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第二章 檜山武臣の場合
三 ◯檜山 武臣【 過去 】
しおりを挟む嘘だった。玲子の言っていた、あの店で働くちづるとは、単なる客と従業員という関係ではない。
事は一年前。俺の担当する債務者の一人、鷺沼崇が返済期限を超過したことにより、取り立てのために奴の住んでいるアパートへと出向いたことが発端だ。
うちの会社は、融資までのプロセスは他の所よりも緩く早いが、その分返済期限超過等の違反行為への対応もまた厳しく行う。特に当時は、より一層重点を置いていた。
一年前…その頃は、生意気な債務者が増えてきて困っていた頃である。甘い顔をすると、やれ自己破産だ、時効の援用だ、最悪の場合だと夜逃げするような奴も出てくる。そういった奴らの思い通りにならないためにも、粛々と対処せざるを得なかった。
こういった業界は、債務者に舐められてはいけないのである。鷺沼の滞納期間はたった二日ではあったが、放っておけば、必ず奴はつけあがる。「あの時は待ってくれたじゃないか」と、平気な顔で宣う。そういったリスクを回避することもあって、家にやって来たのであった。
鷺沼の部屋の扉に備え付けられた、簡素なインターホンを押す。反応はない。俺は舌打ちし、数秒後にもう一度押す。またも反応はない。こうなったら…と乱暴に扉を叩こうとしたその時であった。扉の向こうから、はーいと高い女の声が聞こえ、扉が開かれた。
「! アンナじゃないか」
「やっぱり檜山さんだ!どうしてここに?」
目の前にいる女、それは行きつけの愛彩のキャバクラ嬢、アンナであった。
俺は昔から愛彩に通う常連客だが、その頃の一番のお気に入りが彼女だった。店の他の女たちと比較しても断然に美しく、生意気だが純真さを感じさせる女だった。
俺は室内に通され、アンナから新出ちづるという本名と、鷺沼と交際していることを聞いた。反対に俺は、鷺沼がうちから借金をしていることと、その返済が滞っていることを教えた。
鷺沼が借金をしていることに、彼女は大きなショックを受けたようだ。二人で部屋の中のベッドに腰掛けると、彼女はそのまま項垂れた。
「そんな…あの人が借金をしていたなんて。しかも、よりによって檜山さんのところから」
「俺もびっくりだよ。あいつがうちから借りた金を使ってお前に貢いでいたなんてな。偶然ってのはあるもんだ」
そう言うと、ちづるはベッドを強く叩いた。
「それを初めから知っていたら、あの人と付き合うことなんてなかったのに!」
ぶるぶると震えながら、悔しそうにちづるは唸る。そんな彼女を見ながら、俺は溜息をついた。
「よく考えてみろよ。お前にそんな大金を渡せるほど、あいつは裕福に見えたのか。そもそもこんな家に住んでいる時点で、何か裏があるんじゃないかと勘ぐることはできただろうに」
「でも!あの人は『ちづるのために死ぬ気で働いて得たものだ』って!私、それを信じていたのに。信じていたのに…」
若さゆえの経験の浅さ、知識の不足。それらは時に残念な結果を生むことがある。特に女に関しては、知らなかった、分からなかったで済まされないことは多い。そういった点に漬け込まれ、泣きを見る女は、もはや珍しいものでも無かった。
「…とにかく。奴が帰ってきたら、返済について話があると伝えておいてくれ。俺は奴から金を返してもらえればそれでいいんだ。お前ら二人のいざこざについては、二人だけで話し合って決めるんだな」
立ち上がり、玄関へと向かう。が、ちづるに急に腕を引っ張られ、元の場所に引き戻された。
「待って!このまま私を一人にしないで!今だけは…お願い」
「…言っとくが、俺はお前が嫌う借金を生み出す素みたいな人種だぞ。いわば同類、鷺沼みたいに金を借りる人間がいるから俺の仕事も成り立っているんだ」
ちづるは黙っている。
「ちづる。お前は、俺らとは客として付き合うのが一番良い」
今度は諭すように、優しく言った。
「違う…それは違うの!」ちづるは少し発狂気味に言う。そうして俺の肩を両手で掴む。
「だって、だって檜山さんはお仕事がもうそれ関係なんだし、同じなんかじゃない!」
「…」
「お願い、檜山さんだから良いの。今だけで良いから…」
その涙ながらに訴え、俺に懇願するちづるの表情は本気に見えた。そうだ。あの時の…ちづるの若い肉体に儚くも美しい姿。情けないことに、当時の俺は欲に負けてしまった。
そっと、ちづるの肩を抱いた。彼女も抵抗せず、そのまま俺に身を委ねた。そしてそのまま、そこで俺たちは一時同じ時間を過ごすことになった。
数日後。店を訪れた際に玲子より、ちづるが店を辞めたことを聞かされた。
密かに教えてもらった断片的な内容では、交際していた鷺沼と口論になり、警察沙汰になったという。示談で済ませたそうだが、精神的なショックが大きく、遠方の実家へと戻ったそうだ。
彼女らの関係を割いた要因が俺にあることは明らかであった。しかし、俺が気に病む必要はない。借金の返済期限を超過した鷺沼が悪いのであって、俺はただ、金を返してもらうよう催促しただけである。あの日、あの場にちづるがいたことは偶然であり、俺が故意に何かした訳ではない。その後に彼女と関係を持ったことも俺にしてみれば、いわば事故だ。それにたとえ俺が関与していなくとも、いつかはこういう結末になっていただろう。疚しい隠し事を秘めた関係は、いつか白日の元に曝され、終わるものだ。早いか遅いか、それだけの問題である。
それ以来、この件に関して取り立てて主だったことは何も無かったのだが、一か月前に玲子から、ちづるが愛彩に復帰したと聞いた。
鷺沼に対しては毅然な態度を取っていたのだが、彼女に対しては心の何処かで後ろめたさを感じていたのだろうか。その話を聞いてから今に至るまで、あの店に足を運ぶことができずにいた。もう一度彼女と顔を合わせるには、少々忍びなかったのである。
しかし、どうやらちづるは俺に会いたいようだった。昔彼女に教えた俺の連絡先に、一か月前からほぼ毎日連絡が届いている。内容は簡単な挨拶から、店に来て欲しいという、いわば催促のものもあった。 すぐに飽きて止めると考え一度も返信をしていないが、ここまで頻度が多いと正直うんざりする。
愛彩に行かない理由は、彼女と顔を合わせることで面倒になりそうな予感がしたこともそうだった。彼女は俺から返信が無いことに痺れを切らしているのだろう。先程玲子から聞いたとおり、彼女が店の女どもに「私は檜山さんと親密な関係」などと吹聴している理由としては、それ以外に考えられなかった。
良い迷惑だ。そんな噂が蔓延っている店などに、誰が行きたいと思うだろうか。いや、誰もいないだろう。俺は、深い溜息をついた。
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