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第3章「海と大地の箱庭」

64話 大地の裂け目

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「……なんか、ものすごく禍々しい気配を感じる。あれに近づいたらひとたまりもないね」
「同感だ、ソル。シュノーも、あれは危ないと思う」
「特級……どころじゃないな。ぶっちゃけ規格外じゃねぇのか、あれ」

 底知れぬ恐怖が私たちを支配する。あんな化け物、キャッセリアでも現れたことがない。
 そう遠くない昔、どこかで似たようなものを目にした。永久庭園にも、岩肌を持った大きな魔物が住み着いていたのを思い出す。
 だが、目の前にいるあれはそんなレベルではない。山すら軽く超える高さを持っているのだ。
 クロウリーは、謎めいた岩の巨人にエネルギーを供給しながら、私たちを見下した。口元を吊り上げ、嘲笑っている。

「最後だからな、いいこと教えてやる。このグラウンクラックには、オマエらの同族が取り込まれている」
「どーぞく? どういうことなのだ?」
「オマエらと同じように姿を消した神共だよ。アイツらみんな、このグラウンクラックの餌食にした。だからコイツはここまで成長したわけよ」
「なっ……じゃあ、さらわれた者たちはみんな……!」

 ニヤリ、と歪な笑い方をする。
 あとは私たちの想像通り。恐らく、生き残っているのは私たちで最後……という可能性もある。

「この箱庭ももう用済みだ。オマエたちもコイツの餌食にしてやんよ!!」

 ここまできてようやく、エネルギーの供給が止まる。黒を取り込み続けた岩の巨人──グラウンクラックは、天を仰ぎ咆哮を上げた。
 雄叫びだけでも空気が震え、脚を少し動かされるだけでも風圧で吹き飛ばされそうになる。

「くそっ、どうにかしないと……!! 〈トニトルス・ランスクラッド〉!!」
「待ってシオン! キミの力じゃ奴には────」

 足先に魔力を宿し、森の木々を超えて高く飛び上がるシオン。電撃を戦斧にまとわせ、グラウンクラックへと一気に叩きつける。
 しかし、岩の巨人には少しも効き目がない。それどころか、戦斧の刃の約半分が、岩肌に叩きつけられた瞬間に欠けて砕けた。

「は……!? 冗談……だろ……」

 砕け散った戦斧を前に絶句したシオンへ、巨大な岩の塊でできた剛腕を強い振りかざす。

「〈トニトルス・ガードシールド〉────っ!?」

 ぶつけられた瞬間にバリアが壊れ、ゴミを振り払うように殴り飛ばされる。地面に叩きつけられたことで木々が折られていく。

「シオン!!」

 普段の冷静さを失ったソルが駆け寄っていくので、私たちもついていった。
 シオンが倒れている場所に、クレーターができていた。本人の身体はあちこちありえない方向に曲がっており、微塵も動く気配がなかった。武器もバラバラ同然になり、到底使える状態ではなくなっている。
 ……嘘でしょ。こんな簡単に……。

「シオン、しっかりして!! シオン!!」
「ソル、落ち着け!」
「ここは危険です! 全滅する前に、退避です!!」

 セルジュさんがシオンを遠くへ運んでいく。私たちもそれについていった。人間や神よりも遙かに巨大な怪物に対して、私たちは成す術もないのか……悪い方向にばかり考えてしまう。

「逃がすかよ……全員死ねッ!!」

 再び、剛腕が振るわれる。風圧に潰されそうになり、全員身体が地面に叩きつけられる。
 殺気が、死の恐怖が迫る────


 *


 ダメ元で人間の箱庭を行く方法が書かれた本を探したものの、さすがになかった。他にも、箱庭に関する情報を探したものの、ほとんどは人間が生み出した文化に関する資料ばかりであった。
 それでも何かしらの手がかりになればと、今は人間の国や街についての資料を読んでいる。山脈の他、キャッセリアにはない海の写真なども載っている。

「……クリム殿。帰らなくていいのか? もう外は日が暮れてるぞ」

 一度天文台から離れていたのか、戻ってきたアルバトスに声をかけられはっとする。白い壁の掛け時計を見上げると、既に閉館時間を過ぎていた。
 これといって帰りたいとも思っていないのだが、しばらくは帰れそうにない。何しろ、ヴィータはあれからずっと望遠鏡を覗き込んだまま離れる気配がないのだ。彼女を放っておくわけにもいかないだろう。

「僕も、まだしばらくは帰らなくて大丈夫です。クリムさんたちを放っておけませんし」
「そう言うだろうと思った。まあ安心しろ。ステラ様は館にお送りしてきたから、俺もある程度までは付き合ってやる」

 思わず口元が緩みかけた。
 仲間がいるのは心強いと思う。きっと、自分一人で調査を続けていたら疲弊しきっていただろうから。

「……っ!」

 ここで初めて、ヴィータの表情に変化が現れた。赤い瞳が見開かれ、身体が硬直してしまっている。
 彼女を見守っていた僕らは、そんな異変にすぐに気がついた。

「どうしたの?」
「……ちょっと、見てください」

 ヴィータが望遠鏡から離れたので、先に僕がレンズを覗き、受信機を耳に当てた。その先には、とんでもない光景が映し出されていた。
 彼女が見ていたのはとある箱庭の山脈付近で、さっきまでは森が広がっていたようだ。しかし、地面が大きく割れたことで、木々が倒れたり地割れの間に落ちたりしている。自然現象にしては規模が甚大すぎる、というのが率直な感想だ。
 そして、耳をつんざくような爆音が受信機から聞こえてきた。

「これは……岩の巨人?」

 異変が起きているとわかる決定的なものだった。山をも優に超える、岩でできた怪物が暴れ回っている。辺りの自然が破壊されているのは、この怪物が原因と見て間違いないだろう。
 視界をもっと拡大させる。木々が倒れ、森であった場所に人らしき誰かが倒れているのを見つけた。
 これは一体誰だ……? 向こうも夜なせいで視界が悪く、遠目では判別できない。

「クリムさん、何が見えたんですか!?」
「トゥリヤ、これ見てて!」

 望遠鏡を貸したところで、ヴィータが僕の元に近づいてきた。

「……クリム。あそこに被害者がいる可能性も捨てきれません。今すぐ向かわなければ……あの箱庭は確実に滅びます」

 平静を装っているようだが、焦っているのを隠しきれていない。肩が微妙に震え、本を持っていない方の手で袖を握りしめている。
 こうなれば、行動あるのみだ。

「しかし、どうやって箱庭に行くんですか?」
「そうだぞ。箱庭を超えるには『端』を超える必要がある。ゲートでも使わなきゃ、端は通れないんじゃないのか」

 トゥリヤとアルバトスの言う通りだった。
 どれだけ手がかりを掴もうと、やはり最終的にこの問題に直面するのだ。いくら命令を無視して箱庭に行こうとしたって、箱庭に行く手段がなければどうしようもない。
 しかし……ただ一人、ヴィータだけは再び落ち着きを取り戻していた。

「……もしかしたら。わたしなら、可能かもしれません」

 その言葉は、いつも通り淡々としている。だが、僕らの心に淡い期待が芽生え始めた。



 図書館から場所を移して、キャッセリアの郊外のさらに奥……山の高原へとやってくる。この辺りに来ると気温が著しく下がり、どことなく近づきがたい雰囲気がある。僕自身、ここまで来ることはほとんどない。

「はぁ……ヴィータさん、寒くないんですか?」
「問題ありません。それよりも、箱庭の端はこの辺りですか?」
「そうみたいだけど……」

 ちなみに、アルバトスは「付き合いきれん、また明日報告してくれ」と言い、自分の館に帰ってしまった。彼は一応一般神であるし、被害者の身の安否の心配もあるだろうから、これ以上は無理に付き合う必要もない。
 ヴィータは片手を前に伸ばしながら、高原のさらに奥へ進もうとする。妙な行動だと思ったが、どうやら必要なことらしい。たとえ端があっても、景色だけは続いているように見えるからだ。
 数歩歩いたところで、ヴィータの手を中心に薄い波紋が生まれた。そこから先は、手がすり抜けたりといったことは起きない。

「……なるほど。世界が箱庭として分かれた証拠ということですね。確かに、人間や神では通り抜けることは不可能でしょう。ですが……」

 次の瞬間。ヴィータの手のひらが、波紋の内側へめり込み────やがて身体すべて端の向こうへと消えてしまった。

「────えええぇぇ!? な、何したんですかヴィータさん!? 新手の手品ですか!?」
「トゥリヤ、落ち着いて!」

 顔が青ざめて悲鳴に近い叫び声をあげたので、肩を掴んで落ち着かせた。相変わらずトゥリヤは予想外の出来事に弱い。僕も驚いていないわけではないのだが。
 波紋の中から再び顔を出すヴィータ。本人は涼しい顔をしたままだ。

「わたしが通れて、あなたたちが通れない理由がわかりました」
「え。そうなの?」
「はい。ですが、長く説明している時間はありません。ただ一つ言えることは、神隠し事件の犯人もわたしたちと同じ性質を持っている、ということです」

 同じ性質、と言われてもまったくピンとこない。それに、「わたしたち」というのは一体……。

「わたしたちに使えて、あなたたちには使えないものがあるのです。ですが、この端自体はわたしがいれば通り抜けることはできます」
「なんだって!?」
「ですから、クリム。わたしの力があれば、あなたは箱庭に行くことができますよ」

 不敵な笑みを浮かべられ、得も言われぬ快感を覚える。
 ────彼女こそが、事件の解決の鍵を握っていたわけなのか?
 運命とは、よくできていると思う。こうして巡り巡って、幸運を分け与えてくれることもあるんだな。

「ク、クリムさん! 僕も一緒に行きます!」
「トゥリヤはキャッセリアに残ってて。僕の行方を知ってるのは君とアルバトスだけなんだから」
「う……わかりました。ではお二人とも、お気をつけて」

 僕は、差し出された小さな手を握る。波紋の内側へと身体を引かれ、端へ触れた。
 端の向こうに入ったとき、僕の意識は一瞬のうちに失われてしまった。
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