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さびゆび

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【番外編I】過ぎた日の話

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※前話(ジンライムの春)と繋がっていますので、是非そちらからお読み下さい。
※紘一さんの過去の恋愛に関する描写が含まれています。語り多めです。





***

 大学生ともなると、それまではみんなで揃えていたような要素が少しずつ分解されていって、個々の持つ色みたいなものがだんだんと見え始める。例えば、それは髪の毛の色であったり、あるいは何らかのアイデンティティであったり。
 俺やハル先輩も、もちろん例外ではなかった。

「バー、ですか?」
『うん。ずっとやりたかったんだよねぇ、接客業。飲食店のバイトとかじゃなくてさ、自分の店で』

 俺が大学に入ったばかりの頃。先輩は持ち前の行動力と根気強さを生かして、学生時代から夢見ていたというバー経営の実現に奮闘していた。ちなみに、突然かかってきた電話の内容は「大学の勉強と経営のための勉強に加えて、お店を置くための諸々の計画で忙しくなるので、しばらく連絡がとりにくくなる」というものだった。それまでも資格取得などは着々と進めていたらしく、お金の方もそれなりに貯めてはいたものの、これからは実現に向けて更に本格化させるから、とのこと。
 バー経営なんてもちろん初耳だったし、そんな素振りはこれっぽっちも見せていなかったはずなのに。
 思えば、この人はずっとそうだった。一見軽々と生きているように見えて、自身の夢を実現させるためには一切の努力を惜しまない。生々しい苦労を知っているからこそ、ああして綺麗に笑っていられる。

『紘一も、ほどほどに頑張ってね。応援してる』
「ありがとうございます。お店ができたら、遊びに行っていいですか?」
『もっちろん。おしゃれなハガキ送ったげるから、絶対来てよ』
「楽しみにしてます」
『そうして』 

 そして、それから数ヶ月後。俺には恋人が出来た。同じ学部の繋がりで出会った彼は、いわゆるバイセクシャル、男女両方に性愛感情を持つ男性だった。
 交際自体は中学、高校を通して数人経験したことがある(相手は全員女性で、ビビリな俺が告白を断りきれなかったりなんだりでなんとなく恋人関係になっていただけだ)けれど、互いにここまで好きあっている相手というのは初めてだった。
 当時の俺は、正直言ってかなりはしゃいでいたと思う。「好き」と言ったら笑顔で同じように返してくれて、キスだって気持ちよくて、話すだけでも心が暖かくなって。こんなにも満たされる感覚は、生まれて初めてだった。もっと一緒にいたい。この人とずっと幸せでいたい。思考の足らない未熟な頭で、何度もそんなことを考えた。
 けれど、その感動はやがて相手に対する執着心へと変わっていくことになる。今思えばあれは、長く抱えていた自己嫌悪や孤独感の反動だったのかも知れない。

 この幸せがいつまで続くか分からなくて、そのせいで不安になる夜が続いた。好きな相手と恋人になれることなんて奇跡でしかないのに、どうして君はそんなに平気そうなの。心の中でそう問う度に、彼との距離が開くような気がしてならなかった。

 彼の浮気が発覚したのは、それから約一ヶ月後のことだった。

「ごめん、やっぱ無理だわ」

 重くなってきたのがめんどくさくて、身体の方も満足いかないから、女に会ってた。彼は何ともなさげな声色で、そう言った。

 酷い、裏切りだ、君がそんなことをするなんて思っていなかったのに。浮かんできた言葉を全て口に出せないまま、結局は自分を責めた。
 どうして、もっと余裕を持てなかったのだろう。一方的に彼を縛ろうとして、なんて馬鹿だったんだろう。
 やっぱり、俺が男だったから嫌だったんだろうか。俺に触れられるよりも、彼は女性と抱き合う方が……そんなことも思った。

 それからしばらくの間、心の真ん中がゆらゆらと揺れるような感覚が続いた。
 部屋にこもって号泣するというよりは、普段の生活の中でもどこかぼーっとしていて、ふいに自分を嘲笑したくなるような、そんな空っぽの毎日。
 
「あらコウくん、久しぶり。大学はどお?」
「……それなりに、楽しいですよ。友達も出来ましたし」
「そう。でも、やっぱり忙しいのね、少し疲れてるみたいだけど」
「え?いや、平気ですよ」

 高校時代からお世話になっているラーメン屋の桐子きりこさんは、以前よりも少しやさぐれた俺を見て、心配そうな表情を浮かべた。当時は目の下のクマや肌荒れも放ったらかしにしていたから、無理もないだろう。
 身体はそれなりに健康だったものの、心の方は確かに疲れていた。もしもこの時期にハル先輩と会っていたら、「もう、何ゾンビみたいな顔してんの」と呆れられていたんじゃないかと思う。我ながら女々しいやつだ。
 
***

 ゲイの男性が集まるというクラブに足を向けたのは、例の失恋から三ヶ月ほど経った頃のことだった。ネットで偶然に知ったものだったけれど、こういう場所で出会いを見つける人も案外少なくないらしい。

 ネット上の評判通り、クラブはとても平和で、楽しい場所だった。一つ意外だったのは、男性同士のカップルで訪れている人も多数居たということ。恋人らしい雰囲気全開で、もはやダブルデートのようになっている人達も少なくなかった。
 それを遠巻きに眺めながら、俺も何人かと話をしたり、気が合った相手とは外で過ごしたりもした。

 クラブには、その後何度か通った。単純に落ち着く場所でもあったし、理解のある人と話していると、心に開いた穴が少しずつ小さくなっていくような感覚がしたからだ。自分はこれでいいのかもしれない、という自信も、少しは持つことができたと思う。
 中には、いい感じになった相手も何人か居た。けれど、結局は俺の方が思い切れなかったり、相手がそれを察してくれたりで、より深い関係へと発展することはなかった。今となっては、それもまた必要な過程だったのかな、なんて思える。
 今も時々、クラブに居た人達を思い出すことがある。俺は愛する人と幸せに過ごせているけれど、彼らはどうしているだろうか。

 いつかは拓海にも、この頃の俺の経験を話せればいいと思う。恋人としてだけではなく、彼より数年長く生きる人間としても。
 優しい彼のことだ。俺がこの頃について触れたがらないのを、きっと鋭く感じ取っているはず。

 ついこの間、大学に入ったばかりで人付き合いが難しい、という相談に乗っていた時。拓海はちらりとこう言っていた。

「紘一さんもさ、こうやってたくさん悩んだんだよね」

 その時は曖昧に頷くことしかできなかったけれど、拓海はもっと別の言葉が欲しかったんじゃないかと思う。彼はいつだってそうだ。悩みや秘密を抱えることを嫌う、相手思いの優しい子。

 全てを詳しく話さないにしても、二人にとって大切なことだけは教えておきたい。俺が拓海に出会うまで、どんなものに触れてきたのか。どんな思いで居た時に、拓海と出会えたのか。
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