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終 章
後日談2
しおりを挟む◯本多 瑞季と金井 達也【 1月24日 午前10時00分 】
西街に近い留置所にて。
「本多さん、お待たせしました。こちらへどうぞ」
刑務官に促され、私は若干の気詰まりを覚えながらその部屋…面会室に入った。
面会室は一つの部屋を間仕切りで半分に区切ったような間取りとなっていた。広さはそれぞれ四畳程、間仕切りの真ん中はガラスがはめ込まれており、区切られた向こう側の部屋が見える。
高窓より入る日の光が明るく室内を照らしている。今日も天気は良い。寒さは相変わらずではあるが、どことなく暖かい。ガラスの前に用意されたパイプ椅子に座る。
まだ、ガラスの向こう側には誰もいない。何だかそわそわする。
「入れ」
その時、ガラスを挟んだ目の前の扉が開き、お目当ての人物が目の前に現れた。その人物はのろのろとした歩調で目の前、ガラス越しに私と相向かいになる形で座った。
「…達ちゃん」
「やあ、瑞季。久しぶり」
彼…達ちゃんは、私に向けて笑顔を見せた。
あの事件から二週間。私は、やっと達ちゃんに会いに行こうと思える程に心の整理がついた。
一月十日。あの後、達ちゃんは根岸さんの言葉に素直に応じた。手錠をかけられたその瞬間、彼は既に放心状態だった。己が信じていた芯か何かが折れたような、壊れたような。
その次の日、一月十一日。私は再度派出所に足を運ぶ。根岸さんから来るように言われていたからだ。
「恐喝の件、ですか?」
「ああ。確か、瑞季ちゃんあの高崎って馬鹿から、金を寄越せって脅されているって言っていたろ」
「え、あ、ま、まあ…」
私の挙動不審な態度に、根岸さんはふっと笑う。
「今度あいつと会う時、俺が話つけてやるよ」
「え、でも。良いんですか」
「ああ。そもそも、奴が瑞季ちゃんを脅すための素材…金井との交際の件はもう意味がねえしな。大丈夫、高崎も終わりだ」
「…ええ」
「瑞季ちゃん」
俯く私に、根岸さんは優しく声を掛けてくれた。
「金井は、あんな大犯罪をしやがった大馬鹿野郎だ。でもそれまで数年、あいつと一緒にやっていた時のことを思い返すと、根っからの悪人だった、とは思えなくてよ。本当に、本当に誠実な奴でよ」
「それは…それは、分かっています」
長い付き合いという訳ではないが、普段の彼は本当に優しく、一緒にいて楽しく思えた。そんな彼と過ごした時間は、私にとって嘘偽りの無い、かけがえのない素敵なものである。
…あの時間が、彼と感じたあの温もりが全て嘘だとは、とてもじゃ無いが思えなかった。
今回、彼は己の信念に基づき計画を立て、それを実行に移した。しかし推測ではあるが、彼は心の内にどこか自分の行いが悪であると、無意識に感じる点があったに違いない。
悪人になりきれなかった。だからこそ私や根岸さんとの会話で、自らの過ちに気付けたのだと思う。
「なんていうのかな。警察官としてあまり言ってはいけないことってのは重々承知なんだ。しかしあいつに同情できる点も、少なからずあるわけでさ。瑞季ちゃん」
「はい」
「恥を承知で頼むんだけど。金井のこと、忘れないでいてやってくれねえか。名前だけでも良い。瑞季ちゃんもあいつに襲われかけた手前、あまりこういうことを頼むのは筋違いかもしれないが…」
根岸さんは、達ちゃんがあのような凶行に走ってしまった要因が、彼の私への想いの暴走であることはもちろん知っている。それ故に、その私が彼のことを非難するようであれば、彼が報われないと感じているのだ。長年警察官として、正義のために働いてきた根岸さんがそう言うのである。それだけ、達ちゃんの普段の人柄が良かったのだろう。
「大丈夫ですよ、根岸さん」
「え?」
私の自然な笑顔に、根岸さんはぽかんとした表情を向ける。
「彼のことは忘れません。…忘れることができませんよ」
そう言って、自分の腹部を片手で撫でる。
最初は不思議そうな顔をしていた彼だが、数秒後にその意味を察したらしく、「おお、そうか!」と同じく笑顔になった。
「それは、それは。そうなると、早くあいつの元に行ってやってやれな。金井、それを知ったら驚いて、そして喜ぶだろうぜ」
「ええ。でも、何だか。会いに行く勇気が出なくて」
そう言うと根岸さんは腕を組み、うーんと唸った。
「そ、そっか。まあ、そりゃそうだよなあ。本人を目の前にすると考えると余計にな」
「はい」
「それなら無理に会いに行く必要は無いな。心の整理ができたら、友達に会う感覚で、ふらっと行ってやんな」
根岸は私の肩に手を置き、煙草のヤニで黄ばんだ歯を見せた。
大分、やつれたのでは無いだろうか。顔は全体的に痩せこけ、目の下にはクマができている。留置所とは言っても、これまでとは百八十度異なる規則正しい生活を強いられる訳だ。それだけで大きなストレスだろう。
「久しぶりだね、達ちゃん。少し痩せた?」
できる限り、柔らかい声色で話す。
「ああ。これまで逆の立場にいた身としてはさ。いざこう、自らが服役するとなると中々堪えるものだなって。まあ、身から出た錆なんだけどな」
そう自虐的に笑う彼の目を、私は見た。真っ直ぐに、はっきりと。
「それで?何の用で、ここに来たんだ」
彼も視線に気が付いたのか、私の目を見返す。若干ではあるが、棘のある言い方だ。
「達ちゃん、私ね。あれから色々考えていたの」
「色々って?」
そう尋ねるも、すぐにがしがしと、達ちゃんは頭を思い切り掻く。
「なるほどそうか。『冷静に考えたら、やっぱり俺は最低なやつだった』。そう言いたいって訳だな」
「ううん、違うよ」
彼のぶっきら棒な言い方に対し、私はきっぱりと否定する。
「あのね。この二週間、今までのあなたとの生活のことを思い出していたの」
「これまでの、二人の生活?」
眉をハの字にする彼を見て、私は頷く。
「ええ。達ちゃんと初めて会ったのは四年前だよね。あの最悪の出会いから、まさかこんな話をする仲になるなんて。正直思わなかったよ」
それに出会った当初は単に優しすぎる、お節介な警官としか印象が無かった。それがどこでこう、交際に至るような想いを持つようになったのか。自分でも不思議だ。
「まあ、俺もだ」
嘘ばっかり。ふふっと軽く笑う。
「あのね。私、最初は達ちゃんのこと、全然タイプじゃなかったんだ」
「はは。それはショックだな」
掠れたような笑い声を上げ、口の端を上げる。そんな彼を見ながら、私は続ける。
「でもね。実際好きになって。大事な存在って言える程に、お互い想えるようになって。きっかけは何だったんだろうね。それも多分、特別にこれだ!って言えるようなものじゃ無かったんだろうね」
「…ああ」
「私ね。いつだったか覚えていないんだけど、達ちゃんと過ごす日々の中で、ふと『ああ、この人と出会えて良かったな』と思ったの。こう、安心するような想いってそう簡単に感じるものじゃ無いよね。そう思えた時、本当に、本当に幸せで嬉しかったんだ。そんな素敵な人と出会えるなんて、思ってもみなかったから」
それを聞いた達ちゃんは、私を力強い瞳で睨んだ。
「その幸せを、俺が壊した。そう言いたい訳か。ああ、実際そうだよな。言われなくても分かっているんだ。何なんだよ、俺を非難するためにここに来たのか」
「…いいえ」
私は首を左右に振る。
「じゃあ、なんだっていうんだ」
「達ちゃん、今日誕生日じゃない?」
「ん?あ、ああ…まあそうだな」
もはやそんなこと、どうでも良いという雰囲気だ。
「だから、私。誕生日プレゼントを達ちゃんに伝えようと思って」
私がそう言うと、案の定彼は首を傾げた。
「誕生日プレゼント?伝える?一体なんだって言うんだよ」
そんなふてくされる彼に向かって、私は落ち着いて、はっきりと次の言葉を述べた。
「私。妊娠、したんだ」
「え?」
俺は、目を瞬かせ、瑞季を見た。そんな、俺の何が面白いのだろうか。瑞季はからからと軽快に笑う。
「に、ん、し、ん。赤ちゃんが出来たの」
「えっ!」
やっと声が出た。ガラスに両手をつけ、彼女の近くに寄る。
「ほ、本当に?」
「うん」
そ、そうなのか。今度は声が出なかった。瑞季の間髪入れない返事に、その言葉から受ける衝撃をより強く実感する。
「あ、先に言っておくけど。この子、絶対の絶対の、絶対って言って良いほど、達ちゃんの子なんだからね。タイミングで言えば、達ちゃんでしかあり得ないんだから」
聞いてもいないのに、瑞季は片手の親指を立て、強く主張する。推測ではあるが、高崎からの恐喝のせいとは言え、柳瀬川と数回体の関係を持った過去は消せない。俺に、もしかすると奴との子では…と疑われることを見越して、先手を打ったのだろう。
「べ、別に疑ってはいないさ。あのな、何て言えばいいのか…そうだ、まるで明後日の方向から豪速球が飛んできて、それをバットで適当に打ち返したらホームラン…そんな起こり得ないようなことが起こった。今は、そんな気分だ」
「ふふ、なにそれ」
「よ、要するに、激しく驚いた。そういうことだよ」
努めて冷静になろうとするが、やはりそう簡単に落ち着いてはくれないようだ。自分でもよく分からないことを口走ってしまう。
「それ…妊娠しているって、いつ分かったんだ」
そう尋ねると、瑞季はうーんと首を傾げる。
「実際に分かったのは先週なんだよね。症状というか、気持ち悪いなあ、少し体調がいつもと違うなって思い始めたのは年末辺りからかなあ。もしかして、という気持ちで検査薬を使ってみたら…っていう感じ」
「そ、そうなのか」
脱力し、椅子の背もたれにもたれかかる。そんな俺を見て瑞季は柔和な表情を浮かべた。
「あのね。これまでの私ってあなたに頼ってばかり、助けてもらってばかりだった。だから、今度は私がその恩を返す番。今度は、あなたが私を頼って欲しいし、私もあなたに尽くしたいの」
「え、それって」
「もう。要するに、これからもずっとよろしくってことだよ。私、達ちゃんのこと、いつまでも…いつまでも待っているから」
瑞季は笑う。俺もそれにつられて、笑みがこぼれ落ちる。
その笑みの上、涙の雫も一緒にこぼれ落ちていた。
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