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歳月の流れ編~

63.車椅子の男性

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 翌朝、そろそろ出掛けようかと準備をしていた私のところに、教会のシスターがやってきた。
 
「聖女様、申しわけありませんが、診て頂きたい方が来られているのです」
 

 困惑しながらもシスターはそう言う。
 
 
 私は基本、治療は治療院に自ら回って行なっている。
 聖女の治療を望む人は山ほど居て、順番待ちが後を絶たず、本来の教会の活動が行えなかったから、教会では受けない事にしたのだ。
 いつも居るわけではないし、金持ちや貴族らがお金や権力にものを言わせて、弱者を押し退ける事もざらにあったのも理由の1つだ。
 
 それでも治療院に通う事が出来ない場合などは、治療の申し込みをしてもらった上で、私から出向くようにしていた。
 
 
「ここでは治療しないわ。知っているでしょう?」
 
 
 そうシスターに伝えて、出掛けようとするもシスターは困ったようにオロオロしている。
 
 
「どうしたの? いつものように手順を踏んでもらったら、私から出向くのに」
 
 
「いえ、それが……どうやら帝国の方で、その手順を知らなくてわざわざこの国まで出向いて来られたようでして……」
 
 
 シスターの説明に、はぁ……とため息が溢れる。
 
 
「重病の人? 一刻を争う感じ?」
 
「いえ、そういう訳では……」
 
「じゃあ、手順どおりにして欲しいのだけれど……」
 
 
 そんなやり取りをしていると、教皇様が話に入って来た。
 
 
「エマ様。どうやらだいぶん困っておられるようです。私からもお願いいたします。診て差し上げてください」
 
 
 教皇様の言葉に、私は首を傾げ考える。
 
 教皇様までこんな事を言うなんて、珍しい。
 
 
「分かりました。行きます。案内して下さい」
 
 そうシスターに告げて、案内してもらう。
 
 
 教会の聖堂にて私を待っていたのは、老夫婦と車椅子に乗った若い男性だった。
 
 
 
「お待たせ致しました」
 
 
 私の声掛けに、老夫婦が車椅子に乗った青年を押しながら此方に振り向いた。
 
 
 振り向いた時、車椅子の男性を見て私は吃驚した。
 その男性は、心を閉ざしているのか、何も映さない虚ろな目をしており、痩せこけている。
 しかし、その目の色はワインレッド色で、髪色もシルバーグレーをしており、グレイに何処か似ていたのだ。
 
 危うくグレイ! と叫びそうになったが、付き添っていた男性が話し出したので、すんでのところで叫ぶのを抑えることが出来た。
 
 
 
「ああ、聖女様。突然押しかけてしまい、申し訳ありません。気がせいてしまい、何も考えずにこの国に聖女様の助けを求めてやってきてしまいました」
 
 
「いえ、それでどうなされました?」
 
 
 私は平静を装いながらそう言って、車椅子に座っている男性を改めて見る。
 まだ20代半ばぐらいだろうか。
 あの頃のグレイは17歳の姿をしていたが、この年頃の姿になったら、こんな風にもう少し大人びた感じになるんだろうな。
 
 そんなことを思いながら、男性の話を聞く。
 
「この車椅子に乗っているのは、私の息子なのですが、実は幼い頃に行方不明になっていたのです。
 長い間ずっと探し続けていましたが、全く見つからず、諦めかけていたのですが、半年ほど前に、ようやく見つかったのです。
 しかし、見つけた時にはこのように、痩せこけて言葉も話せず、何も映していないような目をして、歩く事すら出来ない状態でした……」
 
 
 私は改めて車椅子の男性を見た。
 
 この何も映さない虚ろな目になるまでに、この人に一体どんな事が起こっていたのだろうか……。
 
 
 
「この半年間、あらゆる治癒師や医者に診てもらいましたが、一向に回復せず……そんな時に、この国の聖女様ならと言う話を耳にし、居てもたったも居られなくなり、直ぐにこちらに伺わせて頂いたのです」
 
 
 父親と名乗った男性は、老人かと思っていたが、見た目ほど年配ではなかったようだ。
 きっと、気苦労から年齢よりも老いて見えていたのだろう。
 父親がそう説明した後、母親だと思われる女性が、泣きながら懇願してくる。
 
「お願いいたします、聖女様!
 貴女様なら、どんな状態の人でも治せるとお聞きしました!
 この子は、多分、わたくしたちが想像も出来ないような壮絶な目に遭っていたに違いありません! 少しでも不憫に思って頂けるなら、お力をお貸し下さいませ!」
 
 
 その母親はそう叫びながら、泣き崩れてしまった。その母親を支えながら、父親は深々と頭を下げている。
 
 
 両親が必死でお願いしている最中も、車椅子の男性は全く反応がない。
 
 きっと心が壊れてしまっているのだろう。
 
 
「どうぞ、頭をお上げください。
 事情は分かりました。お引き受け致しましょう」
 
 私の言葉に、夫婦はパッと顔を上げる。
 
 
「ありがとうございます! お礼はいくらでも支払います! 息子をよろしくお願いします!」
 
 夫婦は安心したように、嬉し泣きをしながらそう言う。
 
 
「ですが……」
 
 私は神妙な顔で、話を続ける。
 伝えなければならない事があるからだ。
 
 
「回復魔法は通常、身体の傷や病などは治せても、心の病には効きません。
 ですので、わたくしが回復魔法を駆使しても、この方をどこまで治せるのか、はっきり言って分からないのです。
 ……それでも宜しいのでしょうか?」
 
 
 私の説明に、少し落胆した様子だが、それでもと気持ちを奮い立たせて願い出てきた。
 
 
「少しでも希望が見いだせるのなら、全てやってみたいのです。
 後になって聖女様を責めるような真似は決してしないと誓いましょう。
 ティエス帝国のフィリス公爵家の名にかけて」
 
 
 父親がそう言った。
 
 ティエス帝国のフィリス公爵家……
 
 グレイが学園に通っている時に使っていた、設定上の家名だわ……
 
 
 
「この方はいくつの時に行方不明に?」
 
 私の質問に、悲しそうに父親が答えてくれた。
 
 
「9歳の時です。今は23歳になっていますので14年間も行方不明でした」
 
 
 
 グレイはこの人が行方不明だと知っていたから、この家の名を使ったのだろうか。
 
 少し複雑な気持ちになりながら、車椅子の男性にグレイの姿を重ねてしまいそうになる自分がいた。
 
 
 
「分かりました。
 どのような事がこの方に起こったのか想像も付かず、また長い時間をかけて心身共に苦しめられ傷ついてきたのなら、時間もかかりそうです。
 それでも宜しいのならば、全力でお力になりたいと思います」
 
 
 目の前のこの人に、どうにか少しでも笑顔を取り戻してほしい、この人はこれからの人生を幸せに生きていってほしい……。
 そんな気持ちが芽生えてきていた。
 
 
 夫婦はとても感謝し、しばらくこの方を教会の運営する治療院で預かる事とし、そこで治療を行う事にした。
 
 
「あ、この方のお名前をお伺いしても?」
 
 
 私の質問に、父親はうっかりしていたといった様子で慌てて教えてくれる。
 
 
「グレンです。グレン・フィリスと申します」
 
 
 そう言って、グレンに話し掛けている。
 
 
「グレンや。聖女様に診てもらえる事になったぞ。良かったな。
 少しでもお前が良くなる事を父は信じてるぞ」
 
「ええ、そうよ。グレン。貴方はわたくしたちの大切な息子だもの。わたくしたちは、いつまでも貴方の事を待っていますからね。
 安心して聖女様の治療を受けて、一日でも早くわたくし達の元に戻ってきてね」
 
 夫婦は、息子を労わるようにそう告げている。
 
 
 
 グレン。
 
 まさかのグレイと一字違いだなんて。
 
 
 グレイとの共通点が多いこの車椅子の男性を、私は絶対に治したいと強く思った。
 
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