記憶さがし

ふじしろふみ

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第七章 対面

乃亜

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 ここは、どこだ。
 気が付いたその場所は、見たことの無い場所だった。蛍光灯の光に目が眩みつつも、俺はゆっくりと瞼を一番上まで開いていく。
 見覚えの無いコンクリートの壁、床、天井。灰色をした鉄の扉が一つあるだけで、他には何も無い。どうやら、床に寝ていたようだ。衣服はそのまま。両手は背中側で拘束されて、動くことはできない。両脚も同様だ。足首の辺りをロープで縛られ、立つこともできそうになかった。
 確か、後方より来た何者かから受けた衝撃により、気を失ったのか。あの強い痺れは、スタンガンだろう。初めて受けたが、随分と強い刺激だ。
 後頭部に激しい痛みが走る。そういや痺れに加えて、頭も殴られた気もする。じんじんと響く痛みに、思わず涙が出そうになった。
(何が何だか分からんが…)
 とにかく、ここから出なくては。床を這いつくばりながら、扉の方へ向かう。ざらついた床を動くたび、胸から腹にかけて擦れ、焼ける程に熱かった。
扉の前にたどり着いた。見上げると、遥か上方にノブがある。立ち上がれない今の状態では、あのノブを捻ることさえ億劫だった。
 それでも、必死に立ち上がろうとする。まるで巨大な芋虫のように体をくの字に曲げ、両足を床にきちんと着け、バランスを取ろうとした、その時。突然のことだった。開いた扉が顔面にぶち当たり、俺はその勢いのまま吹っ飛ばされた。ごろごろと床を転がっていく。痛い。全身が、悲鳴を上げているように、痛みを発している。
「あら、起きていたの」
 そんな無様な俺に対し、扉があった方向より声が聞こえた。女の声だ。体を無理やり扉側に動かし、その方向を見た。
 扉の前には女と、もう一人男が立っていた。この女は確か…

「この前、ファミレスで隣に座っていた女か。一度すれ違ったな」
 来須の記憶力の良さに、私は一瞬動揺した。彼の言うとおり、トイレに立った際すれ違った気がするが、そんな意識もしないようなことを覚えているなんて。
「…すごい記憶力ね」
「どうも。そして」
 素っ気なく返事をした次は、私の後ろにいる男に目を向ける。
「お前も知っているぞ。いな、もと。そうだ、稲本だったよな。なあ、先生」
 稲本は何も言わない。何も言わずに、開いていた扉を静かに閉めた。
「まさか、子どもたちの教育を担う先生様がこんなことをするなんてな。おい、お前ら。これは監禁だぞ。それに俺を拉致する際に行なった暴力もある。軽犯罪じゃあ、済まされないからな」
「うるさいわね。あなた、今の自分の状況がどういったものか、分かってないの?」
「分かってないのはお前らだよ。俺は警察だ。そんな人間にこんなことして、ただで済むと思うな」
 両手両脚を縛られた状態だというのに、まったく臆した表情を見せない彼に、少々気圧される。さすが、と言ったものか。彼が警官ということには十分納得できる。
「それで。俺をここに監禁した理由を教えろよ」
 彼にそう言われ、ハッとなった。
「あ、ええ。良いわ。私たち、あるものの使い方をあなたに教えて欲しくて」
「あるものの使い方、ねえ。記憶修復システムのことか?」
 これは本気で驚いた。まさかそれだけの情報で、そこまで瞬時に分かるなんて。
 それにしても、システムの正式名称は初耳だった。記憶修復…これまでの話から察するに、故人の記憶を直し、再度見ることができる。そのようなものなのか。それがどう、故人と話ができる、生き返るにつながるのかは分からないが。
「拉致してまで俺に聞きたいことなんて、それしか思いつかないからな。当たりか」
「ええ、まあね」
「どうしてそれを知りたい。何が狙いだ」
「それは言えないわ。だけど、今すぐにでも私たちはそれを使いたい。ただ、それだけのこと」
「ふーん」そこで彼は少し考え込むと、閃いたように何度か頷いた。
「そうか。この前起きた、東島家での事件のことだろう」
「ど、どうして」
 心臓の鼓動が急激に速くなる。
「今、あのシステムを使う予定としてはあの事件ぐらいなもんだからな。だがそうだとしても、どうしてお前らがそこまで急いで使いたいのか。…決まっている。お前らは、あの事件に関わりがある。そうだろう」
 私は胸を抑える。しかしまるで反発するかのように、鼓動の鳴る速さは増すばかりだ。
「いや、むしろ。そんな、関わりがあるなんてものじゃない。俺を警官と知って拉致監禁する程だ。それこそ余程の…ん?」
 やめろ。それ以上、私たちがしてきたことを暴くのは。
「まさかお前ら、あの事件の犯人か?」
「…!」
 私が動揺したその一瞬を、彼は見逃さなかった。
「なるほどな。読めた、読めたぞ。あの事件を仕出かしたお前らは、偶然ファミレスで、俺と彼女の話を聞いた。記憶修復システムによる、事件の捜査について」
 私たちが無言であることをいいことに、来須は先を続ける。
「お前らは焦った。下手すりゃ、捕まるのも時間の問題だ、とな。そこで考える。そのシステムとやらを使わせなければ、自分たちのもとに警察が辿り着くこともない、と。だからこそ、システムの使い方を知りたいんだ。それがどういったものか把握することで、本当に害あるものかどうかを判断するために」
 私は心の中で感嘆の声を上げた。彼は全てを言い当てた。まさか、そこまで分かるとは。
「ふうん。残念だけど、それは違うわ」
 しかし気取られないよう、あえて否定をする。が、「声が上擦っているな。嘘つきめ」と、小馬鹿にしたように返され、顔が熱くなる。
「今、俺が言ったことが正しいかどうか。そんなことはどうでも良い。俺がそう感じたことが肝心なんだよ。それなら、使い方なんて死んでも教えてたまるか」
「なっ」
 焦りからか、私は彼に駆け寄り、胸ぐらを掴む。
「良いから教えなさい。さもないと、殺すわよ」
 私たちは既に何人も殺している。もう一人殺すことくらい、何の造作もない。しかし私の脅しにさえ、彼は屈することはなかった。
「おお、殺してみろ。でもな、もし殺せば、あのシステムの使い方は分からず終いだぞ。それでもいいならな」
「そ、それなら関口美琴に聞くまでよ!」
「あの人にゃあ、まだ何も話しとらんよ。あくまで概要だけだ。ふん縛って尋問しようが、何にも前に進まんだろうな」
「く、くう…!」
「それも駄目なら、他の警官を同じように捕まえて聞き出すか?やめとけやめとけ、あのシステムは俺の部署の人間じゃないと分からねえし複雑だ。存在すらも知らんよ」
 そこで彼は大きく息を吸った。
「つまり、まあ。何をしようが意味が無い。そういうことだ。大人しくお縄にくれる方が、身のためじゃないかねえ」

 屈辱。彼女は今、その感情が心を満たしているに違いない。
 哀れみの表情を向ける。これだから、犯罪をする人間というのは甘い。自らの罪をその場しのぎで隠すのに必死で、その後のことを考えていないのだから。
 ここまでくれば、何の問題も無い。数日も経てば、俺がいない事実に気付いた大津ら署の者が捜索に出るだろう。そうなれば、後はもう大丈夫。
 しかしそれまでの間、こいつらが何をするか分からない。逆上して殺される可能性もあるが、それをしても後々面倒なはず。恐らくこの状態では、この場に放置されて終わりか。であれば、ここから恐らく空腹との戦いになるだろう。その方が、こいつらの相手をするよりも百倍苦しい。
 そう心の中で苦笑していた俺の表情が百八十度変わったのは、次の瞬間であった。
「乃亜ちゃん。元気かなあ」
 一言。それはたった一言だった。俺はその言葉を放った稲本を見る。彼は口に手を当て、ひくっ、ひくっ、と引き攣った笑い声を上げている。
「お、お前。今、なんて」
「だから、乃亜ちゃんだって。あなたの娘の」
 雷が頭に降ってきたかのような衝撃が走った。血の気が引き、口内の水分が瞬時に渇く。
「来須。その苗字に、少しピンとくるところがあったんだ。確か、隣の田島先生のクラスにそんな子がいた気がしてさあ。それに、早々見るようなありふれた名前じゃ無いっていうのは、流石に分かってさあ。そしたら案の定…」
 彼は俺の荷物から拝借した警察手帳より、一枚の紙を取り出した。写真だ。それを見て、俺は息を飲んだ。
「乃亜ちゃんとあなたの写真。へえ、父娘の関係だったんだね。これはびっくり」
 そう言って、彼は口が裂ける程大きな笑顔で、その写真を顔に近づけて来る。
 まさか…この男。
「乃亜に何かしてみろ。殺すぞ」
「怖っ。警察のあんたがそう言うと、中々迫力あるなあ」
 馬鹿にしたように両手を挙げ、わざとらしく驚いた表情を作る。
「別に、何もしないよ。ただ…」そこで稲本は、俺の肩に手を置いた。「俺、結構あの年代には好かれるようでね。乃亜ちゃんも例外じゃなくて、よく話しかけて来るんだあ。だから、俺がちょっと別室に呼んだとしても、何も疑うことなく、むしろ嬉しそうにほいほいついて来るんじゃないかな」
「き、貴様!」
「だからさ」俺の肩を掴む力が強くなる。
「俺たちの言うこと、きちんと教えてくれないかな。じゃないと、俺。何するか分からないかも」
 稲本の目を見る。人間のものとは思えない程、瞳が黒ずんでいる。深淵のように深く濁った、黒。この男は本気だ。ここで俺が断れば、本気で、乃亜を。
「もし、それでも何も話さないなら、明日あんたの家に行くことになるなあ。ああ、お父さんが帰ってこなくて不安なのに、更なる絶望があの子を襲う訳だ」
 露骨に悲しみに暮れた顔をしながらも、畳み掛けるように彼は俺に言う。それと同時に、つい先程まで心の中にあった余裕の二文字が、完璧に崩れ去った瞬間であった。
「さ、さあ。これ以上手間をかけさせないで。大人しく私たちの言うことを聞きなさい」
 それまでずっと置いていかれていた綾が、まるで思い出したかのようにそう発したのを皮切りに、俺は奴らの言葉に屈したのだった。
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