明治あやかし黄昏座

鈴木しぐれ

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第三幕 つむじ風

つむじ風―4

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 数日後、あらすじが佐奈から伝えられ、衣装や小道具の作成が始まった。佐奈が脚本を書いているのと同時進行で作成も進む。芝居小屋は一気に慌ただしさが増した。あさぎは連日手伝いに追われていた。

「あさぎ、ちょっとこっちを手伝って欲しいですの」
「すぐ行く!」

 衣装部屋から顔を出した花音に呼ばれ、あさぎは廊下を駆ける。衣装部屋に入って、目に飛び込んできたのは、部屋中に布が散乱している様だった。

「わあ……」
 部屋では雪音が布に埋もれながら何かを探しているようだった。

「雪音くん、何を探してるの?」
「今回使う、ボタンを探してます。でも姉さんが布の籠をひっくり返してしまってこの有様です」
「なかなか見つからなくて、布に紛れているのではと思いましたの」

 花音が頬を膨らませて言い返しているが、勢いがないので、どうやら反省しているようだ。二人が作業を進めるにも、まずはここを片付けなくてはならない。

「じゃあ、片付けようか。決まった位置があれば、教えて」

 三人で布を整理していく。基本的には色ごとに分けて収納しているらしいが、一部は生地で個別に置いているものもあるらしい。一つ一つ教えてもらい、あさぎは布を片付けていく。
 布がある程度片付くと、新しい衣装が見えてきた。今回の芝居に使うものだろうか。

「花音ちゃん、これは」
「ええ。鎌鼬の芝居で寧々さんが着る予定のものですわ。まだ試作ですけれど」

 紺色のワンピース。スカートがふわりと円を描くように広がっていて、袖はすらりとまっすぐに伸びている。腰の部分には前掛けのような白い布が付いている。

「可愛い……」
「ふふ、嬉しいですわ。これは西洋の使用人、メイドの服を参考にしましたの」
「二人とも、手を動かしてください」

 雪音にたしなめられて、あさぎたちは再び片付けに戻る。ある程度片付いてきたのだが、探しているというボタンが見当たらない。

「ボタンは、箱か何かに入ってるの?」
「はい。青色の両手くらいの大きさです」

 雪音が両手で箱を抱える仕草をした。その大きさなら、見落とすことはないだろう。だが、整理された衣装部屋のどこにも見当たらない。

「どこに行ったのでしょう」
 あさぎは、青い箱、と聞いてどこかで見かけたような、そんな気がした。糸を手繰り寄せるように、青い箱を探す。

「あっ」
 思い出した。

「何か分かりましたの?」
「青い箱、受付で見たよ。花音ちゃん心当たりない?」
「受付ですの……? あっ、今日は急いでいましたから、裏口ではなく表玄関から入りましたわ。その時、一旦置いたような、気もしますわ」
「姉さん……」
 雪音が呆れたように、わざとらしくため息をついた。花音は、素直にごめんなさい、と呟いていた。

「じゃあ、私、取りに行ってくるね。二人は作業してて」
 あさぎは、受付に向かった。そこには確かに青い箱があり、中身を確かめたら、色とりどりのボタンが入っていた。これに間違いなさそうだ。

「おい、そこの」
「はいっ」

 突然、玄関の方から男性に話しかけられた。四、五十歳の男性は、黒い着物を身に纏って、訝しむようにこちらに視線を向けて来る。

「黄昏座ってのはここか。吉助が依頼したというのはここか。おい、どうなんだ」
「あ、えっと、そうです。あなたは……」
「俺は、その、あいつの兄だ。脚本やら衣装やら、見せてもらおうか」

 兄、というには年がだいぶ離れているようにも思えたが、こちらが口を挟む隙も無く、押しかけて来る。あさぎは、押し負けて誰もいない客席まで案内した。

「ここで、お待ちください。あ、水どうぞ。温かいお茶持ってきます」
「早く代表者呼んでこい」
「は、はい」

 あさぎは、裏へ急いで、寧々を探した。先に衣装部屋に寄ってボタンを渡そうと部屋を覗いたら、双子に加えて寧々もそこにいた。急いで事情を話した。

「お兄さん? 依頼の時に確かお兄さんから助言を受けて来た、みたいなこと言うてた気がするけど、そのお兄さんやろか」
「でも、なんか雰囲気が……」
「まあ、行くしかあらへんな。雪音くん、試作の衣装持ってきてくれる?」
「分かりました」

 寧々と雪音と共に客席まで戻る。男性はイライラした様子で、あさぎたちの姿を見た途端音を立てて床を蹴り、立ち上がった。

「遅い!」
「あたしが支配人代理です。上演前に脚本をお見せすることは出来まへん。衣装やったら、少しだけお見せ出来ます」
「こちらで――」
 雪音が言い終わる前に、突風が吹き、ワンピースが風に巻き込まれた。その隙に男性がこちらに突進してきた。

「!?」
 あさぎが驚いている間に、ワンピースの袖に、鋭い刃物による裂け目が出来ていた。雪音は、咄嗟に身を引いた。そのおかげでそれ以上の裂け目は出来なかった。

「何してるん!」
 寧々の鋭い声がした次の瞬間、男性は後ろ手の状態で床に押さえつけられていた。猫又の第六感である瞬間移動かと思うほどの素早い動きで、男性を取り押さえたのだ。

 着物から出ている男性の腕からは、刃物のようなものが飛び出している。これが鎌鼬の第六感。鈍く光る刃に、あさぎは思わず身震いした。

「雪音くん」
「はい」

 雪音は、男性に出されていた水の入った湯呑を持つと、寧々が抑えている男性の両手首にかけた。パッと寧々が手を離した瞬間、水は冷気を放ち、凍り付いた。水を一瞬にして氷に変えた。これが雪音の第六感。男性は力いっぱい氷を引きはがそうとするが、びくともしない。

「くそっ」
「依頼者の吉助さんの兄、と言うたらしいけど、違うな。誰や」
 寧々の声は、低く響くようで、怒りが言葉の端々から溢れ出ていた。男性は、床に転がったまま、声を荒げた。

「馬鹿息子たちの間違いを正しに来てやっただけだ! あいつが勝手に依頼なんかしやがった。しかも俺に何も言わずに押し切るつもりだったんだ。腹立たしいったらありゃしねえ」
「息子? じゃあ、吉助さんの父親なんやね」

「はっ、俺たち鎌鼬を見世物にするなんざ、冗談じゃねえ。だいたい、本殿に逆らうなんざ、言語道断だ」
「本殿に逆らう? どういうこと?」
 あさぎは、男性に聞き返した。声を荒らげてはいるが、嘘をまき散らしているようには聞こえなかった。

「何も知らねえのか、お前。本殿は、畏怖の減少は心配いらない、本殿に任せれば大丈夫だと、そう言ってんだ。動くことは本殿への謀反だ。この謀反人どもめ」
 雪音が、湯呑にわずかに残っていた水滴を男性の口元に垂らし、凍り付かせた。男性は口を開くことが出来なくなった。

「自分で動くことが間違いだとは思いません。本殿なんかに言われたことを鵜呑みにして、思考停止している者よりは、いいと思います」

 ここにもっと水があったなら、雪音は男性を丸ごと凍り付かせてしまいそうな、冷たさがあった。目の前の男性へというよりも、本殿という言葉にその感情が向けられているように思えた。

「ともかく、ここでの乱暴狼藉は許されへん。派出所へ行きましょ」
「ん! んんー」

 男は塞がれた口で何かを言っているが、寧々は問答無用で引きずり出した。さすがに目立つのでは、と思ったが、寧々が走り出すとあっという間に見えなくなった。さすがの身体能力である。
 あさぎは、雪音の持つ衣装に目を向けた。胴の部分やスカートは無事だが、袖がボロボロである。

「……衣装、傷付いちゃったね」
「はい。まさか、いきなり襲って来るとは思わず、油断しました。試作とはいえ、ある程度はこのままを使うと言っていたので、姉さんに何と言ったらいいか……」

 雪音もショックを受けている。どうにかならないかと、あさぎは思考を回転させる。花音が一生懸命作った衣装を、あんな人に台無しにされたくない。

「あっ、袖の形を変えるのはどう? こう、肘の辺りから広がるように」
「ラッパのような形でしょうか」
「そう」
「でも、どうしてその形に?」
「さっきの人、肘から下に刃物が現れたように見えたの。だから、鎌鼬の衣装なら、袖が広い方が合ってるのかもって」

 雪音の目が見開かれ、固まってしまった。何とか絞り出した案だったが、やはり無理があっただろうか。
 その時、表玄関から笑い声が聞こえてきた。

「ははっ、鎌鼬に襲われて、それを参考にするなんて、肝が据わっているというか、なんというか」
 琥珀が肩を震わせながらこちらに歩いてきていた。口元は愉快そうに上がったままで。

「琥珀! なんで襲われたって知ってるの。見てたの?」
「まさか。見てたら助けに入る。ついさっき寧々さんに聞いたんだ」

 未だ不機嫌な寧々の姿が琥珀の後ろにあった。この短時間で派出所に行って、戻ってきたらしい。ここから近いとはいえ猫又の身体能力、恐るべし。

「雪音、あんなやつの思い通りになってやる必要はない。利用してやれ」
「……! 分かりました」
 活路を見つけて、雪音は力強く頷いた。これ以上裂け目を広げないよう、慎重に衣装を抱えて、裏へ駆けていった。寧々も、手伝って来る、と後を追いかけた。

「あさぎ」
 琥珀に呼ばれて振り返ると、想像以上に近くに顔があった。真剣な表情で見つめられて、心臓が跳ねた。

「えっ、何」
「怪我はないか。何か嫌なことを言われたりは?」

 琥珀は、怒っているようにも聞こえる声音で聞いてきた。心配、してくれているようだ。自分のことを自分以外の人が心配してくれると、胸が温かくてくすぐったいのだと知った。
 いきなり刃物が現れた時は驚いたし、怖かったが、怪我はなかった。嫌なこと、には雪音が怒ってくれていた。

「私は大丈夫」
「そうか。念のため、一人にはなるな。それから、今度依頼者のあいつ、吉助に文句言ってやるからな。親を説得してから来い。全く……」

 大丈夫だ、と言ったのに、琥珀の心配やら怒りやらは収まらない。でもそれが、嬉しく思えてしまう。
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