ディバイン・レガシィー -箱庭の観測者-

月詠来夏

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第8章「神智を超えた回生の夢」

217話 Krim(1)

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 目を覚ました僕は、はっと息を飲みながら身体を起こした。ふかふかのベッドの上に寝そべっていたらしい僕は、朝日に照らされながらも乱れた呼吸を整えようとする。

「今の……今の夢は何……?」

 夢の内容がうまく思い出せない。そもそも、本当に夢だったのか疑わしい。ただの夢にしては、身体に残る生々しさが強すぎると思った。
 ベッドを降りて周囲を見回したとき、僕は違和感を覚えた。知らない部屋であるはずなのに、なんだかとても懐かしく感じる。まるで生まれた頃からここで暮らしていたかのような、無視してもしきれない懐かしさだった。
 部屋の姿見には、僕の姿が映っていた。両目は同じ色で、背中には何も見えない。

(いや……夢じゃない。本当に夢なのは……)

「クリスー、起きたのー? 朝ご飯食べるよー」

 部屋の外の階下から、女の子の声が聞こえた。とりあえず、身なりを整えて部屋を出ることにする。



 階段を下りて、リビングらしい場所にやってきた。六体の人形が座っているリビングの壁際が一番目立っていたが、ソファの他にダイニングテーブルと、二人分の大きな椅子が用意されているといった部分はいたって普通だった。
 テーブルの上には、すでにオムライスやサラダといった料理が置かれていた。今は、長い銀髪と桃色のワンピースを着た少女が、子供用の小さな椅子をテーブルの近くに運び出しているところだった。
 僕は、その少女を知っていた。僕を唯一の家族として養ってくれていた────ドロテア姉さんだ。

「おはよう、クリス。返事くらいしなさいよねー」

 姉さんが振り返り、ほんのちょっとむくれつつも笑って挨拶してくれた。エメラルドグリーンの瞳は、僕とまったく同じように輝いている。
 呼ばれている名前に違和感を覚えつつも、僕はごめんと謝りながら、椅子の一つに座った。

「先に食べてていいよ。私は人形たちを座らせるから」
「人形? 椅子を用意してたのって、そういうこと?」
「当たり前じゃない。カルミアたちも一緒に食事するのよ。いつもそうしてるでしょ?」

 きょとんとしながらそう言われた。姉さんは人形作家だったから、家には多数の人形が置かれていたのを思い出す。
 食べてていいとは言われたが、なんだか申し訳ないので、姉さんの用意が終わるのを待つことにした。姉さんは、壁際の人形たちを一体ずつ運んできて、子供用の小さな椅子に座らせた。僕と姉さんが向かい合って座っている隣で、人形たちも同じように座っている。
 やがて、姉さんも椅子に座ったので、食事を始めた。

「あら、食べてていいって言ったのに。お腹空いてるでしょ」
「大丈夫だよ。姉さんと一緒に食べた方がいいと思うから」
「そ、そう? クリス、いつも先に食べてるから、今更気にしなくていいのに」

 姉さんが紅茶を飲みながら、困ったように笑いかけてきた。なので、僕も微笑みを作って答える。
 食事をしていると、姉さんが隣に座っている人形に向かって頷きながら、たまに言葉をかけ始めた。

「ノーラ、あまり心配しないで。私がいるから大丈夫。クラージュも、そんなに深刻に考えなくていいわよ」

 どうやら、二体の人形に話しかけているようだった。話の内容がまったくわからない。まるで、姉さんにだけ人形の声が聞こえているみたいだった。
 僕は食事を終えるまで、姉さんが人形に話しかけている様子を眺めていた。



 食事が終わった後、姉さんが一人で食事の片づけを始めた。僕は部屋に戻って、拭い去れぬ違和感をどうにかしようと調べものを始めた。
 部屋には本棚があり、片っ端から本を確認するものの、直接役立ちそうなものは見つからない。
 なぜ、こんな夢を見ているのか理解できない。夢を見ている暇なんてない。僕にはやるべきことがあったはずなんだ。

「何をしてるの、クリス?」

 背後から聞こえた声は、姉さんのものだった。僕は慌てて振り返り、慌てて開いていた本を棚に押し込んだ。
 ドロテア姉さんは僕のことを怪しがることもなく、ちょっとだけ不思議そうに僕を見るだけだった。

「そんなに慌ててどうしたの? 何か調べものでもしてた?」
「いや、別に……」
「言わなくてもわかってるよ。人間だった頃のことを思い出して、混乱してるんでしょ?」

 人間という言葉を聞くと、頭が痛くなる。無意識に顔をしかめていたらしい僕を、姉さんは微笑みながら見つめてくる。

「昔のことを思い出して恐ろしくなっちゃったのね。だから、こんな夢の中に閉じ込められても、抜け出すことができない」

 脳裏で知らない記憶が渦を巻いている。だから頭が痛くなっているのだと、今更ながら自覚した。
 嫌でも記憶が蘇ってしまう。夢にそう促されているみたいだった。

「あなたは、人形作家である私の弟だった。私たちはただの人間じゃなくて、生まれつき強い魔力を持っていたけど……遠くない未来に死ぬ運命だったの」

 かつての僕は知らなかった────忘れていたことを、姉さんが話し出す。もう一度思い出せと言わんばかりに。

「でも、私はその運命に抗おうとしてた。異能と意思を持つ人形を生み出す技術を編み出して、その人形の力であなたを守ろうとした。私にとって、あなたが生きていてくれることだけが救いだったから」

 ドロテア姉さんは、僕から一瞬も目を離すことなく無表情のまま語り続ける。僕は、温かな思い出とともに思い出してしまった凄惨な過去に、身を震わせる。

「でも、私たちはある戦争に巻き込まれて死んだ。小さな街で暮らしていたけれど、戦争の影響を多大に受けたの」
「……やめて」
「バラバラにされた人形たちは人間の血で染まり、私は現実を受け入れられず嘆いていた。そんな私を庇ったあなたは、汚い大人の刃で殺された……」
「やめろ! もう思い出したくない!!」

 耐えられず、耳を塞いで怒鳴り散らした。全部、一度は蘇ってしまった残酷な記憶だ。
 僕の大切な家族は、とうの昔に奪われ、失ってしまった。当時のアイリス様でも取り戻すことができなかったものを、僕が取り戻せるはずがない。

「あなただけじゃない……あなたの仲間の元となった人間たちも、みんな悔やみきれないまま死んだ。あなたたちが神として新しい時代に生まれ変われたのは、前世に未練がありすぎたからなのかもね。何より、みんな私とは違って身体が綺麗に残っていたから……」

 姉さんは少し悲しそうな声で言いながら、窓の外の明るい景色を眺め始める。僕は反対に、光の射す景色に背を向けた。
 過酷に耐えて頑張り続ければ、失ったものは取り戻せると思っていた。でも、そんなものは思い込みだ。
 一度失えば取り戻せないものがある。それは人の命だ。
 
「できることなら、私もあなたと同じように生まれ変わりたかった。どれだけ過酷な環境で生きることになろうとも、あなたを守りたかった。ずっと、一緒にいたかった……」
「……姉さん」

 耳から手をどけて、姉さんの言葉を聞く。時が経つにつれて、姉さんの身体が震え始めるのが見てとれた。
 やがて、姉さんが僕を振り返る。エメラルドグリーンの瞳は潤み、大粒の雫をこぼしている。

「クリス、私と一緒にいてよ。もう戦わなくていいよ。ここで暮らせば、悪い夢なんて二度と見ない。何かを失くすことなんてないんだよ」

 そう言って、僕を抱きしめて泣き崩れた。 
 どれだけ僕が意地を張ったところで、向こうは僕の考えていることなどお見通しらしい。
 だって、僕はいつだって、失ったものばかりに目を向けてしまうから。
 泣き崩れる姉さんを抱きしめ返そうとしたとき、窓の外から何かの気配を感じた。

『あんたの救いを必要としてるひとはいる────まだここにいるのよ!!』

 それは他でもない────クリムに向けられた声だった。クリスじゃない。生まれ変わってからずっと戦い続けてきた断罪神の僕を、呼んでいる。

(そうだよ。君は必要とされている。もう死んでしまった僕とは違って、未来がある)

 突然、僕は自分の中から聞こえた声に耳を傾けた。自分とまったく同じ声色なのに、どこかあどけなさを感じていた。
 こちらから返事する余裕もなく、自分の内側から聞こえる声はそのまま続ける。

(僕の記憶の中にいる姉さんは、今みたいにずっと苦しんでいるんだ。だからどうか、姉さんを救ってほしい。僕の未練は、それ以外にないから)

 それからはもう、内側から声が聞こえることがなかった。でも、今やるべきことがやっとわかった気がする。
 僕は多くを救う前に……たった一人の、かけがえのなかった人を救わなければならない。

「……姉さん。僕、行かなきゃいけないところがあるんだ」
 
 僕がそう声をかけると、姉さんの腕の力がさらに強まった。彼女が何を言わんとしているのか、それだけでわかってしまう。

「嫌だ、行かないで! 私のそばにいてよ、クリス!!」
「僕はもう、クリスじゃないよ。僕は人間じゃなくて神になった。みんなを助けなきゃ」
「誰かを助けなくたっていいよ! 神様なんかにならないで!! クリスは私に守られていればそれでいい、私の可愛い弟のままでいてよ!!」

 姉さんは子供のように泣き叫び、僕を強く抱きしめるばかりだった。止めたくなるのも当然のことかもしれない。僕は人間だった頃のことを思い出したけど、姉さんは神としての僕のことなど知らないだろうから。
 僕が遠い場所に行くのを恐れている。ここで別れたら、きっともう二度と会えない。僕も……同じ気持ちだから。

「僕だって、ここから離れたくない。自分がかつていた温かい場所を、失いたくない」
「だったら……!!」
「でも、この温かな場所はなくなっていて……クリムという存在は、この場所を失った後に生まれた。悲劇を踏み台にして生まれた僕と一緒にいたって、姉さんが苦しいだけだよ」
「そ、そんなこと────っ……そんなことない!!」

 僕の言葉を断ち切るように否定する姉さんだったが、僕が姉さんの腕を離そうとすると、少しずつ力が抜けていっているのがわかった。
 ああ……少し、自分を卑下しすぎたかもしれない。多分、これは僕の悪い癖だ。いつまでも直せなかったから、こんな風に多くのひとを傷つけてしまったかもしれないと後悔する。

「ごめんね。大丈夫だよ。僕は独りじゃない。僕を必要としてくれて、大切にしてくれるひとたちがいるから」
「……クリス……」
「だから、僕を元に戻して。キャッセリアの断罪神、クリム・クラウツの姿に。僕も、クリス・ミスティリオだったときの記憶を返すから」

 今の僕の姿じゃ、完全な形で現実に戻ることができない。目の前の彼女が僕の願いを容認してくれれば、僕はそれでいいと思った。
 でも、姉さんは悲しそうに笑いながら、首を横に振る。

「いいよ、全部持って行って。私があなたに力を返せば、すべて元通りだから」
「……本当にいいの?」
「うん。クリスはどこまでも広がる世界に憧れていた。だから、あなたがあの子にいろんな世界を見せてあげて。たとえ、それが憎悪や悲しみに満ちていても。クリス……いや、クリム。あなたならきっと、乗り越えられる」

 姉さんは僕の身体を離し、代わりに僕の両手を包み込んだ。柔らかく温かな感触が、僕の身体に優しく刻み込まれる。
 そして、姉さんは目を閉じる。まるで、祈りを捧げるかのように。

「どうか、あなたを包む世界が優しくありますように。どうか、あなたの未来が輝かしいものでありますように」

 僕の身体が優しい風に包み込まれ、輝きを放つ。右目が焼けるように熱くなり、背中からも熱が二つ分溢れ出す。目の前の窓に映る僕の右目は金色に染まり、背中からは白銀の翼が生えていた。
 祈りの言葉が紡がれるにつれ、姉さんもまた光に包まれて……彼女の身体が光の粒に変わり、溶けていこうとしている。
 僕に止めることはできなかった。だって、姉さんは涙をこぼしながら笑っていたから。

「そして……どうか、あなたが私たちの分まで……幸せになれますように────」

 彼女の涙が僕の手にこぼれたとき、目の前から優しい家族が消え去った。
 僕の手に残されていたのは、青く透明なガラスペンだった。心なしか、いつもよりも温かく感じる。
 目頭が熱くなるのを感じつつ、僕は部屋から出ようと歩き出す。絶対に振り返るなと、自分に言い聞かせながら。

「決心がついたか、クリム」
「……ユリウスさん」

 部屋の出口のすぐ横に、王の風貌をした男が佇んでいた。僕の口から、無意識にその男の名前が出てくる。
 今まで、僕の────いや、僕たちアーケンシェンの右目の中には、ユリウスさんの魂が宿っていた。だから、僕たちの右目には特殊な力が宿り、一般神とは異なる力を使うことができていた。
 今回の騒動で、僕は初めて彼の存在を認識した。多分、今までずっと眠り続けていたのだと思う。もうこの世のものではない彼が目覚めないといけなくなるくらい、僕たちは窮地に追い込まれているのだと悟った。

「新しい最高神が、君たちを現実に呼び戻そうとしている。君たちの権能を支えられるほどの力が蘇り、君たちは本来の姿に戻れるだろう」
「そっか……ごめん」
「君のせいではない。こうなることは避けられなかった。とはいえ、目覚めた先には過酷な現実が待っている。君が思っている以上に事態は深刻だということは、わかっているな?」

 ユリウスさんは堅物らしくあまり表情を変えないが、静かながらも厳しい語気から事の重大さは痛いほど伝わってくる。
 もう、逃げることは許されない。どれだけ苦しい目に遭おうとも、自分の使命と信念に従わなくてはならない。

「もう十分休んだよ。あとは踏ん張ってみせるさ。みんなを助けるのは、僕の役目だから」
「うむ。今の君は、とても良い目をしている」

 壁から離れ、歩き出したユリウスさんの口は綻んでいた。

「『彼』とは和解できたのか?」
「うん。最期に姉さんと話せたから、それで十分だったみたい」
「……君は生ける者だけでなく、死せる者さえも救うのだな。私は君を見誤っていたようだ」

 ユリウスさんの後をついていき、家の一階に降りて、玄関に向かう。ユリウスさんが開いた扉の先には街の景色が広がっているはずが、真っ暗だった。でも、僕が行くべき世界はあの闇の向こうにある。

「最後に、君の右目に宿った権能を伝えておこう。現実に戻った頃には、扱えるようになっているはずだ」

 扉の向こうへ飛び込もうとする僕へ、そんなことを言った。
 そういえば、僕はずっと自分の本当の力を知らなかった。覚醒したと言われても、使い方すら知らなかったし。

「『星幽掌握』。それが君に与えた、私の最後の切り札だ。賢い君なら使いこなせるだろう」

 星幽、という言葉ですべてを理解した気がした。僕が今生きていることがどれだけ重要だったのかを。
 そして、これは今の僕たちにとって、何よりも必要な力だということも。

「ありがとう、ユリウスさん。行ってきます」
「……ああ」

 僕が礼を言うと、彼は短く答えた。後腐れのない別れも悪くはないな、と思う。
 闇の中へ飛び込み、重力に引かれ落ちていく。もう、恐れるものは何もない。
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