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とある婚約者の話
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幼い頃は朝になる度に、憂鬱で退屈な一日が始まるものだと思っていた。
処刑する寸前、頭に浮かんだのは『ああ、ようやくあの白い首を刎ねることができる』ということだった。
私には、繰り返し見る夢がある。
それは、婚約者を自分の最愛を辱めたからと断罪して首を刎ねる夢。最初は見たこともない婚約者を断罪してその場で処刑することに不快感を覚えていたが、毎夜毎夜繰り返し夢を見る内に少しずつ気持ちが変化して行く。
婚約者だという少女が、私に向けてくる愛情が込められた昏い瞳が心地良いこと。
昔は溺愛していた両親と兄が少女を詰る度に、絶望していく『彼女』の顔が美しいこと。
最愛を虐めたからと婚約者を私が糾弾した時や、虫けらを見るような眼差しを妹に向ける兄や、娘を捨ててを男爵令嬢を養女にすると両親が宣言した時に、私たちへの愛情がある故に絶望する『彼女』の顔を見る高揚感が忘れられない。
どうして、あんなにも絶望感に囚われた『彼女』の姿は美しいのだろうか。
処刑してから、夢から覚める。
あのほっそりとした白い首を現実でも刎ねてみたいと思い始めたのは、いつの頃からだろうか。
毎夜、毎夜、繰り返し見る夢。夢の中で、未だ出会っていない美しい婚約者の首を刎ねるのは酷く甘美な行為で。ほっそりとした白い首に剣が食い込み、芳醇なワインのような真っ赤な血が溢れる瞬間に、酷く情欲を感じる。精通すら、夢で婚約者が首を刎ねられる瞬間で。それ以来、自慰をする時は、『彼女』が首を刎ねられる瞬間を思い浮かべるようになった。
箱に入れた絶望の色で凍った美しい首に、欲望をぶちまける快楽に酔いしれる。
きっと『彼女』とは出会う運命に違いないと思っていると、婚約者を選ぶお茶会が開かれることになった。『彼女』以外は嫌だと思っていると、前々から夢で見た側近候補の男を幼くしたようなだと思っていた幼なじみが自分の妹も参加するんだとはにかんだ笑みを浮かべる。目に入れても痛くないと言わんばかりの溺愛に、その内男爵令嬢に魅了されて可愛い妹を絶望の淵に追いやることになるんだぞとほくそ笑む。
ようやく、『彼女』に会うことができる。
お茶会の日、いつもの夢とは違い『彼女』は、私の前に現れない。夢の通りならば、自分が愛されない筈はないと、いかにも自信に満ちた態度でカーテーシーをしてアピールしてくるというのに。なかなか現れないことに焦れて、『彼女』の兄に訊ねてみる。お前の自慢の妹は来ていないのかと。すると、『彼女』の兄はこてんと首を傾げると、困惑したようき眉ね寄せる。
「一緒に来たのですが、どこかに行ってしまったようですね」
と、『彼女』の兄は周囲を見回しながら言うと、妹を探しに行こうとする。夢の中ではこんなことはなかったぞと訝しく思いながら、私も一緒に『彼女』を探すことにした。何だか、出鼻を挫かれたような気がしないでもない。
何故、夢の通りにならないのだろうか。
会場からは出ていない筈ですと焦った声で言う『彼女』の兄の言葉を信じて、お茶会のテーブルから離れる。お見合いも兼ねた挨拶も一段落ついていて、少し主役が抜け出しても解らないに違いない。親に指示されて媚びを売りに来ている令嬢たちを撒いて、『彼女』の兄と中庭へ出る。お茶会の会場にはいないとなると、中庭に出ている可能性が高い。
ふたりで、中庭をすみからすみまで探す。
まるで、かくれんぼの鬼になったかのようだと思う。
暫くして、『彼女』を中庭の隅にあるカゼボで見つける。
カゼボに隠れるようにいた少女に『彼女』の兄が声を掛ければ、見覚えのある笑顔を浮かべる。夢で見た通りの花が綻ぶような笑顔にどきどきしていると、『彼女』の兄は「これが妹です」と私に紹介するが少女は小首を傾げるときょとんとした。普通ならば、ここで少女から自己紹介と挨拶がある筈だが、何故か不思議そうな顔をしたまま動かない。小動物のように、可愛いことは可愛いが解せない。
時間が止まったような状態に困惑していれば、『彼女』の兄か気を利かせて挨拶をするようにと少女に促す。
すると、『彼女』は一瞬目を見開いた後、見事なカーテーシと挨拶をする。しかし、『彼女』はこちらを見ているようで、何も見ていないように見えた。まるで、彼女の視界には私が存在していないよう。いったい、どうなっているのだろうか。
それから、夢の通りに『彼女』と婚約をして、婚約者として定期的に交流を持つ。
でも、やはり彼女は私のことを見ているようで、見ていない。夢の中で向けてくれた、熱情が籠もる眼差しがない。アルカイックスマイルを浮かべて、何も見ていない目をこちらに見える。目だけではなくて、『彼女』は私の言葉も耳に入っていないのではないかと思う時もある。そんなことはある筈はないのに。
夢の通り『彼女』に対して不本意な婚約であることを態度に出し、エスコートもせず、贈り物もしない。その上で他の令嬢に優しさを見せれば、嫉妬で狂う筈の『彼女』の目は凪いだまま。何かおかしい、何かがおかしい。でも、何がおかしいのか上手く指摘できないまま、『彼女』が学園へ入学する年になってしまう。
ここで、予定通り私と『彼女』は男爵令嬢に出会う。
ピンクゴールドの髪をした小動物のような男爵令嬢は、その可憐さと物怖じをしない態度で瞬く間に高位貴族の子息たちの心を捉える。それは、『彼女』の兄や両親も例外ではなく。日に日に男爵令嬢へ寵愛を傾けて行った。そして、彼は男爵令嬢を妹の代わりに養女にして、『彼女』のことは修道院に送るつもりだと嬉々とした様子で報告をしてくる。本当はあんな恩知らずの性悪には死んで欲しいのだけどねと、共犯者の笑みを浮かべて同意を求めてくる『彼女』の兄を心の中で馬鹿にする。魅了の力を持ったアクセサリーを身につけた男爵令嬢は夢の通り、存在しない悪行を家族に吹き込み、すっかり『彼女』を孤立させているらしい。あんな玩具のようなものに惑わされる周囲が、おかしくて堪らない。
孤立しているのは家庭だけではなく、『彼女』は学園でも蛇蝎のように忌み嫌われていた。
運命の恋人の邪魔者、公爵令嬢として不適当な女、学園創立以来の劣等生、『彼女』の悪評は日々高まって行く。その反面、可憐で健気だと人気の男爵令嬢の評判は急上昇していた。彼女が魅了できる人数はアクセサリーの宝石の数だけだというのに、高位貴族の子息の支持を受けたというだけで簡単に評判が上がるのかと、人の心のくだらなさに口元が歪むのが止められない。
あの子が向けてくれる感情だけが、本物の筈なのに。
何故、夢の通りにならないのだろうか。
男爵令嬢の誘いに乗って、『彼女』の気を引く為、学園の中庭や人目につきやすい場所で接吻したりじゃれ合ったりする。夢の中では、『彼女』は男爵令嬢に嫉妬し嫌がらせをする筈なのに、全くそんな素振りは見せない。不思議そうな顔をして、首を傾げるだけ。まるで男爵令嬢が何かおかしなことをしているかのような視線に、居心地の悪さを感じる。
男爵令嬢への嫌がらせを行ったことで断罪される筈なのに、これでは『彼女』を処刑することができない。運命の日が近づいてくるにつれて、我ながら焦りを感じてくる。まんまと男爵令嬢に籠絡された他の奴らの婚約者たちは介入しようとしてあがいた挙げ句に、次々に婚約破棄されているのに。
いつまで経っても、『彼女』はあの狂気じみた愛情を私に向ける様子はない。
あのほっそりとした白い首を切り裂きたくて堪らないのに。
焦り始めたのは、私だけではない。男爵令嬢も、思った通りに動かない『彼女』に焦れてきたらしい。ある日、男爵令嬢は『彼女』を階段の上から落としてしまう。きっと、最後の一押しのつもりだったのだろう。『彼女』の両親や兄は男爵令嬢を養女として迎え、実の娘を勘当する気になったから目論見の方向性は間違ってなかったのだろう。
しかし、しかし、しかし。
初めは『彼女』に階段から落とされそうになったと男爵令嬢は言い張っていたが、目撃者が出てきてしまったことで彼女の目論見はあっけなく瓦解してしまう。その上目撃者は、偶々隣国から王子で。私と同じように、男爵令嬢が持つ玩具のような魅了の道具には引っかかるような人物ではなかったのだった。
とは言え、『彼女』の兄は目撃者を信用することなかったようで、慌てたように自宅へ戻って行ったが。
『彼女』の兄が自宅へ帰った後、見舞いと称して花束を用意させて彼の後を追う。屋敷に着けば、当たり前のように『彼女』の両親と男爵令嬢が談笑しているサロンに案内される。何があったのか、『彼女』の兄が茫然と立ち尽くしている横を通り、サロンの中に入る。男爵令嬢と『彼女』の両親は、和気藹々と『彼女』を処刑する話をしていた。夢とは違うけれど断頭台もありかもしれないと考えていると、男爵令嬢の首飾りが壊れかけていることに気付く。
これは不味いと顔を顰めながら、「名前を口にも出したくないあの婚約者が壊したのか」と訊けば、男爵令嬢は驚いた顔をした。しかし、すぐに男爵令嬢は悲しげな顔をして見せる。
「私のような身分の者が持つべきじゃないと無理矢理」
と、男爵令嬢が言葉を濁すと顔を俯かせる。いかにも理不尽に虐げられましたと言わんばかりの態度に、『彼女』の両親は実の娘への怒りを募らせたように見えた。男爵令嬢の演技に乗るように「君とずっと一緒にいるべきだった」と拳を強く握りしめれば、下を向いた彼女の唇が醜く歪む。
その次の瞬間のことだった。
パリン、パリン、パリンと男爵令嬢の首元を飾っていたアクセサリーの宝石が音を立てて割れてしまう。
男爵令嬢が蒼白になるのと同時に、何かに気がついた公爵夫人の悲鳴がサロンに轟いたのだった。
数日後、『彼女』の見舞いで公爵邸へ行く。
あれから、魅了が解けた公爵夫婦は娘にした行いを後悔して、寝込んでしまっているらしい。実の娘を使用人扱いして、縁もゆかりもない男爵令嬢に本来なら娘の物である筈の部屋からドレスやアクセサリーを全て与えた上に嬉々として溺愛していた筈の『彼女』を冤罪で処刑しようとしていたのは、彼らにとって悪夢としか言えないに違いない。
全て目茶苦茶になってしまいましたと、疲れ切った顔をした婚約者の兄に部屋へ案内して貰う。男爵令嬢の魅了が解けてから、『彼女』の部屋は母屋に移動したらしい。未だに目覚めない『彼女』の顔は蒼白で。繰り返し見ていた夢の展開とは、違う状況に当惑するしかない。
本当なら今頃と白い首筋を眺めていると、『彼女』の目がゆっくりと開く。
喜ぶ声を上げる『彼女』の兄をよそに、目覚めたなら他の手段で夢の通りにしなければならないと私は冷静に考えていた。が、私のことを見る『彼女』の目が、何かおかしい。まるで、初めて会ったような目をされて、初めて動揺する。
殆ど呼んだことのない愛称を呼ぶと、
「お兄様、この方はどなたなのでしょうか」
と、『彼女』は不思議そうに呟くように言う。おかしい、おかしい、おかしい。何で夢の通りにならないのだろう。あんなに繰り返し見ていたのに。こんな事は許せないと、もう誰のことも映さなくなった婚約者の瞳を眺めながら思う。どうすればいい、どうすればいい、どうすればいい。
あの繰り返し見る夢の最後はと思い出して、いつの間にか私の手は鈍く光るナイフを持っていた。
そのまま勢いよく喉を掻き切って温かいものが吹き出すのを感じながら、あの夢も冤罪で令嬢を追い詰めて公衆の面前で処刑した罪で自分が死ぬ所で終わっていたのだから、これでまたお茶会の日から始めることができるに違いないと思ったのだった。
処刑する寸前、頭に浮かんだのは『ああ、ようやくあの白い首を刎ねることができる』ということだった。
私には、繰り返し見る夢がある。
それは、婚約者を自分の最愛を辱めたからと断罪して首を刎ねる夢。最初は見たこともない婚約者を断罪してその場で処刑することに不快感を覚えていたが、毎夜毎夜繰り返し夢を見る内に少しずつ気持ちが変化して行く。
婚約者だという少女が、私に向けてくる愛情が込められた昏い瞳が心地良いこと。
昔は溺愛していた両親と兄が少女を詰る度に、絶望していく『彼女』の顔が美しいこと。
最愛を虐めたからと婚約者を私が糾弾した時や、虫けらを見るような眼差しを妹に向ける兄や、娘を捨ててを男爵令嬢を養女にすると両親が宣言した時に、私たちへの愛情がある故に絶望する『彼女』の顔を見る高揚感が忘れられない。
どうして、あんなにも絶望感に囚われた『彼女』の姿は美しいのだろうか。
処刑してから、夢から覚める。
あのほっそりとした白い首を現実でも刎ねてみたいと思い始めたのは、いつの頃からだろうか。
毎夜、毎夜、繰り返し見る夢。夢の中で、未だ出会っていない美しい婚約者の首を刎ねるのは酷く甘美な行為で。ほっそりとした白い首に剣が食い込み、芳醇なワインのような真っ赤な血が溢れる瞬間に、酷く情欲を感じる。精通すら、夢で婚約者が首を刎ねられる瞬間で。それ以来、自慰をする時は、『彼女』が首を刎ねられる瞬間を思い浮かべるようになった。
箱に入れた絶望の色で凍った美しい首に、欲望をぶちまける快楽に酔いしれる。
きっと『彼女』とは出会う運命に違いないと思っていると、婚約者を選ぶお茶会が開かれることになった。『彼女』以外は嫌だと思っていると、前々から夢で見た側近候補の男を幼くしたようなだと思っていた幼なじみが自分の妹も参加するんだとはにかんだ笑みを浮かべる。目に入れても痛くないと言わんばかりの溺愛に、その内男爵令嬢に魅了されて可愛い妹を絶望の淵に追いやることになるんだぞとほくそ笑む。
ようやく、『彼女』に会うことができる。
お茶会の日、いつもの夢とは違い『彼女』は、私の前に現れない。夢の通りならば、自分が愛されない筈はないと、いかにも自信に満ちた態度でカーテーシーをしてアピールしてくるというのに。なかなか現れないことに焦れて、『彼女』の兄に訊ねてみる。お前の自慢の妹は来ていないのかと。すると、『彼女』の兄はこてんと首を傾げると、困惑したようき眉ね寄せる。
「一緒に来たのですが、どこかに行ってしまったようですね」
と、『彼女』の兄は周囲を見回しながら言うと、妹を探しに行こうとする。夢の中ではこんなことはなかったぞと訝しく思いながら、私も一緒に『彼女』を探すことにした。何だか、出鼻を挫かれたような気がしないでもない。
何故、夢の通りにならないのだろうか。
会場からは出ていない筈ですと焦った声で言う『彼女』の兄の言葉を信じて、お茶会のテーブルから離れる。お見合いも兼ねた挨拶も一段落ついていて、少し主役が抜け出しても解らないに違いない。親に指示されて媚びを売りに来ている令嬢たちを撒いて、『彼女』の兄と中庭へ出る。お茶会の会場にはいないとなると、中庭に出ている可能性が高い。
ふたりで、中庭をすみからすみまで探す。
まるで、かくれんぼの鬼になったかのようだと思う。
暫くして、『彼女』を中庭の隅にあるカゼボで見つける。
カゼボに隠れるようにいた少女に『彼女』の兄が声を掛ければ、見覚えのある笑顔を浮かべる。夢で見た通りの花が綻ぶような笑顔にどきどきしていると、『彼女』の兄は「これが妹です」と私に紹介するが少女は小首を傾げるときょとんとした。普通ならば、ここで少女から自己紹介と挨拶がある筈だが、何故か不思議そうな顔をしたまま動かない。小動物のように、可愛いことは可愛いが解せない。
時間が止まったような状態に困惑していれば、『彼女』の兄か気を利かせて挨拶をするようにと少女に促す。
すると、『彼女』は一瞬目を見開いた後、見事なカーテーシと挨拶をする。しかし、『彼女』はこちらを見ているようで、何も見ていないように見えた。まるで、彼女の視界には私が存在していないよう。いったい、どうなっているのだろうか。
それから、夢の通りに『彼女』と婚約をして、婚約者として定期的に交流を持つ。
でも、やはり彼女は私のことを見ているようで、見ていない。夢の中で向けてくれた、熱情が籠もる眼差しがない。アルカイックスマイルを浮かべて、何も見ていない目をこちらに見える。目だけではなくて、『彼女』は私の言葉も耳に入っていないのではないかと思う時もある。そんなことはある筈はないのに。
夢の通り『彼女』に対して不本意な婚約であることを態度に出し、エスコートもせず、贈り物もしない。その上で他の令嬢に優しさを見せれば、嫉妬で狂う筈の『彼女』の目は凪いだまま。何かおかしい、何かがおかしい。でも、何がおかしいのか上手く指摘できないまま、『彼女』が学園へ入学する年になってしまう。
ここで、予定通り私と『彼女』は男爵令嬢に出会う。
ピンクゴールドの髪をした小動物のような男爵令嬢は、その可憐さと物怖じをしない態度で瞬く間に高位貴族の子息たちの心を捉える。それは、『彼女』の兄や両親も例外ではなく。日に日に男爵令嬢へ寵愛を傾けて行った。そして、彼は男爵令嬢を妹の代わりに養女にして、『彼女』のことは修道院に送るつもりだと嬉々とした様子で報告をしてくる。本当はあんな恩知らずの性悪には死んで欲しいのだけどねと、共犯者の笑みを浮かべて同意を求めてくる『彼女』の兄を心の中で馬鹿にする。魅了の力を持ったアクセサリーを身につけた男爵令嬢は夢の通り、存在しない悪行を家族に吹き込み、すっかり『彼女』を孤立させているらしい。あんな玩具のようなものに惑わされる周囲が、おかしくて堪らない。
孤立しているのは家庭だけではなく、『彼女』は学園でも蛇蝎のように忌み嫌われていた。
運命の恋人の邪魔者、公爵令嬢として不適当な女、学園創立以来の劣等生、『彼女』の悪評は日々高まって行く。その反面、可憐で健気だと人気の男爵令嬢の評判は急上昇していた。彼女が魅了できる人数はアクセサリーの宝石の数だけだというのに、高位貴族の子息の支持を受けたというだけで簡単に評判が上がるのかと、人の心のくだらなさに口元が歪むのが止められない。
あの子が向けてくれる感情だけが、本物の筈なのに。
何故、夢の通りにならないのだろうか。
男爵令嬢の誘いに乗って、『彼女』の気を引く為、学園の中庭や人目につきやすい場所で接吻したりじゃれ合ったりする。夢の中では、『彼女』は男爵令嬢に嫉妬し嫌がらせをする筈なのに、全くそんな素振りは見せない。不思議そうな顔をして、首を傾げるだけ。まるで男爵令嬢が何かおかしなことをしているかのような視線に、居心地の悪さを感じる。
男爵令嬢への嫌がらせを行ったことで断罪される筈なのに、これでは『彼女』を処刑することができない。運命の日が近づいてくるにつれて、我ながら焦りを感じてくる。まんまと男爵令嬢に籠絡された他の奴らの婚約者たちは介入しようとしてあがいた挙げ句に、次々に婚約破棄されているのに。
いつまで経っても、『彼女』はあの狂気じみた愛情を私に向ける様子はない。
あのほっそりとした白い首を切り裂きたくて堪らないのに。
焦り始めたのは、私だけではない。男爵令嬢も、思った通りに動かない『彼女』に焦れてきたらしい。ある日、男爵令嬢は『彼女』を階段の上から落としてしまう。きっと、最後の一押しのつもりだったのだろう。『彼女』の両親や兄は男爵令嬢を養女として迎え、実の娘を勘当する気になったから目論見の方向性は間違ってなかったのだろう。
しかし、しかし、しかし。
初めは『彼女』に階段から落とされそうになったと男爵令嬢は言い張っていたが、目撃者が出てきてしまったことで彼女の目論見はあっけなく瓦解してしまう。その上目撃者は、偶々隣国から王子で。私と同じように、男爵令嬢が持つ玩具のような魅了の道具には引っかかるような人物ではなかったのだった。
とは言え、『彼女』の兄は目撃者を信用することなかったようで、慌てたように自宅へ戻って行ったが。
『彼女』の兄が自宅へ帰った後、見舞いと称して花束を用意させて彼の後を追う。屋敷に着けば、当たり前のように『彼女』の両親と男爵令嬢が談笑しているサロンに案内される。何があったのか、『彼女』の兄が茫然と立ち尽くしている横を通り、サロンの中に入る。男爵令嬢と『彼女』の両親は、和気藹々と『彼女』を処刑する話をしていた。夢とは違うけれど断頭台もありかもしれないと考えていると、男爵令嬢の首飾りが壊れかけていることに気付く。
これは不味いと顔を顰めながら、「名前を口にも出したくないあの婚約者が壊したのか」と訊けば、男爵令嬢は驚いた顔をした。しかし、すぐに男爵令嬢は悲しげな顔をして見せる。
「私のような身分の者が持つべきじゃないと無理矢理」
と、男爵令嬢が言葉を濁すと顔を俯かせる。いかにも理不尽に虐げられましたと言わんばかりの態度に、『彼女』の両親は実の娘への怒りを募らせたように見えた。男爵令嬢の演技に乗るように「君とずっと一緒にいるべきだった」と拳を強く握りしめれば、下を向いた彼女の唇が醜く歪む。
その次の瞬間のことだった。
パリン、パリン、パリンと男爵令嬢の首元を飾っていたアクセサリーの宝石が音を立てて割れてしまう。
男爵令嬢が蒼白になるのと同時に、何かに気がついた公爵夫人の悲鳴がサロンに轟いたのだった。
数日後、『彼女』の見舞いで公爵邸へ行く。
あれから、魅了が解けた公爵夫婦は娘にした行いを後悔して、寝込んでしまっているらしい。実の娘を使用人扱いして、縁もゆかりもない男爵令嬢に本来なら娘の物である筈の部屋からドレスやアクセサリーを全て与えた上に嬉々として溺愛していた筈の『彼女』を冤罪で処刑しようとしていたのは、彼らにとって悪夢としか言えないに違いない。
全て目茶苦茶になってしまいましたと、疲れ切った顔をした婚約者の兄に部屋へ案内して貰う。男爵令嬢の魅了が解けてから、『彼女』の部屋は母屋に移動したらしい。未だに目覚めない『彼女』の顔は蒼白で。繰り返し見ていた夢の展開とは、違う状況に当惑するしかない。
本当なら今頃と白い首筋を眺めていると、『彼女』の目がゆっくりと開く。
喜ぶ声を上げる『彼女』の兄をよそに、目覚めたなら他の手段で夢の通りにしなければならないと私は冷静に考えていた。が、私のことを見る『彼女』の目が、何かおかしい。まるで、初めて会ったような目をされて、初めて動揺する。
殆ど呼んだことのない愛称を呼ぶと、
「お兄様、この方はどなたなのでしょうか」
と、『彼女』は不思議そうに呟くように言う。おかしい、おかしい、おかしい。何で夢の通りにならないのだろう。あんなに繰り返し見ていたのに。こんな事は許せないと、もう誰のことも映さなくなった婚約者の瞳を眺めながら思う。どうすればいい、どうすればいい、どうすればいい。
あの繰り返し見る夢の最後はと思い出して、いつの間にか私の手は鈍く光るナイフを持っていた。
そのまま勢いよく喉を掻き切って温かいものが吹き出すのを感じながら、あの夢も冤罪で令嬢を追い詰めて公衆の面前で処刑した罪で自分が死ぬ所で終わっていたのだから、これでまたお茶会の日から始めることができるに違いないと思ったのだった。
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