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【番外編I】ジンライムの春
しおりを挟むハルさんと紘一さんの過去、そして拓海との出会いのお話。今回より数話連続になります。
※作者はカクテルに関する知識がほぼありませんのでお手柔らかに
※紘一さんの過去の恋愛に関する描写が含まれています
***
春の朝はまだ涼しい。何も身につけないまま布団にくるまっているせいか、はみ出した指先と顔だけがやけに冷たく感じた。
同じように隣で眠っている細い身体を、片腕でそっと抱き寄せる。特別華奢という訳ではないけれど、自分と比べればだいぶ可愛らしい方だろう。
ふわふわとした頭を包み込むように腕を回せば、柔らかい匂いが鼻をくすぐった。
窓際に置かれた電子時計は、既に朝の七時を指していた。久しぶりに二人でゆっくり出来る日だったということもあって、夕べは少し無理をさせてしまったかも知れない。ただ、これに関しては拓海の方にも少なからず責任があるんじゃないかと思う。
『紘一さんの夢をね、見たことがあって』
風呂から上がって、そろそろかな、なんて思いながらソファでくつろいでいた時。拓海は頬を若干火照らせたまま、急にそんなことを言い出した。
自分から切り出しておきながらもじもじしている彼に先を話すよう促すと、どうやらそれは二年ほど前の出来事だったようで。
俺との関係がなかなか進展しないことについて悩んでいた、というのは、少し前に聞いたので知っている。例の夢を見たのはその時期だったらしく、「その内容が恥ずかしくって」と拓海ははにかんでいた。で、問題はその後だ。
夕べの俺にブレーキが効かなかったのは、明らかにその告白のせいだった。あの時の違和感はそのせいだったのか、とか、あの時にはもう俺を求めてくれていたんだ、とか、色んな感情がごちゃ混ぜになったのをそのまま拓海にぶつけてしまっていたような気がする。
ただ夢を見たという話だけならまだしも、拓海はそれで翌朝の自分を慰めたなんてところまで言ってのけた。素直に話せるようになってくれたのは嬉しいけれど、それはそれで考え物だな、なんて。
閉じられたまぶたにそっと唇を落す。触れた部分から伝わる生身の体温に目を細めると、同時にゆっくりと開いた大きな瞳が俺を捉えた。
「こういちさん……?」
「ん、おはよう拓海」
「……んー、おはよ……」
寝起きの拓海は妙にふわふわとろとろしている。朝が苦手なのか、無意味に俺の鎖骨に頬を擦り付けたりしてくるこの時間が、実は結構好きだ。可愛くて、ほんの少しくすぐったい。
ふわふわと寝癖がついた髪を指で梳かすように撫でれば、大きな目が気持ち良さそうに細まる。思わず「かわいい」と呟いて鼻の頭にキスをすると、眠たげにぼんやりしていた顔が、たちまち柔らかい笑顔になった。赤ちゃんみたい……と思ったのは、本人が嫌がりそうなので言わないでおく。
「こういちさん、お仕事は……?」
「ん、今日はお休み。拓海は?講義ないの」
「午後から……ちょっとだけ」
「そう」
出会ってから約四年。互いの身体を繋げて、こうして朝を共にするようになったのは、案外最近のこと。
俺は夢だったアパレル関係の会社に勤め、拓海は無事大学生になった。
***
「あれ、今日はタクちゃん一緒じゃないの」
「午後から講義があるらしくて。さっき帰りました」
「ああ、そういうコト」
拓海が俺の家で寝泊まりする頻度はかなり高いものの、特に同棲をしているとかいう訳ではない。長くてもせいぜい三泊程度で、帰りは俺が車で送るか、仕事で時間が合わない時は拓海一人で電車か何かに乗るか。今は不便かもしれないけれど、決して急かすようなことはしたくない。
「今日は車?」
「歩きです。お任せしても良いですか?」
「もちろん。ちょっと待ってな」
今日は昼過ぎから飲むつもりで来た。長くなる事を察したのか、ハル先輩は何かを取りにバックヤードの方へと入って行った。
「……えぇっと。強いのは得意だったっけ?」
「特別強いって訳でもないですけど、平気です」
「なるほどね」
カウンターに戻ってきた先輩は、グラスに氷を数個落とし、そこに透き通った液体を注いだ。続いて出てきた緑色のボトルは、ラベルが見えにくいけれど、多分ライムジュースだろう。
「はいコレ。本当は夏がシーズンなんだけどね」
予想通り、カウンター越しに手渡されたのはくし型のライムが添えられたジンライムだった。飲んだことはないものの、比較的度数の強いカクテルだという事は知っている。一気飲みは趣味じゃないから、話しながら少しずつ飲めるようなものは嬉しい。
添えられたライムを軽く絞ったところで、ふとある事が頭に浮かんだ。
「ありがとうございます……あの、カクテル言葉とかって気にしてますか?」
「おっ、さっすが紘一。知ってた?」
「まぁ一応……冷やかされてるのかと」
「あはは!ごめんごめん」
そんなつもりはなかったんだけど、と笑う先輩の髪は、今日も店の照明を反射してキラキラと輝いている。肩甲骨を少し過ぎた辺りまで伸びているその金髪は、紛れもない先輩の地毛だ。
今ではすっかりこの見た目が定着しているみたいだけれど、俺はこの人の髪が黒く、そして今よりもずっと短かった頃を知っている。
「あぁ、確かに強いですね」
「まーね。可愛いタクちゃんのダーリンには相応しいんじゃないかと思ってさ」
「光栄です」
思えば、俺の恋はこの人のおかげで始まり、この人のおかげで実ったようなものだった。
キューピッド、と呼ぶには、少し図太過ぎるような気もするけれど。
***
北村春之。彼と初めて出会ったのは、高校一年の時に成り行きで入った図書委員会でのことだった。
「キミ、たしか陸部の一年だよね。本好きなの?」
第一印象は、フレンドリーなイケメン。当時あまり社交的な訳でもなかった俺は、初対面にも関わらず爽やかな笑顔を見せる彼に、内心ほんの少しびびっていた。ネクタイの色が三年生を示す緑色だった事も、その原因だろう。
「いや、特に好きって訳ではなくて、成り行きで……」
「そう。割と楽しいから、多分ハマるよ」
キミ、背高いし、重宝されそう。
そう言って微笑んだ彼は、やがて「バー・かもめ」という自分の店を持ち、「今日からアタシはハルだ」と宣言することになるのだが、それはまた先のお話。
北村先輩と俺が親しくなるまで、あまり時間は要さなかった。先輩のコミュ力がお化けだったからだ。
「見て見て、この本の作者の名前。オレと一文字違いとかウケる」
「あー、テストね。オレ教えんの苦手だけど、なんかあったら言いな」
「来月大会あるでしょ?見に行ったげるから、絶対ベストスリー入んだよ」
今よりも若干テンションが高く、一人称こそ「オレ」だったものの、当時の彼の口調は現在とさほど変わっていない。
出会ってから数ヶ月が経ち、先輩の大学受験諸々で会う機会も減っていた時期。俺には好きな人が居た。
相手は同学年の、言ってしまえばただの男友達。毎日そばで笑っていて、その優しさと純粋さに、いつの間にか惹かれていた。自身がゲイだと気付いたのはそれよりも少し前、中二の頃のことだったりする。
「へぇ、そうなの」
息抜きに、と休日に二人で映画を見に行った時。この人ならきっと、という俺なりの勘みたいなもので、勢いに任せて恋愛相談をした。
シンプルすぎるとも言えるその反応は、予想通りのようで、予想通りではなかった。真っ向から否定はされなくとも、さすがに少しは驚かれたり、引かれたりすると思っていたのに。
この人はいかにもそれが当然のように、行き先が少し変わっている俺の恋心を「普通」として捉えていた。
「……驚かない、ですか」
「ん?別に」
俺の声が若干震えているのに対し、先輩はけろりとしたトーンで言った。
「オレにとっては、誰がどんな性の人を好きになろうとどうだっていいし。話はいくらでも聞くけどね」
それを聞いた瞬間、自分の頬に涙が伝うのを感じた。
ずっと、こんな言葉を求めていた。家族にはガッカリされて、とても他人には打ち明けられなくて、十代の青年一人では抱えきれないほどの想いを、この人はこんなにも簡単に。
「どうだっていい」という言い方は、人によっては少し冷たく感じられるかも知れない。だけど、俺にとってはそれが心地よかった。恋愛対象を理由に特別扱いされないことが、当時の俺を何よりも安心させていた。
「ありがとうございます……ぅ、すみません」
「やだ、なに泣いてんの」
一応補足しておくと、それから約半年後、俺の淡い恋心は見事に打ち砕かれることになる。理由は簡単、想いを寄せていた彼に恋人が出来たからだ。それももちろん女性の。
「進藤!俺ね、彼女出来たんだ」
と、嬉しそうに報告してくれた彼の笑顔とは反対に、俺の気持ちはそれ以来しばらく沈んだ。でも、純粋に友人として接してくれている相手を困らせたくはなかったので、告白はしないという決意は最後まで貫くつもりだった。
「ほれ、綺麗な顔が台無しになるでしょ。くよくよしててもしょうがない」
やっぱり、北村先輩は頼もしい。
何か悩みや迷いがあった時、俺が縋るのは決まって先輩だった。俺の持つ感覚に理解を示してくれなかった両親や、年の離れた妹よりも、信頼出来て話しやすかったというのが正直なところ。
俺の方こそ敬語で話しているものの、俺と先輩との関係は、ほとんど親友に近いものだったように思う。それはもちろん、彼の生き方が大きく変化した今でも同じだ。
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