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第三章 新出ちづると柳瀬川和彦の場合1
二 ◯新出 ちづる【 12月24日 午後11時10分 】
しおりを挟むクリスマス・イブ。今宵多くの男女が、互いに愛を交わし合う。一年に一度恋人たちが愛を公に誓っても許される。今日は、そんな聖なる日である。
「寒いなあ」
それにもかかわらず、私は一人寂しく西街の繁華街の中を歩いていた。世間がクリスマスカラーに染まり浮かれているというのに、夕刻より仕事に出ていた。何でもこの日は毎年若い子たちの出勤する割合が少なく、猫の手も借りたい程なのだという。そこで、私が急遽助っ人として店に顔を出すことになった。
若い子たちが出勤しない理由は大体想像がつく。大方恋人か友人たちと共に、楽しい時を過ごしているのだろう。
「はぁ」
彼女らと数刻前までの自分を対比させて溜息を吐いた。こんな日に何が楽しくて、中年期を迎えた興味のない男どもの、これまた興味のない話を、さも愉快げに聞かなければならなかったのか。
それに、私だって未だ二十二だ。十分若いのだ。今日休みを取った子たちと、年齢でいえば一、二歳の差であり、大して変わらない。そうだというのに。仕事として金を貰っている以上、割り切っていかなければならないのは重々承知している。とは言いつつも、こんな日は出勤しなければ良かった…と、ついつい思ってしまう時がある。自分が虚しくなるだけであるというのに。
しかし。そう理解していても、できる限り私は店に出る必要があった。その理由は。
「…檜山さん」
通りすがりの者に気づかれないよう、密かに呟く。
檜山武臣。この西街にある、消費者金融のコモレビという会社で働く男である。
彼と私が初めて会ったのは一年と少し前。場所はもちろん、私が働く愛彩だ。彼は前々からお店に通ういわゆる常連客で、その時は部下の小林とかいう男と一緒に、店に来た。
後に聞いた話だが、彼には決まった一人を指名…いわゆるお気に入りの子がいるというわけでは無かった。その日、その時の気分で指名する子を変える。故にお店の子たちは大半が彼から指名を受けたことがあるため、顔も名も知っていた。
ある日、初めて彼に指名してもらった。その時は単なる客の一人として、特に主だって記憶に残ることは無かったが、どうやら気に入られたようで、以来何度か指名してもらうことになった。
指名され、会話をするたびに、私は彼に惹かれていく。その話し方、雰囲気というのか、何と表現すれば良いのだろうか。彼は私よりもずっと大人であった。齢四十二、私より一回りも上の年齢のため、当然といえば当然であるが、そうであっても、私は彼に魅了されていった。
端的に言えば、私は彼に、恋をしたのである。初めはこの気持ちの正体を掴めないでいた。このような淡い思いが芽生えたのは、恥ずかしながら生まれて初めてのことであったから。
今すぐにでも、単なる客と従業員の関係を脱し、プライベートで親密な関係になりたい。実際、そのための方法はいくらでもあるのだ。例えば、お店以外で客と会う…いわゆる店外デート。半ばグレーな領域ではあるが、好みの男性から誘われることがあれば、それは店と関係の無い「本人の自由」として、暗黙の了解となっている。また、閉店後に客と会うアフターという手もある。
しかし、自分の想いを行動に移すには、いくつかの障害があった。
「檜山さん、いつも来てくれてありがとう」
「おう。玲子、今度またうちの男どもを何人か連れて、飲みに来てやるからよ」
「あら、本当に?嬉しいわあ。よろしくね」
一つ目が愛彩の店長、篠山玲子の存在だ。彼女は檜山さんが店から帰る際は必ず、見送りのために顔を出す。どうやら彼女にとっても、檜山さんは大のお気に入りのようだった。他の客との関係については口を出さない彼女だが、檜山さんを誘う、または彼の誘いに乗ることに関しては、彼女の目が光るこの店では一切のタブーとなっており、何もできなかった。
しかし正直な話、この玲子さんのことは、そこまで気にするようなことでは無かった。別に、彼女の目が届く範囲でなければ、何も問題無い訳なのだから。本当にどうにかしなければならないのは二つ目の障害。当時交際をしていた鷺沼崇の存在であった。
崇とは二年前、私が愛彩で働き始めたその日に出会った。彼はその日から、毎日のように店に来て、その度に私を指名した。
「あの鷺沼って方、アンナちゃんのことお気に入りみたいね」
当時、玲子さんに言われたことだ。何となく始めた仕事だけにその時は愛想笑いで適当に流したが、そのことがどれだけ重要か、理解していなかった。
水商売を始めたばかりの私は若く、働き方も礼儀も知らない小娘であった。好みではない客や失礼な客に対してはあからさまに素っ気ない態度をとる等、接客をする側の人間とは思えない態度をする。その度に玲子さんに説教を食らっていた。
崇に対してもそうだ。彼の外見といい内面といい、私の好みとはかけ離れていたことも相まって、私は彼にきつく当たっていた。
しかし彼は懲りずに店に来た。流石にいつも顔を合わせていると情というのか、申し訳なさというものが心に湧き出す。徐々に、彼の話を聞くようになっていた。
それが一ヶ月程続いたある日。私は、彼から封筒を受け取ったのである。開いてみると、そこには札束が入っていた。数えてみると三十万。驚く私を尻目に、その金を目の前に置く。聞いてみると、何でも私に渡すために汗水流して貯め込んだお金らしい。本当に貰って良いのか聞いてみると、
「ああ、良いぜ。全部お前のものにして良いんだ」
彼は自信満々にそう言い放った。
この時。何とも悲しいことに、金を貰えるという付加価値から、それまで興味も無かったこの男のことを魅力的に感じてしまったのである。
それからというもの、崇と店外で秘密に交際し始めた。彼と一緒にいる時間は退屈ではあったが、適当に褒めるだけで私に貢いでくれる。それは普通に働くよりも手軽に、そして楽に金を手に入れることができた。
しかし、金の魔力というものは一定期間しか持たないようで、段々と崇に対する情は薄れていった(元々恋心も情も乏しかったのだが)。家は汚いし、ファッションのセンスも無い。金というフィルターを外せば全くと言っていい程、彼に魅力を感じる部分は無かった。
とは言いつつも、貰えるものがあるのであれば貰いたい。出会って一年、交際して半年を過ぎた頃には、崇から受け取った金は百万円を優に超えていたが、まだまだ搾り取ることができるかもしれない。そう思うと、中々離れることができずにいた。
板挟みの感情に悩まされていた、そんな時にそれは起きた。
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