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第六章 ————の場合
五 ◯ ————【 12月30日 午後9時15分】
しおりを挟む洗面台で顔を洗う。水の冷たさを直に感じる。
惚れた弱み、というものなのだろうか。彼女のために、これまでずっと尽くしてきたつもりだった。また、彼女の要望も、尊重していた。彼女が今後の貯金のためにキャバクラなんて内心良い印象の無い場所で働きたいと申し出た時も、笑って了承した程だ。
彼女が浮ついた心を持っていたこともそうだが、借金をしていることも知らなかった。確かにここ最近は一緒にいる時、貯金のためにお小遣いや食費を非常に切り詰めている、と言ってはいたが。その金をよく知らない男に脅され、渡しているなんて。知らなかった。
(…何故だ)
理由がどうであれ瑞季が金を渡したということは、何かしらその男に弱みを握られたからに違いない。しかし、それをどうして…警察官の俺に相談してくれなかったのか。
俺は彼女にとって頼りにならない、取るに足らない人物だったということか。そう考えると、これまで彼女に尽くしてきた分、自らに対し情けなさ、不甲斐なさを感じると共に怒り、そして悲しみがこみ上げてきた。トイレを出て、席に戻る。
「ど、どうしたんだよ。かなり長かったけど」
戻った瞬間、柳瀬川から声をかけられた。どうやら俺が席を外していた間に、もう一杯ビールを頼んだようだ。もうあと少しで泥酔一歩手前である。
心が弱く醜い者ほど、酒に溺れたがる。そんな、この男のような人間は、ここ西街だけでも掃いて捨てるほどいる。改めて、柳瀬川の顔をじっと見つめた。
「な、なんだよ」
汚い顔。百人…いや、千人に聞いても、この男を格好良いと答える女性はいないだろう。内面も昔から人の顔色を伺うばかりで、それでいてプライドが高い。金の力があったとはいえ、こんな男に瑞季は。
「…なんでもない」
俺は、残っていたビールを一気に飲み干した。空きっ腹にアルコール、さあっと酔いが全身に走る。
「まあ、さっきの話の、つ、続きなんだけどさ」
「ああ…キャバクラ嬢と不倫していたってやつだっけか」
とりあえず、俺と瑞季の関係は黙っておくことにした。
「あ、そうそう。瑞季ね、瑞季」
うんうんと、何度か頷く。瑞季と馴れ馴れしく呼ぶ柳瀬川に虫唾が走る。
「俺さ、あの子といる時っていつもタイミング悪いんだよなあ。せ、先月はホテルに行った帰りに、檜山っていう金貸しに見られちゃってさ」
「ホテル…ね」太腿を強くつねり、痛みで誤魔化す。
「な、なあ。本当にどうしたんだよ。体調悪いのか」
そう呼びかけられ、はっとする。無意識のうちに、表情が硬くなっていたようだ。
「大丈夫だ。それで?」
「いやだからさ。俺、どうすれば良いかな。やっぱり脅されたからといって、人を殺すのは嫌だよ。それに瑞季とは今、結構良い感じなんだ。でも、ここで何か法に触れることをしたとして、逮捕なんてされたらもう終わりじゃないか。そんなの俺は嫌だよ。金井、お前警察なんだし、なんとかしてくれないか」
「…」
ここまで手を出さずに我慢できたこと。俺は自分の理性に、表彰状を与え、褒め称えてやりたい。どうして俺が、交際相手を寝取った男を無償で助けなければならないのか。むしろこの男にはこのまま悩み、苦しんだままでいて欲しかった。
見捨てるべきだ。警察官としての正義に反することではあったが、俺個人の感情は、それに従うことはできなかった。
「…すまん。気分が悪い。来て早々悪いが、帰らせてもらうよ」
「えっ」
財布から金を出し、テーブルに叩きつける。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!おい!」
柳瀬川の制止の声も無視して、そのまま彼の顔を見ることもなく、居酒屋を後にした。
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