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第四章
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しおりを挟む「だったら、あたしの言う通りになさい。このまま陽介さんと関係を続けるなんて絶対に許さない。彼はあたしのものよ。従わなければ、彼はすべてを失うわ。アンタ、彼の足を引っ張ってるって自覚はあるの?」
ガツンッと鈍器で頭を殴られたような心地だった。
私がそばにいれば、彼が今まで努力してきたこと全てが水の泡になる……?
「アンタの存在が陽介さんを苦しめることになるのよ」
浴びせられたきつい言葉がナイフのように私の胸に突き刺さる。
もしかしたら、彼女の言う通りなのかもしれない。
私の存在が彼の邪魔をし、さらに彼の足かせになるのだとしたら……。
「彼を本気で愛しているなら、アンタがすべきことは一つしかない。言わなくても分かるわよね?もし不満なら、しばらく生きていけるだけのお金もあげるわ。それで文句ないでしょ?」
「お、お金なんていりません!」
あまりの侮辱に怒りで声が震える。
いくらお金を積まれたって私の彼への愛は揺るがない。
それに、私は彼が早瀬商事の副社長だから好きになったわけではない。
十年前の高校生の時からずっと、彼を想い続けてきたのだ。
「話はすんだから、戻るわ」
言いたいことだけ言って、彼女は応接室へ向かって歩き出す。
頭の中で彼女の話を冷静に整理する。
もしも彼女の言葉が本当だとしたら、私は当然身を引くべきだ。
私は彼が好きだし、愛している。けれど、彼は早瀬商事の副社長で輝かしい未来がある。
どうして彼女に言われるまで気が付かなかったんだろう。彼のように日本を背負って立つ人間とお付き合いするということはどういうことなのか、自分の立場をもっと自覚するべきだった。
彼には私の知らない複雑なしがらみがあるに違いない。
私と一緒にいるとき、そんなことをお首にも出さなかっただけだ。
彼は優しい人だ。もしかしたら、私を気遣い、茜さんの存在を伝えられなかったのかもしれない。
けれど、腑に落ちない点もある。茜さんという婚約者がいるのに、一緒に住もうと部屋の鍵を渡すような軽率なことを彼がするだろうか。
「……っ」
ズキズキと胸が痛む。私は胸に手を当て、その場に力なく立ち尽くした。
一時間後、八乙女社長は茜さんと共に早瀬商事を後にした。
専務と共に出入り口まで見送り、彼から預かっていた手土産を社長に手渡す。
「さすが陽介さん!パパの好きな物を良く知ってるわね」
「ああ、そうだな」
二人はあらかじめ呼んでおいたタクシーに乗り込んだ。
茜さんの口ぶりからして、八乙女商事が早瀬商事と同レベルの規模の会社なのだと想像がつく。
けれど、自社の車ではなくタクシーを呼ぶということは、お抱えの運転手はいないようだ。
お金持ちのお金の使い方は私にはよく分からない。去っていく二人に頭を下げて見送ると、早瀬専務が私を見た。
「茜ちゃんから事情は聴いた。今すぐ陽介から手を引け」
初めて挨拶を交わした時とは違う、殺伐とした冷たい声色だった。
「従えば、彼に手だしはしないと約束して頂けますか?」
「お前が本当に手を引けば、の話だ」
「……分かりました。ですが、今すぐに彼の前から消えることはできません。私には仕事があります。途中で投げ出すことはできませんし、それは会社にとっても良くないのではありませんか?」
「そうだな。一週間の猶予をやろう。それまでにすべてを終わらせろ」
押し殺した声ながら、有無を言わさぬ強さがあった。
「……失礼します」
小さく頭を下げて踵を返し、会社の入口へ向かって歩を進める。
気丈に振る舞っていたものの、気を抜けばその場にヘナヘナと座り込んでしまいそうだった。
心臓がドクンドクンッと音を立て、あまりの恐ろしさに指先は小刻みに震える。
とてもではないけれど、このまま秘書課へ戻れる精神状態ではなかった。
そのままエントランスを抜けた先にあるトイレへ入った。
鏡に映った私の顔は青白く、酷く強張っていた。
ゆっくりと息を吸い込んで吐く。それを意識的に繰り返していると次第に気持ちが落ち着いてきた。
先程の出来事を今一度冷静に振り返る。
一緒に暮らそうとまでしていた陽介くんには、茜さんという婚約者がいた。
しかも、それは政略結婚だという。もしもこのまま私が彼と付き合いを続ければ、早瀬商事と八乙女商事の軋轢を生む可能性がある。そうなれば、早瀬商事にとっても不利益が生じるだろう。
なにより、彼に迷惑をかけるのは嫌だった。
恋人として愛をくれただけでなく、パワハラを受けていた私を救い、さらには私の仕事ぶりを認めて秘書として新たなスタートを切らせてくれた。
彼には何度助けてもらったか分からない。今の私がいるのは彼のお陰だ。
「別れよう……」
鏡の前で呟く。
この問題が耳に入り、彼を煩わせるのは嫌だった。
早瀬商事の副社長である彼はたくさんの重圧と重責を担っている。
私のことでさらなる負担をかけたくはない。
だったら、、自分から別れを告げるしかない。
私たちが一緒にいることは、彼にとっていいことではない。
彼の輝かしい未来の為に、私は手を引く。
今、私が彼にしてあげられることはこれしかない。私はなんて無力なんだろう。
必死に堪えていたものの、限界だった。
グッと歯を食いしばって耐えたものの、ボロボロと大粒の涙が溢れ出して頬を濡らす。
瞼の裏に浮かび上がるのは、彼の屈託のない笑顔だった。
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