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第二章 檜山武臣の場合
七 ◯檜山 武臣【 1月10日 午後6時00分 】
しおりを挟むスカイタワーシティホテルの前に立った俺は、吸い終わった煙草をシガレットケースに入れた。
昼過ぎに買った煙草の箱の中は、もう半分が無くなっている。しかし煙草を吸わずにはいられなかった。そわそわして、同時に苛々して、何か無意識に、無意味に緊張してしまう。それは周りの目から見ても明らかな程、所作に落ち着きがなかった。
この妙な胸騒ぎ。それは、今日これから起こる事を不吉に暗示しているかのようであった。
ホテルの入口から上方を見上げる。ここは地上四十階建てだという。夕暮れ時の薄暗さが相まって、頂上はまるで見えない。
Aの電話の内容を鵜呑みにするとなると、このホテルの二十一階以上のフロアのいずれかに、鷺沼がいるということである。電話では午後六時過ぎという話だったが、奴は既に中にいるのだろうか。
そもそも鷺沼がいるとしたら、一体何故このホテルにいるのだろう。奴がここにいる理由が、どうしても分からなかった。
…まあ良い。それも含め、捕まえて聞き出せば良いだけの話だ。そうすれば、この胸に抱える不安や疑問について、少しは解消することができるだろう。いや、そうでなければ困る。
前髪を掌で掻き上げる。とりあえず、そろそろ入ろう。建物の上方に向けていた視線を下へ下へ、入口へと移した。そのまま、前へ歩いていく。昨日のAとの会話の後、すぐこのホテルに宿泊予約の電話を入れた。
俺はホテルの関係者でも何でもない。宿泊客でも無い限り、不審に思われずに中に入ることはできないと考えたからだ。まあ、こそこそ隠れながら対象の人物を見つけるなど、あまり得策とは言えないし、無駄に周囲に気を遣ってしまう。そのような面倒なことはしたくなかった。宿泊料金はかかるが、仕方がない出費だと言えるだろう。
そこでふと、今更ながら不安になった。もしも鷺沼が俺と同様に宿泊予約をしていたとしたらどうすれば良いのだろうか。どの部屋に奴がいるかなんて把握できないし、捕まえることはできない。
いや、その可能性は低い。Aは、このホテルに行けば「会える」と言っていた。鷺沼がいる場所に部屋の中を含めた場合、奴との遭遇率はがくっと下がる。この何百室以上もある部屋の中から、その部屋を探すなど不可能に近いのだから。
また、二十一階から四十階で会えるということは、奴がそのフロア間を徘徊しているのだろう。目的は分からないが、そういうことだ。
入口の自動ドアが開き、エントランスへと足を踏み入れる。広さ二十畳程度のゆとりのある空間だった。白を基調としているのか、壁と床は共に白色をしており、天井のライトから放たれる昼白色の光により、全体的に明るい雰囲気を醸し出している。
そのような白く広い空間の中、入口から直進した所にフロントがある。このフロントのカウンターのみ焦茶色をしている。ホテルのフロントというものは宿泊客が分かりやすいよう、位置や色にこだわるというが…なるほど、白いエントランスにどっかりと焦茶色の物があれば、誰も迷うことはないだろう。
そのまま真っ直ぐ進み、フロントのカウンター内にいる従業員に目で挨拶をした。
「いらっしゃいませ」
従業員は、俺に向けて綺麗なお辞儀をした。胸に付いているネームプレートには「ホテル主任 霧島 克樹」と書かれている。皺や折れ目一つない仕立ての良い仕事着を着こなし、その場に佇んでいる。歳は五十以上か。顔には、これまでの人生経験により深く刻まれた皺が多数存在していた。
「今夜、宿泊予約をした檜山という者だが」
そう伝えると、霧島は伺っております、と柔和な表情になった。
「檜山様ですね。お待ちしておりました。こちらの名簿に必要事項をご記入くださいませ」
B五判の用紙とペンを渡され、機械的に内容を記入し、用紙を霧島に返した。一言礼をしてそれを受け取った彼は、俺の書いた内容を一通り確認すると、受付カウンターの下から鍵の代わりとなるカードキーを取り出した。
「こちらがご宿泊されるお部屋の鍵でございます。明日のチェックアウト、午前十時までにフロントまでお返しください」
「わかった」
「お客様のお部屋は三階でございます。行かれる際には、フロント右手側にあるエレベーターをご利用ください。また、非常階段をご使用いただいても構いません」
そのまま俺は、霧島から案内されたフロント右手側にあるエレベーターへ向かった。
エレベーターは二台設置されている。この規模のシティホテルであれば、明らかに台数が不足しているとは思うが、新たに三つ目を増築するようなスペースは無さそうである。
上昇ボタンを押す。ごうんごうんと、エレベーターが動き出す音が聞こえ始めた。その間ぼんやりと、先程霧島より受け取ったカードキーを見つめた。表面には「三・〇六」と書かれている。頭文字の三が部屋のある階、末の六が部屋番号を示しているのだろう。
安っぽいチャイムの音が鳴った。まだ数秒もしていないが、エレベーターが到着したようだ。目の前の扉が開く。颯爽と乗り込み、扉を閉めるボタンを押す。そして、行き先ボタンは三階…ではなく、四十階を押した。
最上階のフロアのボタンを押したのに特に理由はない。昔から何か調べ物や確認作業を行う時、後ろから始める癖があった。
俺の体を乗せて、エレベーターは動き出す。
ぐんぐんと高所へと運ばれていく。あっという間に最上階に到着した。エレベーターから降りた先はホールとなっていた。天井には、豪華なシャンデリアが飾られている。エントランスの昼白色とは異なり、暖かさを感じる淡い橙色の光を放ち輝いている。左右の廊下の外側は全面が窓となっており、東京の街並みを一望することができた。遥か下方には、路上を動く車のヘッドライトの明かりが無数に蠢いている。
辺りは静寂に包まれており、人の気配はしない。エレベーターを背に、左右に延びた廊下を一番奥の突き当たりまで眺めた。やはり、誰も見当たらない。
すぐに見つかるとは思っていなかったが、それを心のどこかで期待していたのだろう。少々落胆した。鷺沼は、もっと下の階にいるということだ。
まあ良い。まだ可能性のある二十のうち、一つを潰しただけだ。振り返り、エレベーターを正面にして立つ。すると、その横に非常階段に続く扉があることに気がついた。ホテルの上下階を行き来する方法は二通り、エレベーターの他に階段もある。俺が階段、鷺沼がエレベーターもしくはその逆のやり方で移動していると、すれ違うために会う確率は更に低くなる。
これは本当に長丁場になりそうだ。溜息をつきながらも、今度はエレベーターではなく、非常階段へ続く扉を開けた。
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