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【巨大聖戦編】第7章「誰がための選定」

174話 激情

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 最高神選定者との戦闘が続く中、体力や魔力も消耗が激しくなりつつあった。アスタは変わらず動き続けているけれど、僕は剣を持つ腕が痛み始めていた。
 相手は黒い瘴気に包まれ続けており、攻撃を仕掛けるたびに頭が痛くなる。特に、気絶から回復した直後は収まっていた右目の痛みが、また強くなってきた。

「クリム先輩……大丈夫ですか……?」

 セルジュも息を切らした状態で、顔を汗が伝っていた。背後に従えている身の丈の数倍は大きなゴーレムの動きも、だんだん鈍いものになってきている。

「セルジュこそ、魔力切れには気をつけて。向こうがいつ倒れるかもわからないんだから」
「それが……ちょっと、限界で……」

 ちょうど神幻術の効果が切れてしまったのか、銀白色のゴーレムが溶け出してしまう。魔力によって増していた質量がみるみる減少していき、やがて翼に巻き付いていた一本の鎖と同等の質量に戻ってしまう。元の鎖の形に戻ったところで、セルジュの魔力が完全に切れてしまったようだ。

「セルジュ、ジュリオたちのところに! 僕の後ろにいて!」
「は、はいですっ」

 これ以上戦わせるのはまずいと思い、ティアルの様子を見ているジュリオの元へ行くよう言った。
 ジリ貧で戦い続けるのもここまでだろう。いくら不老不死とはいえ、アスタにばかり戦わせるわけにもいかない。
 そろそろ切り札を使った方がよさそうだと思ったとき、いきなり塔全体が低い唸り声のような音とともに揺れ出した。

「わわわっ、なんですなんです!?」

 セルジュが揺れで身体のバランスを崩しそうになったが、僕が腕を掴んで支えたので難を逃れた。
 頭上から小さな石の欠片や埃が降ってきたあたり、最上階で誰かが威力の激しい魔法でも使ったのだろう。上とは連絡が取れない状態だし、何が起きているのかさっぱり把握できない。

「……第三代デウスガルテン最高神……最高神選定者の承認もなしに、決定……?」

 黒い鈍器を振り回していたはずの最高神選定者が、突然動きを止めてそう呟いた。抑揚のない声色だが、黒い瘴気に包まれ続けている身体が小刻みに震えている。
 アスタは怪訝そうな目つきになりつつも、短剣を最高神選定者へと向けた。

「もう降参しなよ! これ以上戦ったって何の意味もないって、これでわかったでしょ!」
「否……私は、すべての神々の創造主であるアイリス様のために……アイリス様の、願いのために……」

 彼女の身体の震えが激しくなっていく。虚ろだった目が見開かれ、機械的とも言っていい彼女に焦りの色が見え始める。
 そこから、どんどん彼女の様子がおかしくなっていった。顔や手のひらに、黒い染みのような模様が浮かび始める。闇と見紛うほどどす黒い染みはみるみる広がっていき、目を背けたくなるような醜悪な姿へと変貌していく。
 セルジュは口を押さえて、ガタガタ震えている。僕やアスタでさえ、唖然とした顔で彼女の姿を見つめることしかできなかった。

「なっ、ナターシャさん!? これってまさか……」
「焦ることはない。君たちが『黒幽病』と呼ぶものの末期症状に過ぎないからね」

 抑揚のない声とともに、最高神選定者の近くに奈落へ繋がっていそうな黒い穴が生み出される。その中から、黒い杖を持った銀髪銀目の大人が現れ、床に降り立つ。それと同時に穴も塞がった。
 フードを被っていないが、黒い杖の形にとても見覚えがあった。目には見えない凄まじいオーラが、辺りに撒き散らされるのを感じる。

「預言者様!? どうしてここに……」

 ジュリオの銀髪の大人に対する呼び方が、とてもたいそうなものだった。普通の構成員だと思っていたけれど、ミストリューダの中でかなり上位の存在であるらしい。
 預言者と呼ばれた大人は、ジュリオの呼びかけには応じずに、最高神選定者の変貌ぶりを無表情で眺め始める。

「ここまで侵食が進んだらもう無理だな。時間を戻したところで結果は変わらないだろうし、残念だが廃棄だ」
「……い……や……」

 彼女がそう呟いたときには、肌のすべてが真っ黒に染まっていた。そこからまもなく、指先が炭の欠片みたいになってボロボロと崩れ出す。
 最終的には、彼女が着ていた黒い装束と真っ黒な謎の欠片だけがその場に残されることになった。

「まあ、瘴気を抑えられていなかったし当然の結果だな。薬を飲めば飲むほどアストラルに適応できるが、それはアストラルの侵食の促進も意味しているからな」

 彼女の残骸を見下ろすときもまた、無表情を貫いていた。神が一人死んだというのに、憂う様子がまったく見られないのが不気味で仕方がない。

「ところで、傲慢なる星灯よ。『あの力』を使って、私に歯向かってはくれないのか?」

 預言者はアスタに目を向けて、何か僕たちにはわからない話をしようとしていた。唖然としたままだったアスタがはっとして、鋭い目つきを奴へ向ける。

「何の話? ていうか、さっきからその変な呼び方は何!?」
「君が傲慢であることは事実だからだ。なんでもいいが、力を抜いておきながら一縷の望みに賭けるのはやめたまえ。それでは人間の精神性と変わらない。私が君に期待しているのはそんな姿ではないのだよ」

 携えたままの黒い杖を構え、舐めるように辺りを見回す。その後、目を細めて歪んだ笑みを浮かべた。

「そうだねぇ……この場にいる全員を殺せばやる気になってくれるかな? 『時空の操者クロノ・プレイヤー』のようにね────」

 突然、立っている力を失いそうな衝撃が襲ってきた。アーケンシェン全員に与えられた称号が、このタイミングで出てくるということは。
 ここに来るまで、刃を交えることになろうとしっかり対話するつもりだった。その機会すら、奪われたのだ。
 まだ構えたままだったガラスの剣を握りしめ、預言者へと近づいていく。

「……預言者。君がトゥリヤを殺したのか?」

 単刀直入に聞き出すと、預言者は少し狂ったような笑みを浮かべ始めた。

「そうだよ。アーケンシェンに共通する右目も食った。凄まじい感情のエネルギーだったよ、私の所業に随分と怒り狂っていた。それでいて、甘美なる絶望と虚無がこれでもかというほど詰まっていて……あぁ、今思い出してもゾクゾクす────」
「もういい」

 預言者に詰め寄って、手にしていたガラスの剣を奴の右目に突き刺した。ガラスの剣を伝う血の色は、僕たちと変わらない。機関銃のように放たれていた言葉が止まった。
 一瞬、預言者の顔が凍りついたように見えた。片目に刃が突き刺さっているのに、預言者はもっと狂ったように笑い始めた。

「くふ、ふふふははははっ!! なんて顔をしているんだ!? 生みの親と仲間を殺されて激情に駆られているのか!? 君も人間らしくて遊び甲斐があるよ、『蒼銀の断罪者セルリアン・コンヴィクター』!!」
「クー、迂闊に手を出すのはダメ! ソイツはボクでも得体が知れない奴なんだよ!」

 アスタに制止されても、引き下がる気にはなれなかった。アイリス様とトゥリヤを死に至らしめておいて、自分たちだけのうのうと生きるなんて許せない。
 何より、こいつがミストリューダで上位の立場にいるなら、逃すわけにはいかない。悲劇の火種はすべて潰しておかなければ……!!

「預言者様から離れなさい、クリム・クラウツ!!」

 頭上から怒鳴り声が聞こえ、殺気が迫った。とっさにガラスの剣を引き抜き後退するとともに、銀色の斧を持った少女が降ってきた。僕のいた場所に大きな刃が叩きつけられ、体勢を整えた少女がこちらを鋭く睨みつけてくる。

「ノーファ! もしかして、キミがアイリスを殺したの!?」

 降ってきた少女に対し、アスタが血相を変えた。長い白髪に翠の瞳、少しボロボロになったドレスが特徴的な彼女は、顔立ちや雰囲気がシファと少し似ている。身の丈に合わないくらい大きな二丁の斧は、赤黒い液体まみれになっていた。
 確かに、斧であれば身体を断ち切ることなど容易い。

「アスタ、今はあなたの相手をしてる場合ではありませんの。その断罪神を晒し首にしなくては────」
「いいところに来たよ、虚飾を重ねし宥免。ここで退散するよ」

 預言者が黒い杖を構えるのをやめて、自分の前に立つ少女──ノーファに声をかける。彼女はえっと声を上げて、預言者を見上げた。
 奴は右目から、僕たちと同じ赤い血を流していた。だが、僕が剣を突き刺したことで作った傷が観測者のように素早く再生していき、右目が完全に元に戻る。
 なんなんだ、こいつは。観測者にしては瞳に模様もないし、大人の姿をしている。だからといって、僕たちと同じ神だとも思えない。

「当初の目的はもう達成されている。原初神の生き残りもいることだし、これ以上の長居は無用だ」
「……わかりましたわ」

 ノーファを片手で抱え、空中に浮かび上がる。何の詠唱もなく飛び上がり、塔の出入口へと飛んでいった。

「あっ、また! 逃げるなノーファ!」
「待ってよ姉さん!」

 アスタもまた浮遊し、奴らを追おうと試みたとき、シファの声が聞こえてきた。黒結晶の翼を広げ、預言者とノーファの後を追っていく。
 同じ目的へ飛んでいく二人が鉢合わせないわけがなく、何度もぶつかり合いながら預言者たちを追いかける。

「邪魔すんなアスタ! そこをどけ!!」
「そっちこそ邪魔しないで!!」

 言い合いしながら飛んでいくうちに、預言者とノーファの飛ぶ先に黒い穴が現れ、二人はその中へ消えていった。逃げ足がやたらと早い。
 僕は翼を広げ、シファたちを追いかける。まだ血がついているガラスの剣を振るい、空中でシファの身体を深く斬りつけた。

「ぐあぁぁッ!?」
「クー、待って!?」

 いきなり斬りつけられた小さな身体が、床に勢いよく墜落する。落下した場所が赤く染まるが、僕はさらにシファの胸を突き刺した。生きた肉を刺したときの気持ち悪い感触を思い出す。幼い少年の顔が苦痛に歪んでもなお、僕の憎悪は未だに湧き続けている。
 シファは苦痛に耐えつつ、首を動かしてジュリオたちのいる方を向いた。ジュリオの背後にはセルジュが立っており、とても怯えた表情を浮かべている。

「お、おいっ、エンゲル! おれのこと助けろよ!?」
「シファ様!」
「ジュリオ。今すぐミストリューダと手を切れ。これはアーケンシェンとしての命令だ」

 ジュリオと僕の目が合ったとき、彼はなぜかびくりと肩を震わせた。今の僕は声も冷え切っていて、怯えられるほどひどい顔をしているらしかった。
 僕がシファを食い止めている間に、セルジュがジュリオの手を握ってシファから遠ざけようと腕を引く。

「にーさんにはぼくがいる! もう、あんな奴らの言いなりになる必要なんかないよ!」
「あ、ああ……そう、だよな」

 ジュリオは抵抗することなく、シファと距離をとる。それを見たシファは舌打ちをして、片翼の兄弟を睨みつける。

「やっぱ引き戻すのは姉さんじゃないとダメか……まあいいや。どうせ姉さんもあいつを役立たず扱いしてたし」

 そのうち、諦めたようにこちらに向き直ったシファが、小馬鹿にした笑みを浮かべ始めた。

「結局、おまえもおれたちみたいに、自分の都合で殺すのかよ。滑稽にもほどがあるなぁ、ははは!」
「黙れ!! 僕はお前たちとは違うと言ったはずだ!!」

 嫌な感触が腕に染み渡ってもなお、剣に力を込めてさらに深く胸を抉ろうとする。シファの背中から黒結晶の欠片が飛び出したのはそのときだ。

「ダメだよっ、クー!!」

 僕の身体の横からアスタが飛び込んできて、横に倒れ込んだ。その一瞬のうちに黒い塊が飛び交い、ガラスの剣に一欠片が当たった。それだけで、頑丈で透明な刃が折れたのが見えた。
 シファは自分に突き刺さっていたガラスの刃を引き抜いて捨てた。結晶の翼で飛び始めたのが見え、迷わず起き上がって手を伸ばす。そんな僕を後ろから抱き留めたのがアスタだった。

「離してアスタ!! これ以上犠牲が出る前にやらなきゃいけないんだ!!」
「クーじゃ無理だよ! お願いだから落ち着いて、クーに人殺しは似合わないよ!!」

 彼の必死の叫びに、身体が固まる。
 誰かを救える神でいたい。そのために誰かを殺すような存在にはなりたくない。それが僕の願いだったのに。

「オッドアイの神は、愚かで未熟な最高神の駒でしかないんだ。おまえは知ってんのか、アスタ? こいつ、デミ・ドゥームズデイでクロウリーのことぶっ殺してんだぜ?」

 僕を指さし嘲笑う子供の口から、僕の罪が暴露される。指先が冷えていくのを感じ、身体が小刻みに震える。
 心なしか、僕を抱きしめる細い腕の力が強まった気がした。

「だから何? そんなことで、ボクが軽蔑するとでも思ったの?」

 背後から聞こえたのは、いつもよりも冷たくありながら意外な言葉だった。シファは地に足をつけることもないまま、嘲笑うのをやめない。

「まあ、おまえも似たようなもんだったな。他の神だって、未熟なまま生み出された哀れな奴らだ。おまえらはどう足掻いたって本当の神になれやしない」
「────クーもユキも、キャッセリアに生きているみんなも、立派な神だ!! 最凶最悪の存在の駒でしかないオマエらが、ボクの信じる神を語るな!!!」

 その場にいる全員が息をのむくらい、激しい怒号だった。シファは僕たちを見下ろしつつも、笑うのやめて蔑むような冷たい表情を浮かべる。

「毎度毎度、偉そうにすんなよ。真なる神の裏切り者のくせに」

 小さく捨て台詞を吐いて、どこかへ飛び去っていった。アスタは僕を抱きしめ続けていて、他の誰も追うことはできなかった。こっちは奴らを追うほどの体力は残っていない。

「あ、あの、クリム先輩」

 なぜかセルジュは、ジュリオの背中に隠れながら僕に声をかけてきた。僕が立ち上がろうとすると、アスタも腕を離してくれた。
 セルジュは僕を心配そうに見つめていたが、しばらくするとジュリオの隣に立って頭を下げた。

「クリム先輩、ありがとうございました。にーさんを助けてくれて」
「僕が助けたわけじゃないよ、セルジュ」
「でも、ぼくを立ち上がらせてくれたのは、他でもないクリム先輩です。失ったものは取り戻せるんだって、先輩のおかげで証明できました」

 頭を上げたセルジュは、小さく笑っていた。
 確かに、彼は失っていた家族を取り戻すことができた。喜ぶことは何もおかしくない。ただ、僕は素直に喜ぶことができなかった。

「クリム。本当に、おれを助けてよかったのか?」

 ジュリオの前に立ってこちらから何かを言う前に、ジュリオが覚悟を決めたような顔をして口を開く。セルジュがはっとして、ジュリオを見上げた。

「っ、にーさん! どうしてそんなことを────」
「おれがアイリスを殺そうとしたことを忘れたのか? 結果的に目的は叶ってしまった上、他にも死人が出た。かつてのクロウリーと同じ死刑にされるのは、当然じゃないのか」

 何度も衝撃を与えられた心は、荒みに荒んでいた。あまりにも腹立たしく、ジュリオの自責に満ちた顔が鬱陶しく見えた。
 なぜ、どいつもこいつも命のやり取りを進んでしたがるのだろう。命で責任を取ろうとするのだろう。命を捨てればなんでも解決できるわけじゃないのに。

「何度も言わせないで。君を死なせるつもりなんてない。自分でも死にたくないって言ったじゃないか」
「……おれを許すつもりか?」
「君を殺しても何の解決にもならないどころか、少しも前に進めなくなるんだよ。君には聞きたいことがたくさんある。死ぬのは許さない」

 もはや言葉を吐き捨てているも同然だったが、ジュリオは怒るどころかうなだれた。憔悴している相手に冷たく当たったことを少し後悔してしまう。

「にーさん、バカなこと言わないでよ。それより、ティアル指揮官を運ばないと」
「バカって……お前も言うようになったなぁ。無理をするな、おれがやる」

 セルジュがジュリオを引っ張っていき、未だに目を覚まさないティアルのところへ向かった。

「ねぇー! ノーファたちどこ行ったー!?」

 上の方からユキアの声が聞こえてきたので、螺旋階段を見上げた。階段を全速力で降りてくるユキアたちの姿が見えた。もうすぐ降りてくるみんなと合流して、早く人間の箱庭から離れた方がいいだろう。
 折れたガラスの剣を拾い上げると、真っ二つになったガラスペンに戻る。

「クー。本当に大丈夫?」
「うん。アスタはユキアたちの方に行って。周りに敵がいないとは限らないし、見てこないと」

 心配そうに声をかけてきたアスタに答えてから、一人になって辺りを歩くことにした。みんなが戻ってくる前に、何か手がかりとなりそうなものを回収しておこう。
 床に黒い短剣が落ちているのが見えたので、拾ってみた。ナターシャが振り回していたものだが、アスタはこの武器をかなり警戒していた。クロウが言っていた「呪い」とやらはこれが原因だったみたいだ。
 過去にも、どこかで呪いの話をされたことがあった。それと同じものかどうかすら、僕にはわからない。

「……僕に人殺しは似合わない、か。アイリス様もそう言ってくれたらよかったのにな」

 真っ黒なナイフの柄を握りしめながら、ポツリと呟いてしまった。
 生みの親も、仲間も救うことができなかった。その事実は、僕の胸が潰れるくらい重たい鈍痛を残した。
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