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一章 ― 始 ―
一章-4
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「まずは、私が東宮になった頃のことから話すか。おそらくはそこから始まっておるからのう。五年前、先々代の帝が薨去され、先帝が即位されたのと同時に、私が東宮となった。それは知っておるな?」
「はい、存じております」
「東宮を決める直前、弟から贈り物が届いた。特別に取り寄せた高価な薬湯だと言ってな。怪しいものであったゆえ、それと分からぬようにし、礼だと言って送り返した」
何てことのないように言っているが、贈り物をそのまま送り返すとは、なんと大胆なことをする方だろうかと、菫子は息を呑んだ。そんな菫子には気付かずに、帝は話を続ける。
「弟は原因不明の病により、しばらく宮中に上がることが出来なかった。加持祈禱をさせていたようだが、先帝即位には間に合わず、大礼は欠席しておった」
意味は分かるな、と言いたげに帝は首を僅かに傾けて、菫子を見た。
弟宮は、兄宮を退けて自分が東宮になるために、毒かそれに値するものを送り付けた、ということ。兄宮はそれを切り抜けたが、弟宮は明確に敵意があることを示したようなものだ。それを口にするのはさすがに憚られるので、菫子はこくりと頷くだけにした。
「そして、今の状況は私が帝で、弟は東宮だ。私がいなくなれば、弟は念願の帝の地位を得ることとなる。だから、命を狙われているわけだ」
随分とあっけらかんと言い放ったが、その目は冷ややかだった。梨壺に居住している東宮へ向けられたものだ。すっと、その冷ややかさが和らぎ、帝は複雑な表情になり、脇息についた手で頬杖をついた。
「まあ……東宮は策略が得意な性格ではない。一人でしたことではなく、裏に何者かがいるのは確実だ」
「私もそう思っております。そもそも、本当に命を奪うつもりかは、微妙なところかと存じます。脅して譲位させるのが、目的かと」
「そうだな」
俊元の分析に、帝は素直に頷いた。帝は大きく息を吐くと脇息に体重をかけ、くつろぐ体勢を取った。話し手は俊元が引き継いだ。
「近頃、流れ始めた噂があるんだ。東宮を決める時、今上帝は弟宮へ毒を送り付けて東宮の座を奪い取ったのだ、と」
「それは……事実と真逆ではありませんか」
「そう。流したのは東宮派の者たちだろう。歳の変わらないご兄弟ということもあって、元々、東宮派はいたけれど、この噂のせいで、不信感を持った者も多くて、誰がどちら側なのか区別しづらい状況だ」
「噂が虚偽であると、訂正はなさらないのですか」
菫子がそう言うと、予想していた問いのようで、帝はゆるく首を振った。
「首謀者が誰か分からないうちは、訂正するつもりはない。疑わしい者がいるにはいるが……。はっきりと証拠を押さえてから、それと共に公表する。そのためには、毒の証拠が必要だ、よいな」
「かしこまりました」
かなり責任重大の調査であることを、改めて認識した。菫子は深々と頭を垂れて、気を引き締めた。もしも、弟宮が帝を殺してでも、と思っていたら。菫子の肩には帝の命そのものが乗っていることになる。意識しなくとも、肩に力が入る。
「そこまで気負うことはない。調査は俊元と共にするのだ、こやつに任せればよい」
「主上の仰せの通りに」
口にした文言ほどは、かしこまっていない様子で、俊元は軽く頭を下げた。この二人の信頼関係というか、距離の近さはどこから来るのだろうと、少し気になった。
「主上は、橘侍従様を信頼なさっているのでございますね」
「うむ。俊元の母が私の乳母であったからな。乳兄弟というわけだ」
通常、尊い方の養育は、同時期に子を産んだ、身分のある女性が担う。帝と俊元は幼い頃から共にいる間柄ということだ。信頼の高さに納得した。
「頼むぞ、毒小町」
「はい。かしこまりました」
ふと、俊元が帝に近付いて、何やら耳打ちをしていた。帝は、確かにな、と呟いてもう一度菫子の方へと向き直った。
「頼むぞ、尚薬よ」
「……!」
思わず帝ではなく、俊元へと視線を向けてしまった。毒小町と呼ぶのはやめた方がいい、という内容のことを進言してくれたようだ。宮中に仕える女官は、大抵その役職名で呼ばれるため、菫子が尚薬と呼ばれるのは自然なことではある。だが、すでに呼び名があるのにわざわざ言い直してくれたことに、心遣いを感じた。
「ありがとう、ございます」
「はい、存じております」
「東宮を決める直前、弟から贈り物が届いた。特別に取り寄せた高価な薬湯だと言ってな。怪しいものであったゆえ、それと分からぬようにし、礼だと言って送り返した」
何てことのないように言っているが、贈り物をそのまま送り返すとは、なんと大胆なことをする方だろうかと、菫子は息を呑んだ。そんな菫子には気付かずに、帝は話を続ける。
「弟は原因不明の病により、しばらく宮中に上がることが出来なかった。加持祈禱をさせていたようだが、先帝即位には間に合わず、大礼は欠席しておった」
意味は分かるな、と言いたげに帝は首を僅かに傾けて、菫子を見た。
弟宮は、兄宮を退けて自分が東宮になるために、毒かそれに値するものを送り付けた、ということ。兄宮はそれを切り抜けたが、弟宮は明確に敵意があることを示したようなものだ。それを口にするのはさすがに憚られるので、菫子はこくりと頷くだけにした。
「そして、今の状況は私が帝で、弟は東宮だ。私がいなくなれば、弟は念願の帝の地位を得ることとなる。だから、命を狙われているわけだ」
随分とあっけらかんと言い放ったが、その目は冷ややかだった。梨壺に居住している東宮へ向けられたものだ。すっと、その冷ややかさが和らぎ、帝は複雑な表情になり、脇息についた手で頬杖をついた。
「まあ……東宮は策略が得意な性格ではない。一人でしたことではなく、裏に何者かがいるのは確実だ」
「私もそう思っております。そもそも、本当に命を奪うつもりかは、微妙なところかと存じます。脅して譲位させるのが、目的かと」
「そうだな」
俊元の分析に、帝は素直に頷いた。帝は大きく息を吐くと脇息に体重をかけ、くつろぐ体勢を取った。話し手は俊元が引き継いだ。
「近頃、流れ始めた噂があるんだ。東宮を決める時、今上帝は弟宮へ毒を送り付けて東宮の座を奪い取ったのだ、と」
「それは……事実と真逆ではありませんか」
「そう。流したのは東宮派の者たちだろう。歳の変わらないご兄弟ということもあって、元々、東宮派はいたけれど、この噂のせいで、不信感を持った者も多くて、誰がどちら側なのか区別しづらい状況だ」
「噂が虚偽であると、訂正はなさらないのですか」
菫子がそう言うと、予想していた問いのようで、帝はゆるく首を振った。
「首謀者が誰か分からないうちは、訂正するつもりはない。疑わしい者がいるにはいるが……。はっきりと証拠を押さえてから、それと共に公表する。そのためには、毒の証拠が必要だ、よいな」
「かしこまりました」
かなり責任重大の調査であることを、改めて認識した。菫子は深々と頭を垂れて、気を引き締めた。もしも、弟宮が帝を殺してでも、と思っていたら。菫子の肩には帝の命そのものが乗っていることになる。意識しなくとも、肩に力が入る。
「そこまで気負うことはない。調査は俊元と共にするのだ、こやつに任せればよい」
「主上の仰せの通りに」
口にした文言ほどは、かしこまっていない様子で、俊元は軽く頭を下げた。この二人の信頼関係というか、距離の近さはどこから来るのだろうと、少し気になった。
「主上は、橘侍従様を信頼なさっているのでございますね」
「うむ。俊元の母が私の乳母であったからな。乳兄弟というわけだ」
通常、尊い方の養育は、同時期に子を産んだ、身分のある女性が担う。帝と俊元は幼い頃から共にいる間柄ということだ。信頼の高さに納得した。
「頼むぞ、毒小町」
「はい。かしこまりました」
ふと、俊元が帝に近付いて、何やら耳打ちをしていた。帝は、確かにな、と呟いてもう一度菫子の方へと向き直った。
「頼むぞ、尚薬よ」
「……!」
思わず帝ではなく、俊元へと視線を向けてしまった。毒小町と呼ぶのはやめた方がいい、という内容のことを進言してくれたようだ。宮中に仕える女官は、大抵その役職名で呼ばれるため、菫子が尚薬と呼ばれるのは自然なことではある。だが、すでに呼び名があるのにわざわざ言い直してくれたことに、心遣いを感じた。
「ありがとう、ございます」
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