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第13章
人生が変わった日(3)
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「ねえ、あつきくんは――」
そう言いかけると、その言葉を遮るかのように彼が「あっくん」と言った。
みんなそう呼ぶんだと言って、私にもそう呼ぶように遠回しに伝えてくる。
人懐こい笑顔を前にしたら逆らうことなんてできそうにない。
「じゃあ……えと、あっくん」
「うん、なに?」
「あっくんの心臓は治る、のかな?」
聞いてしまった後でハッとして、しまった、と慌てて口を押さえるものの遅い。
なにか病気を抱えてる人に対して、治るのか、なんて言っていい言葉じゃなかったかもしれない。
もしそれが、治らない病気だったとしたらなおさら。
あっくんがそうだと言うわけじゃないけど、衝動で言うことじゃない。
「治るんじゃない、治してみせるんだ。――自分で」
私から空へと視線を移した彼はまっすぐで、年下なのに自分より大人に見えた。
「食べるものも運動も、みんなができることがぼくにはできないことばかり。にがい薬もいたい注射も本当はいや。でも、がんばれば運動会にも出られるかもしれないでしょ」
暑い空の下にいるのも嫌だし、運動があまり得意じゃない私は毎日の練習も苦痛なのに。
だけど、運動ができない彼からすれば、運動会に出ることが夢みたいなことなんだ。
私にとっての当たり前は、きっと全部、当たり前なんかじゃない。
「あと、ジェットコースターにも乗りたいんだ。子供用のやつにも乗れないから」
「……ジェットコースターもダメなの?」
「そう言われてる。しんぞうに負担が掛かるから、なにかあったら困るって」
きっと、私が考えられないような苦しくてつらいことを経験してるんだ。
なのにどうして、なんでもないことのように笑えるんだろう。
さも平気だと言うように、こんなにも明るく振る舞えるんだろう。
彼に比べたら私の悩みなんかちっぽけなことのように思えて、恥ずかしくなった。
「…あれ? これ、るーちゃんの?」
屋上のコンクリートの上に落ちていた〝なにか〟を拾い、あっくんはそう聞いてくる。
それは丸まった紙で、スカートのポケットに手を突っ込むとそこになにも入っていなかった。
ポケットに入れたつもりで、どうやら落としてしまったらしい。
私がなにか言うよりも一足先に、あっくんはそれを広げて中身を見る。
――テストの、答案用紙。
「わ、すごい!」
それは返ってきたばかりの算数のテストで、赤いペンで78点と書かれてある。
…でも、これじゃダメなんだ。
90点以上じゃないと、お父さんもお母さんも褒めてくれないし認めてくれない。
「……こんなの、すごくないよ」
「そんなことないよ! るーちゃん、きっとすごくがんばってるんだねっ!」
頑張ってるつもり。
でも、それは自分が決めることじゃなくて、周りがそう感じないと意味がない。
どれだけ頑張ってもそう思われなかったら、私の頑張りは足りないってことなんだ。
「……でも、90点以上じゃない」
「…? 何点でも、るーちゃんががんばったことに変わりはないでしょ?」
「え」
「るーちゃんが満足していなくても、この点数を取るためにがんばってきた時間があるはずだよ。それはムダにならないよ」
頑張らなきゃいけないって、いつも虚勢を張ってばかりだった。
そうしないと私がここにいる意味なんてなくなるようで、成績も残さないといけないって。
人はどうしても結果だけを見て、人の価値観を決めつけたがる。
なのに、あっくんは結果の過程までも想像して、その頑張りを認めてくれる。
「ぼくはね、できないことよりできたことを数えるようにしてるんだ。そのほうが楽しいからね」
あっくんはにこやかに笑って、「だからテストをがんばったるーちゃんはすごいよ」と言った。
誰もそんなことを言ってくれない。
なのにどうして、会ったばかりでなにも知らない彼がそう言ってくれるの?
そんなことを言われたら、じわりと涙が滲んでしまいそうになる。
「…ぅ、あぁ…っ」
我慢しようと思ったのに、我慢できると思ったのに喉の奥から溢れる嗚咽を抑えることができずに、その場に膝をついた。
年下の男の子の前でカッコ悪い。
そう思うのに鼻の奥がツンとして、どうやっても堪えることができない。
私はずっと、そう言ってほしかったんだ。
両親にも先生にも友達にも、頑張れ、じゃなくて努力を認めてほしかったんだ。
頑張らなくてもいいよ、頑張ってるよ、ってそう言ってくれるだけできっと救われた。
私が欲しい言葉をくれたのは、会ったばかりの彼だけだった。
その言葉が胸の奥深くにまで響いて、ギュッと染み込んでいく。
今までの自分を、苦しくても走り続けてきた自分を肯定された気がした。
「るーちゃんはがんばってるよ」
なにも知らないくせに、会ったばかりのくせに。
でも、すべてをわかってくれている気がして、その言葉はすんなりと入り込んできた。
今までの自分も頑張ってきた時間も無駄じゃなかった、意味のあるものだったんだと感じた。
そう言いかけると、その言葉を遮るかのように彼が「あっくん」と言った。
みんなそう呼ぶんだと言って、私にもそう呼ぶように遠回しに伝えてくる。
人懐こい笑顔を前にしたら逆らうことなんてできそうにない。
「じゃあ……えと、あっくん」
「うん、なに?」
「あっくんの心臓は治る、のかな?」
聞いてしまった後でハッとして、しまった、と慌てて口を押さえるものの遅い。
なにか病気を抱えてる人に対して、治るのか、なんて言っていい言葉じゃなかったかもしれない。
もしそれが、治らない病気だったとしたらなおさら。
あっくんがそうだと言うわけじゃないけど、衝動で言うことじゃない。
「治るんじゃない、治してみせるんだ。――自分で」
私から空へと視線を移した彼はまっすぐで、年下なのに自分より大人に見えた。
「食べるものも運動も、みんなができることがぼくにはできないことばかり。にがい薬もいたい注射も本当はいや。でも、がんばれば運動会にも出られるかもしれないでしょ」
暑い空の下にいるのも嫌だし、運動があまり得意じゃない私は毎日の練習も苦痛なのに。
だけど、運動ができない彼からすれば、運動会に出ることが夢みたいなことなんだ。
私にとっての当たり前は、きっと全部、当たり前なんかじゃない。
「あと、ジェットコースターにも乗りたいんだ。子供用のやつにも乗れないから」
「……ジェットコースターもダメなの?」
「そう言われてる。しんぞうに負担が掛かるから、なにかあったら困るって」
きっと、私が考えられないような苦しくてつらいことを経験してるんだ。
なのにどうして、なんでもないことのように笑えるんだろう。
さも平気だと言うように、こんなにも明るく振る舞えるんだろう。
彼に比べたら私の悩みなんかちっぽけなことのように思えて、恥ずかしくなった。
「…あれ? これ、るーちゃんの?」
屋上のコンクリートの上に落ちていた〝なにか〟を拾い、あっくんはそう聞いてくる。
それは丸まった紙で、スカートのポケットに手を突っ込むとそこになにも入っていなかった。
ポケットに入れたつもりで、どうやら落としてしまったらしい。
私がなにか言うよりも一足先に、あっくんはそれを広げて中身を見る。
――テストの、答案用紙。
「わ、すごい!」
それは返ってきたばかりの算数のテストで、赤いペンで78点と書かれてある。
…でも、これじゃダメなんだ。
90点以上じゃないと、お父さんもお母さんも褒めてくれないし認めてくれない。
「……こんなの、すごくないよ」
「そんなことないよ! るーちゃん、きっとすごくがんばってるんだねっ!」
頑張ってるつもり。
でも、それは自分が決めることじゃなくて、周りがそう感じないと意味がない。
どれだけ頑張ってもそう思われなかったら、私の頑張りは足りないってことなんだ。
「……でも、90点以上じゃない」
「…? 何点でも、るーちゃんががんばったことに変わりはないでしょ?」
「え」
「るーちゃんが満足していなくても、この点数を取るためにがんばってきた時間があるはずだよ。それはムダにならないよ」
頑張らなきゃいけないって、いつも虚勢を張ってばかりだった。
そうしないと私がここにいる意味なんてなくなるようで、成績も残さないといけないって。
人はどうしても結果だけを見て、人の価値観を決めつけたがる。
なのに、あっくんは結果の過程までも想像して、その頑張りを認めてくれる。
「ぼくはね、できないことよりできたことを数えるようにしてるんだ。そのほうが楽しいからね」
あっくんはにこやかに笑って、「だからテストをがんばったるーちゃんはすごいよ」と言った。
誰もそんなことを言ってくれない。
なのにどうして、会ったばかりでなにも知らない彼がそう言ってくれるの?
そんなことを言われたら、じわりと涙が滲んでしまいそうになる。
「…ぅ、あぁ…っ」
我慢しようと思ったのに、我慢できると思ったのに喉の奥から溢れる嗚咽を抑えることができずに、その場に膝をついた。
年下の男の子の前でカッコ悪い。
そう思うのに鼻の奥がツンとして、どうやっても堪えることができない。
私はずっと、そう言ってほしかったんだ。
両親にも先生にも友達にも、頑張れ、じゃなくて努力を認めてほしかったんだ。
頑張らなくてもいいよ、頑張ってるよ、ってそう言ってくれるだけできっと救われた。
私が欲しい言葉をくれたのは、会ったばかりの彼だけだった。
その言葉が胸の奥深くにまで響いて、ギュッと染み込んでいく。
今までの自分を、苦しくても走り続けてきた自分を肯定された気がした。
「るーちゃんはがんばってるよ」
なにも知らないくせに、会ったばかりのくせに。
でも、すべてをわかってくれている気がして、その言葉はすんなりと入り込んできた。
今までの自分も頑張ってきた時間も無駄じゃなかった、意味のあるものだったんだと感じた。
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