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第三章 近付く距離

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その日から、私は誰かの為に頑張ることを辞めて、自分の為に頑張ると決めた。
言いたいことがあれば上司にだって盾突くし、理不尽だと思ったことには抗議する。
そうやっているうちに、私には『悪女』というあだ名がついたのだ。

だから正直、彼にだって期待はしていなかった。
コンペに負けたらチームリーダーの私に責任を押し付け、もし通れば自分の手柄にするだろうと予想していた。

「ちょっと待ってて」

そう告げると、彼ははリビングから出ていく。
それを見送って再びパソコンに視線を向けると、意外にもすぐ戻ってきた。
その手には何やら書類のようなものがある。

「それ、なんですか?」
「JJTの企画案。昨日のオリエンと会食で得た情報を盛り込んで作ってみた」

私は書類受け取りざっと目を通す。

「これ、いつ作ったんですか?」

信じられない。このレベルの企画書を作るのは相当な時間がかかるはずだ。
クライアントの要望もしっかりと盛り込まれている。

「今朝早起きして作った」
「今朝?たったの数時間でこの企画案を作ったってことですか?」

まさかという思いで尋ねた。
私では一日かけたとしても作れないだろう。

「そう。ただ、ちょっとざっくり過ぎるから、もう少し細部までこだわりたいと思ってる」

彼は困惑している私の前の椅子に腰を下ろす。

「俺は、人を見る目はあると思ってる。今回の人選も部長にはありえないと呆れられたけど、このメンバーでならできると信じてる」
「女の私がチームリーダーだとしても、ですか?」
「もちろん。それに、社員だからパートだからというのも関係ない」
「え……」

既視感のある台詞に首を傾げると、「実はこの間のコーヒー事件、近くで見てたんだ」と彼はニッと笑った。

「私と黒川さんが水と油って知っててよく同じチームにしましたね」
「水と油だって無理してまじり合わなくてもいい。お互いを尊重しあえば、相乗効果も期待できるかもしれないよ」
「まあ、ないと思いますけど。ただ……、私は伍代さんのことを誤解していたようです。それだけは謝ります。すみません」
「誤解?」

私は入社してから今まで上司に受けてきた酷い仕打ちを手短に話した。

「だから正直、伍代さんがここまで動いてくれているとは思っていませんでした」
「そういう苦々しい経験は誰にでもある。それを乗り越えたからこそ、今の実咲があるんだよ。でも、これだけは言える。人の手柄を横取りする人間はいつか淘汰される運命だし、勝手に自滅するよ」
「そうだといいんですけど」
「大丈夫。実咲が頑張ってることを俺はわかってるから」

そう言うと、彼は私のノートパソコンをパタンっと閉めた。

「え?なんで……」
「だから、今日ぐらいは仕事を忘れてゆっくりしよう」
「でも、伍代さんだって寝る間を惜しんで企画書を作ってたじゃないですか。私に協力できることならーー」
「ありがとう。気持ちだけもらっておく。それとこれは、上司命令だからね」

有無を言わさぬ口調だった。
確かにここ最近は仕事に追われ、何かをしていないと不安になることも多かった。
休んでいる間にも他の人が大きな案件を取ってくるんじゃないかと悪夢を見ることもある。

「こういうときだけ上司ぶるのやめてもらえます?」

憎まれ口を叩きながらも、内心ではホッとしていた。
このまま無理をすれば、心身共に不調になる予感があった。
昔から手を抜けない真面目な性格が災いして、自分を追い込んで無理をしすぎてしまう癖がある。


「でもまあ、今回は上司命令なので素直に従わせていただきます」
「そうそう。素直になることは大事だよ」

私は彼と目を見合わせて、ふっと笑みを浮かべた。
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