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第二章

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早瀬商事に異動してから一か月が経った。
就業時間三十分前に出勤し、オートブラインドを開けて執務室内に朝の光を取り込む。
途端、三十階建てのビルの最上階は朝日で満たされた。
すると、扉の方からピピッという電子音がした。ドアロックが解除され、執務室の扉が開く。

「副社長。おはようございます」

スタイリッシュなダークグレーのスーツを身にまとい艶やかな黒髪をきちんと整えた陽介くんが姿を現す。
公私混同を避けるため、仕事中は彼を『副社長』と呼び、敬語を使う。

「おはよう、今日も早いな」
「今、コーヒーを淹れますね」

出社してきた陽介くんに頭を下げて執務室を出て行こうとした瞬間、唐突に腰を掴まれてぐっと引き寄せられる。

「なっ……!」
「今は俺と結乃の二人っきりなんだし、そんな他人行儀にならなくてもいいだろ」

耳元で囁かれて心臓が激しく暴れ出す。

「仕事中にこんなのダメです……!」

胸を押し返して抵抗を試みるも、腰に回った腕は力強く逃れることができない。

「仕事中じゃないよ。厳密には、就業開始まであと二十七分ある。だから、今の俺たちは完全なるプライベートだ」

ニッと得意気に笑い彼は私の言葉を待たずに、唇を押し当てた。
柔らかい唇の感覚に身体が熱を帯びる。

「んっ……だ……めッ……」

息継ぎするために薄く開いた唇。彼はそれを見逃さず、隙間に舌を差し込んで私の舌を絡めとる。
口内を味わうようなねっとりとしたキスを繰り返され、頭の芯が痺れてくる。

「ふっ、そんな蕩けた顔して言っても説得力ないよ」

少し意地悪な表情を浮かべて私の頬を撫でた後、彼は私の手を引き応接セットの椅子に座らせた。

「就業時間になるまで、しばらくここに座って休んでて」
「え?」
「この一か月、結乃の頑張りは見てきた。一生懸命働いてくれるのはありがたいけど、無理をする必要はない。社員の体調を管理するのも俺の役目だから」
「でも……」

彼は執務デスクへ向かい、重厚なチェアに身体を預ける。

「いいね?これは副社長命令だから」

有無を言わさない声色だった。

「……分かりました」

ありがたくその提案を受け入れる。彼はパソコンを起動させて手早くメールのチェックを始めた。
陽介くんはオンとオフの切り替えがうまい。
先程とは違う真剣な横顔を、私はぼんやりと見つめた。

彼の第一秘書として働き出してから、陽介くんの凄まじさを知った。
大学卒業後、彼はすぐに渡米して経営戦略を実戦で学んだらしい。
副社長に就任してからは、海外での経験を生かした仕事ぶりを発揮して、早瀬商事の業績は鰻上り。
さらに赤字続きだった部門にテコ入れをすれば軒並み黒字決算を叩き出す。

華々しい経歴はもちろんのこと、彼をさらに際立たせているのはその完璧な容姿と人柄だ。
百八十センチ以上ある高身長と均整のとれた体躯。切れ長で涼し気な目元に精悍な顔つき。
あまりにも整っているせいで一瞬冷たい印象を覚えるものの、柔らかな笑みを見ると誰もが彼の虜になる。

優雅な風格と才気に溢れる立ち振る舞いは人の目を引き、相手の心情を汲み取ることにも長けているため、社内外の男女問わず相手を魅了する。
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