50 / 76
第四章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合2
十 ◯柳瀬川 和彦【 1月10日 午後10時15分 】
しおりを挟む夜道を一歩、また一歩と進んでいく。溜息をつきつつも、先へ、先へと。
おそらく今、俺の後ろには鷺沼が控えているのだろう。姿は見えないが、気配は感じる。周囲に人はいない。そろそろ仕掛けてくるかもしれない。
俺は胸ポケットに入っている、小さいビニール袋に入った血糊をこっそり取り出した。奴が発砲してきたところで俺はビニール袋を破り、この血糊を腹部あたりで放出する。
端的に言えば、これから俺は死んだふりをするのだ。
『柳瀬川の発砲については、きちんとタイミングを計れよ。そうでないと、死んだふりなんて一発でばれるからな』
あいつに言われた言葉が頭に浮かぶ。…大丈夫、俺ならできる。できるはず。
西街から少し離れた人気の無い道路に入ったところで、鷺沼がいるであろう後方に振り返り、怖々と…緊張して実際に震えてしまったが、呼びかけてみた。
「な、なあ。誰かいるのか」
一瞬前の角に何か見えたが、よく認識できなかった。
「い、いるんだろ。出て来いよ。早く」
再び呼びかける。しかし、鷺沼は出てこない。真冬、街灯が照らす光程度の明るさの路上。その中で一人、暗闇に向かって必死に呼びかけをする俺の姿は、さぞ滑稽なものに違いない。
「おい、早く出て来いよ。な、なんか用かよ」
いつまでも出てこない鷺沼に対し、若干腹が立ってきた。こっちはもう、心の準備を何度も行なっているというのに。早く出てきてくれなければ、誰か人が来る可能性もあるし、第一張っている気が緩み油断し、失敗するかもしれない。
「も、もしかしてコモレビの人? 金を払えなかったことは謝るけど、さっき檜山さんと話したよ。それ以外まだ何かあるのかよ」
もちろん俺は、コモレビの人間だとは思っていない。そしてこれまたもちろん、目の前に息を潜めているのは鷺沼に違いないだろう。
しかし、檜山が鷺沼を探していたということは、彼の名を出せば少しは興味を持つのではないだろうか、と考えた次第である。バクバクと大きく鼓動する心臓を片手で掴み、緊張を押し殺す。
そのことが功を奏したのか。大きく足音を立てながら、とうとう目の前に一人の男が姿を現した。
「…!お、お前。誰だよ」
出てきた男の容姿を下から上まで、全身を見る。なるほど、アンナより貰った写真に写っている男と同一人物、鷺沼崇に間違いなかった。半ば大袈裟気味に驚くフリを見せつつも、俺は人差し指で鷺沼を指差す。
「ささ、鷺沼。鷺沼なのか」
一応念のため、彼の名前を述べる。返事は無かったが、その手を見て確信した。拳銃だ。あれが、そうか。怖がる演技で、小さく悲鳴を出す。ごくりとつばを飲み込む。
ここだ、ここが勝負だ。奴が発砲した瞬間だ。俺は血糊の入ったビニール袋を握りしめた。
「ごめんな。あんたに恨みはないが、死んでもらうよ」
(俺の方こそ、な)
鷺沼に恨みなど無い。しかし、彼の存在をこの西街から消す、その原因は俺が下すことになるのだ。謝るのであれば、俺の方からするのが適切だった。
悪いな、鷺沼。恨むなら、俺を脅迫したアンナを恨むんだな。そう心の中でほくそ笑んだ次の瞬間。辺り一帯に銃声が轟いた。
(…え?)
俺は、すぐに状況を飲み込むことができなかった。
「えっ、な、なんで」
腹部に大きな衝撃があったのは分かった。問題は、何故その衝撃が…銃弾を腹部に受けた衝撃が、俺の体に発生したのか。それが理解できなかった。
なんだ、これは。
一体何故、どうして、なんで。
頭の中で疑問符がくるくると回り続ける。そうして、一つの結論にたどり着く。
そうか。俺は裏切られたのだ。あいつに。
というより改めて考えると、元々裏切る予定だったのだろう。ホテルに鷺沼や檜山がいたことも、計画のミスでは無い。あれもまた、図ったことに違いない。
腹部を見る。既に衣服は真っ赤に染まり、その範囲を広げつつある。どうやら血糊のビニール袋も、先の衝撃で破裂していたようだ。俺の体から出る鮮血と、人工的な血糊が混ざり合い、もう何が何だかわからず、深紅の混沌と化していた。
不思議と、痛みは感じない。血は止め処なく吹き出しているのだが、その感覚が無い。ものすごく強い痛みで神経が麻痺しているのだろうか。ホラー映画の銃殺シーンでは、撃たれた側はすぐに事切れる描写が多いが、俺は撃たれる前とあまり大差は無かった。
「かっ、は」
と、急に吐くような込み上げる感覚の後に、喉の奥から真っ赤な血が出てきた。息ができない。今までに見たことがないような量であり、それが出たと同時に全身の力が抜ける。受け身を取れず、そのまま地面に倒れこんだ。
…駄目だ。視界もぼやけてきた。
(これが…これが、俺の最後なのか)
何ともまあ、無様なものである。既に顔も体も動かすことができないため、心の中で笑う。
死期が近いことは感覚で分かったが、意外にも落ち着いていた。そう自分でも思えるほど、もしかすると人生というものにあまり未練が無かったのかもしれない。
俺は薄れゆく意識の中、ふと妻の春子を思い出した。
今…たった今、すぐに彼女に連絡を取ることができるとして、これまたすぐに俺の状態を説明できたとすれば、その時、彼女は本気で俺を心配してくれるだろうか。
はは。死ぬ間際になって、何故そんなあり得ないことを考えるのだろう。これまで一緒に結婚生活を営んできたが、思いやりというものを彼女から感じたことがない。そんな女だ、たとえ俺が死んだとしても、何も感じずに終わるだろう。
彼女にとって、俺は一体どんな存在だったのだろうか。
しかし今際の際になってそんな解決することの無い疑問を持っても仕方がないことである。もう、どうでも良いことだ。俺は体の力を全て抜いた。そういった、よく分からないことは後で考えれば良い。
天国に行けば時間なんて、たっぷりあるのだろうから。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
無限の迷路
葉羽
ミステリー
豪華なパーティーが開催された大邸宅で、一人の招待客が密室の中で死亡して発見される。部屋は内側から完全に施錠されており、窓も塞がれている。調査を進める中、次々と現れる証拠品や証言が事件をますます複雑にしていく。

聖女の如く、永遠に囚われて
white love it
ミステリー
旧貴族、秦野家の令嬢だった幸子は、すでに百歳という年齢だったが、その外見は若き日に絶世の美女と謳われた頃と、少しも変わっていなかった。
彼女はその不老の美しさから、地元の人間達から今も魔女として恐れられながら、同時に敬われてもいた。
ある日、彼女の世話をする少年、遠山和人のもとに、同級生の島津良子が来る。
良子の実家で、不可解な事件が起こり、その真相を幸子に探ってほしいとのことだった。
実は幸子はその不老の美しさのみならず、もう一つの点で地元の人々から恐れられ、敬われていた。
━━彼女はまぎれもなく、名探偵だった。
登場人物
遠山和人…中学三年生。ミステリー小説が好き。
遠山ゆき…中学一年生。和人の妹。
島津良子…中学三年生。和人の同級生。痩せぎみの美少女。
工藤健… 中学三年生。和人の友人にして、作家志望。
伊藤一正…フリーのプログラマー。ある事件の犯人と疑われている。
島津守… 良子の父親。
島津佐奈…良子の母親。
島津孝之…良子の祖父。守の父親。
島津香菜…良子の祖母。守の母親。
進藤凛… 家を改装した喫茶店の女店主。
桂恵… 整形外科医。伊藤一正の同級生。
秦野幸子…絶世の美女にして名探偵。百歳だが、ほとんど老化しておらず、今も若い頃の美しさを保っている。
アザー・ハーフ
新菜いに/丹㑚仁戻
ミステリー
『ファンタジー×サスペンス。信頼と裏切り、謎と異能――嘘を吐いているのは誰?』
ある年の冬、北海道沖に浮かぶ小さな離島が一晩で無人島と化した。
この出来事に関する情報は一切伏せられ、半年以上経っても何が起こったのか明かされていない――。
ごく普通の生活を送ってきた女性――小鳥遊蒼《たかなし あお》は、ある時この事件に興味を持つ。
事件を調べているうちに出会った庵朔《いおり さく》と名乗る島の生き残り。
この男、死にかけた蒼の傷をその場で治し、更には壁まで通り抜けてしまい全く得体が知れない。
それなのに命を助けてもらった見返りで、居候として蒼の家に住まわせることが決まってしまう。
蒼と朔、二人は協力して事件の真相を追い始める。
正気を失った男、赤い髪の美女、蒼に近寄る好青年――彼らの前に次々と現れるのは敵か味方か。
調査を進めるうちに二人の間には絆が芽生えるが、周りの嘘に翻弄された蒼は遂には朔にまで疑惑を抱き……。
誰が誰に嘘を吐いているのか――騙されているのが主人公だけとは限らない、ファンタジーサスペンス。
※ミステリーにしていますがサスペンス色強めです。
※作中に登場する地名には架空のものも含まれています。
※痛グロい表現もあるので、苦手な方はお気をつけください。
本作はカクヨム・なろうにも掲載しています。(カクヨムのみ番外編含め全て公開)
©2019 新菜いに

失せ物探し・一ノ瀬至遠のカノウ性~謎解きアイテムはインスタント付喪神~
わいとえぬ
ミステリー
「君の声を聴かせて」――異能の失せ物探しが、今日も依頼人たちの謎を解く。依頼された失せ物も、本人すら意識していない隠された謎も全部、全部。
カノウコウコは焦っていた。推しの動画配信者のファングッズ購入に必要なパスワードが分からないからだ。落ち着ける場所としてお気に入りのカフェへ向かうも、そこは一ノ瀬相談事務所という場所に様変わりしていた。
カノウは、そこで失せ物探しを営む白髪の美青年・一ノ瀬至遠(いちのせ・しおん)と出会う。至遠は無機物の意識を励起し、インスタント付喪神とすることで無機物たちの声を聴く異能を持つという。カノウは半信半疑ながらも、その場でスマートフォンに至遠の異能をかけてもらいパスワードを解いてもらう。が、至遠たちは一年ほど前から付喪神たちが謎を仕掛けてくる現象に悩まされており、依頼が謎解き形式となっていた。カノウはサポートの百目鬼悠玄(どうめき・ゆうげん)すすめのもと、至遠の助手となる流れになり……?
どんでん返し、あります。

ダークランナー
不来方久遠
ミステリー
それは、バブル崩壊後による超不況下の頃だった。
元マラソン・ランナーで日本新記録を持つ主人公の瀬山利彦が傷害と飲酒運転により刑務所に入れられてしまった。
坂本というヤクザの囚人長の手引きで単身脱走して、東京国際マラソンに出場した。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる