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第六章 ————の場合
二 ◯金井 達也【 1月10日 午後10時55分 】
しおりを挟む本庁の応援を呼び、現場を保全した後で、俺は一度瑞季がいるであろう派出所前まで戻ってきた。
その途中で、先程気絶させた鷺沼を回収する。彼の腕を派出所の雨水の配管と手錠で結び付け、拘束した。これで、万が一彼が早く目覚めたとしても、そう容易く逃げることはできないはずだ。頷き、所内に入った。
入口目の前のカウンターの上に、鷺沼が持っていた包丁を置く。これは、檜山の命を奪ったと思われる凶器である。あのまま道路上に置いたままにしておくわけにはいかなかった。
瑞季は入口に背を向け、来訪者用のパイプ椅子に座っていた。心なしか、体は震えている。それは常人なら当然だろう、殺されるかもしれなかったのだから。
(瑞季…)
不謹慎ではあるが、俺はそんな彼女の怯える姿に若干の愛おしさを感じた。彼女に近寄り、そっと肩に手を置く。彼女は一瞬びくっと体を震わせた。
「大丈夫だよ。瑞季を襲った男はそこで眠っている。もう怖いことなんてないんだよ」
彼女を安心させるために、なるだけ優しい声色で話す。しかし彼女は俺に背を向けたままである。
「こ、怖いことなんて無いの?」
震えたまま、彼女は微かな声でそう発した。俺は彼女が見えないにもかかわらず、深く頷いた。
「ああ。もうすぐ応援も来ると思うから」
俺のその言葉を聞いた彼女は振り返り、俺の胸に飛び込んできた。彼女の突然のその行動に若干動揺するも、その頭を撫でる。
「よしよし、怖かったな」
柔らかく撫でつつ、優しく言った。しかし次の瞬間、顔を俺の方へ向けてきた。
「…ねえ、達ちゃん。聞きたいことがあるんだけどね」
「ん?」瑞季はゆっくりと俺の体から離れ、俺の目を見た。
「どうした?」
そう尋ねると、彼女は小さな声で、ゆっくりと声を出した。
「あなたが…あなたが、私にペットボトルを運ばせたの?」
「え?」
心臓の鼓動が急激に早くなる。
「何のことだ?」
心を落ち着かせ、ゆっくりと聞く。
「…昨日。地下鉄西街駅構内のロッカーにあるペットボトルを、お店の同僚のアンナって子に渡すよう、常連のお客さんからメッセージが来たの」
「へ、へえ」
「でもそれは常連のお客さんじゃ無かった。…達ちゃんだったんだよね。そのお客さんのふりをして、私に連絡してきたんだよね」
彼女は淡々と続ける。
「お、おいおい」
片手を前に出し、彼女を落ち着かせようと制した。
「ペットボトル?ロッカー?何のことだよ、それは。俺は知らないぞ」
そう聞き返すも、彼女は無視して続ける。
「それが達ちゃんだって、信じたくは無かったよ。でも、あのロッカーのパスワード。あれがあなたを示しているのよ」
「は、はあ?」
「『90124』、だったっけ。何も知らない人が見れば、単に数字を適当に五桁並べただけって思う程度かもしれない。だけど、あの数字には意味があるんだよね。あなたは無意識に、その数値を入力してしまったのよ」
「意味が、あるだって?」
彼女は頷いた。
「…達ちゃんの誕生日。一月二十四日だったよね、確か」
その言葉はまるでハンマーのようで、それに強く頭を打たれたような、それ程に大きな衝撃を受けた感覚に囚われた。
「い、いくら物覚えが悪いからって、流石に恋人の誕生日は覚えているものよ」
「…」
「何も言わないってことは、そう捉えてしまって良いの…?」
潤んだ瞳で俺を見てくる瑞季に、俺は首を左右に振った。
「い、いや。そうじゃない。何のことか分からなくて、少し放心していただけだよ」
「そう…」
「それじゃあさ、瑞季」
俺は人差し指を彼女の眼前に立てた。
「仮に君の言うとおりだとしよう。そうなると、俺の誕生日に当たるのは下三桁の『124』になるよな。それなら、前の二桁…『90』は一体何だっていうんだ。俺と何の関係があるっていうんだ」
「…」
「何だか知らないが話を聞いていると、その、瑞季にそのロッカーを開けるよう、命じた人物がいるっていうことなのかな。おそらく…あくまで推測だが、その人物はパスワードを決める際、思い浮かぶ五桁の数字が無かったんだよ。それでとりあえず、数字の順番通りに、0123456789と数字を押した、とか。ほら、そのロッカーも同様かは知らないけど、パスワードって大体0から9の数字から選ぶものだろう。その人物がどうして9から始めたかは分からないけど、「9012…」ってさ。最後の4は、本当は「3」だったところを打ち間違えたんじゃないかなあ。そうすれば「90123」で、その流れになるじゃないか」
「…」
「ま、まあとにかく」そこで一拍置き、先を続ける。
「俺がその人物では無いってことは、間違いない」
しかしそう言っても彼女が納得する訳がない。首を横に振る。
「達ちゃん。流石にそれは私であっても暴論だと思うよ。あなたが私だったら、それを聞いて間に受けると思う?」
「う…」
「流石にもう、分かって言っているでしょ」
「俺が何を分かっているって?」
「下三桁が誕生日なら、前半の二桁…これは、あなたの誕生した年しかないじゃない」
「と、年だって?」
「達ちゃん、今年というか再来週には三十歳だよね。先日二〇二〇年になったばかりで三十歳ということは、誕生した年は一九九〇年。そういうことだよね。単にあなたは、自分の誕生日を西暦の上二桁を省略して入力したのよ。それが普段のあなたの癖なのか、それは分からないよ?だけど、以上が、あなたが、このパスワードを設定した、理由」
最後の方、瑞季は俺に理解させるように、言葉をぶつ切りにして言った。そんな彼女を見て、俺は奇妙な感覚を味わった。
この気持ちは、一体何だ。彼女が近付いてくる。
「ねえ。違うのであれば、達ちゃんの言葉で、心から違うって言ってほしいの。それなら私もその言葉を信じるから。ね、どう…」
「瑞季」
彼女の言葉を遮る形で、俺は彼女の名前を呼んだ。
「すごいよ、ほんと。まるで探偵みたいだったよ」
そうか。俺は今、高揚しているのだ。両手を大きく叩き、微笑んだ。
「じゃ、じゃあ」
「ああ、そのとおり。あのメッセージは俺が送ったんだ」
瑞季は目を見開いた。彼女の言ったことは正しかった。俺が檜山のふりをして、彼女にペットボトルを運ばせたのである。しかし…
「でもね。実を言えばわざと誕生日にしたんだよ」
彼女はその大きな目を何度か瞬きさせた。俺は笑みを浮かべながら続ける。
「君に分かるように設定したんだ、そのパスワード。記憶力が中々乏しい君に気が付かせるためには、俺の誕生日ぐらい記憶に残っているものじゃないと駄目かなってさ。それも忘れていたらどうしようかと思っていたけど、どうやらその心配は無用だったようだね」
ちなみに西暦の上二桁「九〇」をパスワードに入れたのは、単純に俺の癖だった。よく事務処理を行う際に、フォルダやデータの名称にその癖を出してしまうことが多々ある。そのたび、根岸さんには嫌味を言われている。
「ど、どうして」
想像どおり、瑞季は動揺している。
「それはね」と俺は続ける。「君に。知って欲しかったんだ」
「し、知って欲しかった?」
「うん」
俺は強く頷いた。
「…教えて。どうして私にこんなことをさせたの?何を、知って欲しかったの?」
そう尋ねてくる彼女を見た。震えてはいるものの、その目には力強さを感じる。初めて会った時と比較すると、随分と厳しい口調をするようになったものだ。
軽く涙ぐんだ表情で俺を睨む彼女に向かってにんまりと、わざとらしく大きな笑顔を見せた。そんな俺を見て、瑞季はそれまでの精悍な表情から、唖然とした表情に変わった。
「…先に言うけど、さっき瑞季が見た二人の死体も、そこで気絶している鷺沼についても。全て俺が仕組んだことなんだ」
「え、え」
彼女は表情に驚きの色を浮かべた。それもそのはず、彼女からしてみれば、単にペットボトルのことを俺に聞きたいだけだったのだから。彼女は今しがた自分の身に起きたことなど、全く関係の無い出来事だと考えていたに違いない。
しかし実際は関係しているというか、全て紐付いている。それを俺は彼女に話したかったし、知って欲しかった。というより、その必要があった。この一連の計画に基づいた物語。始めたのは俺だが、発端には彼女が大きく関わっているのだから。
「教えてあげるよ。俺の考えた全てを」
そう、ここからが俺の計画の全貌だ。
— 時間は、年末まで遡ることになる —
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