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二章 ― 香 ―
二章-3
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夜遅く、細い月がわずかに空に見える頃、念誦堂の戸が叩かれた。
双子は寝ていたし、菫子も寝ようとしていたところだった。俊元はあまり夜更けには訪れないから、何かあったのかと不安がよぎる。
「どなたですか。橘侍従様ですか?」
「私だ」
「主上!?」
菫子は跳ね起きた。どうして、ここに。
慌てて戸を押し開ければ、本当に帝がそこに立っていた。しかも一人で。
「主上、何故、ここに。えっと、供の者は」
「いない。一人で来た。入れてくれるか」
「は、はい」
帝は、ゆるりと念誦堂の中へと入ってきた。この状況が飲み込めず、菫子は部屋の隅で突っ立っていた。こんなに近くで帝にお目にかかることなど、通常あり得ないことだ。服装だって、今慌てて袿を羽織ったものの、礼を欠いてしまっている。
「よい。公的な訪問ではないゆえ、気にするでない」
「しかし……」
「仕方なかろう。源大臣の進言を無視するわけにもいかず、そなたを清涼殿に呼べなくなったのだ。だから来た。心配するな、清涼殿を抜け出すことは時々しておるからのう、慣れておる。誰にも知られてはおらぬ」
「はあ……」
菫子は、気の抜けた声しか出なかった。菫子を呼べなくなったからといって、こんな大胆なことを、宮中の頂点たる帝がするなんて。今頃、帝がいなくなった清涼殿では、どうなっているのやら。
「いい加減、そこに座れ。話がしづらいであろう」
「では、失礼いたします」
「俊元から話は聞いておる。中宮のことは――――お」
菫子と帝が向かい合って座り、話し始めたところで、双子は何事かとようやく目を覚まし出した。目をこすりながら、見慣れぬ人物に眉をひそめた。
「としもと、じゃない」
「むう……誰よ」
「ほうほう、この者たちが例の小鬼か。可愛らしいのう」
帝は、愉快そうに双子をまじまじと見つめていた。俊元から双子のことは聞いているらしいが、鬼と分かったうえでこの反応とは、今上帝はなかなかな御方だ。
「だからあんた誰よー」
「紫檀、紫苑、この御方は、今上帝よ」
「は?」
「え?」
さすがの二人も、驚いている。そして、何故かぎこちない動きで首を動かして、菫子の方を見つめてきた。
「え、ちょっと、あんた帝のお手付きが? え?」
「違うわよ。紫苑、落ち着いて。ちょっと紫檀、出て行こうとしないで、落ち着いてって」
盛大な勘違いをした二人が、それぞれ慌てふためくので、収拾が大変だった。帝はその間も、おかしそうに笑って見ていた。気を悪くしたのではないならいいのだが。
二人が落ち着いたところで、帝はもう一度観察するように見つめた。
「鬼といっても見た目はそう変わらんな。何を食すのだ?」
「美味しいもの!」
「人間と、そう変わらない」
紫苑も紫檀も帝に対して敬語を使うことなく、普通に話していて、はらはらした。
「二人とも、主上の御前よ。話し方をきちんと……」
「いいじゃない。物の怪が人間の型に収まる必要ないでしょ。ねえ、帝?」
「ははっ、それはそうだな。尚薬も、そう気にするでない」
「ですが……」
「他の人がいたら、それらしくする。いい?」
紫檀がそう言って菫子を見上げてくる。どうして菫子が説得される側になっているのか。そもそも念誦堂に帝と鬼が一緒にいる光景が不思議だ。よく分からなくなってきて、考えるのをやめた。
「そなたらには、今度何か美味しいものを届けさせよう。さて、尚薬、本題だ」
「はい」
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