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第一話 忠犬×うそつき

初めての発情

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 輝葉てるはは、金貸しの息子・しゅんと婚約した。
 博打ギャンブルで大負けして、友人である舜に金を借り、代償として店を渡すか、輝葉を差し出すかをせまられていると、兄の輝樹てるきは両親と輝葉の前で土下座して、顔も上げられず、声を震わせて言った。
 輝葉は自分を差し出すことを選んだ。

「店なんかどうでもいい。また一から始めればいい」
 父も母も言ったが、輝葉は首を横に振った。
「店で働く人たちはどうなるんですか。贔屓ひいきにして下さるお客様は?店のあるじが変わってしまえば、店も変わってしまうでしょう」

 かっこつけてはみたものの、だいじょうぶだ、勃起はする、射精もする、性行為セックスもできるはずだ、発情期がなくてもヤることはヤれる、でもαに発情期じゃないことバレないか?バレるだろ。発情期に性行為して、うなじを噛まれなきゃ、番になれないんだよな?うなじを噛まれても番になってないことって、αにバレんの?
 わからないことだらけで、誰にも聞けないことばかりだった。兄の借金のことも、代償に金貸しの息子に婿入りすることも、誰にも話せなかった。紫陽にもさえも。こんな最中に、芙雪ふゆきが発情期で休み始めた。輝葉も休まねばならなかった。


 婚約しても、婚前交渉をすることは、はしたないことだった。しかし、婚約すれば、婚約者と性的な行為をするのが普通だった。
「まだ婚約したばかりなので」
 輝葉は親に言って、発情期が来たことは舜に知らせないようにお願いした。息子がかわいそうで、親は決して知らせないと約束した。

 婚約が決まると、紫陽は輝葉の部屋の外で寝ようとしたが、
寝坊助ねぼすけの護衛が部屋の外にいて、部屋の中であるじが襲われているのに気付けるか?」
 輝葉はそう言って、許さなかった。

「おやすみなさい」
「おやすみ」
 輝葉は目を閉じる。目を閉じないと、紫陽はいつまでも寝台の横に立って、輝葉を見下ろしているのだ、何も言わず。
 目を閉じた暗闇の中、紫陽が小卓テーブル燈火ランプを消して、寝台の逆の端に上がって布団に入る音を聞く。

 紫陽は性的な行為をしようともしなかった。

 当たり前だ。もう発情期のふりに付き合う必要もない。紫陽は清々せいせいしていることだろう。
 性的な行為をしている時、いつも輝葉は寝台ベッド天蓋てんがいを見上げている。もし、横を見て、紫陽の寝巻ねまき平坦へいたんなまま、勃起していないのを見たら、屈辱で死ねると思う。発情期も来ないΩの陰茎を愛撫して、勃起なんかするわけがないとわかっていても。

 輝葉の閉じた瞳の端から涙があふれた。唇を噛み締め、泣き声を押し殺す。紫陽に泣いていることを気付かれたら、屈辱で死ねる。泣き声を上げたって、寝坊助ねぼすけが起きるわけがないとわかっていても。


 輝葉が目が覚ますと、紫陽に抱き締められていた。――時々、枕とかんちがいして抱き締めていることがある。
 布団の中を覗き込まなくても、ふんどしに包まれた紫陽の朝勃ちが寝乱れた寝巻の合わせから輝葉のももに当たっているのがわかる。

 寝坊助ねぼすけは、すうすう、こちらが眠りに誘われてしまいそうな気持のいい寝息を立てて、起きる気配もない。
 ふっと思う。
 ふんどしから引き出して、じかに触ってやったら、どんな顔して、飛び起きるだろう。

 ぐううううううう

 紫陽が自分の腹の虫の鳴き声に目を開けた。
「お腹空いた…」
「腹時計で目が覚めるのは、お前だけだよ!」


 紫陽に食事を取りに行かせて、輝葉は寝台に寝ている。寝ていると、二度寝してしまうと思って、枕から頭を上げると、扉が開いて、飛び起きた。
 紫陽ではなかった。白いほっそりした顔。髪油整髪料で撫で付けた艶々つやつやした黒髪。細い目。すっと通った鼻筋。色の薄い唇。白い上衣シャツ釣紐サスペンダーの黒い洋袴ズボン
 しゅんだった。自分の許婚いいなずけだった。

「どっどどどどうして?!」
「発情期のお相手をするのは、許婚のつとめだろう」
 輝葉は掛け布団をかき集め、抱き締めて後退りする。
「ぼくが発情期って、誰が?!」
輝樹てるきから聞いた」
 輝葉てるはは兄に、自分の発情期のことを口止めはしていない。でも、親が言ってくれたはずだ。いや、言ってないのか?
 後退りを続けて輝葉は、寝台ベッドの断崖から落ちかけ、とどまる。
 寝台の側まで来て舜が、すんっと鼻を鳴らした。
「発情期にしては、色香フェロモンが薄いな」
 だって本当は発情期じゃないから!発情ヒートも起きたことないから!
「昨夜、番犬に舐められまくって、性欲処理してもらったせいか?」
「そんなこと」
 輝葉は言いかけて口をつぐみ、うつむく。そんなことされてない。触れてもらってもいない。
「やっぱり金で買うような男には触られたくないか」
 舜が言った。輝葉は顔を上げ、こくこく、うなずく。そうだ!そういうことにしておこう!
「そうだよ!けがらわしい!」
 輝葉が叫ぶと、舜は、にやりと唇の端を上げた。しまった!言い過ぎた!舜が寝台に上がって来る。逃げたくても輝葉の後ろは断崖、寝台を下りて部屋から逃げ出しても、確実に追いつかれる自信があった。輝葉は足が遅かった。廊下で犯されるくらいなら、まだ部屋の中での方が
 舜が輝葉の前に胡坐あぐらをかいた。髪油整髪料と煙草の臭いが輝葉の鼻をつく。
「俺が買ったんじゃない。お前の兄貴がんだよ」
「何を言って……」
「お前の兄貴は、博打ギャンブルにわざと負けて、借金を作った。最初からお前を借金の代償カタに差し出すつもりでな」
「何言ってるんだよ?」
「お前を家から追い出したいんだよ。それもお前にとって最も屈辱的なかたちで」
 輝葉は「屈辱」という言葉に、両親と自分の前で土下座して、顔も上げられず、声を震わせて謝る兄を思い出す。輝葉は言った。
「『屈辱』なのは、兄上の方じゃないか。ぼくの前で土下座したんだよ。顔も上げられなくて、声も震えてた」
「はっ」
 舜はあざけりの声を上げた。
「お前を家から追い出せるのが、うれしくて、顔も上げられないほど、声が震えちまうほど、笑いをこらえられなかったんじゃないか?」
「そんなこと……」
「兄貴は、お前が嫌いなんだよ」

 兄に嫌われていることは――わかっていた。自分だって、内心、商売が上手ではない兄をバカにしてた。兄弟ゲンカなんて、ありふれている。取り合うがあるならば、なおさら。だけど、この兄弟ゲンカの勝敗は決まりきっている。ぼくはΩで、この家を出て行くから、店は兄上の物になる。兄上がわざわざ、ぼくを追い出す必要なんかない。

「兄貴がお前のことを外で何て言っているか、教えてやる」
「……………………」
外面そとづらがいいだけで、人を見下して、客は金ヅル、店員は奴隷と思っている」
「そんなこと思ってない!」
「お前が思ってないとしても。お前の近くにいる兄が言えば、真実に聞こえる。――縁談を断られ続けてただろ?」
「断られてなんかない!」
 輝葉は否定する。けれど、父が言っていた「見合い話が進まん」という言葉を思い出してしまう。本当に兄上がウソを言いふらしているのか?
「店で働くお前を見れば、そんなこと、ウソだとすぐわかるのにな」
 舜は輝葉を抱き締め、うなじに熱い舌を這わせる。
「俺が愛してやる」
「やだ!」
 輝葉は叫び、舜を両手で押しのけ、寝台を下りて逃げ出した。扉に向かって走る足に寝巻がまとわりつき、無様ぶざま絨毯じゅうたんの上、転んでしまう。舜は笑い、寝台を下りる。
「落ち着けよ。婚前交渉するつもりはねえよ」
 そんな言葉にだまされるものか!立ち上がって逃げなきゃと思うのに、足がもつれる。扉が遥か彼方にあるように遠く遠く見えた。
 舜に寝巻を掴まれる。――昨夜、性的な行為をすると思って、寝巻の下には何も着けていない!――じたばた、輝葉は無様に四つん這いで逃げようとして、帯一本で結んだだけの寝巻は、たやすくがされて、背中から抱き締められる。
「落ち着けって」
「やだ!やだ!やだ!やだ!」
 部屋の扉が大きく開いた。輝葉は叫んだ。
「紫陽!」
 憤怒ふんぬの表情を、現実に輝葉は初めて見た。寺の仏像や仏画では見たことがある。両眼が燃え上がり、眉間みけんしわで盛り上がり、鼻の穴は広がり、開いた口は炎を吐くように赤黒い。
 輝葉は肉体からだを焼き尽くされるような熱を感じた。
 発情ヒートだ。
 紫陽は輝葉を抱き締める舜を引き剥がすと、腹を殴り付けた。舜は「うっ」とうめいて、仰向けに絨毯の上、ひっくり返った。白目を剥いて動かない。輝葉は声を上げる。
「殺した?!」
「気を失っているだけです」
 紫陽は答えると、輝葉を抱き寄せ、うなじを見た。――噛み跡はない。けれど、匂い立つ他のαの唾液マーキング。紫陽は犬のように舌を出し、輝葉のうなじを舐めた。
「汚い!」
 叫ぶ輝葉に押しのけられて、紫陽は我に返り、絨毯の上、土下座した。
「申し訳ありません」
「お前に触られたくない。他の男に抱き締められて発情した、こんな、汚い体に!」
 輝葉は剥がされた寝巻をかき合わせて体を震わせる。なのに、勃起しているΩの体が恥ずかしかった。紫陽の前で泣きたくなんかないのに、両目から勝手に涙がいっぱい出て来る。
 紫陽は怒りに満ち満ちた両眼で、ひっくり返っている男を見る。そして、ようやく気付いた。自分が殴り倒したのが、輝葉の許婚いいなづけだということに。紫陽の両眼から怒りが消え失せた。
「舜様が、輝葉様の運命のつがいだったんですね」
 紫陽は正座して、両手をつき、頭を下げた。
「およろこび申し上げます」
「やだやだやだやだ」
 紫陽は顔を上げた。輝葉が子どもの頃にも見せなかったことのないぐしゃぐしゃの泣き顔でぐずる。紫陽は困る。
「輝葉様は初めての発情ヒートで混乱しているだけです。しばらくすれば、舜様がお気付きになられます。そうしたら、」
「やだやだやだやだやだやだやだやだやだ」
「――……わかりました。今日はお引き取りいただきましょう」
 紫陽は乱れた輝葉の寝巻を直し、勃起している陰茎を見てしまって、目を逸らした。紫陽は舜の体を肩に抱え上げる。立ち上がる紫陽の寝巻のすそを、輝葉は掴む。
「行かないで」
 泣く輝葉を見下ろし、紫陽は不器用に笑いかけた。
「誰かに預けて、すぐ戻って来ます」
 輝葉は、こくんとうなずく。紫陽が部屋を出て行ってしまう。涙が止まらない。体が熱い。


 紫陽は、おにぎりと抑制剤と白湯さゆを入れた茶碗をぼんに載せて持って来た。紫陽は寝台の側の小卓テーブルに盆を置くと、ぐちゃぐちゃになっている寝台ベッドを整え、戻って、絨毯に座り込んで泣き続ける輝葉の前に正座した。

「輝葉様、少しでいいですから食べて、抑制剤を飲んで、お休み下さい」
「いらない」
 輝葉は首を横に振る。
「おにぎりは輝葉様の大好きな梅おかかです」
「そういうことじゃない~~~」
 涙がますます出て来る。
「わかったんだ……どうして、ぼくの体が、発情しなかったのか」
 しゃくりあげながら、輝葉は止まらない涙を手の甲でこする。
「紫陽、お前が、ぼくに、発情してなかったからだ!」
 紫陽は何も答えない。悲しくて悲しくて輝葉は泣き続ける。紫陽は息を吸い込んで、吐いて、また吸って、吐いて、吸って、やっと言葉を吐き出した。

「あなたにそんな感情を抱くことはできません」
「そんなにぼくは、お前にとって魅力がないか。ぼくは番犬お前の、ただの飼い主なのか」
「初めて会った日、あなたが俺を守ってくれたように、俺はあなたを護りたい。ただそれだけです」

 輝葉は正座する紫陽にまたがり、抱き締める。濡れている菊門アナルで触れた紫陽の寝巻の中、褌に押さえつけられた陰茎は熱くて硬い。輝葉は笑った。

「そんなこと言って、勃起してるじゃないか」
「これはΩの色香フェロモンにαの体が反応しているだけです。っうぐっ」
 輝葉は唇を紫陽の唇に押し付け、割り開こうと、舌を這わせる。けれど、かたくなに紫陽は唇を固く強張らせて開かない。なのに、紫陽の手は輝葉の寝巻の合わせを割り開く。
「ぃやぁうんっ」
 輝葉は声を上げる。紫陽の手が輝葉の勃起した陰茎を握り締める。いつもよりキツく握り締めて、いつもより速く手を動かす。溶け出すように輝葉の陰茎の先端から熱いしずくが垂れる。
「あああああああああああああああ」
 いつもなら上げなければいけない声が、勝手に口からこぼれる。
 ぐゅちゅぐゅちゅぐゅちゅぐゅちゅ、自分の陰茎と紫陽の手が擦れ合う音が響く。
 輝葉は強請ねだる。

挿入れて、紫陽、挿入れてっ」
「できません」

 紫陽は拒む。寝巻の中、ふんどしを突き破って、もう輝葉の菊門アナルを貫通しそうなほど勃起してるのに。右手は輝葉の陰茎を激しく愛撫しながら、左腕は強く輝葉を抱き締めているのに。
「あああっ」
「ぅぐぅ、ぁっ、ん、ふ」
 声を上げ、背を反らして輝葉は射精した。同時に低く呻いて紫陽も。輝葉の噴き上がる精は紫陽の寝巻を汚した。輝葉の濡れた菊門の下、寝巻の中、褌の内で紫陽の陰茎は震えながら精を吐き出している。吸い付くように輝葉の菊門は喘ぐ。

「輝葉様、どうか幸せになって下さい」

 ぎゅっと抱き締めると、紫陽は輝葉を抱えたまま立ち上がり、寝台に寝かせる。小卓テーブルの引き出しから手拭を出すと、輝葉の陰茎を清める。寝巻を直し、布団を掛けた。

「最後にひとつ、輝葉様にお詫びしなければいけないことがあります」
「『最後』なんて言うな…」
「いつも、あなたを愛撫した後、あなたの精が付いた手拭てぬぐいを使って自慰をしていました」
「――『想いを秘めていた』というより、お前、ムッツリ助兵衛スケベだったんだな…」
「今も、こらえきれず、あなたの菊門の下で射精してしまいました」
「わかってるから」
「ええええっ」
 紫陽の絶望の表情を見て、輝葉は笑った。
「切腹しなくていいからな、紫陽」
「他にどうやってお詫びをすれば……」
「紫陽」
「はい…」
「駆け落ちしよう」
「はいっ?!」
「考えてみたら、借金なんか兄上が自分で働いて返せばいいんだよ」
「借金?!」
「あ~。紫陽は知らないのか。兄上が博打ギャンブルで借金作って、その代償に、ぼく、金貸しの息子に婿に行くことになっちゃったんだよ」
「やっぱり殴り殺すんだった……」
「人殺しで解決するのは、徳川の世で終わってるから」
「………………」
「ぼくは駆け落ちする。お前が付いて来なかったら、一人じゃ駆け落ちにならないんだからな、紫陽……」
「はい」という返事を眠りに落ちる寸前、輝葉は聞いた――ような気がした。
 夢の中で聞いただけだったかもしれない。
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