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第一話 忠犬×うそつき
初めての発情
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輝葉は、金貸しの息子・舜と婚約した。
博打で大負けして、友人である舜に金を借り、代償として店を渡すか、輝葉を差し出すかを迫られていると、兄の輝樹は両親と輝葉の前で土下座して、顔も上げられず、声を震わせて言った。
輝葉は自分を差し出すことを選んだ。
「店なんかどうでもいい。また一から始めればいい」
父も母も言ったが、輝葉は首を横に振った。
「店で働く人たちはどうなるんですか。贔屓にして下さるお客様は?店の主が変わってしまえば、店も変わってしまうでしょう」
かっこつけてはみたものの、だいじょうぶだ、勃起はする、射精もする、性行為もできるはずだ、発情期がなくてもヤることはヤれる、でもαに発情期じゃないことバレないか?バレるだろ。発情期に性行為して、うなじを噛まれなきゃ、番になれないんだよな?うなじを噛まれても番になってないことって、αにバレんの?
わからないことだらけで、誰にも聞けないことばかりだった。兄の借金のことも、代償に金貸しの息子に婿入りすることも、誰にも話せなかった。紫陽にもさえも。こんな最中に、芙雪が発情期で休み始めた。輝葉も休まねばならなかった。
婚約しても、婚前交渉をすることは、はしたないことだった。しかし、婚約すれば、婚約者と性的な行為をするのが普通だった。
「まだ婚約したばかりなので」
輝葉は親に言って、発情期が来たことは舜に知らせないようにお願いした。息子がかわいそうで、親は決して知らせないと約束した。
婚約が決まると、紫陽は輝葉の部屋の外で寝ようとしたが、
「寝坊助の護衛が部屋の外にいて、部屋の中で主が襲われているのに気付けるか?」
輝葉はそう言って、許さなかった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
輝葉は目を閉じる。目を閉じないと、紫陽はいつまでも寝台の横に立って、輝葉を見下ろしているのだ、何も言わず。
目を閉じた暗闇の中、紫陽が小卓の燈火を消して、寝台の逆の端に上がって布団に入る音を聞く。
紫陽は性的な行為をしようともしなかった。
当たり前だ。もう発情期のふりに付き合う必要もない。紫陽は清々していることだろう。
性的な行為をしている時、いつも輝葉は寝台の天蓋を見上げている。もし、横を見て、紫陽の寝巻が平坦なまま、勃起していないのを見たら、屈辱で死ねると思う。発情期も来ないΩの陰茎を愛撫して、勃起なんかするわけがないとわかっていても。
輝葉の閉じた瞳の端から涙があふれた。唇を噛み締め、泣き声を押し殺す。紫陽に泣いていることを気付かれたら、屈辱で死ねる。泣き声を上げたって、寝坊助が起きるわけがないとわかっていても。
輝葉が目が覚ますと、紫陽に抱き締められていた。――時々、枕とかんちがいして抱き締めていることがある。
布団の中を覗き込まなくても、褌に包まれた紫陽の朝勃ちが寝乱れた寝巻の合わせから輝葉の腿に当たっているのがわかる。
寝坊助は、すうすう、こちらが眠りに誘われてしまいそうな気持のいい寝息を立てて、起きる気配もない。
ふっと思う。
褌から引き出して、直に触ってやったら、どんな顔して、飛び起きるだろう。
ぐううううううう
紫陽が自分の腹の虫の鳴き声に目を開けた。
「お腹空いた…」
「腹時計で目が覚めるのは、お前だけだよ!」
紫陽に食事を取りに行かせて、輝葉は寝台に寝ている。寝ていると、二度寝してしまうと思って、枕から頭を上げると、扉が開いて、飛び起きた。
紫陽ではなかった。白いほっそりした顔。髪油で撫で付けた艶々した黒髪。細い目。すっと通った鼻筋。色の薄い唇。白い上衣に釣紐の黒い洋袴。
舜だった。自分の許婚だった。
「どっどどどどうして?!」
「発情期のお相手をするのは、許婚の務めだろう」
輝葉は掛け布団をかき集め、抱き締めて後退りする。
「ぼくが発情期って、誰が?!」
「輝樹から聞いた」
輝葉は兄に、自分の発情期のことを口止めはしていない。でも、親が言ってくれたはずだ。いや、言ってないのか?
後退りを続けて輝葉は、寝台の断崖から落ちかけ、止まる。
寝台の側まで来て舜が、すんっと鼻を鳴らした。
「発情期にしては、色香が薄いな」
だって本当は発情期じゃないから!発情も起きたことないから!
「昨夜、番犬に舐められまくって、性欲処理してもらったせいか?」
「そんなこと」
輝葉は言いかけて口をつぐみ、うつむく。そんなことされてない。触れてもらってもいない。
「やっぱり金で買うような男には触られたくないか」
舜が言った。輝葉は顔を上げ、こくこく、うなずく。そうだ!そういうことにしておこう!
「そうだよ!汚らわしい!」
輝葉が叫ぶと、舜は、にやりと唇の端を上げた。しまった!言い過ぎた!舜が寝台に上がって来る。逃げたくても輝葉の後ろは断崖、寝台を下りて部屋から逃げ出しても、確実に追いつかれる自信があった。輝葉は足が遅かった。廊下で犯されるくらいなら、まだ部屋の中での方が
舜が輝葉の前に胡坐をかいた。髪油と煙草の臭いが輝葉の鼻をつく。
「俺が買ったんじゃない。お前の兄貴が売ったんだよ」
「何を言って……」
「お前の兄貴は、博打にわざと負けて、借金を作った。最初からお前を借金の代償に差し出すつもりでな」
「何言ってるんだよ?」
「お前を家から追い出したいんだよ。それもお前にとって最も屈辱的なかたちで」
輝葉は「屈辱」という言葉に、両親と自分の前で土下座して、顔も上げられず、声を震わせて謝る兄を思い出す。輝葉は言った。
「『屈辱』なのは、兄上の方じゃないか。ぼくの前で土下座したんだよ。顔も上げられなくて、声も震えてた」
「はっ」
舜は嘲りの声を上げた。
「お前を家から追い出せるのが、うれしくて、顔も上げられないほど、声が震えちまうほど、笑いをこらえられなかったんじゃないか?」
「そんなこと……」
「兄貴は、お前が嫌いなんだよ」
兄に嫌われていることは――わかっていた。自分だって、内心、商売が上手ではない兄をバカにしてた。兄弟ゲンカなんて、ありふれている。取り合う物があるならば、なおさら。だけど、この兄弟ゲンカの勝敗は決まりきっている。ぼくはΩで、この家を出て行くから、店は兄上の物になる。兄上がわざわざ、ぼくを追い出す必要なんかない。
「兄貴がお前のことを外で何て言っているか、教えてやる」
「……………………」
「外面がいいだけで、人を見下して、客は金ヅル、店員は奴隷と思っている」
「そんなこと思ってない!」
「お前が思ってないとしても。お前の近くにいる兄が言えば、真実に聞こえる。――縁談を断られ続けてただろ?」
「断られてなんかない!」
輝葉は否定する。けれど、父が言っていた「見合い話が進まん」という言葉を思い出してしまう。本当に兄上がウソを言いふらしているのか?
「店で働くお前を見れば、そんなこと、ウソだとすぐわかるのにな」
舜は輝葉を抱き締め、うなじに熱い舌を這わせる。
「俺が愛してやる」
「やだ!」
輝葉は叫び、舜を両手で押しのけ、寝台を下りて逃げ出した。扉に向かって走る足に寝巻がまとわりつき、無様に絨毯の上、転んでしまう。舜は笑い、寝台を下りる。
「落ち着けよ。婚前交渉するつもりはねえよ」
そんな言葉にだまされるものか!立ち上がって逃げなきゃと思うのに、足がもつれる。扉が遥か彼方にあるように遠く遠く見えた。
舜に寝巻を掴まれる。――昨夜、性的な行為をすると思って、寝巻の下には何も着けていない!――じたばた、輝葉は無様に四つん這いで逃げようとして、帯一本で結んだだけの寝巻は、たやすく剥がされて、背中から抱き締められる。
「落ち着けって」
「やだ!やだ!やだ!やだ!」
部屋の扉が大きく開いた。輝葉は叫んだ。
「紫陽!」
憤怒の表情を、現実に輝葉は初めて見た。寺の仏像や仏画では見たことがある。両眼が燃え上がり、眉間は皺で盛り上がり、鼻の穴は広がり、開いた口は炎を吐くように赤黒い。
輝葉は肉体を焼き尽くされるような熱を感じた。
発情だ。
紫陽は輝葉を抱き締める舜を引き剥がすと、腹を殴り付けた。舜は「うっ」と呻いて、仰向けに絨毯の上、ひっくり返った。白目を剥いて動かない。輝葉は声を上げる。
「殺した?!」
「気を失っているだけです」
紫陽は答えると、輝葉を抱き寄せ、うなじを見た。――噛み跡はない。けれど、匂い立つ他のαの唾液。紫陽は犬のように舌を出し、輝葉のうなじを舐めた。
「汚い!」
叫ぶ輝葉に押しのけられて、紫陽は我に返り、絨毯の上、土下座した。
「申し訳ありません」
「お前に触られたくない。他の男に抱き締められて発情した、こんな、汚い体に!」
輝葉は剥がされた寝巻をかき合わせて体を震わせる。なのに、勃起しているΩの体が恥ずかしかった。紫陽の前で泣きたくなんかないのに、両目から勝手に涙がいっぱい出て来る。
紫陽は怒りに満ち満ちた両眼で、ひっくり返っている男を見る。そして、ようやく気付いた。自分が殴り倒したのが、輝葉の許婚だということに。紫陽の両眼から怒りが消え失せた。
「舜様が、輝葉様の運命の番だったんですね」
紫陽は正座して、両手をつき、頭を下げた。
「お慶び申し上げます」
「やだやだやだやだ」
紫陽は顔を上げた。輝葉が子どもの頃にも見せなかったことのないぐしゃぐしゃの泣き顔でぐずる。紫陽は困る。
「輝葉様は初めての発情で混乱しているだけです。しばらくすれば、舜様がお気付きになられます。そうしたら、」
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
「――……わかりました。今日はお引き取りいただきましょう」
紫陽は乱れた輝葉の寝巻を直し、勃起している陰茎を見てしまって、目を逸らした。紫陽は舜の体を肩に抱え上げる。立ち上がる紫陽の寝巻の裾を、輝葉は掴む。
「行かないで」
泣く輝葉を見下ろし、紫陽は不器用に笑いかけた。
「誰かに預けて、すぐ戻って来ます」
輝葉は、こくんとうなずく。紫陽が部屋を出て行ってしまう。涙が止まらない。体が熱い。
紫陽は、おにぎりと抑制剤と白湯を入れた茶碗を盆に載せて持って来た。紫陽は寝台の側の小卓に盆を置くと、ぐちゃぐちゃになっている寝台を整え、戻って、絨毯に座り込んで泣き続ける輝葉の前に正座した。
「輝葉様、少しでいいですから食べて、抑制剤を飲んで、お休み下さい」
「いらない」
輝葉は首を横に振る。
「おにぎりは輝葉様の大好きな梅おかかです」
「そういうことじゃない~~~」
涙がますます出て来る。
「わかったんだ……どうして、ぼくの体が、発情しなかったのか」
しゃくりあげながら、輝葉は止まらない涙を手の甲でこする。
「紫陽、お前が、ぼくに、発情してなかったからだ!」
紫陽は何も答えない。悲しくて悲しくて輝葉は泣き続ける。紫陽は息を吸い込んで、吐いて、また吸って、吐いて、吸って、やっと言葉を吐き出した。
「あなたにそんな感情を抱くことはできません」
「そんなにぼくは、お前にとって魅力がないか。ぼくは番犬の、ただの飼い主なのか」
「初めて会った日、あなたが俺を守ってくれたように、俺はあなたを護りたい。ただそれだけです」
輝葉は正座する紫陽にまたがり、抱き締める。濡れている菊門で触れた紫陽の寝巻の中、褌に押さえつけられた陰茎は熱くて硬い。輝葉は笑った。
「そんなこと言って、勃起してるじゃないか」
「これはΩの色香にαの体が反応しているだけです。っうぐっ」
輝葉は唇を紫陽の唇に押し付け、割り開こうと、舌を這わせる。けれど、かたくなに紫陽は唇を固く強張らせて開かない。なのに、紫陽の手は輝葉の寝巻の合わせを割り開く。
「ぃやぁうんっ」
輝葉は声を上げる。紫陽の手が輝葉の勃起した陰茎を握り締める。いつもよりキツく握り締めて、いつもより速く手を動かす。溶け出すように輝葉の陰茎の先端から熱い雫が垂れる。
「あああああああああああああああ」
いつもなら上げなければいけない声が、勝手に口からこぼれる。
ぐゅちゅぐゅちゅぐゅちゅぐゅちゅ、自分の陰茎と紫陽の手が擦れ合う音が響く。
輝葉は強請る。
「挿入れて、紫陽、挿入れてっ」
「できません」
紫陽は拒む。寝巻の中、褌を突き破って、もう輝葉の菊門を貫通しそうなほど勃起してるのに。右手は輝葉の陰茎を激しく愛撫しながら、左腕は強く輝葉を抱き締めているのに。
「あああっ」
「ぅぐぅ、ぁっ、ん、ふ」
声を上げ、背を反らして輝葉は射精した。同時に低く呻いて紫陽も。輝葉の噴き上がる精は紫陽の寝巻を汚した。輝葉の濡れた菊門の下、寝巻の中、褌の内で紫陽の陰茎は震えながら精を吐き出している。吸い付くように輝葉の菊門は喘ぐ。
「輝葉様、どうか幸せになって下さい」
ぎゅっと抱き締めると、紫陽は輝葉を抱えたまま立ち上がり、寝台に寝かせる。小卓の引き出しから手拭を出すと、輝葉の陰茎を清める。寝巻を直し、布団を掛けた。
「最後にひとつ、輝葉様にお詫びしなければいけないことがあります」
「『最後』なんて言うな…」
「いつも、あなたを愛撫した後、あなたの精が付いた手拭を使って自慰をしていました」
「――『想いを秘めていた』というより、お前、ムッツリ助兵衛だったんだな…」
「今も、こらえきれず、あなたの菊門の下で射精してしまいました」
「わかってるから」
「ええええっ」
紫陽の絶望の表情を見て、輝葉は笑った。
「切腹しなくていいからな、紫陽」
「他にどうやってお詫びをすれば……」
「紫陽」
「はい…」
「駆け落ちしよう」
「はいっ?!」
「考えてみたら、借金なんか兄上が自分で働いて返せばいいんだよ」
「借金?!」
「あ~。紫陽は知らないのか。兄上が博打で借金作って、その代償に、ぼく、金貸しの息子に婿に行くことになっちゃったんだよ」
「やっぱり殴り殺すんだった……」
「人殺しで解決するのは、徳川の世で終わってるから」
「………………」
「ぼくは駆け落ちする。お前が付いて来なかったら、一人じゃ駆け落ちにならないんだからな、紫陽……」
「はい」という返事を眠りに落ちる寸前、輝葉は聞いた――ような気がした。
夢の中で聞いただけだったかもしれない。
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輝葉は自分を差し出すことを選んだ。
「店なんかどうでもいい。また一から始めればいい」
父も母も言ったが、輝葉は首を横に振った。
「店で働く人たちはどうなるんですか。贔屓にして下さるお客様は?店の主が変わってしまえば、店も変わってしまうでしょう」
かっこつけてはみたものの、だいじょうぶだ、勃起はする、射精もする、性行為もできるはずだ、発情期がなくてもヤることはヤれる、でもαに発情期じゃないことバレないか?バレるだろ。発情期に性行為して、うなじを噛まれなきゃ、番になれないんだよな?うなじを噛まれても番になってないことって、αにバレんの?
わからないことだらけで、誰にも聞けないことばかりだった。兄の借金のことも、代償に金貸しの息子に婿入りすることも、誰にも話せなかった。紫陽にもさえも。こんな最中に、芙雪が発情期で休み始めた。輝葉も休まねばならなかった。
婚約しても、婚前交渉をすることは、はしたないことだった。しかし、婚約すれば、婚約者と性的な行為をするのが普通だった。
「まだ婚約したばかりなので」
輝葉は親に言って、発情期が来たことは舜に知らせないようにお願いした。息子がかわいそうで、親は決して知らせないと約束した。
婚約が決まると、紫陽は輝葉の部屋の外で寝ようとしたが、
「寝坊助の護衛が部屋の外にいて、部屋の中で主が襲われているのに気付けるか?」
輝葉はそう言って、許さなかった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
輝葉は目を閉じる。目を閉じないと、紫陽はいつまでも寝台の横に立って、輝葉を見下ろしているのだ、何も言わず。
目を閉じた暗闇の中、紫陽が小卓の燈火を消して、寝台の逆の端に上がって布団に入る音を聞く。
紫陽は性的な行為をしようともしなかった。
当たり前だ。もう発情期のふりに付き合う必要もない。紫陽は清々していることだろう。
性的な行為をしている時、いつも輝葉は寝台の天蓋を見上げている。もし、横を見て、紫陽の寝巻が平坦なまま、勃起していないのを見たら、屈辱で死ねると思う。発情期も来ないΩの陰茎を愛撫して、勃起なんかするわけがないとわかっていても。
輝葉の閉じた瞳の端から涙があふれた。唇を噛み締め、泣き声を押し殺す。紫陽に泣いていることを気付かれたら、屈辱で死ねる。泣き声を上げたって、寝坊助が起きるわけがないとわかっていても。
輝葉が目が覚ますと、紫陽に抱き締められていた。――時々、枕とかんちがいして抱き締めていることがある。
布団の中を覗き込まなくても、褌に包まれた紫陽の朝勃ちが寝乱れた寝巻の合わせから輝葉の腿に当たっているのがわかる。
寝坊助は、すうすう、こちらが眠りに誘われてしまいそうな気持のいい寝息を立てて、起きる気配もない。
ふっと思う。
褌から引き出して、直に触ってやったら、どんな顔して、飛び起きるだろう。
ぐううううううう
紫陽が自分の腹の虫の鳴き声に目を開けた。
「お腹空いた…」
「腹時計で目が覚めるのは、お前だけだよ!」
紫陽に食事を取りに行かせて、輝葉は寝台に寝ている。寝ていると、二度寝してしまうと思って、枕から頭を上げると、扉が開いて、飛び起きた。
紫陽ではなかった。白いほっそりした顔。髪油で撫で付けた艶々した黒髪。細い目。すっと通った鼻筋。色の薄い唇。白い上衣に釣紐の黒い洋袴。
舜だった。自分の許婚だった。
「どっどどどどうして?!」
「発情期のお相手をするのは、許婚の務めだろう」
輝葉は掛け布団をかき集め、抱き締めて後退りする。
「ぼくが発情期って、誰が?!」
「輝樹から聞いた」
輝葉は兄に、自分の発情期のことを口止めはしていない。でも、親が言ってくれたはずだ。いや、言ってないのか?
後退りを続けて輝葉は、寝台の断崖から落ちかけ、止まる。
寝台の側まで来て舜が、すんっと鼻を鳴らした。
「発情期にしては、色香が薄いな」
だって本当は発情期じゃないから!発情も起きたことないから!
「昨夜、番犬に舐められまくって、性欲処理してもらったせいか?」
「そんなこと」
輝葉は言いかけて口をつぐみ、うつむく。そんなことされてない。触れてもらってもいない。
「やっぱり金で買うような男には触られたくないか」
舜が言った。輝葉は顔を上げ、こくこく、うなずく。そうだ!そういうことにしておこう!
「そうだよ!汚らわしい!」
輝葉が叫ぶと、舜は、にやりと唇の端を上げた。しまった!言い過ぎた!舜が寝台に上がって来る。逃げたくても輝葉の後ろは断崖、寝台を下りて部屋から逃げ出しても、確実に追いつかれる自信があった。輝葉は足が遅かった。廊下で犯されるくらいなら、まだ部屋の中での方が
舜が輝葉の前に胡坐をかいた。髪油と煙草の臭いが輝葉の鼻をつく。
「俺が買ったんじゃない。お前の兄貴が売ったんだよ」
「何を言って……」
「お前の兄貴は、博打にわざと負けて、借金を作った。最初からお前を借金の代償に差し出すつもりでな」
「何言ってるんだよ?」
「お前を家から追い出したいんだよ。それもお前にとって最も屈辱的なかたちで」
輝葉は「屈辱」という言葉に、両親と自分の前で土下座して、顔も上げられず、声を震わせて謝る兄を思い出す。輝葉は言った。
「『屈辱』なのは、兄上の方じゃないか。ぼくの前で土下座したんだよ。顔も上げられなくて、声も震えてた」
「はっ」
舜は嘲りの声を上げた。
「お前を家から追い出せるのが、うれしくて、顔も上げられないほど、声が震えちまうほど、笑いをこらえられなかったんじゃないか?」
「そんなこと……」
「兄貴は、お前が嫌いなんだよ」
兄に嫌われていることは――わかっていた。自分だって、内心、商売が上手ではない兄をバカにしてた。兄弟ゲンカなんて、ありふれている。取り合う物があるならば、なおさら。だけど、この兄弟ゲンカの勝敗は決まりきっている。ぼくはΩで、この家を出て行くから、店は兄上の物になる。兄上がわざわざ、ぼくを追い出す必要なんかない。
「兄貴がお前のことを外で何て言っているか、教えてやる」
「……………………」
「外面がいいだけで、人を見下して、客は金ヅル、店員は奴隷と思っている」
「そんなこと思ってない!」
「お前が思ってないとしても。お前の近くにいる兄が言えば、真実に聞こえる。――縁談を断られ続けてただろ?」
「断られてなんかない!」
輝葉は否定する。けれど、父が言っていた「見合い話が進まん」という言葉を思い出してしまう。本当に兄上がウソを言いふらしているのか?
「店で働くお前を見れば、そんなこと、ウソだとすぐわかるのにな」
舜は輝葉を抱き締め、うなじに熱い舌を這わせる。
「俺が愛してやる」
「やだ!」
輝葉は叫び、舜を両手で押しのけ、寝台を下りて逃げ出した。扉に向かって走る足に寝巻がまとわりつき、無様に絨毯の上、転んでしまう。舜は笑い、寝台を下りる。
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そんな言葉にだまされるものか!立ち上がって逃げなきゃと思うのに、足がもつれる。扉が遥か彼方にあるように遠く遠く見えた。
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輝葉は肉体を焼き尽くされるような熱を感じた。
発情だ。
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「殺した?!」
「気を失っているだけです」
紫陽は答えると、輝葉を抱き寄せ、うなじを見た。――噛み跡はない。けれど、匂い立つ他のαの唾液。紫陽は犬のように舌を出し、輝葉のうなじを舐めた。
「汚い!」
叫ぶ輝葉に押しのけられて、紫陽は我に返り、絨毯の上、土下座した。
「申し訳ありません」
「お前に触られたくない。他の男に抱き締められて発情した、こんな、汚い体に!」
輝葉は剥がされた寝巻をかき合わせて体を震わせる。なのに、勃起しているΩの体が恥ずかしかった。紫陽の前で泣きたくなんかないのに、両目から勝手に涙がいっぱい出て来る。
紫陽は怒りに満ち満ちた両眼で、ひっくり返っている男を見る。そして、ようやく気付いた。自分が殴り倒したのが、輝葉の許婚だということに。紫陽の両眼から怒りが消え失せた。
「舜様が、輝葉様の運命の番だったんですね」
紫陽は正座して、両手をつき、頭を下げた。
「お慶び申し上げます」
「やだやだやだやだ」
紫陽は顔を上げた。輝葉が子どもの頃にも見せなかったことのないぐしゃぐしゃの泣き顔でぐずる。紫陽は困る。
「輝葉様は初めての発情で混乱しているだけです。しばらくすれば、舜様がお気付きになられます。そうしたら、」
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
「――……わかりました。今日はお引き取りいただきましょう」
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「行かないで」
泣く輝葉を見下ろし、紫陽は不器用に笑いかけた。
「誰かに預けて、すぐ戻って来ます」
輝葉は、こくんとうなずく。紫陽が部屋を出て行ってしまう。涙が止まらない。体が熱い。
紫陽は、おにぎりと抑制剤と白湯を入れた茶碗を盆に載せて持って来た。紫陽は寝台の側の小卓に盆を置くと、ぐちゃぐちゃになっている寝台を整え、戻って、絨毯に座り込んで泣き続ける輝葉の前に正座した。
「輝葉様、少しでいいですから食べて、抑制剤を飲んで、お休み下さい」
「いらない」
輝葉は首を横に振る。
「おにぎりは輝葉様の大好きな梅おかかです」
「そういうことじゃない~~~」
涙がますます出て来る。
「わかったんだ……どうして、ぼくの体が、発情しなかったのか」
しゃくりあげながら、輝葉は止まらない涙を手の甲でこする。
「紫陽、お前が、ぼくに、発情してなかったからだ!」
紫陽は何も答えない。悲しくて悲しくて輝葉は泣き続ける。紫陽は息を吸い込んで、吐いて、また吸って、吐いて、吸って、やっと言葉を吐き出した。
「あなたにそんな感情を抱くことはできません」
「そんなにぼくは、お前にとって魅力がないか。ぼくは番犬の、ただの飼い主なのか」
「初めて会った日、あなたが俺を守ってくれたように、俺はあなたを護りたい。ただそれだけです」
輝葉は正座する紫陽にまたがり、抱き締める。濡れている菊門で触れた紫陽の寝巻の中、褌に押さえつけられた陰茎は熱くて硬い。輝葉は笑った。
「そんなこと言って、勃起してるじゃないか」
「これはΩの色香にαの体が反応しているだけです。っうぐっ」
輝葉は唇を紫陽の唇に押し付け、割り開こうと、舌を這わせる。けれど、かたくなに紫陽は唇を固く強張らせて開かない。なのに、紫陽の手は輝葉の寝巻の合わせを割り開く。
「ぃやぁうんっ」
輝葉は声を上げる。紫陽の手が輝葉の勃起した陰茎を握り締める。いつもよりキツく握り締めて、いつもより速く手を動かす。溶け出すように輝葉の陰茎の先端から熱い雫が垂れる。
「あああああああああああああああ」
いつもなら上げなければいけない声が、勝手に口からこぼれる。
ぐゅちゅぐゅちゅぐゅちゅぐゅちゅ、自分の陰茎と紫陽の手が擦れ合う音が響く。
輝葉は強請る。
「挿入れて、紫陽、挿入れてっ」
「できません」
紫陽は拒む。寝巻の中、褌を突き破って、もう輝葉の菊門を貫通しそうなほど勃起してるのに。右手は輝葉の陰茎を激しく愛撫しながら、左腕は強く輝葉を抱き締めているのに。
「あああっ」
「ぅぐぅ、ぁっ、ん、ふ」
声を上げ、背を反らして輝葉は射精した。同時に低く呻いて紫陽も。輝葉の噴き上がる精は紫陽の寝巻を汚した。輝葉の濡れた菊門の下、寝巻の中、褌の内で紫陽の陰茎は震えながら精を吐き出している。吸い付くように輝葉の菊門は喘ぐ。
「輝葉様、どうか幸せになって下さい」
ぎゅっと抱き締めると、紫陽は輝葉を抱えたまま立ち上がり、寝台に寝かせる。小卓の引き出しから手拭を出すと、輝葉の陰茎を清める。寝巻を直し、布団を掛けた。
「最後にひとつ、輝葉様にお詫びしなければいけないことがあります」
「『最後』なんて言うな…」
「いつも、あなたを愛撫した後、あなたの精が付いた手拭を使って自慰をしていました」
「――『想いを秘めていた』というより、お前、ムッツリ助兵衛だったんだな…」
「今も、こらえきれず、あなたの菊門の下で射精してしまいました」
「わかってるから」
「ええええっ」
紫陽の絶望の表情を見て、輝葉は笑った。
「切腹しなくていいからな、紫陽」
「他にどうやってお詫びをすれば……」
「紫陽」
「はい…」
「駆け落ちしよう」
「はいっ?!」
「考えてみたら、借金なんか兄上が自分で働いて返せばいいんだよ」
「借金?!」
「あ~。紫陽は知らないのか。兄上が博打で借金作って、その代償に、ぼく、金貸しの息子に婿に行くことになっちゃったんだよ」
「やっぱり殴り殺すんだった……」
「人殺しで解決するのは、徳川の世で終わってるから」
「………………」
「ぼくは駆け落ちする。お前が付いて来なかったら、一人じゃ駆け落ちにならないんだからな、紫陽……」
「はい」という返事を眠りに落ちる寸前、輝葉は聞いた――ような気がした。
夢の中で聞いただけだったかもしれない。
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そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。
雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。
自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。
雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。
3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。
オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。
番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話
ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。
βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。
そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。
イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。
3部構成のうち、1部まで公開予定です。
イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。
最新はTwitterに掲載しています。
出来損ないΩの猫獣人、スパダリαの愛に溺れる
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
旧題:オメガの猫獣人
「後1年、か……」
レオンの口から漏れたのは大きなため息だった。手の中には家族から送られてきた一通の手紙。家族とはもう8年近く顔を合わせていない。決して仲が悪いとかではない。むしろレオンは両親や兄弟を大事にしており、部屋にはいくつもの家族写真を置いているほど。けれど村の風習によって強制的に村を出された村人は『とあること』を成し遂げるか期限を過ぎるまでは村の敷地に足を踏み入れてはならないのである。
夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子
葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。
幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。
一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。
やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。
※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。
【完結】あなたの恋人(Ω)になれますか?〜後天性オメガの僕〜
MEIKO
BL
この世界には3つの性がある。アルファ、ベータ、オメガ。その中でもオメガは希少な存在で。そのオメガで更に希少なのは┉僕、後天性オメガだ。ある瞬間、僕は恋をした!その人はアルファでオメガに対して強い拒否感を抱いている┉そんな人だった。もちろん僕をあなたの恋人(Ω)になんてしてくれませんよね?
前作「あなたの妻(Ω)辞めます!」スピンオフ作品です。こちら単独でも内容的には大丈夫です。でも両方読む方がより楽しんでいただけると思いますので、未読の方はそちらも読んでいただけると嬉しいです!
後天性オメガの平凡受け✕心に傷ありアルファの恋愛
※独自のオメガバース設定有り
被虐趣味のオメガはドSなアルファ様にいじめられたい。
かとらり。
BL
セシリオ・ド・ジューンはこの国で一番尊いとされる公爵家の末っ子だ。
オメガなのもあり、蝶よ花よと育てられ、何不自由なく育ったセシリオには悩みがあった。
それは……重度の被虐趣味だ。
虐げられたい、手ひどく抱かれたい…そう思うのに、自分の身分が高いのといつのまにかついてしまった高潔なイメージのせいで、被虐心を満たすことができない。
だれか、だれか僕を虐げてくれるドSはいないの…?
そう悩んでいたある日、セシリオは学舎の隅で見つけてしまった。
ご主人様と呼ぶべき、最高のドSを…
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