上 下
18 / 185
【箱庭探訪編】第1章「星の輝く箱庭」

18話 遠い地で幸せに

しおりを挟む
 無我夢中で走っていたら、森の外に出ていた。高い崖の見える場所に辿り着いたところで、私たち四人は足を止めて一休みする。
 この頃には、崩壊の音は止んでいた。砂煙が空高く舞い上がり、慌てふためく鳥が何羽も飛び立っていた。
 早く隠れ家に向かっておかないと……。

「……私たち、うまくやれたのかな」

 歩いている途中、無意識にそう呟いてしまった。
 本当は、ちゃんとシュレイドにティルたちを元に戻してもらって、ヴァーサーとサクを私たちの手で倒すつもりだった。そもそも、こんな計画自体が無意味だったのではないか。シュレイドがまともな思考ができる人間だと思っていた時点で間違いだった。
 人間は思ったよりも醜く、欲望にまみれていた。それこそ、神と同じくらいに。

『あら、まだここにいたの~?』
「えっ」

 聞き覚えのない声なのに、口調が親しげだった。しかも声に若干エコーがかかっていたような。
 誰よりも先に、シオンが何気なく振り返ると────。

「ぎゃああぁぁぁぁ!! お化けええぇぇぇ!!」
「……シオン?」

 裏返った絶叫を上げながらソルの背中にしがみついた。ソル、めちゃくちゃ鬱陶しそう……。

『はぁ? 何よ、失礼ね! 急に人をお化け呼ばわりするんじゃないわよ!』
『いやサク姉、仕方ねぇだろ。まさか透けるなんて思わなかったし……』

 私たちの後ろで、見知らぬ青年と少女が喋っていた。確かにそこにいるはずなのに、向こうの景色が薄っすら見える。
 背丈は頭の半分ほど違い、少女の方が背が小さい。けれど、赤黒い髪と瞳はどちらも同じ特徴だった。着ている服も、質素な上に古そうな血痕が残っている。

「サク姉って……まさかあんたたち、兄妹の中にいた……!」
『ハ~イ、そうよ。思念だけ飛ばせたの。本体は隣国にいるわ』

 え、隣国!? あの短時間でそんな遠くまで行けたのか……いや、ヴァーサーの能力なら可能かもしれない。

「シュレイドはどうしたの?」
『あ~、あいつなら隣国の街中に放り出してきたわよ。有名で優秀な科学者を繕ってたわけだけど、今回の出来事でぜ~んぶ明るみに出るんじゃないかしら?』

 つまり社会的制裁を加えた、と。
 ティルとアンナちゃんはどうなるんだろう? 元々あまり良い状態で暮らせてなかったけど……。

『ティルくんとアンナちゃんなら、隣国で引き取ってくれる人を見つけたわ。なんでも母方の親戚で、ハルモニアとやらと仲がよかったそうよ』
「そう、なんだ……」
『しっかし、あいつ何だったんだろうな。小さいガキにしか見えなかったのに、妙に手際よかったよな』
『細かいことはいいじゃない! 何者であれ、引き取り先を見つけてくれたことには感謝しなきゃ』

 誰について話しているんだろう……。
 ハルモニアさんの日記も、恐らく研究所の崩落に巻き込まれて行方知れずになってしまっただろう。
 でも、ある意味それでよかったのかもしれない。知らない方が幸せなことも、世の中にはたくさんあるのだ。

「ティルとアンナちゃん、少しの時間でも幸せに生きられるといいね」
『ええ。だからアタシたち、この子たちを生き長らえさせることにしたの』
「へー……って、えぇ!?」

 あまりにも何気なく言われたものだから、言葉の意味を咀嚼するのに時間がかかった。

「それってつまり、命をあの二人に与えるってことになるよね。そんなことが可能なの?」
『本来なら無理ね。でも、アタシたちは自身の形状を自由に変えられる化け物。自分自身を生命エネルギーに変換させることだってできちゃうの』
「それをあの二人に与えたら、確かに寿命は伸びるだろうが……お前たちは……」

 メアの言葉に、小さくうなずくサク。ヴァーサーも黙り込んでいた。
 私たちは当初、彼らを消滅させようとしていた。けれど、なぜか胸に何かがつっかえているような気がしてならなかった。

『破壊することしか知らない化け物……魔物が意志を持ったこと自体、偶然だった。オレたちはずっと、その偶然を疎ましく思っていた』
『でもね、気づいたのよ。この偶然があったからこそ……アタシたちは、破壊する以外のことを成し遂げられたって』

 人殺しである彼らを、最初は憎んでいた。でも、今となっては憎悪がほとんど消えてしまった。
 あのまま憎悪が残っていれば、少しはつらい思いをせずに済んだだろうに……。

『父親から解放されたんだ。だからいずれ、オレたちからも解放される。これは自然なことだったんだよ』
「ヴァーサー……」
『あいつらは、これから自由になれる。だから、これは喜ぶべきことなんだよ』

 二人はお互いに顔を見合わせて、晴れやかな笑顔を浮かべる。
 そして、私たちにその笑顔を向けた。その頃には、ヴァーサーはほとんど消えているようなものだった。

『さようなら。あの子たちを助けてくれて、ありがとう────』

 消えかけた手を差し出され、握ろうとした。しかし、掴もうとした頃には呆気なくすり抜けて、誰もいなくなっていた。
 私は……彼らをきちんと助けられたのだろうか。

「……ティルたち、隣国のどこにいるんだろう」
「さあ……でも、会って何を話すんだ?」

 メアの言葉通りだった。彼らに言うべき言葉が思いつかない。
 私たちは神。彼らは人間。そもそも、住んでいる世界が違う。本当は会うはずのない人たちだった。
 けれど、ささやかな幸せを掴み取れることを願わずにはいられない。

「……もう私たちにできることはないと思う。でも、あの二人には幸せになってほしいよ」
「そうだな」
「うん」

 私たちは隣国のある方角の空を見上げた。晴れやかな水色がどこまでも広がっている。
 これでよかったのかな。……よかった、んだよね。

「おっ、見っけ見っけ。魔物ちゃっかり倒したんだな」
「っ!? あんた────」

 しんみりしていた私たちの前に、あの仮面の男が姿を現した。私が一番前に出ていたが、とっさにメアが私の前に立ち塞がる。
 シオンとソルも、私の横に立って険しい顔つきになる。

「おいおい、喧嘩売る気かぁ?」
「ユキアの命を狙っていると聞いた。手を出すようなら容赦はしない」

 メアの言葉に、男は小さく笑ったような気がした。
 命を狙っているといっても、男の手にはあの黒い鎌がない。見た目だけなら丸腰だった。

「実はなー、ちょいと事情が変わった」
「は?」
「テメェらを殺そうにも殺せなくなった。どんなタイミングで殺ろうと思っても必ず邪魔が入るもんでな」
「邪魔……?」

 そういえば、アスタにも言われていた。「一人になっちゃいけない」って。意識していなかったわけじゃないけど、誰かといた時間の方が確かに多かったかも。
 それが彼の言う邪魔……なのだろう。

「まあ、それは置いといて。魔物を倒したのは褒めてやる。だが残念だな。オマエらはキャッセリアには戻れない」
「はぁ!?」
「掟を知ってるなら、その理由を知らないわけじゃないだろ?」

 ────神が、人間の箱庭に立ち入ってはいけない。私が忌み嫌う掟が作られた理由。
 キャッセリアには、箱庭に転移するためのゲートはある。でも、あれはあくまで不可逆的なもの。
 人間の住む箱庭には、他の箱庭に転移するためのゲートなるものは存在しない。
 一度箱庭に行ってしまえば元の場所に戻ることはできない────だから、人間の箱庭に行くことはあらかじめ禁じられている。

「……私たちが神の世界に帰ることはできない、そう言いたいの?」
「そういうこった。でもユキア、オマエは何だかんだ嬉しいんじゃないのか? 人間の世界が憧れだったんだろ?」
「っ、あんたには関係ないでしょ!!」
「ユキア、落ち着け!」

 メアに抑えられるも、怒りが収まらない。
 奴が何を考えているのかさっぱりわからない。そもそも、どうしてこいつは私たちを人間の箱庭に運ぶことができたの?
 キャッセリアにあるゲートを経由してきた、という可能性しか考えられない。しかし、こんなに怪しさ満点な男が、私たち四人を抱えてゲートを通れるだろうか?
 ゲートは、神の世界の最高神アイリスの住む宮殿の中庭にある。神の世界でも特に厳重な警備網を突破できたということになる。
 そうだとしたら……こいつは私たちが思う以上に危険な奴ではないのか。

「言ったろ。オマエらじゃオレは倒せない。それに、オマエらがキャッセリアに戻るのは困るんだよ。口封じで殺さないだけ、ありがたいって思え」
「……僕らを殺さないってことは、まだ何かやらせるつもり?」
「おっ、勘がいいな。そうだ。オマエらには次の箱庭に行ってもらう。そこでもう一回、オレに会う前に魔物を倒してみろ」

 今回と同じようなことを、次の箱庭でもさせるつもりらしい。
 私たちを魔物に殺させたいのか、それともこちらの力を試しているのか、何が目的なのか見当もつかない。
 しかし、私は思う。今回、ティルやアンナちゃんのように、魔物の存在によって苦しめられている人間がいた。それはこの箱庭に限った話ではないだろう。
 そんな人たちを、助けられる可能性があるのなら。
 私は────

「……連れて行って」
「ユキア!? 正気かよ!?」
「これ以上、魔物で苦しむ人間を増やしたくない。魔物を倒すことで助けられるなら……私は戦う」

 仮面の男の目は見えづらかった。しかし、私の意志の強さを感じ取ったのか、にんまりと笑った。

「ふっ……人間に肩入れするとは愚かな奴だ。オマエらはどうだ?」
「無論、私もだ。何より、ユキアを守るのは私の役目だ」
「オ、オレだってやるぞ!? ったりめーだろーが!!」
「僕も。それに、色々と知りたいことができたしね」

 私たちの心は一つだった。ここから揺れ動くことなどない。
 ああそうかよ、と答えながら、仮面の男は背中を向ける。私たちを次の箱庭に連れて行くつもりなのだろう。

「ああ、そうだ。これから長い付き合いになりそうだし、名乗ってやる」

 彼は一度だけ、こちらを振り返った。

「クレー、だ。覚えとけ」

 仮面の男──クレーは、しばらく持ち上げた口の端を戻そうとしなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

[完結]勇者の旅の裏側で

八月森
ファンタジー
神官の少女リュイスは、神殿から預かったある依頼と共に冒険者の宿〈剣の継承亭〉を訪れ、そこで、店内の喧騒の中で一人眠っていた女剣士アレニエと出会う。                                      起き抜けに暴漢を叩きのめしたアレニエに衝撃を受けたリュイスは、衝動のままに懇願する。               「私と一緒に……勇者さまを助けてください!」                                        「………………はい?」                                                   『旅半ばで魔王の側近に襲われ、命を落とす』と予見された勇者を、陰から救い出す。それが、リュイスの持ち込んだ依頼だった。                                                       依頼を受諾したアレニエはリュイスと共に、勇者死亡予定現場に向かって旅立つ。                             旅を通じて、彼女たちは少しずつその距離を縮めていく。                                          しかし二人は、お互いに、人には言えない秘密を抱えていた。                                         人々の希望の象徴として、表舞台を歩む勇者の旅路。その陰に、一組の剣士と神官の姿が見え隠れしていたことは、あまり知られていない。                                                これは二人の少女が、勇者の旅を裏側で支えながら、自身の居場所を見つける物語。                            ・1章には勇者は出てきません。                                                     ・本編の視点は基本的にアレニエかリュイス。その他のキャラ視点の場合は幕間になります。                    ・短い場面転換は―――― 長い場面転換は*** 視点切替は◆◇◆◇◆ で区切っています。                    ・小説家になろう、カクヨム、ハーメルンにも掲載しています。

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

婚約者すらいない私に、離縁状が届いたのですが・・・・・・。

夢草 蝶
恋愛
 侯爵家の末姫で、人付き合いが好きではないシェーラは、邸の敷地から出ることなく過ごしていた。  そのため、当然婚約者もいない。  なのにある日、何故かシェーラ宛に離縁状が届く。  差出人の名前に覚えのなかったシェーラは、間違いだろうとその離縁状を燃やしてしまう。  すると後日、見知らぬ男が怒りの形相で邸に押し掛けてきて──?

結婚式で王子を溺愛する幼馴染が泣き叫んで婚約破棄「妊娠した。慰謝料を払え!」花嫁は王子の返答に衝撃を受けた。

window
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の結婚式に幼馴染が泣き叫んでかけ寄って来た。 式の大事な場面で何が起こったのか? 二人を祝福していた参列者たちは突然の出来事に会場は大きくどよめいた。 王子は公爵令嬢と幼馴染と二股交際をしていた。 「あなたの子供を妊娠してる。私を捨てて自分だけ幸せになるなんて許せない。慰謝料を払え!」 幼馴染は王子に詰め寄って主張すると王子は信じられない事を言って花嫁と参列者全員を驚かせた。

身勝手な理由で婚約者を殺そうとした男は、地獄に落ちました【完結】

小平ニコ
ファンタジー
「おい、アドレーラ。死んだか?」 私の婚約者であるルーパート様は、私を井戸の底へと突き落としてから、そう問いかけてきました。……ルーパート様は、長い間、私を虐待していた事実が明るみになるのを恐れ、私を殺し、すべてを隠ぺいしようとしたのです。 井戸に落ちたショックで、私は正気を失い、実家に戻ることになりました。心も体も元には戻らず、ただ、涙を流し続ける悲しい日々。そんなある日のこと、私の幼馴染であるランディスが、私の体に残っていた『虐待の痕跡』に気がつき、ルーパート様を厳しく問い詰めました。 ルーパート様は知らぬ存ぜぬを貫くだけでしたが、ランディスは虐待があったという確信を持ち、決定的な証拠をつかむため、特殊な方法を使う決意をしたのです。 そして、すべてが白日の下にさらされた時。 ルーパート様は、とてつもなく恐ろしい目にあうことになるのでした……

処理中です...