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四章 ― 鬼 ―

四章-7

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 軟禁状態のまま、二日が過ぎた。ない。紹子のことを知りたくても、どうにも出来なかった。

 菫子は、食事を全く取っていない。このまま食べずにいれば、儚くなっていける。紫檀も紫苑も心配そうに見てくるが、何も言っては来ない。

 昼過ぎになって、窓から入る日差しが暖かくて、外は心地いいのだろうな、とぼんやり考えていた。ふいに、何やら外が賑やかになった。不穏な雰囲気ではなかったが、菫子はそっと戸を薄く開けて外の様子を窺った。

 賑やかな空気の中心には、一人の女房がいた。大きめの籠を抱えて、役人たちを集めている。花橘の着物の後ろ姿は紹子に見える。

「差し入れやよー、皆さんどうぞ」
「いや、でも今は任務中で」

「お仕事を頑張っている人たちにって、中宮様から預かってきたんよ。ちゃんと配って来るようにって言われてるんよ。ほら、どうぞ」

「じゃあ、頂きます」
「そこの人も! 杏子あんずどうぞ」

 顔隠しを付けて、顔は見えないが、声まで紹子にそっくりだった。なんと都合のいい目と耳をしているのだろう。菫子は自嘲した。



 その女房は、戸の近くにいる役人に呼びかけて、杏子を渡していた。中宮からの差し入れ、と言っていたから、中宮からも菫子が犯人と思われているのだ。宮中全体に、毒小町が犯人と広まっていると考えていい。

「ちょっとこの籠持っててくれん? まだもう一つあるから、持ってくる」
「え、あのこれ、渡されても」
「配って! 食べててええよー」

 女房は強引に籠を役人に押し付けて、駆けていった。籠いっぱいに入った杏子に、役人たちは初め顔を見合わせていたが、やがて我先にと食べ出した。

 果物は、基本的に高価なもので、中流の位の者たちが、こんなにたくさん一度に食べられることはあまりない。

「そういえば、橘侍従さんは来ないのか?」
「少し前から休暇を取ってるって聞いたぞ。来ないだろ」

「え? でもこの件取り仕切っているのが橘侍従さんだって」
「そんなわけないだろ。さすがに休暇中に指示出せないって。聞き間違いだろ」
「そうか」

 役人たちの会話が聞こえてきた。葵祭が近いというのに、俊元が休暇を取るのは不自然だし、何より調査中にあり得ない。何かあったのかと思ったが、菫子に会う資格などない。会うとしたら、紹子を殺めてしまった、その処罰の時だろうか。

「よいしょっと」
「え、わっ」

 呑気な声と共に戸が開いたと思ったら、誰かが入って来た。咄嗟に菫子は身を引いたが、紫檀と紫苑が入って来た人物とぶつかっていた。

「いてて」
「ちょっと、なんなの――え、あんた、なんで」

 入って来たのは、紹子だった。

 顔隠しを取って、あー、緊張したーなんて言っている女房は、どこからどう見ても、紹子だった。

「え、右近さん……? どうして。……ああ、霊になってわたしを殺めに来たのね。ごめんなさい、わたし――」
「待って待って! 勝手に殺さんで! うち、ちゃんと生きてるって」

「…………え、嘘」
「嘘やない」

「本当に、本当に右近さん? なんで、毒っ、は……っ」

 言い終わるより先に、涙と嗚咽が溢れてきてしまった。紹子が、目の前にいる。生きている。びっくりして、嬉しくて、もう何がなんだか分からなくなってしまった。

「あー、ぎゅーって抱きしめたいけど、うちには無理なんよね。二人とも! うちの代わりに藤小町をぎゅーっとして!」

「任せなさい!」
「分かった」

 紫檀と紫苑が、泣きじゃくっている菫子を、両側からぎゅーっと抱きしめてくれた。二人を通して、紹子の温かさが伝わってくるような気がした。紹子に聞かなきゃいけない。菫子は、ぐっと涙を飲み込んで、紹子に向き直った。
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