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第3章
作り上げる虹(1)
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クラスのみんなが走って汗を流している中、俺だけは体操服に着替えもせずに一人で雑用をこなす。
さっきまでいた先生も、用事があるとかで出ていってしまった。
同じように体育に出席できればいいけど、簡単にはそうできない。
なにも起こらないかもしれない――そう思っても、万が一のことを考えたら学校側は危険なことをさせようとはしない。
「…クソつまんね」
体育のたびに休み、その代わりに面倒な仕事を押しつけられて。
そうすることで体育の単位を稼いで、そうせざるを得ない自分が情けなさすぎる。
こんな天気がいいっていうのに、なにが悲しくて室内に閉じこもってなきゃいけないんだ。
走って風を感じられたらどれだけいいか――なんて、そんなことは夢物語に過ぎない。
開け放たれた窓から風が入ってくるものの、俺が感じたいのはそんなものじゃない。
『……ごめんね、蒼月』
今まで幾度と繰り返された母さんの言葉が蘇る。
責めてるわけじゃないし謝ってほしいわけでもない、ただもっといろんなことがしたいだけ。
だけど今の俺は、やりたいことの半分も満足にできなくて気力すらもない。
前を向けたらよかった。
それを諦めないでいられたらよかった。
夢も希望も未来もあると、純粋に信じていられたらどれほど楽だったか。
『やりたいことはあるかい?』
両親から余命のことを聞き、杉野先生にもはっきり告げられた後、彼はそう問いかけてきた。
小さい頃からの治療に疲れてしまった俺は生きることに前向きにはなれず、心は死ぬことを受け入れていて絶望もしていた。
死ぬことが決まっているのにやりたいことなんてないし、あったところで時間もない。
そもそも〝やりたいこと〟なんて、いったいどうやって見つけるんだよ。
なにかやりたいことがあったとしても、俺にはやれることが限られているのに。
まともに運動もできないのに他にやりたいことなんて、あるわけがない。
せめてもう少し、5分だけでも運動できる体だったらよかったのに。
『もしあるなら全力でやりなさい。それで変わることがあるかもしれない』
先生はそう言ったけど、なにが変わるというんだ?
〝死〟は変えられないのに、その限られた中で見出せるものなんか……ない。
なにか変わるものがあるなら、俺の気持ちももっと違ったかもしれないのに。
「蒼月、なにしてんの」
そんなことを考えていたら、走り終えて体育館へと移動する聖也に声をかけられた。
無理やりに笑って、「先生に捕まってさ」なんてここでもまた適当な嘘を並べ立てる。
運動できないんだ――なんて、本当のことは言おうにも言えない。
同情の目で見られて、なにかあるたびに特別扱いされるのも苦痛だ。
それが嫌だから進学をきっかけに隣町に引っ越して、新しい土地での生活を決めた。
俺のことを、俺の体のことを知らない人達の中で学校生活を送りたいと。
健康体の、一高校生として。
「お前、サボり魔だもんな」
「…うっせぇよ」
「ははっ! でも、体育より雑用のほうが楽でいいじゃん。走るのつらいし羨ましいんだけど」
そう言えるのは、走ることができるからだ。
それができない俺からすれば走れることが羨ましくて、走れない自分が悔しくて仕方ない。
体のことなんかなにも気にせず、俺はただ――飛んだり走ったりしたい。
サッカーでもバスケでもバレーでもなんでもいいから、無我夢中にやりたい。
でも、それはできないって知っているから、今までやる前から諦めてきた。
諦めることが俺が生きていく上で大事な処世術だった。
「…早く行かねえと、怒られるんじゃね?」
これ以上話していると、なにもできない怒りをぶつけてしまう気がしてそう言った。
思わず冷たい言い方になってしまったけど、聖也は特に気にした素振りは見せなくてホッとした。
俺が運動できないことを友達は誰も知らない。
そりゃそうだ、誰にも言ってないし、知られないように気をつけてきたんだから。
それを知られて、「蒼月はできないだろ」と遠ざけられるのも「可哀想だよな」と同情されるのも、どちらも嫌で苦痛だ。
そうされた経験があるぶん、せめてこの学校ではみんなと同じでいたい。
それが長く続かないとしても、無理にでも強がって健康な自分を演じていたい。
本当の自分とは異なるとしても、それが俺の思い描く理想の自分だ。
「やべ! みんな、もういねえじゃん!」
手を振って「じゃあな!」と駆けていく聖也の後ろ姿を見て、俺はため息をついた。
ふっと心臓に手を当てる。
まだ大丈夫――そう言い聞かせてみても、いつどうなるかなんてわからない。
こんな爆弾を抱えた体を持つ俺が学校生活を送りたいなんて、もしかしたら無謀だったのか。
また中学の頃みたいに、救急車で運ばれてしまうことがあるかもしれない。
あれは他の子が悪いんじゃない、自分の体のことを理解しきれていなかった自分のせい。
だけど、そういうことが一度でも起きれば、必然と俺の周りから人は減っていく。
それを嫌というほど知ったから、せめて死ぬ時までは見せ掛けだけでも健康でいたい。
さっきまでいた先生も、用事があるとかで出ていってしまった。
同じように体育に出席できればいいけど、簡単にはそうできない。
なにも起こらないかもしれない――そう思っても、万が一のことを考えたら学校側は危険なことをさせようとはしない。
「…クソつまんね」
体育のたびに休み、その代わりに面倒な仕事を押しつけられて。
そうすることで体育の単位を稼いで、そうせざるを得ない自分が情けなさすぎる。
こんな天気がいいっていうのに、なにが悲しくて室内に閉じこもってなきゃいけないんだ。
走って風を感じられたらどれだけいいか――なんて、そんなことは夢物語に過ぎない。
開け放たれた窓から風が入ってくるものの、俺が感じたいのはそんなものじゃない。
『……ごめんね、蒼月』
今まで幾度と繰り返された母さんの言葉が蘇る。
責めてるわけじゃないし謝ってほしいわけでもない、ただもっといろんなことがしたいだけ。
だけど今の俺は、やりたいことの半分も満足にできなくて気力すらもない。
前を向けたらよかった。
それを諦めないでいられたらよかった。
夢も希望も未来もあると、純粋に信じていられたらどれほど楽だったか。
『やりたいことはあるかい?』
両親から余命のことを聞き、杉野先生にもはっきり告げられた後、彼はそう問いかけてきた。
小さい頃からの治療に疲れてしまった俺は生きることに前向きにはなれず、心は死ぬことを受け入れていて絶望もしていた。
死ぬことが決まっているのにやりたいことなんてないし、あったところで時間もない。
そもそも〝やりたいこと〟なんて、いったいどうやって見つけるんだよ。
なにかやりたいことがあったとしても、俺にはやれることが限られているのに。
まともに運動もできないのに他にやりたいことなんて、あるわけがない。
せめてもう少し、5分だけでも運動できる体だったらよかったのに。
『もしあるなら全力でやりなさい。それで変わることがあるかもしれない』
先生はそう言ったけど、なにが変わるというんだ?
〝死〟は変えられないのに、その限られた中で見出せるものなんか……ない。
なにか変わるものがあるなら、俺の気持ちももっと違ったかもしれないのに。
「蒼月、なにしてんの」
そんなことを考えていたら、走り終えて体育館へと移動する聖也に声をかけられた。
無理やりに笑って、「先生に捕まってさ」なんてここでもまた適当な嘘を並べ立てる。
運動できないんだ――なんて、本当のことは言おうにも言えない。
同情の目で見られて、なにかあるたびに特別扱いされるのも苦痛だ。
それが嫌だから進学をきっかけに隣町に引っ越して、新しい土地での生活を決めた。
俺のことを、俺の体のことを知らない人達の中で学校生活を送りたいと。
健康体の、一高校生として。
「お前、サボり魔だもんな」
「…うっせぇよ」
「ははっ! でも、体育より雑用のほうが楽でいいじゃん。走るのつらいし羨ましいんだけど」
そう言えるのは、走ることができるからだ。
それができない俺からすれば走れることが羨ましくて、走れない自分が悔しくて仕方ない。
体のことなんかなにも気にせず、俺はただ――飛んだり走ったりしたい。
サッカーでもバスケでもバレーでもなんでもいいから、無我夢中にやりたい。
でも、それはできないって知っているから、今までやる前から諦めてきた。
諦めることが俺が生きていく上で大事な処世術だった。
「…早く行かねえと、怒られるんじゃね?」
これ以上話していると、なにもできない怒りをぶつけてしまう気がしてそう言った。
思わず冷たい言い方になってしまったけど、聖也は特に気にした素振りは見せなくてホッとした。
俺が運動できないことを友達は誰も知らない。
そりゃそうだ、誰にも言ってないし、知られないように気をつけてきたんだから。
それを知られて、「蒼月はできないだろ」と遠ざけられるのも「可哀想だよな」と同情されるのも、どちらも嫌で苦痛だ。
そうされた経験があるぶん、せめてこの学校ではみんなと同じでいたい。
それが長く続かないとしても、無理にでも強がって健康な自分を演じていたい。
本当の自分とは異なるとしても、それが俺の思い描く理想の自分だ。
「やべ! みんな、もういねえじゃん!」
手を振って「じゃあな!」と駆けていく聖也の後ろ姿を見て、俺はため息をついた。
ふっと心臓に手を当てる。
まだ大丈夫――そう言い聞かせてみても、いつどうなるかなんてわからない。
こんな爆弾を抱えた体を持つ俺が学校生活を送りたいなんて、もしかしたら無謀だったのか。
また中学の頃みたいに、救急車で運ばれてしまうことがあるかもしれない。
あれは他の子が悪いんじゃない、自分の体のことを理解しきれていなかった自分のせい。
だけど、そういうことが一度でも起きれば、必然と俺の周りから人は減っていく。
それを嫌というほど知ったから、せめて死ぬ時までは見せ掛けだけでも健康でいたい。
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