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三章 ― 子 ―
三章-5
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昼過ぎになって、俊元がやってきた。てっきり回収を進めている杯のことかと思ったが、話は麗景殿のことだった。
「麗景殿での原因不明の体調不良を、至急なんとかするようにって主上から言われてね。杯のことは後回しでいいから、藤小町にも相談して、解決しろと。思っているよりも、状況が良くないのかも」
「分かりました」
俊元の顔をじっと見つめてみると、なんとなく桜衣の君の面影があるような気がした。菫子自身も幼かったし、あの日のことは朧げにしか覚えていない。でも、その彼が目の前にいること、それは本当のことだ。
「ん? 俺の顔に何か付いてる?」
「いえ、何でもありません」
「そうだ、藤小町、手貸して」
俊元に言われるがまま、菫子は右手を俊元に差し出した。俊元は自分で言っておきながら、驚いた顔をしていた。
「どうかなさいましたか」
「いや、怖がらなくなってきたな、と思って」
「!」
言われて、俊元に対して触れてしまうかもしれないと、怖さを感じなくなっていることに気が付いた。恥ずかしくなって、手を引こうとしたが、俊元の左手によってそれは阻まれた。温かい手に包まれて、それから指が絡められた。
そんなに力が入っているようには見えないのに、菫子の手は逃げられない。
「あの、橘侍従様……?」
「触れることに慣れていけたらいいと思ってね。人に触れないように警戒するのは必要なことだけど、俺相手には気を抜いていいってこと。ちゃんと覚えてて」
「……はい」
俊元が、桜衣の君で、十年前のあの夜のことをずっと覚えていてくれて、ここに呼んでくれたのなら、菫子はこの人にとてつもなく大切にされているのでは。
桜衣の君の話は、俊元にもしている。その上で名乗らないのなら、こちらから桜衣の君はあなたですね、と気軽に尋ねることが出来ない。俊元の返答が怖くて、聞けない。触れることが怖くないのに、こんなことが怖いだなんて。
「さて、麗景殿でのことだけど」
「お待ちください。手、このままでは、集中出来ません」
「……。そうか、じゃあまた後で」
俊元がするりと手を引いて、菫子はいつの間にか早くなっていた鼓動に気付かれてはいないかと、胸に手を当てた。
「麗景殿では、それまでこんなに一気に女房たちが体調を崩すことはなかった。だから、近頃の贈り物の中に原因があるんじゃないかって考えている。でも、贈り物自体が多くて、特定に時間がかかりそうなんだ」
「何か、怪しいものの目星はあるのですか」
「いいや。だから、贈り物の一部と部屋にあったものを借りてきた。見てもらえるかな?」
「かしこまりました」
念誦堂の外につけるように、一輪の荷車があった。着物が入っている櫃、笛の入った箱、漆器の上を籠で覆った火取香炉、高価な紙類、灯台、化粧道具、檜扇など、文字通り荷車の上で山積みになっていた。これで一部だという。
「確かに、たくさんございますね」
「ああ。この中にあればいいのだけど。もしなければ、いよいよ原因不明となってしまう」
菫子は、荷解きされた物から順に手に取って観察していく。一つ一つの品が高価なものであることがよく分かる。ただ、その後ろには権力にすり寄る者の姿が見えるような気がして、あまりいい気はしない。
「中宮様は、大丈夫でしょうか」
出過ぎたことと分かっていたが、菫子はそう尋ねた。他の妃への嫉妬を表に出すのは、はしたないこととされている。おそらく中宮は今回の女御懐妊のことを知っても気丈に振る舞っているだろう。
だが、女御へ嫌がらせをしているという心無い噂については、菫子でも怒りを覚えた。
「あの噂は、女御様側が勝手に言っていることだ。麗景殿の女房たちが、少々口が過ぎることは度々問題になっていたが、今回のことは主上もお怒りだ。すぐに抑えられるだろうけれど、原因を特定するのが一番効果的と思う」
「その通りですね。力を尽くします」
菫子は口を閉じて、目の前の贈り物たちに意識を集中させた。この中に、麗景殿の方々を、ひいては中宮を助けることの出来る手掛かりがあるかもしれない。
「麗景殿での原因不明の体調不良を、至急なんとかするようにって主上から言われてね。杯のことは後回しでいいから、藤小町にも相談して、解決しろと。思っているよりも、状況が良くないのかも」
「分かりました」
俊元の顔をじっと見つめてみると、なんとなく桜衣の君の面影があるような気がした。菫子自身も幼かったし、あの日のことは朧げにしか覚えていない。でも、その彼が目の前にいること、それは本当のことだ。
「ん? 俺の顔に何か付いてる?」
「いえ、何でもありません」
「そうだ、藤小町、手貸して」
俊元に言われるがまま、菫子は右手を俊元に差し出した。俊元は自分で言っておきながら、驚いた顔をしていた。
「どうかなさいましたか」
「いや、怖がらなくなってきたな、と思って」
「!」
言われて、俊元に対して触れてしまうかもしれないと、怖さを感じなくなっていることに気が付いた。恥ずかしくなって、手を引こうとしたが、俊元の左手によってそれは阻まれた。温かい手に包まれて、それから指が絡められた。
そんなに力が入っているようには見えないのに、菫子の手は逃げられない。
「あの、橘侍従様……?」
「触れることに慣れていけたらいいと思ってね。人に触れないように警戒するのは必要なことだけど、俺相手には気を抜いていいってこと。ちゃんと覚えてて」
「……はい」
俊元が、桜衣の君で、十年前のあの夜のことをずっと覚えていてくれて、ここに呼んでくれたのなら、菫子はこの人にとてつもなく大切にされているのでは。
桜衣の君の話は、俊元にもしている。その上で名乗らないのなら、こちらから桜衣の君はあなたですね、と気軽に尋ねることが出来ない。俊元の返答が怖くて、聞けない。触れることが怖くないのに、こんなことが怖いだなんて。
「さて、麗景殿でのことだけど」
「お待ちください。手、このままでは、集中出来ません」
「……。そうか、じゃあまた後で」
俊元がするりと手を引いて、菫子はいつの間にか早くなっていた鼓動に気付かれてはいないかと、胸に手を当てた。
「麗景殿では、それまでこんなに一気に女房たちが体調を崩すことはなかった。だから、近頃の贈り物の中に原因があるんじゃないかって考えている。でも、贈り物自体が多くて、特定に時間がかかりそうなんだ」
「何か、怪しいものの目星はあるのですか」
「いいや。だから、贈り物の一部と部屋にあったものを借りてきた。見てもらえるかな?」
「かしこまりました」
念誦堂の外につけるように、一輪の荷車があった。着物が入っている櫃、笛の入った箱、漆器の上を籠で覆った火取香炉、高価な紙類、灯台、化粧道具、檜扇など、文字通り荷車の上で山積みになっていた。これで一部だという。
「確かに、たくさんございますね」
「ああ。この中にあればいいのだけど。もしなければ、いよいよ原因不明となってしまう」
菫子は、荷解きされた物から順に手に取って観察していく。一つ一つの品が高価なものであることがよく分かる。ただ、その後ろには権力にすり寄る者の姿が見えるような気がして、あまりいい気はしない。
「中宮様は、大丈夫でしょうか」
出過ぎたことと分かっていたが、菫子はそう尋ねた。他の妃への嫉妬を表に出すのは、はしたないこととされている。おそらく中宮は今回の女御懐妊のことを知っても気丈に振る舞っているだろう。
だが、女御へ嫌がらせをしているという心無い噂については、菫子でも怒りを覚えた。
「あの噂は、女御様側が勝手に言っていることだ。麗景殿の女房たちが、少々口が過ぎることは度々問題になっていたが、今回のことは主上もお怒りだ。すぐに抑えられるだろうけれど、原因を特定するのが一番効果的と思う」
「その通りですね。力を尽くします」
菫子は口を閉じて、目の前の贈り物たちに意識を集中させた。この中に、麗景殿の方々を、ひいては中宮を助けることの出来る手掛かりがあるかもしれない。
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