に手を当てて一礼をしてみせた。

「では、女御の沙汰のままに」



 宵子は、ふと思った。老師の言っていた『試練』は暗殺を遂行することではなく、それを拒絶し、鷹狩で行動を起こすこと。『認められる』相手は、父ではなく、この人達のことだったのかと。


「せんせい、叶ったよ、ありがとう」


(二章・了)
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