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Ωなんかじゃない
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黎がドアを開けると、門の前に幸真が背中を向けて立っていた。
「今日は、髪の」
黎は言いかけて、口を閉じた。
幸真は、いつも髪をセットするのに時間がかかって、黎が家を出た時に、門の前で待っていることなんて、ほとんどなかった。それが今日は、門の前にいるなんて、髪のセットが上手くいったのか、言いかけて、髪がセットされていないことに、黎は気付いた。
黎はドアを閉め、カギをかけた。歩いて行って、門の鍵を開け、引き開けた。幸真が振り返る。
「黎、ゴミ出し、忘れてる!」
黎の母が追いかけて、ゴミ袋を持って出て来た。幸真に気付いて、あいさつする。
「おはよう、幸真くん」
あいさつに応えず、幸真は言った。
「うちのババア、頭、おかしくなっちゃった」
「朝から、お母さんとケンカした?」
黎が触れずにいようと思っていたところに、母は笑って、ずかずか、踏み込む。幸真がギャアギャア、お母さんの悪口を言い出して、遅刻するのもばかばかしすぎるので、黎は言った。
「行こう、幸真」
「俺がΩだって言うんだぜ。頭、おかしいよ」
「忘れ物した」
黎は言って、幸真の腕に腕を掛けて引っ張り、ゴミ袋を持った母の顔を見ないようにうつむいて、横を通り過ぎ、家に入った。
黎がドアを閉めた玄関で、幸真は自分の腕に掛けられた黎の腕を振り払う。
「忘れ物取りに、何で俺まで付き合わされるんだよ?」
「いいから。来い」
黎は革靴を脱ぎ、上がって、スリッパを履く。
「何だよ、もう」
幸真は、スニーカーの靴紐を解いて、上がる。スリッパを履かず、靴下のままで幸真は、廊下を歩き出す黎の後ろを付いて行きながら、言った。
「俺がΩなわけねえじゃん。両親、βだぜ。Ωなんて生まれねえっつの」
――母親にも同じことを言った。
「戦前は、日本にバース検査がなかったから、お父さんとお母さん両方の、ひいおじいちゃんか、ひいおばあちゃんに、Ωがいて、あなたがΩになったんじゃないかって…」
「中学の入学の前に、検査したじゃん!俺、βだったじゃん!」
「それは……」
母親は幸真の腕を掴んでいた手を離し、自分の顔を両手で覆った。くぐもった泣き声で言う。
「あなたが検査でΩだってわかって、お父さんもお母さんも、大学に呼ばれたの。北藤先生もいらっしゃった。北藤先生が、発情期が起きるまでは、時間があるからって…それまでは、あなたにピアノを続けさせたいって……だから、検査結果をβに」
北藤先生――おじいちゃん先生のことだ。
「発情期なんて起きねえよ!俺はβなんだから!」
「発情期が起きるのを遅らせるために、抑制剤を毎日欠かさず、飲ませて来たのに…」
幸真の喉元に、吐き気が込み上げた。毎日、朝メシの後に飲まされてる謎の白いサプリ3粒。
「黎くんは、αなのね…」
「何で黎の話になるんだよ?黎は関係ねえよ!」
「お母さんはβだから、わからない。あなた、匂い始めてるのね、Ωのフェロモンが。きっと、もうじき発情期が」
幸真は部屋を飛び出し、家を飛び出し、駆けて行った。こわい顔をして母親が追いかけて来るんじゃないかと、黎の家の門の前、自分の家の方の道を見て、立っていた。
「ねえ、黎。俺、臭い?Ωの臭い、する?」
幸真が聞いても、黎は答えず、レッスン室へ入って行った。幸真も入る。
「何?忘れ物って、楽譜?」
黎はドアのカギをかけ、幸真の方を向いた。黎は、こわい顔をしていた。
「そういうこと、お袋の前で言わないで」
黎は、母に「誰にも言わないでね」と言われていたことを、幸真に言った。
「お袋はΩなんだ。だから、ピアニストになるのをあきらめて、音楽の先生になった」
幸真は奥歯を噛み締める。泣きたくなかった。泣けば、まるで自分がΩだと認めてしまったみたいだった。泣く必要なんかない。だって俺は、βなんだから。
審査にΩのフェロモンが影響を与えることを否定できないとして、クラシック音楽のあらゆるコンクールは一切、Ωのエントリーを許可していなかった。
「今日は、髪の」
黎は言いかけて、口を閉じた。
幸真は、いつも髪をセットするのに時間がかかって、黎が家を出た時に、門の前で待っていることなんて、ほとんどなかった。それが今日は、門の前にいるなんて、髪のセットが上手くいったのか、言いかけて、髪がセットされていないことに、黎は気付いた。
黎はドアを閉め、カギをかけた。歩いて行って、門の鍵を開け、引き開けた。幸真が振り返る。
「黎、ゴミ出し、忘れてる!」
黎の母が追いかけて、ゴミ袋を持って出て来た。幸真に気付いて、あいさつする。
「おはよう、幸真くん」
あいさつに応えず、幸真は言った。
「うちのババア、頭、おかしくなっちゃった」
「朝から、お母さんとケンカした?」
黎が触れずにいようと思っていたところに、母は笑って、ずかずか、踏み込む。幸真がギャアギャア、お母さんの悪口を言い出して、遅刻するのもばかばかしすぎるので、黎は言った。
「行こう、幸真」
「俺がΩだって言うんだぜ。頭、おかしいよ」
「忘れ物した」
黎は言って、幸真の腕に腕を掛けて引っ張り、ゴミ袋を持った母の顔を見ないようにうつむいて、横を通り過ぎ、家に入った。
黎がドアを閉めた玄関で、幸真は自分の腕に掛けられた黎の腕を振り払う。
「忘れ物取りに、何で俺まで付き合わされるんだよ?」
「いいから。来い」
黎は革靴を脱ぎ、上がって、スリッパを履く。
「何だよ、もう」
幸真は、スニーカーの靴紐を解いて、上がる。スリッパを履かず、靴下のままで幸真は、廊下を歩き出す黎の後ろを付いて行きながら、言った。
「俺がΩなわけねえじゃん。両親、βだぜ。Ωなんて生まれねえっつの」
――母親にも同じことを言った。
「戦前は、日本にバース検査がなかったから、お父さんとお母さん両方の、ひいおじいちゃんか、ひいおばあちゃんに、Ωがいて、あなたがΩになったんじゃないかって…」
「中学の入学の前に、検査したじゃん!俺、βだったじゃん!」
「それは……」
母親は幸真の腕を掴んでいた手を離し、自分の顔を両手で覆った。くぐもった泣き声で言う。
「あなたが検査でΩだってわかって、お父さんもお母さんも、大学に呼ばれたの。北藤先生もいらっしゃった。北藤先生が、発情期が起きるまでは、時間があるからって…それまでは、あなたにピアノを続けさせたいって……だから、検査結果をβに」
北藤先生――おじいちゃん先生のことだ。
「発情期なんて起きねえよ!俺はβなんだから!」
「発情期が起きるのを遅らせるために、抑制剤を毎日欠かさず、飲ませて来たのに…」
幸真の喉元に、吐き気が込み上げた。毎日、朝メシの後に飲まされてる謎の白いサプリ3粒。
「黎くんは、αなのね…」
「何で黎の話になるんだよ?黎は関係ねえよ!」
「お母さんはβだから、わからない。あなた、匂い始めてるのね、Ωのフェロモンが。きっと、もうじき発情期が」
幸真は部屋を飛び出し、家を飛び出し、駆けて行った。こわい顔をして母親が追いかけて来るんじゃないかと、黎の家の門の前、自分の家の方の道を見て、立っていた。
「ねえ、黎。俺、臭い?Ωの臭い、する?」
幸真が聞いても、黎は答えず、レッスン室へ入って行った。幸真も入る。
「何?忘れ物って、楽譜?」
黎はドアのカギをかけ、幸真の方を向いた。黎は、こわい顔をしていた。
「そういうこと、お袋の前で言わないで」
黎は、母に「誰にも言わないでね」と言われていたことを、幸真に言った。
「お袋はΩなんだ。だから、ピアニストになるのをあきらめて、音楽の先生になった」
幸真は奥歯を噛み締める。泣きたくなかった。泣けば、まるで自分がΩだと認めてしまったみたいだった。泣く必要なんかない。だって俺は、βなんだから。
審査にΩのフェロモンが影響を与えることを否定できないとして、クラシック音楽のあらゆるコンクールは一切、Ωのエントリーを許可していなかった。
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