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第二章

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「轟部長には伏せたが、パワハラを告発したのは君がよく知る人物だ。以前から、轟部長の度重なるパワハラを受ける君を案じていたらしい」
「まさか……小田さんが……?」

彼女以外考えられなかった。
あの日も……給湯室に呼び出された私を探して声を掛けてくれた。

『あと一か月なんとか耐えて。そうすれば、きっと転機が訪れるから』

小田さんの言葉が蘇る。
あのときはその意味を深く考えることはなかったけれど、今なら分る。
彼女は早瀬商事に買収されることを知り、面談で私へのパワハラを勇気を出して告発してくれたんだ。

「結乃のことを褒めてたよ。優秀なのにそれをひけらかすことなく、真面目で頑張り屋の良い子だと絶賛していた。良い先輩を持ったな」
「小田さんがそんなことを……」

入社してからずっと小田さんの背中を追って頑張ってきてよかった。
胸の奥が温かくなり、目頭が熱くなる。

「異動の件は、俺が独断で決めたことだ。実は、秘書課の室長が体調を崩して、現在の第一秘書がその代わりを担うことになったんだ。その代わりに急きょ新しい第一秘書が必要になった」
「その役割を私が?」
「ああ」

彼は大きく頷く。

「待って、でもどうして私なの?秘書の経験もない私が、陽介くんの第一秘書なんて……」
「知っての通り、俺は早瀬社長と血が繋がっていない。血縁関係のない俺が早瀬商事の副社長でいることを僻んで蹴落とそうとする人間は大勢いる」

彼の顔に影がかかる。陽介くんはテーブルの上で組んだ指先に視線を落とす。

「第一秘書は全幅の信頼を寄せられる人物にしか託せない。それ以外の人間では、いつ足を掬われるか分からない。だから、俺は結乃を選んだ」
「そんな……私に務まるとは思えないよ。陽介くんに迷惑をかけるのが目に見えてるよ……」
「一緒に働く小田さんからも、結乃が優秀な人物であるとお墨付きはもらえている。書類作成もミスなく丁寧だと。細かな部分にまで気遣いが感じられるって褒めていた」

小田さんの言葉はありがたいけれど、買い被りすぎだ。
早瀬商事のような大企業の、ましてや副社長である陽介くんの第一秘書など素人の私に務まるわけがない。

「でも、私……」
「こんな風に強引なやり方になって申し訳ないと思ってる。だけど、第一秘書は結乃以外考えられない。頼む、俺に力を貸して欲しい」

彼は深々と頭を下げる。
先程、轟部長と対峙した時とは違い切羽詰まったような陽介くんの姿に心を動かされる。

私に秘書経験がないことを承知の上で、こうやって頼んでいるのだ。
早瀬商事の副社長の第一秘書ともなれば有能な人材をいくらでも集められるだろう。
その中から選りすぐりのエリート秘書を選べばいい。
けれど、彼はそれを望まなかった。彼には私の知らないしがらみがたくさんあるんだろう。
それでも、彼は私を信じて頼ろうとしてくれた。その気持ちに報いたい。
それに、これは自身を変えるチャンスでもある。大人になってから、なにかにチャレンジしようと思ったことはない。いつも平坦なルートばかりを探して歩き、凸凹道を嫌っていた。

「分かった。私なりに精一杯頑張ります」
「ありがとう、結乃」

私は決意を込めて大きく頷いた。

ミーティングルームを後にして自席へ向かうなり、隣の席の小田さんがコソコソと話しかけてきた。

「轟部長、さっき上層部から呼び出し食らって出て行ったよ。もしかして何か動きがあった?」
「私がパワハラを受けていると話してくれたのは、小田さんだったんですね」
「そっか、もう耳に入ったのね。給湯室で理不尽に怒りをぶつけられてる秋月ちゃんがあまりにも不憫で怒りが湧いてきちゃって。その場でスマホで音声を録音してたの。面談で呼び出された時、それを提出したんだけど、それが決定的な証拠になったみたい」
「本当にありがとうございました」

今までのことに心から感謝してお礼を言う。

「いいのよ、お礼なんて。そうそう、早瀬商事の秘書課に異動になるんだって?しかも、今日付って急すぎるわね」
「そうなんです。私もさっき聞いて……。小田さんには本当にお世話になりました」
「こちらこそ。暇なとき、ご飯でも食べに行きましょ。その時、轟部長にどんな処分が下ったのか教えてあげるから」

ふふっと肩をすくめて笑う小田さんにつられて微笑む。
急ぎで担当している仕事の引継ぎをして、デスク回りの荷物をまとめて挨拶を済ませる。
こうして、私は六年間務めた北本貿易を後にした。

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