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第二章 桐壺と澪標

桐壺と澪標 -3

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 宵子は、仲子と共に渡殿を歩いていた。前を歩く仲子は、まだ宗征に対してちくちく言っていたが、ふいに立ち止まった。

「どうしたの?」
「お召し物が汚れてしまいますので、お下がりください」

 仲子の肩越しに見えたのは、渡殿の幅めいいっぱいに広がっている汚れだった。土を撒き散らしたようで、確かにこのまま進めば引きずって歩いている着物の裾が汚れてしまう。

「もう、一体誰がこんなことを」
「まるで、源氏物語のようだわ」

 宵子は思わずそう感想を零した。

 かの有名な源氏物語の中で、帝から類まれなる寵愛を受けていた桐壺きりつぼ更衣こういは、その寵愛と身分の低さゆえに、他の妃から嫌がらせを受けていた。帝に召されて清涼殿に向かう、桐壺の更衣の通る道に汚物を撒き散らして妨害したのだ。

「姫様、物語のようだなんて、呑気なことをおっしゃらないでくださませ」
「でも呼ばれた先ではなく、帰る時だなんてずれているわね」

「確かに源氏物語では、帝に呼ばれているから急がなきゃいけないのに、通れないっていう話でしたけど。そういうことではなく! ともかく、東宮様にご報告しなくては」
 仲子は、憤りを口にした後、足早に梨壺へ引き返そうした。宵子は、着物を掴んでそれを止めた。

「待って、命婦。そんな大げさよ」
「大げさではございません。東宮妃に、嫌がらせをした者がいるのですよ!」

「正式に妃になったわけでもないし、ただの取引で妃になる予定の私が、迷惑をかけるわけにはいかないわ」
「でも……」

「床が汚れていただけよ、わたしに向けた嫌がらせかどうか分からないわ。お願い、命婦」
「姫様がそう、おっしゃるのなら……」
 渋々だけど、仲子は承知してくれた。宵子は再び目の前の汚れに目を向ける。

「これが、物語のように汚物だったら、異臭がして大変だったわね。乾いた土が散っているだけだから、掃除もすぐに終わりそうね。早くしてしまうわね」

 宵子は、掃除をするのに邪魔になりそうな着物を持ち上げたのだが、目を丸くした仲子に素早く戻されてしまった。

「何をなさっているのです!」
「え? ここを掃除しようと思ったのよ。さすがにこのままじゃ、着物が汚れてしまうもの」

「そのようなこと、姫様がする必要はございません。そういう仕事をする者がおりますので。食事や、洗濯など、着付けも含めて姫様に仕える者の仕事でございます」
「じゃあ、わたしは何をすればいいの……?」

 今まで全て自分でやってきたのに。誰かに自分のことをしてもらう、なんて、想像がつかない。

「そうですねー、桐壺の主として、堂々としていらしてください。あとは、顔と名前を覚えてくださると、女房たちは喜びます」

 仲子はにっこりと笑って言った。たくさんの女房の顔と名前を覚える、今までほとんど人との関わりがなかった宵子にとっては、なかなか難しいこと。宵子は、ぐっと力を入れた。

「分かったわ、頑張るわ」
「少しずつで大丈夫ですよ。――あ、そこの二人、ここの掃除をお願い出来る?」

 仲子は近くを通った女性二人に声をかけた。質素な服を着ている二人は、仲子に呼ばれると、かなり急いで駆けてきた。宵子よりも少し年上だろうか。

「かしこまりました」

 二人は床に膝をついて、拝礼している。汚れている床に少し着物が触れてしまっている。

「着物が汚れてしまうわ。立って、土を払わないと」

 思わずそう声をかけたが、目を見開いて固まってしまっている二人を見て、さあっと血の気が引いていくのを感じた。朔の姫などに声をかけられるのは、迷惑なだけなのに。直前まで仲子と話していたから、失念していた。

「えっと……」
「あの……」

 二人とも困惑した表情を浮かべて、お互いに顔を見合わせている。やはり、呪われた姫なんて、災いの元だ。

「姫様」
「あ、ごめんなさい。わたしなんかが声をかけてしまって」

 仲子の呼びかけで、宵子ははっとして謝った。すると、さらに二人の顔が困惑に包まれた。少し慌てた仲子が、早口で教えてくれた。
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