50 / 74
四章 ― 鬼 ―
四章-1
しおりを挟む
「藤小町、これでいいん?」
「もう少し練り合わせた方がいいと思うわ」
「分かったー」
紹子が身に纏っているのは、花橘の重ね。単衣に白、五衣は内側から淡青、青、白と続き、濃淡のある淡朽葉。生地は薄衣となっていて、涼しげだ。
更衣は卯月朔日なので、もう十日ほど前に済ましてある。紹子は春に続いて山吹色の着物を入れた合わせをしている。少し前に聞いてみたら、この色好きなんよーと満面の笑みだった。
今日は初夏らしく、荷葉香を作っている。荷葉香は、蓮の花の香りに似せたもので、夏を代表する香だ。
作り方は、全体量の半量の沈香、沈香の三分の一ほどの丁子、甲香を入れる。それから少量の安息香、白檀、甘松、霍香、熟鬱金を混ぜ合わせる。紹子に教えながら、菫子も香
を作っていく。甘松を少し増やしてみたものを作ってみた。
「そういえば、歌は渡せたん?」
「橘侍従様、最近はここに来ておられないから」
「あらー、忙しいんやね。もうすぐ葵祭やし」
一生懸命、歌を作って、一応紙に書いてみた。けれど、俊元が来たとして、渡す勇気が出るかどうか。
それに、もっと重要なことが迫っている。葵祭は帝が定めた期限だ。犯人を見つけださなければならないが、俊元からの情報や証拠品がないと、菫子は調べることも出来ない。
連絡を取る手段も、菫子の側からはほとんどない。焦ってきているのは確かだ。
「葵祭、東宮様はお見えになるんかなー。心配やね」
「東宮様?」
「あ、そっか。ここから梨壺遠いし、あんまり話入って来やんよね。最近、東宮様のご祈祷が増えたらしいんよ。体調が優れんくて、物の怪が憑いてるとかで」
帝に毒を盛ったのは東宮派、と聞いているが、東宮本人には会ったことがない。帝や俊元は、東宮本人よりもその周囲の者たちを危険視しているようだけれど。
「あ、これ、上手くいったんやない? どう?」
紹子が、手のひらで転がしていた香を、菫子の方へ見せてくる。菫子と紹子はもちろん距離を取っているから、香箱の蓋を介して香を聞く。
「ええ。とても素敵な荷葉香が出来たと思うわ」
「やったー。さっそく中宮様にお渡ししてくる」
紹子はそう言うなり、完成した香を持って、藤壺に帰って行った。慌ただしいが、紹子がここへ気軽に来て、気軽に帰るのは、悪い気はしない。
少しして、戸が叩かれた。紹子が、乳棒を忘れていたからそれを取りに来たのだろう。
「慌てて忘れてはだめよ、右近さ――え?」
そこにいたのは、見知らぬ青年だった。見れば、彼の後ろにも大勢の男性が並んでいる。全員が同じ服装をしていた。動きやすさを重視し、脇部分を縫い合わせていない狩衣に、狩袴と呼ばれる細身で丈の短い袴を身に纏っている。蝙蝠を手にして取り澄ました様子。
陰陽師だ。実際に相対したのは初めてだが、念誦堂を囲むように立っていて、こちらに向ける視線も好意的なものではない。菫子は咄嗟に紫檀と紫苑へ、部屋の奥にいるように手で示した。嫌な予感がする。
「ここに、陰陽寮が関与せず、使役もしていない物の怪がいるとのこと。物の怪が野放しになっている状態は見過ごせない」
神託を告げるような、重々しい口調で念誦堂を囲んでいるうちの一人が言った。狩衣の色からしても、彼が一番上の位で、まとめ役なのだろう。
「出してもらおう」
「引き渡したら、どうするの」
「危険と判断したら、祓う」
そういう彼らの手には、刀や弓が握られている。初めから危険だと決めつけているようだ。紫苑や紫檀を、祓わせるために渡したくない。
「断るわ」
空気が一気に鋭くなる。
「もう少し練り合わせた方がいいと思うわ」
「分かったー」
紹子が身に纏っているのは、花橘の重ね。単衣に白、五衣は内側から淡青、青、白と続き、濃淡のある淡朽葉。生地は薄衣となっていて、涼しげだ。
更衣は卯月朔日なので、もう十日ほど前に済ましてある。紹子は春に続いて山吹色の着物を入れた合わせをしている。少し前に聞いてみたら、この色好きなんよーと満面の笑みだった。
今日は初夏らしく、荷葉香を作っている。荷葉香は、蓮の花の香りに似せたもので、夏を代表する香だ。
作り方は、全体量の半量の沈香、沈香の三分の一ほどの丁子、甲香を入れる。それから少量の安息香、白檀、甘松、霍香、熟鬱金を混ぜ合わせる。紹子に教えながら、菫子も香
を作っていく。甘松を少し増やしてみたものを作ってみた。
「そういえば、歌は渡せたん?」
「橘侍従様、最近はここに来ておられないから」
「あらー、忙しいんやね。もうすぐ葵祭やし」
一生懸命、歌を作って、一応紙に書いてみた。けれど、俊元が来たとして、渡す勇気が出るかどうか。
それに、もっと重要なことが迫っている。葵祭は帝が定めた期限だ。犯人を見つけださなければならないが、俊元からの情報や証拠品がないと、菫子は調べることも出来ない。
連絡を取る手段も、菫子の側からはほとんどない。焦ってきているのは確かだ。
「葵祭、東宮様はお見えになるんかなー。心配やね」
「東宮様?」
「あ、そっか。ここから梨壺遠いし、あんまり話入って来やんよね。最近、東宮様のご祈祷が増えたらしいんよ。体調が優れんくて、物の怪が憑いてるとかで」
帝に毒を盛ったのは東宮派、と聞いているが、東宮本人には会ったことがない。帝や俊元は、東宮本人よりもその周囲の者たちを危険視しているようだけれど。
「あ、これ、上手くいったんやない? どう?」
紹子が、手のひらで転がしていた香を、菫子の方へ見せてくる。菫子と紹子はもちろん距離を取っているから、香箱の蓋を介して香を聞く。
「ええ。とても素敵な荷葉香が出来たと思うわ」
「やったー。さっそく中宮様にお渡ししてくる」
紹子はそう言うなり、完成した香を持って、藤壺に帰って行った。慌ただしいが、紹子がここへ気軽に来て、気軽に帰るのは、悪い気はしない。
少しして、戸が叩かれた。紹子が、乳棒を忘れていたからそれを取りに来たのだろう。
「慌てて忘れてはだめよ、右近さ――え?」
そこにいたのは、見知らぬ青年だった。見れば、彼の後ろにも大勢の男性が並んでいる。全員が同じ服装をしていた。動きやすさを重視し、脇部分を縫い合わせていない狩衣に、狩袴と呼ばれる細身で丈の短い袴を身に纏っている。蝙蝠を手にして取り澄ました様子。
陰陽師だ。実際に相対したのは初めてだが、念誦堂を囲むように立っていて、こちらに向ける視線も好意的なものではない。菫子は咄嗟に紫檀と紫苑へ、部屋の奥にいるように手で示した。嫌な予感がする。
「ここに、陰陽寮が関与せず、使役もしていない物の怪がいるとのこと。物の怪が野放しになっている状態は見過ごせない」
神託を告げるような、重々しい口調で念誦堂を囲んでいるうちの一人が言った。狩衣の色からしても、彼が一番上の位で、まとめ役なのだろう。
「出してもらおう」
「引き渡したら、どうするの」
「危険と判断したら、祓う」
そういう彼らの手には、刀や弓が握られている。初めから危険だと決めつけているようだ。紫苑や紫檀を、祓わせるために渡したくない。
「断るわ」
空気が一気に鋭くなる。
1
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
椿の国の後宮のはなし
犬噛 クロ
キャラ文芸
※毎日18時更新予定です。
架空の国の後宮物語。
若き皇帝と、彼に囚われた娘の話です。
有力政治家の娘・羽村 雪樹(はねむら せつじゅ)は「男子」だと性別を間違われたまま、自国の皇帝・蓮と固い絆で結ばれていた。
しかしとうとう少女であることを気づかれてしまった雪樹は、蓮に乱暴された挙句、後宮に幽閉されてしまう。
幼なじみとして慕っていた青年からの裏切りに、雪樹は混乱し、蓮に憎しみを抱き、そして……?
あまり暗くなり過ぎない後宮物語。
雪樹と蓮、ふたりの関係がどう変化していくのか見守っていただければ嬉しいです。
※2017年完結作品をタイトルとカテゴリを変更+全面改稿しております。
魔法使いと子猫の京ドーナツ~謎解き風味でめしあがれ~
橘花やよい
キャラ文芸
京都嵐山には、魔法使い(四分の一)と、化け猫の少年が出迎えるドーナツ屋がある。おひとよしな魔法使いの、ほっこりじんわり物語。
☆☆☆
三上快はイギリスと日本のクォーター、かつ、魔法使いと人間のクォーター。ある日、経営するドーナツ屋の前に捨てられていた少年(化け猫)を拾う。妙になつかれてしまった快は少年とともに、客の悩みに触れていく。人とあやかし、一筋縄ではいかないのだが。
☆☆☆
あやかし×お仕事(ドーナツ屋)×ご当地(京都)×ちょっと謎解き×グルメと、よくばりなお話、完結しました!楽しんでいただければ幸いです。
感想は基本的に全体公開にしてあるので、ネタバレ注意です。
星詠みの東宮妃 ~呪われた姫君は東宮の隣で未来をみる~
鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました!🌸平安の世、目の中に未来で起こる凶兆が視えてしまう、『星詠み』の力を持つ、藤原宵子(しょうこ)。その呪いと呼ばれる力のせいで家族や侍女たちからも見放されていた。
ある日、急きょ東宮に入内することが決まる。東宮は入内した姫をことごとく追い返す、冷酷な人だという。厄介払いも兼ねて、宵子は東宮のもとへ送り込まれた。とある、理不尽な命令を抱えて……。
でも、実際に会った東宮は、冷酷な人ではなく、まるで太陽のような人だった。
炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~
悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。
強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。
お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。
表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。
第6回キャラ文芸大賞応募作品です。
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー
汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。
そこに迷い猫のように住み着いた女の子。
名前はミネ。
どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい
ゆるりと始まった二人暮らし。
クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。
そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。
*****
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※他サイト掲載

夜勤の白井さんは妖狐です 〜夜のネットカフェにはあやかしが集結〜
瀬崎由美
キャラ文芸
鮎川千咲は短大卒業後も就職が決まらず、学生時代から勤務していたインターネットカフェ『INARI』でアルバイト中。ずっと日勤だった千咲へ、ある日店長から社員登用を条件に夜勤への移動を言い渡される。夜勤には正社員でイケメンの白井がいるが、彼は顔を合わす度に千咲のことを睨みつけてくるから苦手だった。初めての夜勤、自分のことを怖がって涙ぐんでしまった千咲に、白井は誤解を解くために自分の正体を明かし、人外に憑かれやすい千咲へ稲荷神の護符を手渡す。その護符の力で人ならざるモノが視えるようになってしまった千咲。そして、夜な夜な人外と、ちょっと訳ありな人間が訪れてくるネットカフェのお話です。
★第7回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる