ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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第8章「神智を超えた回生の夢」

223話 不揃いの神々は眠らない(3)

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 熱が収まり、自分の輪郭が闇に溶けていく。自分が浮遊しているのか沈んでいるかもわからず、僕は闇の中をさまよっていた。
 不思議と恐怖は感じない。そんな中、僕は別の誰かの記憶が頭に流れ込んできていることに気づいた。最近、意識を失うとたまに起こるこの現象も、恐らくは権能の影響によるものだと思えば受け入れやすい。
 今度は誰の記憶なのか見定めようと、目を閉じる。

 *

 周囲を、血の匂いと肉が焼け焦げる匂いが漂っていた。不快な空気に嗚咽し、地面は汚らわしい色で染まっていた。死体がいくつも転がっている。
 神の死は、案外呆気ないものだ。刺されたり、焼かれたり、潰されたり、銃で撃たれたりしたら当たり前のように死ぬ。
 そう……本当に、あっという間だ。まるで、本当の人間のよう。生命は弱く儚いと、僕は何度も思い知っている。

「トゥーリ。街の状況はどうなってる?」

 僕は一度街から離れ、戦いの最前線に訪れていた。目的は、魔特隊総指揮官であるティアルさんに街の状況を報告することだった。
 前線……中央都市より北にある箱庭の端付近で、魔特隊と大量の魔物が戦闘を続けている。中央都市がこのような有様になっているから、とうの昔に防衛ラインは突破されている。しかし、魔物の流れを止めるには箱庭の端で食い止める必要があった。
 ティアルさんは、今まで見たこともないくらい疲れ切っている。身体中煤や魔物の体液まみれで、周囲では戦いの音が鳴り響き続けている。
 総指揮官自ら出向かなければいけなくなるぐらい、魔特隊も壊滅の危機に追い込まれている。現に、今の中央都市には隊員の姿がほとんどなかった。

「すでに、かなり多くの神が犠牲になったようです。裏切ったとされる神も何人か潜伏しているようですし、もはや安全な場所ではなくなりました」
「まあ、そうだろうな。私も裏切り者に出くわしたよ……つらかった」

 ティアルさんが俯いたことで、彼女の表情がよくわからなくなる。彼女もまた、この戦争で過酷な経験をしたようだ。

「裏切り者は、どうなさったのですか」
「……見つけ次第、殺したよ。それがアイリス様のお望みだったからな」

 だから、この人はここまで憔悴しているということか。デミ・ドゥームズデイの前にも似たようなことはあったけれど、ここまで大規模ではなかったし裏切り者の数など歴史上でごく僅かだった。短期間で何人も処していれば、自ずと心は疲弊する。

「カルデは元から他人に無関心だしさ、色々割り切ってるみたいだけどよ……トゥーリは平気なのか。裏切り者の扱いとか」
「……平気って言うと嘘になります。それなりに堪えはしますよ。でも……こんなこと、人間の歴史上ならいくらでも起こり得そうじゃないですか」
「時の神らしいセリフだな、それ。……今回の件で一番堪えてるのは、アリアとクリムだろうな」

 ティアルさんはアリアさんの親友だ。彼女が誰と仲が良かったか、誰を好んでいるかなどはある程度知っている。僕やカルデルトさんも、前々から三人の様子を見て気づいてはいた。
 僕とティアルさん、カルデルトさんの三人が仲良しであるように、アリアさんとクリムさん、そしてクロウリーさんがよく話していたということも、僕たちは知っていた。

「……確かめに行かないといけませんね。どうしてこんなことになってしまったか」
「そうか。私はもういいよ。クロウリーなんて……どうでもいい。こんな戦い、早く終わらせなきゃな」

 ティアルさんはもはや、裏切り者に関心を向けなくなっていた。本人はきっと、その方が気楽なのだ。
 それがかつての仲間であっても────忘れてしまった方が楽だと、知っているんだ。



「もう、無駄ですよ。あなたたちを裏切らせた何か、その正体を教えてください」

 街に一度戻った後、僕はとある神を追い詰めた。相手は男で、恐らく第二世代……僕たちと年が近いであろう神だ。長く生きてきたゆえにアイリス様への疑念を晴らせないまま、この戦争の元凶が持つ異質な力に魅入られてしまった、哀れな男。
 そんな相手を、僕は単身で瀕死に追い詰めた。

「教えるものか……あのお方は俺の望みを叶えると言ってくれた……この世界の正しい形を教えてくれると言ってくださった!! あのお方を裏切ることなどできるものか!!」
「それなら、あなたはすでにアイリス様を裏切っているじゃないですか」
「黙れ!! 未熟で傲慢な最高神の狗に何がわかる!! 『時空の操者クロノ・プレイヤー』────キャッセリアの歴史を司っていながら、この現実から目を逸らすというのか!!」

 男は唾を飛ばしながら叫ぶ。僕はそんな彼を冷めた目で見ることしかできなかった。
 僕の脳内に宿る「時の記憶」。その存在があるおかげで、僕はキャッセリアの歴史を余すことなく記憶できている。どれだけ残酷なことであろうと、僕には「記録」の役目があるから記憶することから逃れられない。
 一度記憶に触れてしまえば二度と頭から消えない、それが僕の持つ「時の記憶」に備わった機能だ。
 この男は、そんな僕の密かな苦しみなんて知らないくせに、僕を罵っている。腹が立つことこの上ない。

「……もういいです。『クロノス・オペレーター』〈アクセル〉」

 相手の傷口に意識を向けながら固有魔法を行使しただけで、裏切り者は爆ぜて血の池に沈む。
 僕は武器で戦うよりも魔法で戦う方が向いていると常々思っていたが、まさか時を操る魔法で神を殺す方法があるなんて思ってもいなかった。
 カルデルトさんには感謝しなきゃ……な。

「どうして……裏切ったのですか。どうして、僕たちを信じてくれなかったのですか」

 かつては仲間だった黒い天使の姿が、脳裏に浮かぶ。僕は────自分がどうしようもなく矮小に思えてしまった。



 デミ・ドゥームズデイの惨劇が終わりを告げてもなお、僕たちは完全に元に戻ることはできなかった。失ったものがあまりにも多すぎた。
 アーケンシェンは六人から五人になり、生き残った僕たちでさえひどい傷を負った。アリアさんに至っては致命傷を負っていたし、後遺症で記憶がなくなるのも仕方ないと思っていた。
 後処理に追われていたある日のこと、僕はカルデルトさんに「一緒にデウスプリズンに行かないか」と誘われた。惨劇が終結した日から、クリムさんの姿を見ていないのだという。クロウリーさんが死刑となったことで、彼の担っていた役割をクリムさんが背負うことになったことは知っていたのだけど。
 カルデルトさんと一緒にデウスプリズンに向かった。そこでクリムさんに会った僕は、心の中でこう思った。「あの惨劇はまだ終わっていない」って。

「もう、どうでもいい。僕は誰も救えない出来損ないだ。放っておいてくれ」

 書斎の床に座り込むクリムさんには、生気など残っていなかった。彼は自分の仲間を殺した日から、自分が生きることに罪悪感を覚え続けているみたいだった。
 彼の気持ちもわからなくはない。僕だって、かつては仲間だった神を手にかけた。その行為にだって罪悪感はある。
 でも、僕は目の前で死んだようになった彼を許せなくて。頬を思い切り引っぱたいた。

「死者に囚われて生きているひとを蔑ろにするなんて、アーケンシェンにあってはならないことです。僕たちがこれ以上欠けることは許されないんです。僕たちがいなくなったら、誰がアイリス様をお守りするのですか! 生き残ったみんなはどうなってもいいとでも言うのですか!!」

 今思えば配慮に欠けた言葉だったと思う。仲間を殺すよう命じられて逆らえなかった彼の気持ちなど、考えたつもりだけど考えていなかった。
 けれど、そんな僕の言葉に、クリムさんは瞳の奥で何かを滾らせた。多分、憎悪に似た感情だ。僕は仲間から憎悪を向けられても、何とも思わなかった。
 だって────僕が殺した神の中には、これ以上の憎悪を向けたまま死んだ者だっていたのだから。



 その後はひどい喧嘩をした。僕が殴ったことに怒りを滲ませたクリムさんが、ヤケになって僕に勝負を持ち掛けてきた。普段なら負けるのは僕の方なはずなのに、この時だけは僕がクリムさんを戦闘不能に追い込んだ。
 終わった後に、二人そろってカルデルトさんに「戦争が終わってすぐに殺し合いするなバカ野郎」と頭を殴られた。頭のてっぺんがあまりにも痛くて、デウスプリズン付近の草原に二人で横になって、晴れた大空を見上げたのを覚えている。
 僕はおかしくなって一人で笑っていた。クリムさんはどうだったかわからないけれど。

「僕が憎いですか、クリムさん」

 身体を起こした僕は、彼にそう尋ねてみた。彼は目を閉じてしばらく黙り込み、もう一度目を開けて僕を見る。

「……わかんないな。でも、君に対してすごく腹が立っているような気はする」
「そうですか」
「トゥリヤはどうなのさ。僕のこと、まだ腹が立つの?」

 いいえ、と首を横に振る。
 必要以上に誰かに憎悪を向けるのは、存外大量のエネルギーを使う。それに、彼に対してはもう憎む理由もない。

「僕はただ、生きているひとのことを忘れてほしくなかっただけです。確かにあの戦争では多くの犠牲が出ましたけれど……生き残った神も多くいるということも覚えていてほしかったんです」

 クリムさんは、僕の言葉を聞いて少し驚いたような顔をした。僕は彼の心を少しでも軽くするために、言葉を選んだつもりだったのだけど……逆効果だったかもしれないと思った。
 そんな心配をしていると、彼は苦笑いをして僕を見る。

「割り切るのが早いね、君は。僕はそう簡単に割り切れないよ」
「いいえ。割り切るしかないんです。戦争の前兆に気づけなかったし、何より裏切り者を殺した罪を贖わなければならない。そのためには僕たちが生きるしかない……そう考えてるだけです」
「……そうだね」

 地位や身分には、その高さに応じた義務を課せられる。地位が高ければ高いほど、その義務には大きな責任を伴うようになる。
 ならば生き続けて、世界の平和が本物になるように尽くすしかないんだ。



 その後に起きた出来事も、不条理と悪意に満ちたものばかりだった。グレイスガーデン殺傷事件────あれは、僕にとってデミ・ドゥームズデイを想起させる痛ましい出来事だった。

「こんな大惨事になるなんて、予想外だった。昨日まで平和だった教室で、こんなひどいいじめが起きるとはな……」

 僕はカルデルトさんに呼ばれて教室を訪れていた。血まみれになった、誰もいなくなった教室の時を戻し、元通りにするためだ。元通りにする前に、僕は悪口の羅列で汚れた机と、その上に置かれたボロボロの教科書を目にした。「役立たず」「醜い失敗作」「裏切り者」────何が書かれていたかもすべて思い出せる。
 最高神に逆らい、世界に疎まれてしまった女神。子供一人に向けられた無遠慮な弾圧。
 どうして、子供が子供を傷つけるような真似をした? 子供の純真無垢さが、この事件を引き起こしたのか? それだけだなんて、思えなかった。

「さっき、クリムと一緒にナターシャから事情を聞こうとしたんだけどよ。まともに話そうとしなかったんだよな」
「そうなんですか?」
「おたくの教育方針はどうなってんだって聞いたら、『監督不行き届きでした』って謝られた。けど、少しも申し訳なさそうな顔してなかったよ」

 一つの学校に等しい場所で起きた悲劇を引き起こしたのは、最高神へ傾倒することしか考えない、あまりにも自分勝手な女神だった。
 その女神を────ナターシャを、僕は激しく嫌悪した。せっかくアイリス様が生み出してくださった命を、未来を担う子供たちを平気で傷つけるあの女を、許せるわけがなかった。



 しばらくナターシャの様子を陰から窺い、ミストリューダの存在を知ったのは、事件から数か月後のことだった。本当は僕の存在を知られずに調査できればよかったのだけど、観測者──シファに見つかってしまった。

「おまえ、アーケンシェンだろ。組織の秘密を嗅ぎまわって、最高神のところに持ち帰る気か? それならここでぶっ殺すぞ」

 誰もいない夜の廃教会。地下にミストリューダの隠れ家の入り口がある場所。僕の時を操る力を以てしても、観測者を殺すことなどできなかった。

「……僕もそちらに味方しますから、殺すことだけは勘弁していただけないですか?」
「は? 何考えてるんだ。吐くならもっとマシな嘘吐けよ」
「嘘じゃありませんよ。僕はただ、デミ・ドゥームズデイの真相を知りたいんです」

 あの日現れた裏切り者たちは、何を成し遂げようとしていたのか……それだけを知りたいがための自己満足と言っておいた。結局、一日では何も知ることはできず、ただ闇の中に片足を突っ込んだだけだった。真実を知るには相当な時間がかかる。ならばいっそ、正体を隠した構成員となって真実を探ろうと思った。
 死んだはずのクロウリーさんが蘇っていたり、行方不明になっていた神がそこにいたり、真なる神と呼ばれる何かが崇められていたり。組織は複雑怪奇だった。しかし、このミストリューダこそがすべての元凶だったと知るのは案外早かった。
 問題は、なぜナターシャがミストリューダに加担したのかがわからなかったこと。そして、なぜユキアさんがあそこまで追い詰められなくてはならなかったのかだった。それこそが、僕の死の直前に知らされた、ナターシャの中にいる「最高神選定者」と「最高神代替候補プラエパラトゥス」の存在だった。彼女が僕とある意味似たような存在だったということを知るまで、十年もかかってしまった。
 ここまで、もっと早く知ることができていたら────より良い対処ができていたのだろうか。

「……はは……結局、背負わせることになってしまうんですね……ごめんなさい……クリム、さん────」

 結局、誰にも本当のことを言えないまま悪魔に殺された。僕がやってきたことは、僕が死んだことで無駄になってしまった。
 僕が裏切ったことを知ったら、みんなはきっと僕を止めようとする。だから何も言えなかった。特に、裏切り者を殺して嘆いていたクリムさんには。
 強大な存在に対し従順なフリをして、星幽術を手に入れて、影の世界で真実を求め────そんな中で、日の当たる世界では誇り高きアーケンシェンとして、周囲に好かれる神でいた。
 僕はきっと、アーケンシェンの中で一番の嘘吐きだ。

 でも────嘘を吐き通してでも、平和が欲しかった。嘘を吐いて真実と平和を得られるなら、僕は嘘を吐き続けるつもりだった。

 ずっとずっと、仮初の平和を享受しながら戦い続けるだけの人生だった。少なくとも僕は、そんな仮初を本物にするためなら、どんな手段を使ってでも実現すると決めていた。
 僕たちの人生に終わりが来るとすれば、その平和が本物になるときだ。
 だから、僕はまだ死にたくなかった。生きていたかった。

 *

「もしかして、見ちゃいました? 『時の記憶』の中身」

 はっと我を取り戻したとき、僕は闇の中にいた。流れ込んできた記憶の映像を止められたような、そんな感覚だった。
 いつの間にか、僕の目の前にトゥリヤがいた。今はもう生きていないはずの彼は、淡い光を帯びた状態で僕の前に浮遊している。身体を失った彼の幻影は、生きていた当時のままだった。
 彼はちょっと恥ずかしそうに笑っていた。僕は軽くため息をつく。

「これはさすがに不可抗力でしょ。責められるいわれはないよ」
「あはは、責めるなんてとんでもないです。そもそも、見られて困るようならとっくに何かしらの手段で隠蔽してますよ」
「……それもそっか」

 前回の事件で、僕は実際にトゥリヤと会って真実を確かめようとした。それで衝突することになろうと構わなかったけれど、彼は僕と対話する機会を得る前に殺されてしまった。
 今でも、後悔ばかりが募る。彼に救いの手を伸ばせなかったことに。

「クリムさんの右腕……現実だと、なくなっちゃったんですよね」

 トゥリヤが僕の腕を見遣りながら、ぽつりと呟いた。
 今の僕の身体は、万全なように見える。痛みもない。でも、夢から目覚めた瞬間、猛烈な熱を伴う苦痛と消えることのない喪失感に苛まれる。
 戦えなくなることだけは受け入れられなくて、ティアルが奪い返してくれたものを無我夢中で飲み込んだ。その判断が正しかったどうかは……わからない。

「ごめんね、トゥリヤ」
「どうして謝るんですか?」
「君が何をしていたのか、何を見ていたのか……ずっと知らなかったから。僕は、君を奈落の底から救い出したかった。それなのに」

 彼が誰にも言わずに闇の中へ飛び込んだことを、責めずにいられると言ったら嘘になる。もっと他にやりようはあったかもしれない、一言相談してさえくれればと何度も思った。
 たとえ、トゥリヤの心が本当に闇に染められていたとしても、本気でぶつかり合う覚悟もできていた。昔のように、荒っぽくて派手な喧嘩をしてでも、彼には戻ってきてほしかった。
 現実では────そのどれも、叶いはしなかった。

「僕はまた、仲間を救えなかった」
「嘆く必要はありません。ティアルさんは、クリムさんに託したんです」

 トゥリヤは笑うのをやめて、力強い目を向けてくる。

「過去に目を向け続けてしまうのは、クリムさんの悪い癖です。過ぎ去った時間は、どう頑張っても手繰り寄せられないのです。本来なら、僕とだってこうして話すこともできないはずですから」
「じゃあ……どうして僕は、君と話せているの?」
「それはクリムさんが目覚めた権能のおかげです。あなたの権能はアストラルを操るだけのものじゃない。アストラルを通して、誰かの想いや記憶を見ることもできるんです」

 僕が知らなかったことを、トゥリヤは当然のように話す。こうして聞いていると、彼は本当に遠いところへ行ってしまったのだと感じてしまう。

「いくつか、約束してくれますか。そうしたら、僕の力も全部クリムさんにあげちゃいます」
「いいけど……もらっていいのかい?」

 藁にも縋る思いで飲み込んだ赤い宝石には、彼の力が眠っている。彼は「そのつもりでいたくせに」と微笑みながら、自分の右目に手を当てる。

「悪魔に奪われるくらいなら、生き残った誰かに僕の力を使ってほしいんです。クリムさんなら、僕の力を有効活用できそうな気がします」

 右目から手を離したとき、僕は息を飲んだ。
 当てていた手を離したその場所に、彼の赤い右目はなく落ちくぼんでしまっていた。その代わりに、僕へと差し出された手のひらには、現実で飲み込んだ赤い宝石が置かれている。

「この目と一緒に『時の記憶』を預けますので、ここで見た僕の記憶を覚えていてください。それが一つ目の約束です」
「もちろんだよ。君のことを忘れるなんて、ありえない」
「じゃあ、最後の約束です。僕のこともティアルさんのことも、他の死んでしまったひとたちのことも……今一度だけ忘れてください。過去を振り返らないでください」

 彼が切ない微笑みとともに交わそうとする約束は、あまりにも残酷だった。僕はこの期に及んで、返事を詰まらせる。死んでしまった者たちを忘れるなんて、僕にとって許されることじゃない。
 トゥリヤは、僕の返答を待たずに僕の手を取り、赤い宝石を握らせた。

「クリムさんは優しすぎるから、難しいかもしれません。だから、二度と振り返るなとは言いません。すべてが終わるまでは、生きることだけを見つめてください」
「…………わかった」

 トゥリヤの身体の輪郭が徐々に曖昧になっていく。この夢がもうすぐ終わるのだとわかった。

「さよなら、クリムさん」
「ありがとう……トゥリヤ」

 僕は夢の終わりで、赤い宝石を胸に抱いたまま、目を閉じる。
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