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第三章 近付く距離

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……とはいえ、ゆっくりするといっても何をしたらいいのかわからない。
そんなとき、見たいと思っていたゾンビ映画をサブスクで見られると知り、私は食いついた。

100インチ以上の大画面の迫力だけでなく、サウンドバーと呼ばれる棒状のスピーカーが設置されているおかげで臨場感のあるサウンドも楽しめた。
座り心地のいいソファに座り、阿鼻叫喚の映画を楽しむ。
大量のゾンビが人間の肉を食いちぎり貪り食う描写はたまらなくリアルで、私は興奮気味に身を乗り出した。
けれど、隣に座る彼はスプラッターシーンでは画面から顔を背けてしまう。

「こういうの嫌いですか?」
「いや、全然大丈夫」

強がっていたけど、おそらく血が苦手なんだろう。
心なしか顔色も悪い気がする。初めて彼の可愛らしい弱点を見つけた私は、心の中でほくそ笑んだのだった。


結局、私は夕方まで彼の家でまったりとした時間を過ごした。
着替えを済ませて、彼の部屋を出る。

「伍代さん、これからどこかへ行くんですか?」
「ああ、ちょっとね」

髪型も仕事の時のようにワックスで整え、ビシッとスーツを着こなす彼は曖昧に答えると、エレベーターのボタンを押した。
室内の様子からなんとなく想像はついていたけれど、彼の住居はとんでもなく高級なマンションだった。
エレベーターを降りて入り口に向かうと、コンシェルジュがいた。聞くと、宅急便などの荷物も全てコンシェルジュが受け取ってくれるらしい。

「乗って」

駐車場にやってきた私は真っ白な高級車に目をむく。
外国製の車なのか、ハンドルは左側だ。右側の助手席のドアを開け、伍代さんが私をエスコートする。

「ありがとうございます」

座り心地のいい革張りのシートに体を預ける。
ここが車の中であることを忘れてしまうほどラグジュアリーな空間だ。
シートベルトを締めて家の場所を伝えると、彼は首を傾げた。
わずかな間の後、彼は大きなディスプレイのナビに住所を打ち込み始める。

「ずっとイギリスにいたから、この辺りの道がまだよくわからないんだ。ナビがないと迷子だよ」
「大丈夫ですよ。分からなければ、私がナビします」
「カッコ悪いな、俺。悪いけど、頼む」

車はなだらかに動き出し、マンションの駐車場から出た車は右にウインカーを出して大通りへ進む。
私は運転中の彼にチラリと目を向けた。
本人はかっこ悪いと言っていたけど、そんなことはない。
むしろ、左ハンドルの大きな車を平然と運転する彼はかっこいい。
もちろん、海外のメーカーの車は道路の関係上左ハンドルが多いことは知っているけど、それを抜きにしても、だ。
ペーパードライバーの私には、彼の姿が眩しかった。

二車線の道路を走行中、信号が黄色に変わった。
彼はなだらかにアクセルを抜き、ブレーキを踏む。
すると、ゆっくりと減速する車の横を猛スピードの別の乗用車が追い抜いていった。

あれじゃ信号無視と同じだ。

「余裕なさすぎ」

ふたりの声が重なり合い、パッと顔を見合わせる。

「今、シンクロしたね」
「ですね!びっくりですね」

思わず笑うと、それに気づいた彼が少し驚いたような表情を浮かべた。

「やっと笑ってくれた」

彼は感慨深そうに微笑む。

そのとき、ふとシートの足元のマットに光る物を見つけた。
手を伸ばすと、それはゴールドの小さなループのピアスだった。大きさ的に女性もののようだ。
ピアスがあったことを伝えようと彼のほうを向くと、ちょうど信号機が青に切り替わったところだった。

彼に言おうか迷ったけれど、私は黙って運転席と助手席の間にあるコンソールボックスにピアスを収めた。
なぜかわからないけれど、チクリと胸が痛んだ。

彼がアクセルを踏み込む。私の笑顔はすっかり消え去っていた。
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