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第三章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合1
八 ◯新出 ちづる【 12月29日 正午0時30分 】
しおりを挟む十二月に入り、もうすぐ一ヶ月。樹々の葉は枯れ落ち、街中を歩く人々は誰もが厚手のコートを羽織っている。まさに真冬の季節といえる様である。
今年の冬はラニーニャ現象だか何だかで、平年よりも気温が下がるそうだ。寒いことが大の苦手であるちづるにとっては、春が来るまで外出したくない、そう思える程の厳冬であった。
スカイタワーシティホテルの前にある喫茶店は、いつも以上に混雑していた。年末の時期に入り、働く大人達の多くは正月休みに入り、忙しい毎日から解き放たれ、ほっと一息吐いた頃だろう。
彼らの大半は折角の休みに外出するが、特に行く当ても無い。外は凍えるような寒さである。そういった流浪人たちの行き着く先、それがこのような基本的に暖房が効いていて、温かい屋内なのである。そうは言ってももちろん、当ての無いものばかりが集まるわけでは無い。例えば私がそうだ。
この日、私は柳瀬川と話をするため、「瑞季さんとの関係について話し合いたい」と、この喫茶店に彼を呼び出したのだった。
「ごゆっくりどうぞ」
従業員が紅茶の入ったカップをテーブルに置き、去って行く。私はそれを見届けてから、テーブルの対面で肘をつき、不満そうに顔をしかめている柳瀬川に向かって言った。
「さて。飲み物も届きましたし、そろそろ話し合いますか」
私の言葉を聞いて、柳瀬川は眉間に皺を寄せた。
「ま、まず、初めに確認したいんだけど」
「何でしょう」
「き、君は本当に、その、瑞季と俺の…」
しどろもどろだ。彼の、その大きな顎が震えている。私は何も言わず、目の前に写真を置いた。彼の瞳がぎょろりと動き、その写真を見下ろす。そして表情に驚きの色を露わにする。
「こ、これは」
写真には、腕を組んだ男女が歩く姿が写っていた。得意げに何かを話す男と、口に手を当てて笑う女。それはもちろん、柳瀬川と瑞季さんの二人である。
「先月二十四日、あなた達の姿です。これ、あなたとカオルさんですよね。まあ、随分と仲が良いんですね。…柳瀬川さん、確か」
柳瀬川の顔を見る。唇を震わせ、私の視線から逃げるように目をそらす。
「…あなた、結婚されていましたよね?」
続けてそう言うと、彼は座ったまま椅子ごと後ろに引き下がった。
「え、あ…いや、それはその…」
露骨に動揺している。私はまるで探偵にでもなったかのように、調子に乗って続けて言葉を放つ。
「このまま、私があなたの奥様に連絡したら。あなたはどうなるんでしょうね」
「ま、待ってくれ!それだけは…」
彼は慌てて、私に向けて手で制する。焦りの表情…面白い。最近は周囲に良い顔をし過ぎていたこともあって、ストレスが溜まっていたのだろう。まるで、そのストレスを発散するように、私は畳み掛ける。
「奥様、驚くでしょうね。そして、あなたに詰め寄るはず」
「…」
「家庭は崩壊。このことがあなたの働く職場にも伝わり、職場にも居場所が無くなる」
「やめろ…」
「その後は退職勧告、無職になったあなたに残るのは、奥様に支払う慰謝料と、不倫男というレッテル。この、最低の二つです。もちろん私は奥様に加勢しますよ。証拠だって、この写真以外にも沢山持っていますから。そうなれば、もうあなたの人生は…」
「やめてくれ!」我慢できなかったのか、彼は両手でテーブルを思い切り叩いた。鼻息は荒く、歯を食いしばっている。
「それをされたら…俺は、俺はもう。頼む、この件は秘密にして…」
「良いですよ」
私のさらっとしたその言葉を聞き、彼は目を丸くした。
「え、えっ?」
「だから、あなたとカオルさんとの関係は、誰にも言わないって言っているんです」
そうきっぱりと言い放っても、私が急に態度を変えたことが理解できていないようだ。目を瞬かせ、呆けた表情を私に向ける。
というのも、最初から私は柳瀬川の不貞行為を彼の妻に暴露するつもりは無かった。もし本当にそのつもりがあるなら、わざわざ彼を呼び出して、こう脅すことなんてしないだろう。
先程までは単に柳瀬川の反応を楽しんでいただけであった。面白くはあったが、最後の方は私みたいな若者に脅され、慌てふためく中年期入りかけの男の姿を不憫に思う、憐れみの感情が生まれただけだった。
…檜山さんなら。私の憧れのあの人なら、こんな風にみっともなく動揺などしないだろうに。
「そ、それなら良いんだ。いや、良いとかそういう問題じゃないんだけど」
柳瀬川は目の前のコーヒーカップの取っ手を掴み、中の黒い液体を口に運ぶ。幾分か落ち着きを取り戻しつつも、未だコーヒーカップごと、小刻みに震えている。
「ただ」
私も同様に、カップにミルクを注ぎ入れ紅茶を飲んだ。甘い香りが鼻をくすぐり、茶葉のほんのりした苦味が舌を柔く刺激する。私は紅茶を飲む時、銘柄は大抵アッサムを選ぶ。甘味が特に強く、コクのある味わいと芳醇な香りを持つそれは、ミルクティーとして提供されることが多い。例に漏れず、私もそれが好きだった。まあ、ミルクティーが大の好物であることが、アッサムを選ぶ一番の要因かもしれない。
「条件があります」
私のその言葉に、柳瀬川の眉はピクッと反応する。
「じょ、条件だって?一体どんな…」
彼の言葉を遮る形で、私は更にもう一枚写真を取り出した。そして間髪いれず、写真に写った人物を指さした。
「どんな方法を使ってでも構いません。この男…鷺沼崇を、私の目の前から消してください」
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