記憶さがし

ふじしろふみ

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第四章 再会

失踪

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 満の失踪事件に対する周囲の目は、冷たいものだった。
「あの奥さんの旦那、他に女を作って蒸発したんだ」、「家庭内暴力に我慢ができず、旦那を殺してどこかへやったんだ」等、失踪した満と、彼の家族たち…綾と友美へ侮蔑、偏見によるものばかり。一時、世間話に花を咲かせる主婦たちの、格好の話題となった。
 そうは言っても数日、数ヶ月経つ頃には、世間の注目は別の話題へとシフトし、次第に忘れられるようになる。結果、綾と友美に残ったのは、家族が失踪したという事実と、それまでに受けた心の傷。良いことは何も残らなかった。
 満が失踪してから、綾は再度働き口を探した。運が良かったのか、市内広告代理店の事務職に空きがあり、彼女はそこで働いている。ここまで大変な目にあっても、懸命に生きているところであった。
「一体、どこに行ったんだろうな」
「さあ。生きているのかも分からないわ」
 彼女はさして興味も無いようで、素っ気なく返答する。
「とにかく」と彼女は軽く息をつく。
「彼が逮捕された時、私と友美は彼の味方だった。それにもかかわらず、彼は私たち…いや、特に私に強く当たってきた」
 それは以前、綾自身から話を聞いている。
「そりゃ結婚していた以上、私にも情はあるの。でも、でもね。毎日毎日繰り返す暴言に、暴力。…いくら私でも、限界があるのよ」
 彼女は首を何度も振り、「あーあ」と大きく息を吐く。
「彼が失踪して数日経って、久しぶりに平和を味わうことができた。その平和は続いている。今、私は幸せ。そうだというのに、今更父親面して戻ってこられても、はっきり言って困るのよ」
「ああ」綾の言うことに、俺は素直に頷く。
「唯一幸いだったのは、彼が娘に手を出さなかったことね。友美にまで、この苦労を背負わせたくは無かった。その点、彼にも理性というものがあったのかもしれないわね」
 友美の方は彼を嫌ってしまったけど…と、綾は儚く笑う。そんな彼女を見て、俺は一つ尋ねてみた。
「実際のところ、どう思っているんだ?」
「どうって、何を?」
「いや、その。旦那さんが、やったと思うか?」
「あーそのこと」
 彼女は既に日が落ち暗くなった空を見上げた。
「…よく分かんないんだ」
「分かんないって?」
「んー。当時は彼がやるはずなんて無いと信じていたけど、今まで随分と、色んな人から非難の言葉を受けて。彼も別人ってくらい変わっちゃったのよ。なんていうのか、実は…実は、やってたんじゃないかなって思う方が、楽に感じてきちゃって」
「…」
「疲れちゃったのよね。変わらず彼を信じようって思う程、私は強くないもの。今はもう、どうでもいいの。だから、分かんない」
 相手を信じるということは、言葉にすれば簡単なことである。しかし信じ続けるということは、感情で浮き沈みのある人間という生き物故に、中々上手くいかなくなるものである。
「でも、まあ。彼がいないお陰で、今は明日を嫌々迎えることも無いの。それは良いことなのかもね」
「そうか」そう軽く嘆息する綾を見て、俺は頷いた。
「君の今が辛くないならそれで良い。俺はそれで満足だ」
 そう言うと綾は精気の抜けた表情をやめ、俺に視線を向けた。
「あなたとなら、またやり直せると思うの」
「え?」
「友美も、本当に好いているのよ。あの子の態度から分かると思うけど」
「まあ、そうだな…」
「そしてあの子の言ったとおり、私もね」
 そう面と向かって言われると気恥ずかしくなる。俺は頭を掻きつつ、ぎこちない笑みを浮かべるも、綾は真剣だったようだ。
「冗談で言っているんじゃ無いわ」
 俺は隣にいる綾を見た。頬をほんのりと朱に染め、俺に向けて潤んだ視線を向ける。俺と彼女は、自然と歩みを止めた。日も暮れた、人気の無い路上。唇を重ねるには、うってつけのロケーションだった。
「…ふう」
 その場で何度か、二人で愛を交わし合う。その後、彼女は上目遣いをして俺に言った。
「今夜、友美が寝た後、午後十時頃かな。会える?」
「ああ。その時間なら、俺も仕事は終わっているから」
 そう俺が伝えると、彼女はにっこりと大きな笑みを浮かべた。

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