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とある公爵令嬢の話

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幼い頃は朝になる度に、素晴らしい一日が始まるものだと思っていた。

処刑される寸前、頭に浮かんだのは『ああ、また失敗してしまった』ということだった。
私には、繰り返し見る夢がある。
それは、婚約者の最愛を辱めたからと断罪されて処刑される夢。最初は見たこともない婚約者に断罪されてその場で処刑されてしまうことに何も解らないままガタガタ震えるしかなかったけれど、毎夜毎夜繰り返し夢を見る内に少しずつ状況が解ってくる。
婚約者だという男の隣にいる可憐な少女が、彼の最愛なこと。
今は溺愛して下さっている両親とお兄様とにとっても、彼女が最愛なこと。
糾弾してくる婚約者や、冷たい目をしたお兄様や、私を捨てて彼女を養女にすると両親が宣言する姿が夢から覚めても忘れられない。
どうして、あんなにも憎まれてしまったのだろうか。

処刑されて、夢から覚める。

夢から覚めると、婚約者と初めて対面する日に戻り。処刑をされると、夢から覚める。その繰り返しで。
どこから夢で、どこから現実なのか解らない。
私は処刑される度に、疲弊して行く。初めは、夢の中で処刑されないように婚約を回避しようとがんばったり、学園に入学するのを止めて婚約者とその最愛を避けてみたり、修道院や領地へ戻ることにより物理的に両親やお兄様から離れてみたりしたけれど、どうにもならなくて。最後には、彼らの最愛が現れて、私は身の覚えのない罪で処刑されてしまうのだった。
ああ、無情というしかない。
そして、今夜も私は処刑される。
剣で首を刎ねられ胴体が離れるのを感じながら、また失敗してしまったと思っていると、そこで目が覚める。
また始まってしまったと死んだ目をしていると、侍女が起こしにくる。これも毎回のお約束で。彼女に聞こえないように、「いい加減、飽きてしまったわ」と呟く。

現実の私は未だ幼い筈なのに、心は老人になってしまったかのよう。

のろのろと身を起こすと、「今日は王宮でお茶会ですよ、お嬢様」と侍女のアンが楽しそうにいう。今日も『彼』と初めて会うのだろうか。目が覚めると毎回、『彼』と初めて顔合わせをする朝に戻っている。彼との出会いが少しでも変われば、夢の内容が変わるのかと思ったけれど、全くそんなことはなくて。毎夜、私は処刑される。
今夜も処刑されるのだろうかと思いながら準備を済まし、両親と兄と一緒に王宮へ行く。
今は両親も兄も『自慢の可愛い娘』や『自慢の可愛い妹』とニコニコ笑いながら言ってくれるけれど、数年後には汚物を見るような目で見られるのかと思うと三人とも怖くて仕方がない。恐怖でガクガクと小刻みに震えていると、三人とも心配そうな顔になる。
そんなに心配しなくても、数年後にはあなたたちは私のことを捨てるのに。
悲鳴を上げたくなるのを抑えて、三人を安心させる為に強ばった笑みを浮かべる。
大丈夫ですと答えれば、三人は満面の笑みで頷く。
今日のお茶会で『彼』と婚約することが彼らの今後にとって、私よりも大切なことなのは解っている。でも、今日こそ私は『彼』とは婚約をしたくない。しても、数年後には婚約破棄されて処刑されるのが解っているのだから。

憂鬱なお茶会の始まり。

前回と違うところはないだろうかと、目を皿のようにしてお茶会を眺める。同じ年頃の着飾った令嬢、美味しそうなお菓子とお茶、そして今日の主役が不在の椅子。不在の椅子に、私は首を傾げる。確か、前回まではキラキラと見目麗しい主役が座っていたのに。
そのまま、『彼』が不在のままお茶会が進む。主役がいないのに、誰も不思議に思っていないようで、まるで『彼』がいるかのように振る舞い続ける。あまりに周囲が自然に振る舞っているので、自分がおかしいのかしらと思えてくる。
誰もいない椅子に向かって令嬢たちが、挨拶をしたり、媚びを売ったり、話しかけたりする姿。
その光景をぼんやりと眺めていると、両親や兄が「何故、お前は行ってアピールしてこないんだ」と不思議そうに訊ねてくる。両親や兄の目には、あの誰もいない椅子に誰かが座っているのが見えているのだろうか。

「今は混んでいるようなので、後でご挨拶に行きますわ」

と、誰もいない椅子に視線を向けて言えば、両親と兄は酷く安心したような笑みを浮かべる。下心満開な笑顔に、反吐が出そうだと思う。彼らにとって、私は駒の一つに過ぎない。夢の中で、最初彼らに愛されていると思い込んで振る舞ってしまい失敗したことが思い出される。苦い思い出に思わず顔が歪みそうになるけれど、淑女の笑みを浮かべて自制心で押さえ込む。

今は、まだ彼らを信用していないことを知られるわけにはいかない。

誰かに呼ばれて両親と兄が離れて行ったのをこれ幸いと、私は中庭に足を向ける。このまま、挨拶せずに最後まで隠れているつもりだった。今まで、同じように隠れた時に夢の内容に変化がなかったのは解っているけれど、今回はそもそも『彼』が不在なのだから何か違うかもしれない。
中庭へ出ると、季節の花々が綺麗で心が洗われるわと思う。
このまま、どこかへ行ってしまいたいけれど、齢十歳では無理だわねとため息をつく。
夢の中では十五歳で処刑される日まで生きているけれど、繰り返しているだけなので経験値はさして上がっているようには思えない。
せめて繰り返すなら、お茶会当日より前にして欲しかったわと遠い目をする。それなら、お茶会を回避するとか、もっと根本的なことができたのに。もう自害でもするか、『彼』を殺すしかないのかしらと今後を悩んでいると、後ろからお兄様の声がした。

振り返ると、お兄様はニコニコ笑いながら、横の誰もいない空間に向かって話しかける。

何をしているのだろうと首を傾げると、慌てたように兄は『彼』に早く挨拶をするようにとせかす。兄の横には誰もいないのに。何の茶番なのだろうと思いながら、カーテシーをして挨拶をすると兄は大きく息を吐く。どうやら、間違っていなかったらしい。

その日は、結局『彼』には会えないまま終わる。

その代わり、誰も彼も誰もいない空間に向かって挨拶をしたり、媚びを売ったり、話しかけたりしていたのだった。もしかして今日のお茶会は、そういう趣向だったのかしらと屋敷に戻ってから思う。いつもとは違う展開に、もしかしたら今夜は違う夢かもしれないと期待して眠ったのだった。

夢の中で、いつもの通り私は『彼』と婚約をする。
だけど、夢の中でも『彼』の姿はなくて、私は誰もいない空間に向かって話しかける。
兄も他の人も、誰もいない空間に『彼』がいるかのように話しかけていたから、もしかすると私だけ『彼』が見えないのかもしれない。一番最初に見た夢では、『彼』に一目惚れした私が両親に頼み込んで婚約を勝ち取ったものの、最愛を見つけてしまった『彼』に嫌われて処刑されてしまったから、恋心を思い出させないように神様が温情をかけてくれたのかもしれない。

誰もいない空間に話しかける度に、『彼』の名前と顔の記憶が薄くなっていく。

そもそも、『彼』には嫌われていたから、『彼』の名前を呼ぶことは一度も許されなかったけれど。

王立学園へ入学して、他の令嬢から『彼』がとある男爵令嬢と親しくなっている話を聞く。これも、いつものこと。いつもなら、ピンクゴールドの髪をした庇護欲をそそる可憐な令嬢と『彼』が睦み合う姿を見て嫉妬で胸が痛くなるのに、今回は彼女が誰もいない空間に向かって一人芝居をしているようにしか見えなくて特に何とも思わない。

回避するどころか、興味が薄れて行く。

心配という悪意を向けてくるご令嬢方に全く気にしていないことを伝え、男爵令嬢が『彼』だけではなく兄を始めとした『彼』の未来の側近たちとも親しくなるのを放置する。それにしても、この国は一妻多夫制ではないのにどうするのかしらと、すっかり冷静になった頭で考える。彼らにとって一番良い形は『彼』と最愛が結ばれて他の方々は彼女の『愛人』になるのが良いだろうと、婚約解消を願い出たのだけど、何故か拒否されたのは少し前のこと。

そんなに『彼』は私のことを処刑したいのだろうか。

今回は一度も顔を合わせたことがないというのに。

そうこうしている内に、いつもの処刑される時期が近づいてくる。結局、この時期まで婚約解消できなかったから、処刑されるのは既定路線なのだろう。夢の中とはいえ、何度も繰り返されると心が死んでくる。すっかり無表情になってしまったけれど、私に興味がない家族は全く気付かない。

処刑される日まで死人のように、粛々と学園へ通う日々。

そんなある日のこと。階段の上で『彼』の最愛に呼び止められる。
愛されていないのだからあの人のことを解放して欲しいと、こぼれそうな程大きな瞳に涙を溜めて彼女は訴えてくる。
ああ、こういう庇護欲をそそる可憐な少女が愛されるのねと、ストンと胸に落ちる。
愛されていないのは解っているし解放して欲しいと言われても、こちらは何度も婚約解消して欲しいとお願いしている方なのに。苦く笑って『彼』にお願いするといいわと言えば、『彼』の最愛の彼女は顔を歪ませる。
可憐な顔が勿体ないと他人事のように思っていると、『彼』の最愛が手を伸ばしてくる。
次の瞬間、私の身体が階段の上から宙に浮かぶ。

今回は処刑じゃないんだと思いながら、私は暗闇に身を委ねたのだった。

そして、また夢から覚める。

またお茶会の日かしらと思いながら目を開けると、心配そうなお兄様の顔が目に入る。思わず目を逸らすと、お兄様は困惑の表情を浮かべる。それにしても、何でお兄様は夢の続きのような成長した姿なのだろうか。もしかして、今回は夢ではなかったのだろうか。

今回は本当に処刑されてしまうのだろうか。

繰り返し夢の中で処刑されるのと、いっそのこと実際に処刑されて楽になるのと、どちらが良いだろうか。何かを言っているお兄様の口元をぼんやりと眺めていると、ふと気付く。お兄様の隣に見知らぬ人が立っていることを。
金髪に緑色の目をした端整な顔の男の人。
いったいどなただろうと首を傾げると、見知らぬ人は不快そうに目を細める。嫌々この場にいるような様子に、どうしてこの人はここにいるのだろうと不思議に思う。もしかして、お兄様のお友達なのだろうか。そうだとしても、一応とはいえ淑女の寝室にいるのはおかしい気がする。困惑していると、見知らぬ人が私の愛称を呼んだ。

遠い昔に同じように呼ぶ人がいたような気がするけれど、思い出せない。
そして、

「お兄様、この方はどなたなのでしょうか」

と、訝しげに訊けば、お兄様は目を見張り、見知らぬ人の顔から表情がごそっと抜け落ちたのだった。

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