23 / 74
一章 ― 始 ―
一章-15
しおりを挟む
三日経った昼下がり、念誦堂の戸が叩かれた。
「どなたですか」
「橘侍従です」
戸の向こうから、俊元の声が聞こえてきた。菫子はすぐに戸を開けたかったが、そうもいかないので、もう一度、戸に向かって声をかけた。
「中に入っていただいて、大丈夫です」
戸を引いて入ってきた俊元は、中の状況を見て、目を点にし、それから口元に手をやっておかしそうに笑った。
「ずいぶん懐いたな」
今、紫苑が菫子の膝を枕にしてくつろいでいる最中だった。俊元が入ってきたことなど気にせず、猫のようにごろごろとしている。紫檀は、室内の配置を悩んでいて、物を動かしては考えて、を繰り返している。
「違うー、この子があたしたちに懐いたの!」
「そうね」
菫子は膝の上で抗議した紫苑に、答えた。菫子が頷けば、紫苑は満足そうに笑った。
「橘侍従様、この二人もここにいてもよろしいでしょうか。主上にお許しをいただきたいのです」
「害がないのは見て分かったから、俺から主上に言っておくよ」
「ありがとうございます」
紫檀がとことことやって来て、俊元にぺこりと頭を下げた。
「ありがとう」
「いいや。こっちの小鬼は礼儀正しいようだね」
「むー、あたしを馬鹿にしてるのー! 礼くらい言うもん、ありがとー」
紫苑が頬を膨らましながら体を起こした。なんだかんだ礼は言っているのが、可愛らしい。俊元が紫檀に名を聞いていて、紫檀が二人分答えていた。その隙に紫苑は菫子の手を引き寄せて握った。温かさが気に入ったらしい。菫子は反射的に手を引きそうになるが、紫苑の力に負けて、手は持っていかれる。
「……」
俊元がその様子をじっと見ていた。さすがに視線を感じたらしい紫苑が、俊元に無邪気に言い放った。
「あんたもすればー?」
「えっ」
その発言に驚く菫子とは対照的に、俊元は静かに目を伏せて首を横に振った。
「藤小町を怖がらせたくは、ない」
その表情が悲しそうに見えたのはきっと気のせいではない。菫子はぐっと両手に力を込めて、勇気も込めて、話しかけた。
「あの、怖いのは自分の毒で、橘侍従様ではなくて。えっと、その、手、触れてもいいですか……」
俊元の目がゆっくり大きく見開かれた。もしや、さっきの表情は見間違いで、厚かましい者、と思われてしまっただろうか。急激に不安になった菫子は、やっぱり何でもない、と言いかけた。
すると、俊元がそっと菫子を窺いながら、一歩ずつ近づいてきた。菫子の様子が大丈夫だと判断したのか、俊元は真ん前に腰を下ろした。
「どうぞ。怖かったら、無理はせずに」
そうして、穏やかな微笑みと共に右手を差し出してくれた。
菫子は、自分の両手が震えているのを自覚しながらも、俊元の右手へ、手を伸ばした。指先が触れた時、怖さが背中を走った。だが、同時に俊元が、藤小町、と呼んでくれた。優しいその声音のおかげで、それ以上怖さは広がらずに済んだ。
両の手のひらで触れた俊元の手は、菫子のものより大きくて、少し骨ばっている。ぎゅっと力を込めると同じ分だけ返してくれた。紫檀や紫苑とは違う、人の温かさがじんわりと伝わってきた。それから、どうしてか鼓動が早くなってきた。ちらりと俊元を見る。
「怖くない?」
「はい」
「ん、良かった」
俊元のほっとしたような顔を見て、さらに鼓動が早まった。前に一度過呼吸を起こした相手だから? 相手が物の怪ではなく、人だから? それとも。
「さて、梅の件の報告をしようと思うけど、このままする?」
「慣れないので、一旦、離し……ます」
「分かった」
手が離れても、手にぬくもりが残っている。温かさが逃げてしまうのがなんとなく嫌で、菫子は両手を合わせて握った。
双子は俊元の報告には興味がないのか、二人で室内の配置をあーだこーだ言っている。
「結果から言うと、犯人は見つかった。源少将、この前の源大臣の甥にあたる人だ。あの女官から指示を受けた人を辿っていって、見つけたんだ。はじめは、しらばっくれてたけど、実際の梅の粉を見せて問い詰めたら、白状したよ。この前の蟲毒も彼がやったそうだ」
「そうでしたか、見つかって良かったです」
「一人で考えて実行したと言っているけれど、正直微妙なところかな」
「橘侍従様は、少将様に指示をした人がいるとお考えですか」
「まあね。ひとまずは、少将に公に処分が下されたし、正月の事件は無事に解決した。本当に助かった」
俊元は、膝に手をついて頭を下げた。菫子は頭を上げるように言って、こちらこそと思いを込めて、一礼をした。
「わたしが、毒小町のわたしが、主上の役に立てたなんて、夢のようです」
「主上も感謝していると伝えてほしいと仰せだった」
「もったいなきお言葉でございます」
これで、菫子の役目は終わった。褒美として、毒小町を終わらせることが出来る。詳しく状況を調べたり、家への褒美を用意したりと、まだ時間はかかるだろうから、それまでは俊元や双子といることは許されるだろう。
ふと、思い出したように俊元が言った。
「どなたですか」
「橘侍従です」
戸の向こうから、俊元の声が聞こえてきた。菫子はすぐに戸を開けたかったが、そうもいかないので、もう一度、戸に向かって声をかけた。
「中に入っていただいて、大丈夫です」
戸を引いて入ってきた俊元は、中の状況を見て、目を点にし、それから口元に手をやっておかしそうに笑った。
「ずいぶん懐いたな」
今、紫苑が菫子の膝を枕にしてくつろいでいる最中だった。俊元が入ってきたことなど気にせず、猫のようにごろごろとしている。紫檀は、室内の配置を悩んでいて、物を動かしては考えて、を繰り返している。
「違うー、この子があたしたちに懐いたの!」
「そうね」
菫子は膝の上で抗議した紫苑に、答えた。菫子が頷けば、紫苑は満足そうに笑った。
「橘侍従様、この二人もここにいてもよろしいでしょうか。主上にお許しをいただきたいのです」
「害がないのは見て分かったから、俺から主上に言っておくよ」
「ありがとうございます」
紫檀がとことことやって来て、俊元にぺこりと頭を下げた。
「ありがとう」
「いいや。こっちの小鬼は礼儀正しいようだね」
「むー、あたしを馬鹿にしてるのー! 礼くらい言うもん、ありがとー」
紫苑が頬を膨らましながら体を起こした。なんだかんだ礼は言っているのが、可愛らしい。俊元が紫檀に名を聞いていて、紫檀が二人分答えていた。その隙に紫苑は菫子の手を引き寄せて握った。温かさが気に入ったらしい。菫子は反射的に手を引きそうになるが、紫苑の力に負けて、手は持っていかれる。
「……」
俊元がその様子をじっと見ていた。さすがに視線を感じたらしい紫苑が、俊元に無邪気に言い放った。
「あんたもすればー?」
「えっ」
その発言に驚く菫子とは対照的に、俊元は静かに目を伏せて首を横に振った。
「藤小町を怖がらせたくは、ない」
その表情が悲しそうに見えたのはきっと気のせいではない。菫子はぐっと両手に力を込めて、勇気も込めて、話しかけた。
「あの、怖いのは自分の毒で、橘侍従様ではなくて。えっと、その、手、触れてもいいですか……」
俊元の目がゆっくり大きく見開かれた。もしや、さっきの表情は見間違いで、厚かましい者、と思われてしまっただろうか。急激に不安になった菫子は、やっぱり何でもない、と言いかけた。
すると、俊元がそっと菫子を窺いながら、一歩ずつ近づいてきた。菫子の様子が大丈夫だと判断したのか、俊元は真ん前に腰を下ろした。
「どうぞ。怖かったら、無理はせずに」
そうして、穏やかな微笑みと共に右手を差し出してくれた。
菫子は、自分の両手が震えているのを自覚しながらも、俊元の右手へ、手を伸ばした。指先が触れた時、怖さが背中を走った。だが、同時に俊元が、藤小町、と呼んでくれた。優しいその声音のおかげで、それ以上怖さは広がらずに済んだ。
両の手のひらで触れた俊元の手は、菫子のものより大きくて、少し骨ばっている。ぎゅっと力を込めると同じ分だけ返してくれた。紫檀や紫苑とは違う、人の温かさがじんわりと伝わってきた。それから、どうしてか鼓動が早くなってきた。ちらりと俊元を見る。
「怖くない?」
「はい」
「ん、良かった」
俊元のほっとしたような顔を見て、さらに鼓動が早まった。前に一度過呼吸を起こした相手だから? 相手が物の怪ではなく、人だから? それとも。
「さて、梅の件の報告をしようと思うけど、このままする?」
「慣れないので、一旦、離し……ます」
「分かった」
手が離れても、手にぬくもりが残っている。温かさが逃げてしまうのがなんとなく嫌で、菫子は両手を合わせて握った。
双子は俊元の報告には興味がないのか、二人で室内の配置をあーだこーだ言っている。
「結果から言うと、犯人は見つかった。源少将、この前の源大臣の甥にあたる人だ。あの女官から指示を受けた人を辿っていって、見つけたんだ。はじめは、しらばっくれてたけど、実際の梅の粉を見せて問い詰めたら、白状したよ。この前の蟲毒も彼がやったそうだ」
「そうでしたか、見つかって良かったです」
「一人で考えて実行したと言っているけれど、正直微妙なところかな」
「橘侍従様は、少将様に指示をした人がいるとお考えですか」
「まあね。ひとまずは、少将に公に処分が下されたし、正月の事件は無事に解決した。本当に助かった」
俊元は、膝に手をついて頭を下げた。菫子は頭を上げるように言って、こちらこそと思いを込めて、一礼をした。
「わたしが、毒小町のわたしが、主上の役に立てたなんて、夢のようです」
「主上も感謝していると伝えてほしいと仰せだった」
「もったいなきお言葉でございます」
これで、菫子の役目は終わった。褒美として、毒小町を終わらせることが出来る。詳しく状況を調べたり、家への褒美を用意したりと、まだ時間はかかるだろうから、それまでは俊元や双子といることは許されるだろう。
ふと、思い出したように俊元が言った。
1
お気に入りに追加
18
あなたにおすすめの小説
魔法使いと子猫の京ドーナツ~謎解き風味でめしあがれ~
橘花やよい
キャラ文芸
京都嵐山には、魔法使い(四分の一)と、化け猫の少年が出迎えるドーナツ屋がある。おひとよしな魔法使いの、ほっこりじんわり物語。
☆☆☆
三上快はイギリスと日本のクォーター、かつ、魔法使いと人間のクォーター。ある日、経営するドーナツ屋の前に捨てられていた少年(化け猫)を拾う。妙になつかれてしまった快は少年とともに、客の悩みに触れていく。人とあやかし、一筋縄ではいかないのだが。
☆☆☆
あやかし×お仕事(ドーナツ屋)×ご当地(京都)×ちょっと謎解き×グルメと、よくばりなお話、完結しました!楽しんでいただければ幸いです。
感想は基本的に全体公開にしてあるので、ネタバレ注意です。
ヴァーチャル・プライベート・ネットワーク・ガールズ:VPNGs
吉野茉莉
キャラ文芸
【キャライラストつき】【40文字×17行で300Pほど】
2024/01/15更新完了しました。
2042年。
瞳に装着されたレンズを通してネットに接続されている世界。
人々の暮らしは大きく変わり、世界中、月や火星まで家にいながら旅行できるようになった世界。
それでも、かろうじてリアルに学校制度が残っている世界。
これはそこで暮らす彼女たちの物語。
半ひきこもりでぼっちの久慈彩花は、週に一度の登校の帰り、寄り道をした場所で奇妙な指輪を受け取る。なんの気になしにその指輪をはめたとき、システムが勝手に起動し、女子高校生内で密かに行われているゲームに参加することになってしまう。
百合系サキュバス達に一目惚れされた
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
MIDNIGHT
邦幸恵紀
キャラ文芸
【現代ファンタジー/外面のいい会社員×ツンデレ一見美少年/友人以上恋人未満】
「真夜中にはあまり出歩かないほうがいい」。
三月のある深夜、会社員・鬼頭和臣は、黒ずくめの美少年・霧河雅美にそう忠告される。
未成年に説教される筋合いはないと鬼頭は反発するが、その出会いが、その後の彼の人生を大きく変えてしまうのだった。
◆「第6回キャラ文芸大賞」で奨励賞をいただきました。ありがとうございました。
新米神様とバイト巫女は、こいねがう
鈴木しぐれ
キャラ文芸
お人好しなばかりに損をしてしまうことも多い、女子大生の優月。アルバイトを探している時に、偶然目に付いた神社の巫女バイトのチラシ。興味を惹かれて神社に足を踏み入れると、そこにいたのは、少年の姿をした少し偉そうな新米の神様だった――。
デリバリー・デイジー
SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。
これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。
※もちろん、内容は百%フィクションですよ!
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【完結】失くし物屋の付喪神たち 京都に集う「物」の想い
ヲダツバサ
キャラ文芸
「これは、私達だけの秘密ね」
京都の料亭を継ぐ予定の兄を支えるため、召使いのように尽くしていた少女、こがね。
兄や家族にこき使われ、言いなりになって働く毎日だった。
しかし、青年の姿をした日本刀の付喪神「美雲丸」との出会いで全てが変わり始める。
女の子の姿をした招き猫の付喪神。
京都弁で喋る深鍋の付喪神。
神秘的な女性の姿をした提灯の付喪神。
彼らと、失くし物と持ち主を合わせるための店「失くし物屋」を通して、こがねは大切なものを見つける。
●不安や恐怖で思っている事をハッキリ言えない女の子が成長していく物語です。
●自分の持ち物にも付喪神が宿っているのかも…と想像しながら楽しんでください。
2024.03.12 完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる