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第2章
月明かりの下の海(1)
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「あっれぇ? 蒼月くんだぁ!」
聞き覚えのある声、…というか、さっき病院で聞いたばかりのやけに耳に響く女の子の声。
彼女は無邪気な子供みたいに駆け寄ってきて、隣のブランコに腰掛けた。
「なんでここにいんだよ。ストーカーか?」
「え? してほしい?」
「なわけあるか!」
「そっかそっか、だよねぇ」
彼女は甲高い声を上げながら、ゆっくりとブランコを漕ぎ始めた。
鎖の軋む音が鈍く響くけど、それはもうさっきほど気にはならなかった。
彼女がブランコを漕ぐたびに吹き抜ける風が肌を撫でていき、なんだか気持ちが少し落ち着いた。
「で、お前、なんでいんの?」
そう聞くと彼女はブランコを止めて、子供みたいに頬を膨らませる。
可愛らしい見た目とその表情がピッタリはまって、とても愛らしく見えた。
…いや違う、よく知りもしない変な女の子がそう見えてしまうなんて視力が悪くなっただけだ。
うん、絶対にそうだ、そうに違いない、そうとしか思えない。
「お前じゃなくて流奈! 病院で名前教えたでしょ? もう忘れたの?」
忘れてないけど、名前しか知らない女の子をいきなり名前呼びするのはちょっと抵抗がある。
クラスメイトの女子でも、下の名前で呼ぶことなんてないのに。
「覚えてるけど。ってか、名字はなんていうんだよ?」
「なんだと思う?」
「…お前、めんどくせえな」
「あ、またお前って言った! ちゃんと名前で呼んでよ! 私と蒼月くんの仲でしょ」
「……名前で呼び合うほど、仲良くなった覚えはないんだけど」
「えぇ、冷たい~」
子供みたいな表情の作り方をする子なのに、不思議とそれが嫌じゃない。
そういうところが安心して、どこか親近感が湧くような女の子。
こんな子に会ったのは初めてだった。
…いや違う、ただ覚えてないだけでそう思い込んでいただけに過ぎない。
この時はまだ、彼女が俺の前に現れた本当の理由を知らないでいたんだ。
この出会いが偶然じゃなく、彼女が作り出したことだということにも。
「じゃあねー、名前で呼んでくれたら名字教えてあげてもいーよ?」
なんでそんなに教えるの嫌なんだよ。
そっちのほうが気になるし、というか、はっきり言って名字なんてどうでもいい。
名前で呼ぶのが照れくさいから名字で呼べばいっか、って思っただけ。
向こうは当たり前のように〝蒼月くん〟って呼んでいるけど、俺はそうできないだけ。
なにも知らない女の子に対して馴れ馴れしくできるわけがなく、名字でなら呼べる気がするだけ。
「…あ、そ。んじゃ、別にいーや」
「ちょっとー! そこは名前で呼ぶとこでしょ! そういう流れだったし!」
「…どういうのだよ」
「いいじゃんいいじゃん。流奈、だよ?」
マイペースな子だな。
まだ会ったばかりだっていうのに、もう既にすごい振り回されてるような気がする。
さっきまで母さんのことで気持ちが落ちていたというのに、それはどこかに行ってしまった。
「流奈。――はい、どうぞ」
どうぞ、って言われてもな。
女友達なんて今も昔もいないから、俺にはハードルが高すぎるんだけど。
「…る、」
なんとか呼ぼうと口に出そうとするけど、言葉がなかなか出てこない。
いやいや、名前ひとつでこんな手こずるとか情けなさすぎるだろ俺!!
それはきっと俺がただ女慣れしてないからだ。
「…る、るる、る」
「え? なに? キタキツネでも呼ぶの?」
「…ばっ、違うし! お前が名前で呼べって言ったんだろーが!」
「言ったけど、そんなキタキツネ呼ぶみたいな声出すなんて思わないじゃん」
「うっせぇわ!」
そう言っても彼女はにこやかに笑うだけで、まったく怯むことがない。
それどころか「蒼月くんておもしろいね」なんて言って、足をぶらぶらさせるだけ。
今までそんなふうに言われたことなんてないのに。
「でも、名前呼んでくれなかったから名字は教えてあげなーい!」
どんだけ名前で呼んでほしいんだよ。
俺がわざわざ呼ばなくても、名前で呼んでくれるヤツくらい腐るほどいると思うんだけど。
俺みたいに名前ひとつ呼ぶのに苦労することもなく、すんなりと呼べるヤツが。
「ってか、蒼月くんはなんでここにいるの?」
それはこっちの台詞だ。
何度も聞いてるっていうのに、全然答えてくれない。
さっき病院で別れたはずで、もう会うことはないと思っていたのに、なんでまたこんなところで会うんだよ。
「おま、……君は?」
お前、と言いそうになって慌てて言い換えた。
名字を知らないし、とはいえ名前で呼ぶこともできそうになくて、そう言うしかない。
それでも彼女は不満そうだったけど、そのことに対してなにも言わなかった。
今日たまたま会っただけの子だ、明日になれば会うこともなくなる。
だから、彼女がどう思おうと関係ないし、名字を知らなくても問題ない。
「私はコンビニの帰り。あ、そーだ、ちょっと付き合ってよ」
「…は? なんで」
「いいじゃん。どーせ暇でしょ」
「…失礼なヤツだな」
「え? なんか予定ある?」
「……別にないけど」
そう答えると、「決まりね!」と彼女は笑って俺の手を引いていった。
聞き覚えのある声、…というか、さっき病院で聞いたばかりのやけに耳に響く女の子の声。
彼女は無邪気な子供みたいに駆け寄ってきて、隣のブランコに腰掛けた。
「なんでここにいんだよ。ストーカーか?」
「え? してほしい?」
「なわけあるか!」
「そっかそっか、だよねぇ」
彼女は甲高い声を上げながら、ゆっくりとブランコを漕ぎ始めた。
鎖の軋む音が鈍く響くけど、それはもうさっきほど気にはならなかった。
彼女がブランコを漕ぐたびに吹き抜ける風が肌を撫でていき、なんだか気持ちが少し落ち着いた。
「で、お前、なんでいんの?」
そう聞くと彼女はブランコを止めて、子供みたいに頬を膨らませる。
可愛らしい見た目とその表情がピッタリはまって、とても愛らしく見えた。
…いや違う、よく知りもしない変な女の子がそう見えてしまうなんて視力が悪くなっただけだ。
うん、絶対にそうだ、そうに違いない、そうとしか思えない。
「お前じゃなくて流奈! 病院で名前教えたでしょ? もう忘れたの?」
忘れてないけど、名前しか知らない女の子をいきなり名前呼びするのはちょっと抵抗がある。
クラスメイトの女子でも、下の名前で呼ぶことなんてないのに。
「覚えてるけど。ってか、名字はなんていうんだよ?」
「なんだと思う?」
「…お前、めんどくせえな」
「あ、またお前って言った! ちゃんと名前で呼んでよ! 私と蒼月くんの仲でしょ」
「……名前で呼び合うほど、仲良くなった覚えはないんだけど」
「えぇ、冷たい~」
子供みたいな表情の作り方をする子なのに、不思議とそれが嫌じゃない。
そういうところが安心して、どこか親近感が湧くような女の子。
こんな子に会ったのは初めてだった。
…いや違う、ただ覚えてないだけでそう思い込んでいただけに過ぎない。
この時はまだ、彼女が俺の前に現れた本当の理由を知らないでいたんだ。
この出会いが偶然じゃなく、彼女が作り出したことだということにも。
「じゃあねー、名前で呼んでくれたら名字教えてあげてもいーよ?」
なんでそんなに教えるの嫌なんだよ。
そっちのほうが気になるし、というか、はっきり言って名字なんてどうでもいい。
名前で呼ぶのが照れくさいから名字で呼べばいっか、って思っただけ。
向こうは当たり前のように〝蒼月くん〟って呼んでいるけど、俺はそうできないだけ。
なにも知らない女の子に対して馴れ馴れしくできるわけがなく、名字でなら呼べる気がするだけ。
「…あ、そ。んじゃ、別にいーや」
「ちょっとー! そこは名前で呼ぶとこでしょ! そういう流れだったし!」
「…どういうのだよ」
「いいじゃんいいじゃん。流奈、だよ?」
マイペースな子だな。
まだ会ったばかりだっていうのに、もう既にすごい振り回されてるような気がする。
さっきまで母さんのことで気持ちが落ちていたというのに、それはどこかに行ってしまった。
「流奈。――はい、どうぞ」
どうぞ、って言われてもな。
女友達なんて今も昔もいないから、俺にはハードルが高すぎるんだけど。
「…る、」
なんとか呼ぼうと口に出そうとするけど、言葉がなかなか出てこない。
いやいや、名前ひとつでこんな手こずるとか情けなさすぎるだろ俺!!
それはきっと俺がただ女慣れしてないからだ。
「…る、るる、る」
「え? なに? キタキツネでも呼ぶの?」
「…ばっ、違うし! お前が名前で呼べって言ったんだろーが!」
「言ったけど、そんなキタキツネ呼ぶみたいな声出すなんて思わないじゃん」
「うっせぇわ!」
そう言っても彼女はにこやかに笑うだけで、まったく怯むことがない。
それどころか「蒼月くんておもしろいね」なんて言って、足をぶらぶらさせるだけ。
今までそんなふうに言われたことなんてないのに。
「でも、名前呼んでくれなかったから名字は教えてあげなーい!」
どんだけ名前で呼んでほしいんだよ。
俺がわざわざ呼ばなくても、名前で呼んでくれるヤツくらい腐るほどいると思うんだけど。
俺みたいに名前ひとつ呼ぶのに苦労することもなく、すんなりと呼べるヤツが。
「ってか、蒼月くんはなんでここにいるの?」
それはこっちの台詞だ。
何度も聞いてるっていうのに、全然答えてくれない。
さっき病院で別れたはずで、もう会うことはないと思っていたのに、なんでまたこんなところで会うんだよ。
「おま、……君は?」
お前、と言いそうになって慌てて言い換えた。
名字を知らないし、とはいえ名前で呼ぶこともできそうになくて、そう言うしかない。
それでも彼女は不満そうだったけど、そのことに対してなにも言わなかった。
今日たまたま会っただけの子だ、明日になれば会うこともなくなる。
だから、彼女がどう思おうと関係ないし、名字を知らなくても問題ない。
「私はコンビニの帰り。あ、そーだ、ちょっと付き合ってよ」
「…は? なんで」
「いいじゃん。どーせ暇でしょ」
「…失礼なヤツだな」
「え? なんか予定ある?」
「……別にないけど」
そう答えると、「決まりね!」と彼女は笑って俺の手を引いていった。
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