スイッチが入るなんて聞いてない!

さびゆび

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14.★素直なせいで

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「お邪魔します……」
「はーい」

 「紘一さんのお家に行きたいです」というメッセージを送るかどうか、実のところかなり迷った。先週は帰る時にあんな事があったから、余計に。

 今までよりもずっと深いキスをしたあの日から、僕は少し変になってしまったみたいだった。感覚的には、ハルさんに「準備が出来たんだよ」と言われたあの時の感じと似ている。紘一さんの事を考えると、心臓がずーっとドキドキして落ち着かない。今すぐ会いたいな、とも思うし、いざ会ったら大変な事になりそうだからダメだな、とも思う。
 その原因が「キスをした」っていう事だけじゃないのはなんとなく分かっていて、だからこそひどく混乱した。
 あの時の紘一さんの声や視線が、今でも脳に濃く残っている。まるで別のスイッチが押されたみたいに、意地悪で強引になった紘一さんが。
 
 正直、「家に行きたい」という言葉の中に下心がなかったと言えば嘘になると思う。またあんな風にされないかな、なんて望んでしまっている自分が居るのは、もうとっくに分かってる。

「あ、それこないだの……」
「そうそう。意外と着心地良くてさ、気に入っちゃった」
「似合ってます……カッコいい」
「ふ、ありがとう」

 ふんわりと微笑む紘一さん。もちろん普段通りの優しい表情だ。古着屋さんで買ったばかりのビンテージのスウェットは、紘一さんのスマートな体型によく似合っていた。「次のデートで着てくるね」という約束を守ってくれた事が嬉しくもあるし、せっかくの新しい服なのにお家デートが良いだなんてわがままを言った事が申し訳なくもある。紘一さんは優しいから、そんなの気にしないでって感じなんだろうけど……。

「拓海は緑茶って飲めるっけ?」
「……あっ、うん。好きです」

 ぼーっと考えていた中、紘一さんの声でハッとする。紘一さんはいつの間にかキッチンに移動して、お茶を用意してくれているみたいだった。

「涼しくなってきたし、氷は入れないでおこっか。はい」
「あ、ありがとうございます」

 手のひらにコップの結露が触れて気持ち良い。その場でこくんと一口飲むと、心臓のドキドキが少しだけマシになったような気がした。 

「こっちおいで」

 同じくコップを片手にした紘一さんに促されて、ソファに横並びで座る。そういえば、前お家にお邪魔した時はここに押し倒されたんだよな……なんて事を思い出してしまって、思わず持っていたコップを両手でぎゅっと握った。
 そんな不自然な仕草が目に留まったのか、不意に紘一さんの手のひらがそっと肩に置かれる感覚がした。

「緊張してる?家来るの久しぶりだもんね」
「うん、少しだけ……」
「ふふ、そっか。テレビでもつける?」
「あ、いや……僕は大丈夫、です」
「そう」

 見たくなったら言いなよ、と微笑んでから、紘一さんはまた正面を向いた。そして何気なく緑茶を口にした時、僕は何故かその上下する喉仏に釘付けになった。ごくり、ごくりと、飲み込む度に。今まで気にした事もなかったけれど、紘一さんはこういう所の作りが僕よりもずっと男らしい。どこか野生的なその見た目が新鮮で、つい夢中になって見つめてしまう。

「拓海?」
「……えっ?あ、ごめんなさい、えと……」

 正面を見ていたはずの紘一さんとふと視線がぶつかって、慌てて顔を逸らす。バレた、バレてしまった。そりゃ、あんなにじーっと見られていれば気になるのも当然だ。でも、何だかすっごく恥ずかしい。ただ飲み物を飲んでいるだけの自然な光景に、あそこまで興奮してしまった自分が。前まではこんなじゃなかったはずなのに、一体どうしたんだろう、僕。

「大丈夫?さっきからぼーっとしてるけど、体調悪い?」
「え、いや……」

 「何でそんなに見るの?」みたいな事を聞かれるかと思っていたから、思わぬ言葉に少しだけ拍子抜けしてしまった。さっきからぼーっとしているのは多分、他ならぬ紘一さんと一緒に居るからで。というか、そのせいで僕が勝手に変な事ばっかり考えちゃっているからで。口調からして僕が紘一さんの喉に夢中になっていた事はバレていないみたいだけれど、内心は居た堪れない気持ちでいっぱいだった。

「顔赤い気もするし。しんどかったら寝てて良いよ?」

 紘一さんらしい、あまりにも優しい言葉。僕を本気で心配してかけてくれているはずのものなのに、僕は素直に受け取ることが出来ずに居た。
 頭に浮かぶのは、ここで押し倒された時や、車のなかでキスをされた時の紘一さん。今はこんなに優しく僕の事を気遣ってくれているのに、あの時は何故だか強引で意地悪で、そしていやらしくもあった。目の前の紘一さんと記憶の中の紘一さんが重なって、鎮まったはずのドキドキがまたひどくなる。

 体調なんてちっとも悪くないのに、心配かけてごめんなさい。せっかくのデートなのに、変な事ばっかり考えちゃってごめんなさい。
 でもやっぱり、またあの時みたいな紘一さんを感じたい、という気持ちが勝ってしまって、ほとんど勢いで紘一さんの唇にキスをしていた。

「ん、」

 不意を突かれた紘一さんから小さな声が漏れる。それだけで、僕の心臓のドキドキはもっと大きくなった。
 少ししてからそっと唇を離すと、紘一さんは驚いたような怒ったような複雑な表情で僕を見ていた。
 やっぱり嫌だったかな、ダメだったかな、なんて不安が滲み始めたのも無視して口を開く。

「えっと……その、僕、ずっとこうしたくて。さっきからぼーっとしてたのも、そのせいで」

 目を合わせられない。紘一さんは多分ずっと僕を見ているんだろうけど、ただでさえ声が震えている今、またあの目を見ると、何だか意味もなく泣いてしまいそうで。

「だから、大丈夫です」

 最後の方はギリギリ聞こえないくらいの声量になってしまった気がするけど、何とか言い切った。俯きながらほっと息を吐く。自分から言い出したとは言っても恥ずかしいものは恥ずかしくて、呆れられたりしたらどうしよう……なんて思った、その時。
 紘一さんと目が合った。さっきとはまるで別人みたいに、欲に濡れたその目と。それから一瞬だけ遅れて、紘一さんの指先で顎をぐっと持ち上げられている事に気が付いた。

「……知らないよ?本当に」

 ぼそりと落とされた低い声。その言葉の意味を理解するが早いか、紘一さんの唇で口を塞がれた。すごく勢いがあるように感じたのに、その感触は柔らかくて優しい。思わずうっとりとしていると、ほんの少し前に知った、あの感覚が襲う。

「んっ、ふ……」

 心なしか、この間された時よりも舌の動きがゆっくりのような気がした。まるで味わうように絡められて、だらしなく自分の舌を差し出すだけで精一杯になる。

 止める気力もないまま、紘一さんのスウェットを掴んでしばらく経っても、互いの唇は離れなかった。前よりも明らかに長い触れ合いに熱が集中し始めたのが分かる。でもこうしてキスしてもらえたのが何よりも嬉しくて、拒否したいという気持ちは湧いてこない。

「はあ……」
 
 ようやく解放された口から漏れた吐息は、自分でもひどく甘ったるく感じた。
 ぼんやりとした頭で紘一さんの手に緩く頬擦りをしながら、何気なく下へと視線を落とす。

 なんとなく分かってはいた。やっぱり身体は正直だ。慣れない感覚に反応してしまったそこを反射的に手のひらで覆い隠そうとした、けれど、その手は紘一さんによってパシリと捕まえられてしまった。
 驚いて見上げると、まだ熱を持っているような紘一さんと視線が交わる。

「隠しちゃだめ。ほら」

 普段よりも強い言い方。掴まれた手はそのまま紘一さんの身体の方へと誘導されて、あろうことかその下腹部にそっと当てられた。

 触れる硬さに、息を呑むほど驚いた。正直なのは彼も同じだったんだ。あまりの驚きとその感触に思わず手を離してしまいそうになるけれど、不快感はない。

「……怖い?」

 ふるふると首を横に振る。
 紘一さんは少し俯いて、何かを考えるように息を吐いた後、いつものように落ち着いた声で言った。

「一緒に、しよっか」
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