22 / 84
第二章 桐壺と澪標
桐壺と澪標 -10
しおりを挟む*
「終わったよ」
「えっ、もう交渉が済んだのでございますか」
「姉上に養女を迎えることを了承していただき、中納言に手を引かせてきたよ」
彰胤が桐壺にやってきたのは、まだ日が頂上から傾き始めた頃だった。空が赤く染まるよりも早く、彰胤は全て終わらせてきたという。
「こんなに、早く……。ありがとうございます、東宮様」
「こういうのは早い方がいいからね。それと、今日は吉日らしいから、婚姻の儀も行なうことになったんだ。急いで準備に取り掛かるよ」
「え、ええ!」
彰胤は、一緒に来ていた東宮付き女房たちを桐壺に呼び、目まぐるしく婚姻の儀の準備が行なわれていく。宵子も、一度衣装合わせをした紅の匂の襲を着せてもらう。日が悪かったり、例の騒動などで、延期に延期を重ねていたからか、とても慌ただしい。
言われるがまま、されるがままになっている間に、あっという間に婚姻の儀が終わった。
「今後は、東宮女御様とお呼びするように」
女官が厳かにそう告げた。
妃は、実質的な正妻を示す中宮、それに次ぐ女御、更衣、と出自や身分によって定められている。時には上位の女官が妃の扱いを受けることもある。
女御や更衣は複数人いることが多いため、通常、妃の呼び名は、弘徽殿の女御、梅壺の更衣、といった具合に、与えられた殿舎と位を組み合わせたものとなる。
ただ、今は東宮の妃は宵子一人だけ。呼び分ける必要もなく、何よりあの東宮が追い返さなかった妃、という印象が強いようで、東宮女御と称された。
その日の夜、慌ただしかった日中とは対照的に、桐壺にはゆったりとした穏やかな時間が流れていた。宵子と彰胤の二人だけでの、星見酒。
「じゃあ、改めて女御、これからよろしく」
彰胤から『女御』と呼ばれることに、照れてしまう。この人の妻になったのだと、実感させられる。それが、取引の結果だとしても。
「よろしくお願いいたします。あの、藤原の家から助けていただいて、本当にありがとうございます」
「妻になって欲しいと言ったのは俺の方だからね。当然だよ」
「東宮様のお役に立てるよう、励みます」
お互いに持った盃を傾けて、静かに乾杯をする。ゆらゆらと揺れる酒の表面には、空の星が映り込んで、酒そのものが輝いているように見える。
共に用意された菓子は、亥の子餅。亥の月、亥の日、亥の刻に食べることで、万病を除くことが出来るという縁起物だ。大豆や小豆、胡麻、栗などの粉を混ぜて、猪の子であるうり坊の形に似せて作られる。今、出されているものには、きな粉がまぶしてある。
「今日は亥の日ではないけれど、お祝いには違いないからね。用意してもらったんだ」
「とても美味しそうです。これも、源氏物語に登場いたしますね」
源氏物語の主人公、光源氏と紫の上の婚姻の際に亥の子餅を持ってくる場面がある。最近は源氏物語を連想することが多く、ついそう口にしたが、これでは光源氏と、その生涯において最愛の人と言ってもいい紫の上、それぞれに彰胤と宵子を重ね合わせたように聞こえてしまう。宵子は慌てて言い足した。
「あの、えっと、物語に出てくるような、立派な亥の子餅だと、言いたかったのでございます」
「うん、そうだね」
言葉少なに微笑む彰胤に、宵子の胸の鼓動がいやにうるさくなる。
「これも、と言っていたけど、他にも源氏物語に似たものを食べたのかい?」
別の意味で、鼓動が早鐘を打った。桐壺の更衣になぞらえた嫌がらせのことは、彰胤には話していない、話すつもりはない。なのに、無意識に『これも』なんて言ってしまっていた。
「いえ、命婦と源氏物語の話をしたので、つい、そのように」
「そうか、命婦と上手くやっているようで、何よりだ」
彰胤はそれ以上の追求はせず、亥の子餅を頬張った。宵子も口にして、ほのかに広がる甘さに顔をほころばせた。
「女御、少し長くなるが、今の宮中の状況を話しておこうと思うんだ」
「状況……、東宮に推されているという、若宮様のことでございますか」
彰胤が以前言っていた、自身が冬の宮と呼ばれている理由、そのことかと思い、宵子は小首を傾げた。
「ああ。それから、兄上――主上のことも。三年前に起こったことは知っているかい?」
「いえ。たまに宮中のことを話して聞かせてくれた老師が、その頃に亡くなり、知るすべがありませんでした」
「そうか。じゃあ、そこから話そう」
取引とはいえ、東宮妃の立場になる宵子には、知っておかなくてはならないこと。宵子は、聞く姿勢を取った。
14
お気に入りに追加
206
あなたにおすすめの小説
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
「あなたの好きなひとを盗るつもりなんてなかった。どうか許して」と親友に謝られたけど、その男性は私の好きなひとではありません。まあいっか。
石河 翠
恋愛
真面目が取り柄のハリエットには、同い年の従姉妹エミリーがいる。母親同士の仲が悪く、二人は何かにつけ比較されてきた。
ある日招待されたお茶会にて、ハリエットは突然エミリーから謝られる。なんとエミリーは、ハリエットの好きなひとを盗ってしまったのだという。エミリーの母親は、ハリエットを出し抜けてご機嫌の様子。
ところが、紹介された男性はハリエットの好きなひととは全くの別人。しかもエミリーは勘違いしているわけではないらしい。そこでハリエットは伯母の誤解を解かないまま、エミリーの結婚式への出席を希望し……。
母親の束縛から逃れて初恋を叶えるしたたかなヒロインと恋人を溺愛する腹黒ヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:23852097)をお借りしております。
【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?
碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。
まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。
様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。
第二王子?いりませんわ。
第一王子?もっといりませんわ。
第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は?
彼女の存在意義とは?
別サイト様にも掲載しております
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
多産を見込まれて嫁いだ辺境伯家でしたが旦那様が閨に来ません。どうしたらいいのでしょう?
あとさん♪
恋愛
「俺の愛は、期待しないでくれ」
結婚式当日の晩、つまり初夜に、旦那様は私にそう言いました。
それはそれは苦渋に満ち満ちたお顔で。そして呆然とする私を残して、部屋を出て行った旦那様は、私が寝た後に私の上に伸し掛かって来まして。
不器用な年上旦那さまと割と飄々とした年下妻のじれじれラブ(を、目指しました)
※序盤、主人公が大切にされていない表現が続きます。ご気分を害された場合、速やかにブラウザバックして下さい。ご自分のメンタルはご自分で守って下さい。
※小説家になろうにも掲載しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる