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第六章 ————の場合
九 ◯ ————【 1月4日 午後13時20分 】
しおりを挟むそれを聞いた時、俺はぽかんと口が開いてしまった。それを手で戻し、改めて柳瀬川を見る。そして自分の口から出た言葉はたった一言だった。
「え、なんで?」
俺が本気で疑問に感じたことを察したのだろう。柳瀬川は片手で頭を掻く。
「い、いやさ。実は、その人から俺、結構多額の借金を背負わされてて」
「…」
「こ、ここからが重要なんだけど。俺、瑞季と一緒にいるところをその人にも見られちゃったんだよなあ」
そう言いつつ、何度か頷きながら目を閉じる彼に、俺は驚きすぎて言葉が出なかった。柳瀬川はそんな俺を気にもしない。
「その後はもう、鬼の首を取ったようだよ。一日でも返済期限を超過するようなら、そのことを職場に、家庭に、全てバラすって脅すんだ」
「きちんと返済すれば何も問題無いじゃないか…」
「そ、そうなんだけどさ。脅されるって精神的に結構ヘビーなんだぜ。特にあいつ、最初は笑顔だけど、取り立ての時はまさに悪魔ってくらい恐ろしいんだ」
そう言って、柳瀬川は身震いする。
「だ、だから。鷺沼がどんな理由で小林を殺したのか分からないけど、一人やったら二人やっても同じじゃないか。この際、檜山も一緒にやってもらおうよ」
端的に言えば、こいつはその檜山という男を殺害することで、目の上のたんこぶである消費者金融の社員の存在と、重い足かせの己の借金について、チャラにしたいのだ。
なんて都合のいいことを言うのか。いやらしい男である。自分が一番利点を得たいのだ。
「はーあ」
柳瀬川に意識させるようはっきりと、深く溜息をついた。
「あのな。俺が言った計画は、あくまで『アンナからの脅迫』のために考えたものなんだ。もう完成しているんだよ。ついでに…ましてや人を殺すついでなんて、無理だって」
それに、これは単純にそれだけの計画ではないのだ。その時思いついたものを簡単に入れることなどできないし、そんな面倒なことを考えたくは無かった。
「で、でも」
「それにさっき俺が話した計画もさ。上手くいく保証なんて無いんだぞ」
「…」
「そんな、人を殺すなんてリスクのあることを含めるなんて、俺にはできない。とにかく今回は、アンナの命令に答えるだけに…」
そこまで言ったところで、柳瀬川がいきなり片手を天井に向けて、垂直に伸ばした。その行動に、俺は息を飲む。
「ど、どうしたんだよ」
柳瀬川はじっと俺の目を見る。それから続きを述べた。
「み、瑞季の借金も、その檜山から借りたんだと思うよ」
「へっ?」
彼の言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げる。
「多分、としか言えないけど。檜山って、瑞季の働くキャバクラの常連みたいなんだよ。店で知り合っていた分、話しやすかったんだと思う」
「そ、そうなのか。でもそれとなんの関係が…」
「金井さ。彼女と知り合いなんだろ?」
その言葉に、まるで彼に心臓をきゅっと掴まれた感覚に囚われた。テーブルの上に置いた手が震える。そんな俺の所作を見て、「ほらな」とにやついた。
「年末に俺が瑞季と関係があると言った時も、今と同じように動揺していたな。やっぱりお前…」
「…!」
「俺みたく、瑞季と深い仲なんだろ?それも、俺よりもふかーい深い仲だ。お前は、彼女のことを無下にできないに違いない」
まるで推理ものの漫画の探偵のように、俺に対して人差し指を突きつける。
少し外れているが、この男の言うことは強ち間違いでは無い。中々勘の鋭い奴である。先程までのおどおどとした態度とはまるで違う、意味深に、また憎たらしく笑うその顔を見て、案外こういった仕事の方が向いているのではと感じた。
「あ、あの子もきっと、檜山から恐ろしい取り立てを受けているに違いないって。変な男に、か、金を渡して。金貸しからも取り立てられる。可哀想な子だなあ」
「檜山、金を返すためには何でもやるって。こ、この前なんか、俺の家に数人の部下と一緒に押しかけて来たんだぜ」
「ど、どうせ鷺沼が全て罪をかぶってくれるんだし、檜山も殺しておいた方が、今後のためになると思うんだけどなあ」
聞いてもいないことを立て続けにぶつぶつと、しかし淡々と話す柳瀬川を前に、俺は溜息をついた。
こいつの言っていることが本当かどうか、それは今判断がつかない。あくまでその可能性があるという程度のものだ。その事実があるかもしれないし、無いかもしれない。
つまり、一概に否定することができないということである。しかし、まあ確かに瑞季が関わってくるとなれば話は別。彼女の「債務者」という肩書きを無くすために、こいつの話に乗るのも一理あるかもしれない。
仮に、仮にだが。檜山も鷺沼に殺させるとしたら、その計画を変更することでどれ程の労力が発生するだろうか。
…思いつかない。柳瀬川と檜山、両者を殺した場合、報酬を与えるということにするか。一人殺っている鷺沼にとってみれば、二人も三人も同じと考えて良いのだろうか。
鷺沼に二人殺すよう指示することは容易だが、それを一日で…となると、数日に渡る可能性もある(柳瀬川は「サクラ」のため、苦労しないが)。心の内を明かせば、今回の計画はその日中で終わらせたいところだった。数日かけると、鷺沼にも俺たちにも油断が出てくるし、俺以外の警察、例えば根岸さん等に尻尾を掴まれる可能性もある。それでは俺の「本当の目的」も、達成できずに終わってしまうかもしれない。
「お待たせしました。チーズケーキでございます」
その時。ウェイトレスが再度、俺と柳瀬川の席にやってきた。そうだ。つい先程、チーズケーキを頼んでいたことを忘れていた。
シルバーケースと共に、ケーキが俺の目の前に置かれる。ベイクドチーズケーキ。俺の大好物な食べ物の一つである。ケースからスプーンを取りそれを食べようとした時、柳瀬川に止められた。
「ちょっと待てよ。ケーキは普通フォークで食べるものじゃないか」
そう言われ、彼の指差す先を見る。その先をたどると、シルバーケースの中…フォークがあった。
「え、いやいや。スプーンで食べるだろう」
彼の言葉を無視し、スプーンに乗ったケーキをそのまま口に運ぶ。チーズの淡い香りに、濃い甘味を放つスポンジが舌の上で小躍りする。美味しい。しかし、ケーキの甘美な美味しさに酔いしれる時間は、柳瀬川に腕を掴まれたことで終わった。
「なんなんだよ」
「フォーク、使えよ。スプーンなんて邪道だよ」
「はあ?というか、別にスプーンだってフォークだって、どっちだって良いだろ。食べ方が二つあるだけであって、どちらかを使えって強制されている訳じゃ…」
食べ方が二つ?どちらかを使え?
カラーンと、金属の発する硬い音が響いた。手元を見ると、今しがた掴んでいたスプーンがテーブルの上で微かに揺れている。スプーンを掴んでいた手の力が抜けてしまったようだ。
そうか、それなら。当初の計画と比較しても、俺の手間はそこまで変わらない。更には瑞季の借金の取り立てをしている(と思われる)檜山も消すことができるなら、一石二鳥である。
「ど、どうしたんだよ。そこまでショックを受けるくらいなら、別にスプーン使っても良いからさ。口うるさく言って悪かったよ」
申し訳なさそうに眉の端を垂れさせる柳瀬川の肩を掴む。
「それだ。それだよ、柳瀬川」
何のことかも分からず、呆然とした表情で俺を見る。そんな彼を見て、俺は頷いた。
「分かった。檜山も、この計画の登場人物に迎えようか」
「ほ、本当か!」
柳瀬川は満面の笑みで俺の目を見る。彼の目を見据えて、俺ははっきりと続けた。
「ただ、そのためには、お前にやってもらうことが増える。良いか?」
「だ、大丈夫。それは覚悟の上だよ」柳瀬川は大袈裟に頷いた。
「よしよし。それじゃあ話すぞ」
俺はチーズケーキの半分を、手で口に放り込んだ。
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