殺人計画者

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第三章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合1

四 ◯新出 ちづる【 12月24日 午後11時20分 】

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「あ、あのさ。何で今日はクリスマス・イブって言うのか知ってる?」
 西街の中心を走る大通り。信号待ちをしていると、目の前の若い男女の会話が耳に入ってきた。
「えー、知らないけど。何なの?」
 女は素っ気ない態度で、言う。そんな女の態度など関係無く、男は得意げに話し出した。
「も、元々イブニングって言葉の略語なんだよ、イブって。つまり晩ってこと。本当のクリスマスは、二十四日の夜から二十五日の明け方までだそうだけど、イブに当たるのは二十四日の日没後のことを言うんだって」
「へえ。じゃあクリスマスの前の日、って意味は無いの?」
「そう。前の日というよりも、クリスマスに当たるのはまさに今、この時間なんだってね」
 そうなんだぁと気の抜けた声を出す女と、おそらくクリスマスに向けてインターネットで調べた程度の知識を恋人に披露し、優越感に浸りたい男。くだらない。本当にくだらない。
 そう思いつつも、そんな関係を非常に羨ましいと感じてしまう自分もいた。
 東京に戻り次第すぐに檜山さんに会いに行こう…そう決めていた。しかし、この街に戻った途端、崇の影というのか、気配を感じるようになった。もちろん近くに彼はいない。それにも関わらず、その粘り気のあるどろっとした気配は、私の体に嫌という程まとわりつく。
 この街にいるため、当時の出来事が思い返されているだけだ。そう頭では理解しているのだが、その気配は薄まるどころか、日に日に強くなっていく。
 違う形ではあるが、PTSDが再発したのだ。易々と、私の中から彼は消えてはくれない。私に向けた殺意のある瞳、恐ろしい形相。なるほど、人に向けた負の感情というものは、相手にこんなにも大きな影響を与えるのか。私はまだ、彼に囚われているのである。
 そうはあっても、檜山さんと会える可能性が一番高いのはこの街、そして愛彩なのである。今度は逃げるわけには行かない。私は崇の幻影と戦いながら、檜山さんが来店した際また指名してくれるように、一年前とはまるで別人と言えるほど、来る客来る客に愛想を、振りまいた。
 自画自賛となるが、私自身容姿にはかなりの自信があった。その結果、復帰してから一ヶ月程で「愛彩で特に人気な子」と自他共に認めるほどの指名数を挙げた。
 そうだというのに、彼はやって来ない。先日玲子さんに聞いてみたところ、十一月下旬から姿を見せていないようであった。
 …十一月下旬といえば、私が愛彩に復帰した頃だ。私は理解した。女の勘などという不確かな物を信じるなど甚だしいが、彼は私を、この私と会うのを避けているのだ。
 一方的な決めつけではあるが、そう考えるといても立ってもいられなくなった。どうにかして彼と会って話をしたい。しかし、彼の働く会社に行くことはできなかった。崇は彼からお金を借りている。あの会社に行くということは崇と鉢合わせる可能性が高い。崇の存在を強く感じる場所に行くのは、気が進まないどころかしたくなかった。
 したがって、私ができることは愛彩で彼をいつまでも待つこと。しかしそんなに長々と待つなんて、私にはできない。この焦燥とした気持ちを内に秘めたまま、我慢などできる訳が無い。とうとう、私の中で何かが弾けた。
「え、アンナちゃん。あの檜山さんと?」
 二人だけで秘密に話がしたいと伝えたのに、カオルさんは目をまん丸にし、素っ頓狂な大声を上げた。私は、カオルさんに相談した。彼女と私は年齢に一回り程差があるが、同時期に愛彩で雇われた者同士である。私がここで働き出してから実家に戻る前までの約一年間、唯一懇意にしていた人物だった。
「はい。でもカオルさん、今はまだ、大声では」
 念のため、形ばかりに人差し指を口に当てる。
 この人はいつもそうだ。良い人ではあるが、少々抜けているというのか、注意散漫で周りを見ないところがある。故に他人に漏らせないような事柄は話せない。
 しかし今回ばかりは、その性格を利用させてもらうつもりだった。故意にでも、周囲に知れ渡らせる必要があるのだ。
 カオルさんはあたふたと、両掌で口を抑えた。
「ご、ごめんね。それで…いつなの?」
「一年前です。元彼の家に、檜山さんがやってきて。流れで、そのまま」
 へええすごいねぇ、とまたも大きな声を上げる。
「それで、アンナちゃんは彼が店に来ないから、寂しいって訳ね」
「はい。指名してもらえなくても、帰り際に少しでも話せたら…なんて」
「良いなあ。私はもう達ちゃんがいるから味わえないけど、昔学生の頃にあったなあ」
 達ちゃん、か。カオルさんに交際相手がいるなんて、私はその時初めて知った。
「はは」わざとらしく、乾いた笑いをしておく。
「それで、私は何をすれば良いのかな」
「とりあえず、この話を店内の女の子たちに噂として流して欲しいんです」
「そ、そんなことで良いの?」
「ええ」
 強く首を縦に振る私に、少々引き気味ではあるが、カオルさんも強く頷いた。
「うん。よし、分かった。お姉さん手伝ってあげる」
 そう言うと、彼女は自身の胸をぽんと叩いた。
 数日後には愛彩の女の子たちの中で、私が檜山さんと関係を持ったという噂が飛び交うようになった。どうやら彼女はそこかしこで話をしているようだ。まさに人の口に戸は立てられぬ、聞いた人は聞いていない人へ、また聞いていない人へ…と、何もしないうちに伝播していく。
 そして、現在より二日前の十二月二十二日。仕事終わりに玲子さんに呼び出された。
「カオル。私ね、変な噂を耳にしたんだけど。それが何かわかるわよね」
「…はい」
「全部嘘なんでしょ。とにかく良く分からないんだけど、皆の混乱を招くから、ちゃんと誤解だって皆に言っておくのよ」
 玲子さんは私の目を見ながら、ゆっくりと諭すように言った。思惑どおり、カオルさんの広めた噂は彼女にも伝わったようだ。
「嘘かどうか。檜山さん本人に確認した方が良いかと思います」
「はあ?」
「彼に聞けば、全て分かると思いますよ」
 私はあえて、意味深な言葉を玲子さんに投げつけた。…これで良い。檜山さんに好意を持つ彼女がこのことを彼に尋ねれば、あの日のことを気にして、彼が私の元を訪ねてくるかもしれない。玲子さんに共有するというのはある意味賭けではあるが、もはやそれしか、彼をこの店に引き寄せる方法が考えつかなかった。
 そうして現在に至る。まだ彼と会うことはできていないが、いつか近い将来、彼と出会える時が来るのかもしれない。

 信号は、未だ赤のままである。
「…でさあ。俺も、もう少しちゃんとした職に就きたいと思っているんだよ」
「えー。でもそう言って、結局今の仕事続けてるよね」
 またも目の前のカップルの会話が耳に入って来る。互いに好き合っている存在を見るのは、今の私には目に毒だ。顔を地面に向け、溜息をついた。
「い、いやさあ。俺はもっと大きいことがしたいよ。あんなホテルの警備なんて、いつまでも続けたくなんてない」
「そうなんだねえ」
 なんてことない会話。しかし男の次の言葉を聞いて、私はハッと頭を上げた。
「そうしたら瑞季、俺と結婚してくれよ。金の件は申し訳ないけどさ」
「うーん。それがいつになるのやら。かずさんが言う、ちゃんとした職に就いて、借金が無くなったらね」
 彼らの顔を凝視する。二人は会話に夢中で、私が見ていることも、後ろにいることにも気づいていない。なんと、その女は先程話に出てきたカオルさんだった。確か以前一度だけ本名を聞いた記憶がある。下の名前は瑞季だったはずである。間違いない。
 そして男の方は、私が石川に戻っていた時に店の常連となった…確か柳瀬川だったか。今月の初めに一度指名を受けたが、自慢ばかり延々と話すのと、別のキャバクラ嬢のことばかり(確か、それがカオルさんだったような…)聞いてくる無神経な男だったことを覚えている。
 何故、今まで気づかなかったのだろう。少々考え事にうつつを抜かし過ぎたのかもしれない。それよりも。私は目の前で阿呆のように笑っているカオル…いや、瑞季さんを見た。この人は確か、交際相手がいたはずだ。その相手は、隣にいる柳瀬川では無かった。
 次に、柳瀬川を見る。この男もまた、結婚していたはずである。妻に対する愚痴を散々聞かされた、思い出したくもない先日の記憶が脳裏に浮かぶ。
 まさか…この二人は。ごくりとつばを飲み込む。少なくとも、清い関係では無いことは私でも分かった。そして、互いを名前で(特に柳瀬川はカオルさんを本名で)呼んでいることからも、単なる客と従業員の関係でもない。何という場面に遭遇したものだ。
 驚くと同時に、理不尽な怒りが溢れてくる。私がこうして崇に怯えているというのに、愛する人に会うことができず燻っているというのに、こいつらは。私は歯を食いしばる。
 しかし。次の瞬間我ながら良い…いや、恐ろしい考えが浮かんだ。
 信号が青に変わる。二人は変わった瞬間に横断歩道へ足を踏み出す。同様に私も歩みを進め…ることなく、所有している携帯電話のカメラ機能で、彼らの後ろ姿を撮影した。
 シャッター音は周囲の騒然とした雰囲気に飲み込まれてしまい、響くことは無かった。その場に立ち止まったまま、彼らを見送る。通りすがる人々が、私を奇異の眼差しで見ていく。そのような眼差しなど気になどならない。それよりも、心の中ではどす黒い感情が噴き出していた。その感情は脳内で、ある計画を生み出す。
「ふふ」私は一人、小さく笑った。
 信号がまたも赤に変わる。その時には、檜山さんと会えていないことによる陰鬱とした気分は、もはや無くなっていた。 
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