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三章 ― 子 ―
三章-3
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「その怪我のことがあってから、元々あった俊元の忠誠心が強まった、と共に、縛り付けたのだ。私に命を救われたから、私を絶対に裏切れなくなった」
帝は寂しそうにそう言った。裏切らない、というのは、帝にとってはいいことであるのは間違いないのに、俊元自身のことを思ってのその表情なのだろうか。
共に育ってきた乳兄弟は、主従だけの関係ではないのは、二人を見ていて、菫子も分かっていた。
「だからこそ」
そう言った帝の視線が菫子とぶつかった。きょとんとする菫子を見て、ふっと小さく笑っていた。
「尚薬のために、あやつが動いたのを見て、安心した。私以外の誰かのためにも動けるのだと。それでこそ、信用出来るというもの」
「橘侍従様がわたしをお呼びになったのは、主上を狙う毒の正体を突き止めるためでございましょう。わたし、ではなく主上のためかと存じますが……」
「それはそうであるが、わざわざ十年前に会った少女を見つけて、呼び寄せたのは、範疇外であろう。まあ、そなたも桜衣を大事にしておるようだし、どっちもどっちかのう」
「え……?」
帝の視線は、菫子の後ろにある桜衣に向いていた。今の話、桜衣のことを知っている、というか、桜衣の君が、俊元なのだと、そういうことにならないか。菫子は、整理が付かず、えっと、と言葉にならない声を繰り返した。
「うむ?」
菫子の様子を妙に思ったらしい帝が、しばし考えた後、ああ! と声を上げた。
「まさか、言っておらぬのか! 言わずに見守ると、力になると、そういうことか。俊元のやつ……」
帝は、腕を組んで先ほどよりも険しい顔をしている。どうするかのう、と呟いていて、顔の険しさは増すばかり。
「主上……都合の悪いことでしたら、聞かなかったことにいたします」
「だが、九割方言ってしまったからのう。これは、俊元に一発殴られようかのう……」
「お、おやめください。それは橘侍従様が不敬になって処罰を受けてしまいます」
「そうだな」
帝は、諦めがついたように、息を吐いた。そして、その口から詳しく語られた。
菫子が桜衣の君と呼ぶ少年は、父に連れられて高階家に来ていた俊元であった。偶然に念誦堂にいる菫子を見つけて、なぐさめてくれたのだ。いつか連れ出すという約束をして。
その後、今上帝が即位して、俊元も侍従の立場となったことで、ある程度の融通が利くようになり、ようやく菫子を呼ぶことが出来たのだという。
「私が俊元から聞き出したのは、こんなところだ。ついこの間まで、私が念誦堂にある桜衣に気付くまで、秘密にしておったからのう。聞き出すのには苦労した」
帝の言い方からして、俊元は相当渋ったのだろうと推測出来たが、今の菫子には、それに意識はほとんど向かなかった。
「では、あの夜の桜衣の君を、わたしは……殺めてはいなかったのですね……」
相手が俊元ならば、毒の効かない俊元ならば、桜衣の君は、菫子の毒で亡くなってはいなかったのだ。あの優しい少年の命を、菫子は奪っていなかった。
「よ、よかっ、た……」
安堵から来る涙は、次から次へと、溢れ出してきて、帝の御前だというのに、止められなかった。
「おや、泣かせてしまったのう。これは俊元にも小鬼たちにも怒られそうだ。私は退散することとしよう」
必死に涙を堪えようとしていた菫子を気遣い、帝は念誦堂を後にした。一人残された菫子は、あの日の朝、桜衣があることで味わった絶望を上書きするように、ぎゅっと桜衣を抱きしめて涙を流し続けた。
窓からは、十六夜月が念誦堂の中を照らしている。
「生きていてくれて、ありがとう」
帝は寂しそうにそう言った。裏切らない、というのは、帝にとってはいいことであるのは間違いないのに、俊元自身のことを思ってのその表情なのだろうか。
共に育ってきた乳兄弟は、主従だけの関係ではないのは、二人を見ていて、菫子も分かっていた。
「だからこそ」
そう言った帝の視線が菫子とぶつかった。きょとんとする菫子を見て、ふっと小さく笑っていた。
「尚薬のために、あやつが動いたのを見て、安心した。私以外の誰かのためにも動けるのだと。それでこそ、信用出来るというもの」
「橘侍従様がわたしをお呼びになったのは、主上を狙う毒の正体を突き止めるためでございましょう。わたし、ではなく主上のためかと存じますが……」
「それはそうであるが、わざわざ十年前に会った少女を見つけて、呼び寄せたのは、範疇外であろう。まあ、そなたも桜衣を大事にしておるようだし、どっちもどっちかのう」
「え……?」
帝の視線は、菫子の後ろにある桜衣に向いていた。今の話、桜衣のことを知っている、というか、桜衣の君が、俊元なのだと、そういうことにならないか。菫子は、整理が付かず、えっと、と言葉にならない声を繰り返した。
「うむ?」
菫子の様子を妙に思ったらしい帝が、しばし考えた後、ああ! と声を上げた。
「まさか、言っておらぬのか! 言わずに見守ると、力になると、そういうことか。俊元のやつ……」
帝は、腕を組んで先ほどよりも険しい顔をしている。どうするかのう、と呟いていて、顔の険しさは増すばかり。
「主上……都合の悪いことでしたら、聞かなかったことにいたします」
「だが、九割方言ってしまったからのう。これは、俊元に一発殴られようかのう……」
「お、おやめください。それは橘侍従様が不敬になって処罰を受けてしまいます」
「そうだな」
帝は、諦めがついたように、息を吐いた。そして、その口から詳しく語られた。
菫子が桜衣の君と呼ぶ少年は、父に連れられて高階家に来ていた俊元であった。偶然に念誦堂にいる菫子を見つけて、なぐさめてくれたのだ。いつか連れ出すという約束をして。
その後、今上帝が即位して、俊元も侍従の立場となったことで、ある程度の融通が利くようになり、ようやく菫子を呼ぶことが出来たのだという。
「私が俊元から聞き出したのは、こんなところだ。ついこの間まで、私が念誦堂にある桜衣に気付くまで、秘密にしておったからのう。聞き出すのには苦労した」
帝の言い方からして、俊元は相当渋ったのだろうと推測出来たが、今の菫子には、それに意識はほとんど向かなかった。
「では、あの夜の桜衣の君を、わたしは……殺めてはいなかったのですね……」
相手が俊元ならば、毒の効かない俊元ならば、桜衣の君は、菫子の毒で亡くなってはいなかったのだ。あの優しい少年の命を、菫子は奪っていなかった。
「よ、よかっ、た……」
安堵から来る涙は、次から次へと、溢れ出してきて、帝の御前だというのに、止められなかった。
「おや、泣かせてしまったのう。これは俊元にも小鬼たちにも怒られそうだ。私は退散することとしよう」
必死に涙を堪えようとしていた菫子を気遣い、帝は念誦堂を後にした。一人残された菫子は、あの日の朝、桜衣があることで味わった絶望を上書きするように、ぎゅっと桜衣を抱きしめて涙を流し続けた。
窓からは、十六夜月が念誦堂の中を照らしている。
「生きていてくれて、ありがとう」
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