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第一幕 天気雨
天気雨―2
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「あや、かし……?」
「そうだ。俺たちと同じ、妖だ。手の甲にある花の模様、花紋というが、これが見えること。そして、薄いが君の手の甲にもそれがある。妖である証だ」
「人間には、花紋は見えないのよ、そもそも」
「私は、妖……」
あさぎは自らの手の甲を凝視した。確かに、言われてみればうっすらと花の模様のようなものが見える。それが何の花かは分からないが。これがあるから、人間ではなく、妖であると、そういうことらしい。
琥珀は、俺たち、と言った。琥珀の手には山吹の花、凪の手には蘭の花の紋が見える。つまり。
「二人も、妖なの?」
「そうよ」
「ああ。そしてもう一つの疑問。ここがどこなのか、ってやつ。……ここは黄昏座。妖による、妖のための唯一の芝居小屋だ」
朗々と宣言するように両手を広げて、琥珀は立ち上がった。少し大げさな身振りで、思わず気圧されてしまった。
「琥珀、さっきからだいぶ芝居がかっているわよ」
「すまん。反応が新鮮で、つい」
「まあ、気持ちは少し分かるけれど。あさぎ、あなた本当に何も覚えていないのね」
しみじみと言う凪の口調から、知らないことがまだまだあるらしいことは分かった。早く思い出すためにも、もっと話を聞いておきたい。そう思った。
「あの、妖って――」
「座長、凪さん、そろそろ準備をしなくてはなりませんわ」
あさぎの声は同時に発せられた別の声にかき消されてしまった。琥珀や凪がいる畳の部屋のさらに奥、洋装の少女が障子を開けてこちらに入ってきた。フリルやレースが少なく、裾もくるぶしが見えるほどの長さのワンピースだったで、それを見劣りすることなく着こなしている。
琥珀のことを座長、と呼んだ。琥珀はここでの長、らしい。
「あら、お客様がいらしてましたの。失礼いたしましたわ。わたくし、竜胆花音と申しますわ」
おそらく琥珀や凪よりも年下、幼く見えるが、スカートを持ち上げて膝を曲げる礼は洗練された動作だった。腰まである長い黒髪がさらりと揺れている。
「えっと、あさぎ、と言います……」
さっき付けてもらったばかりの名前を口にした。少し恥ずかしい心地がしたが、そんなあさぎの様子には目もくれず、花音は二人に同じ言葉を繰り返した。
「そろそろ準備をしなくてはなりませんわ」
「もうそんな時間だったか」
「今日の演目は、洋装だものね。今行くわ」
凪は立ち上がると、琥珀にも立ち上がるように目線で促した。少し悩んだ素振りを見せた琥珀は、花音を呼んだ。
「花音、この子を客席まで案内してくれるか? 今日空きがあったはずだから」
「分かりましたわ」
花音は頷くと、小上がりに腰かけて置いてあった草履を履いた。あさぎに向かって手で外を指し示した。一度外に出て、表から入るということだろう。
「あさぎ。話の続きはまた後で。もうすぐ始まる俺たちの芝居を見ていって」
「うん」
聞きたいことはあったが、後で聞いてくれるのならと、あさぎは頷いた。妖のため、という芝居も見てみたかった。あさぎは花音の後について、一旦外へ出た。
「こちらですわ」
入ってすぐに受付があり、切符を購入し、入場するようだが、花音についていき、そのまま入場した。
「あさぎさん、でしたわね。座長と凪さん、どちらのお知り合いですの?」
「知り合いというか、さっき会ったばかりで、えっと傘を貸してもらって」
「会ったばかり、ですの」
花音は可愛らしい顔をあからさまに顰めた。さっと扇子で口元を隠したが、不満そうな表情は変わらない。知り合いではないと分かると、花音は丁寧な態度を止め、会話も途切れたままとなった。
「どうぞ、こちらへ。わたくしも準備がありますので、失礼いたしますわ」
手のひらで場所を示すと、くるりとスカートの裾を翻して去っていってしまった。
客席は、低い木の柵で区切られた升がいくつもあり、その中に五、六人が座る形だった。あさぎは、言われた通りの升の中に座った。正面には大きな幕が下りた舞台があり、全体の左側に位置するここからは少し体を右に向けて見るのだろう。続々と入ってくる人たちは、切符を片手に各々升の中に腰を下ろす。手の甲に注目して見ていると、花紋がある者もいれば、ない者もいる。妖も人間もどちらもいる、ということだ。
時間が経つにつれ、徐々に升が埋まり、客席内にふつふつと高揚感が立ち上ってきた。芝居を見るのは初めて――記憶がないから当然――なのだが、もうすぐ始まるのだということが分かった。
「あなた、黄昏座で芝居を見るのは初めて?」
ふと、隣に座るご婦人から、穏やかな声で話しかけられた。傍から見てもそわそわしているのが伝わっていたようだ。
「はい。ここに来たのは成り行きで、でも、何だか緊張してきて」
「ふふっ、楽しいわね」
「楽しい?」
「そうよ。開演を今か今かと待つこの時間も楽しいのよ。よく来ているけれど、毎回楽しいわ。それに、今日の演目は華やかできらびやかで、非日常を味わえるわ」
話しながら、あさぎはご婦人の手の甲を見た。着物の袖から見えている手には紋は見られなかった。
「もう始まるわね、楽しみましょう」
「そうだ。俺たちと同じ、妖だ。手の甲にある花の模様、花紋というが、これが見えること。そして、薄いが君の手の甲にもそれがある。妖である証だ」
「人間には、花紋は見えないのよ、そもそも」
「私は、妖……」
あさぎは自らの手の甲を凝視した。確かに、言われてみればうっすらと花の模様のようなものが見える。それが何の花かは分からないが。これがあるから、人間ではなく、妖であると、そういうことらしい。
琥珀は、俺たち、と言った。琥珀の手には山吹の花、凪の手には蘭の花の紋が見える。つまり。
「二人も、妖なの?」
「そうよ」
「ああ。そしてもう一つの疑問。ここがどこなのか、ってやつ。……ここは黄昏座。妖による、妖のための唯一の芝居小屋だ」
朗々と宣言するように両手を広げて、琥珀は立ち上がった。少し大げさな身振りで、思わず気圧されてしまった。
「琥珀、さっきからだいぶ芝居がかっているわよ」
「すまん。反応が新鮮で、つい」
「まあ、気持ちは少し分かるけれど。あさぎ、あなた本当に何も覚えていないのね」
しみじみと言う凪の口調から、知らないことがまだまだあるらしいことは分かった。早く思い出すためにも、もっと話を聞いておきたい。そう思った。
「あの、妖って――」
「座長、凪さん、そろそろ準備をしなくてはなりませんわ」
あさぎの声は同時に発せられた別の声にかき消されてしまった。琥珀や凪がいる畳の部屋のさらに奥、洋装の少女が障子を開けてこちらに入ってきた。フリルやレースが少なく、裾もくるぶしが見えるほどの長さのワンピースだったで、それを見劣りすることなく着こなしている。
琥珀のことを座長、と呼んだ。琥珀はここでの長、らしい。
「あら、お客様がいらしてましたの。失礼いたしましたわ。わたくし、竜胆花音と申しますわ」
おそらく琥珀や凪よりも年下、幼く見えるが、スカートを持ち上げて膝を曲げる礼は洗練された動作だった。腰まである長い黒髪がさらりと揺れている。
「えっと、あさぎ、と言います……」
さっき付けてもらったばかりの名前を口にした。少し恥ずかしい心地がしたが、そんなあさぎの様子には目もくれず、花音は二人に同じ言葉を繰り返した。
「そろそろ準備をしなくてはなりませんわ」
「もうそんな時間だったか」
「今日の演目は、洋装だものね。今行くわ」
凪は立ち上がると、琥珀にも立ち上がるように目線で促した。少し悩んだ素振りを見せた琥珀は、花音を呼んだ。
「花音、この子を客席まで案内してくれるか? 今日空きがあったはずだから」
「分かりましたわ」
花音は頷くと、小上がりに腰かけて置いてあった草履を履いた。あさぎに向かって手で外を指し示した。一度外に出て、表から入るということだろう。
「あさぎ。話の続きはまた後で。もうすぐ始まる俺たちの芝居を見ていって」
「うん」
聞きたいことはあったが、後で聞いてくれるのならと、あさぎは頷いた。妖のため、という芝居も見てみたかった。あさぎは花音の後について、一旦外へ出た。
「こちらですわ」
入ってすぐに受付があり、切符を購入し、入場するようだが、花音についていき、そのまま入場した。
「あさぎさん、でしたわね。座長と凪さん、どちらのお知り合いですの?」
「知り合いというか、さっき会ったばかりで、えっと傘を貸してもらって」
「会ったばかり、ですの」
花音は可愛らしい顔をあからさまに顰めた。さっと扇子で口元を隠したが、不満そうな表情は変わらない。知り合いではないと分かると、花音は丁寧な態度を止め、会話も途切れたままとなった。
「どうぞ、こちらへ。わたくしも準備がありますので、失礼いたしますわ」
手のひらで場所を示すと、くるりとスカートの裾を翻して去っていってしまった。
客席は、低い木の柵で区切られた升がいくつもあり、その中に五、六人が座る形だった。あさぎは、言われた通りの升の中に座った。正面には大きな幕が下りた舞台があり、全体の左側に位置するここからは少し体を右に向けて見るのだろう。続々と入ってくる人たちは、切符を片手に各々升の中に腰を下ろす。手の甲に注目して見ていると、花紋がある者もいれば、ない者もいる。妖も人間もどちらもいる、ということだ。
時間が経つにつれ、徐々に升が埋まり、客席内にふつふつと高揚感が立ち上ってきた。芝居を見るのは初めて――記憶がないから当然――なのだが、もうすぐ始まるのだということが分かった。
「あなた、黄昏座で芝居を見るのは初めて?」
ふと、隣に座るご婦人から、穏やかな声で話しかけられた。傍から見てもそわそわしているのが伝わっていたようだ。
「はい。ここに来たのは成り行きで、でも、何だか緊張してきて」
「ふふっ、楽しいわね」
「楽しい?」
「そうよ。開演を今か今かと待つこの時間も楽しいのよ。よく来ているけれど、毎回楽しいわ。それに、今日の演目は華やかできらびやかで、非日常を味わえるわ」
話しながら、あさぎはご婦人の手の甲を見た。着物の袖から見えている手には紋は見られなかった。
「もう始まるわね、楽しみましょう」
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