殺人計画者

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第四章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合2

八 ◯柳瀬川 和彦【 1月10日 午後9時50分 】

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 少し前に警備室に戻ってきていた俺は、暇を持て余していた。椅子に座り、背もたれに身を預ける。
(あと、十分…)
 あれからもう数時間は経ったが、鷺沼を表した「◯」はホテル前の喫茶店から動いていない。
 俺が退勤し、ホテルから出てくるところを待っているのか。それにしても、先程アンナから届いたメッセージによると、やはり檜山はこのホテルの前に張っていたようだ。彼も、鷺沼が何かしらの理由で、ここに来る必要があると言うことに気がついたのか。
 檜山を避けるために、アンナを使ったのは正解だった。あいつに言われたとおり、念を入れていて本当に良かった。そうでなければ、このまま檜山と入口で鉢合わせることになっていた。
 はああと、安堵と緊張からか大きな溜息をつく。床を蹴る。ぐるぐると椅子が回転する。手汗が止まらない。落ち着かない。天井を見上げ、太腿を軽く叩く。一瞬痛みが走るが、それだけだ。
「お疲れ様です」
 後ろから声が聞こえた。この鼻にかかった声色の持ち主は…新田か。
「あ、お、お疲れ様です」
 慌てて椅子から立ち上がり、新田に向かって軽く頭を下げる。彼も同様に頭を下げ、俺が座っていた隣の椅子に座った。それを見届けてから、俺も座る。
 互いに何も話さない。いつもどおりだ。初めは何か話さなくては、と気を遣っていたが、彼が勤務時間中に雑談等を好まない人間と知ってからは、一切会話をしなくなった。
 しかし、かえってそれは楽なものだ。新田はぼうっとした表情で、モニターに映る監視カメラの映像を見ている。
「暇そうですね」
「…え?」
 不意に声をかけられた。それが隣の男のもので、しかも俺に向けて声をかけたものだということに驚いた。
「だから。柳瀬川さんは暇そうにしているなあ、と思っただけです」
「は、はは…」
 自然と愛想笑いが出た。困った時、やってしまう悪い癖のようなものだ。
「…すみません」
 とりあえず、一言謝りを入れる。隣の無愛想な男は俺に顔を向けることもなく、深い息を吐く。
「いえ、気にしていませんよ。実際暇なんですし。私もそう思いますから」
「え?」
 俺は新田に顔を向けた。彼は先程の俺のように、天井を見上げていた。
「この仕事。慣れてしまえば、こんなに楽なことは無い…そんなものですよ。何か問題があれば当然対応しなければなりませんが、このホテルでは数える程、しかも問題になることなんてほぼ無い。それでいて本部からは人並みの給料が貰える訳なんですから。傍から見れば、最高の仕事ですね」
「はあ」
「ただ、そう。いつも変わらず同じ業務内容というものは、何の面白味も無い。やりがいを感じる要素は一つも無い。無いものだらけのこの仕事、正直言ってつまらないものですよ」
 新田がそう言うのは意外だった。てっきり彼は、ここの仕事に誇りを持っているものと思っていたのだから。
「柳瀬川さん、今おいくつでしたっけ?」
「え?あ、私、今三十ですが」
「そうですか。私は来月三十八になるんですがね。少し前まで…こう言っちゃ失礼かもしれませんが、この仕事を暇って思っていたんですよ」
「へえ」
「『俺はもっと大きな仕事がしたい!』なんて。そんな具体性のかけらもない主張が、心の中で渦巻いておりまして。ここはずっと仮の仕事だと思って、仕方なく業務を全うしていました」
 その発言には驚いた。それはまるで、今の俺の思いと似通っていた…というより、同じものであったのだから。改めて新田の顔をみた。彼は俺に目配せし、軽く頷く。
「でも。齢四十も目前となってくると、段々諦めというか、もうここで生きていくしかない。そう思えてきたんですよ。警備主任なんてポストで責任もあるし、それと」
 新田は一度そこで咳払いをして、続ける。
「一昨年、女房との間に娘ができましてね。親になる私がそんなにふらふらしていては、彼女らに示しがつきませんし。そこでやっと、この仕事を続けていこうって思ったんですよ。少し遅かったんですが」
「そ、そうですか」とりあえず相槌のみ打つ。
「まあそうは言っても。私もほぼ絶対と言って良いほど無いですが、本当に機会があれば、別の…もっとやりがいのある仕事をやってみたいという欲はあります。柳瀬川さんもそうでしょう?」
「え、ええ。まあ」
 俺の返答に、新田はうんうんと二度頷く。
「その思い、これからよく考えてみるのも良いかもしれませんね。私みたく、諦めてしまう前に。まだ間に合うと思いますよ」
 新田はそれだけ言って、「トイレに」と立ち上がった。が、行く途中俺の方に向き直る。
「柳瀬川さん、もうあと数分で退勤時間ですよね。時間が来たら、勝手に帰ってもらって構いませんから。お疲れ様でした」
「あ、え、お疲れ様でした」
 吃りつつも頭を下げるが、新田は既に警備室を出た後だった。呆けた眼差しで、警備室の扉を見つめる。新田とこういった雑談をしたのは、この一年で初めてのことであった。それ故に、今の俺の心は何とも形容しがたい感情で埋め尽くされている。
 しかし、それは嫌な感情では無かった。彼がどうして、俺に対しそんな話をしたのか分からない。業務に対し無気力な俺をみて、昔の自分の感情と重なる何かがあったのだろうか。

 時刻はまもなく、午後十時を迎える。
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