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第二章 檜山武臣の場合
二 ◯檜山 武臣【 1月9日 午後1時00分 】
しおりを挟む愛彩。それは西街の、コモレビのある建物から少し歩いた所にある、キャバクラの名前である。
この街の一角、北東部にはキャバクラや高級クラブ、風俗店等いわゆる水商売を担う店が多数存在しており、毎日そこでは、訪れた客の奪い合いが行われている。そのような中、安定した人気を保っているのがこの愛彩である。
小綺麗な外見に煌びやかな入口と店内、そして女性従業員の客に対する対応力の高さ。それは他の店も同じだ。それでもこの愛彩は、競争に負けること無く、数年前より変わらずその場所に存在する。それは、一重にこの店の店長の経営者としての手腕でもあるのだろうが。
俺は、反応しない自動ドアの扉を両手で無理に開き、店の中に入った。
「すみません、まだ開店時間じゃ…あら、檜山さんじゃない。久しぶり」
明かりの点いていない、薄暗い店内の奥から、一人の長身の女性が顔を出した。店長の篠山玲子である。グレーのロング丈ニットに白のブラウス、また体のラインが目立つ白のパンツというオフィスカジュアルな服装に、しなやかで白い肌、そして白粉を塗ったような化粧。全身ほぼ真っ白な姿は、妖怪である雪女を想像させる。彼女は来年で四十歳になると言うが、その外見にはそう見えない若々しさと美しさがあった。
俺はテーブル席に促され、そこに座った。玲子は水の入ったグラスをテーブルに置き、俺のすぐ隣にぴったりと座る。
「入口の花。ありゃあ、良い花だな」
俺は入口の脇に置いてある、紫色をした花を見ながら、開口一番にそう伝える。
「そうでしょう?あれ、都内でも西街の園芸店でしか売っていないんだから」
玲子は満足そうに微笑んだ。
正直な話、花なんてどうでも良かった。が、彼女と話す際、俺はいつも会話の始まりは褒めることから始めている。普段の数倍は好意的に話を聞いてくれるため、その後の都合が良いのである。
「まあ、それはよくって。一体どうしたの、まだ開店時間前なのに。しかも、わざわざ扉をこじ開けて入るなんて。あなたが常連の方じゃなければ、普通に考えて警察沙汰よ?」
玲子は俺の肩と膝に手を置き、笑みを浮かべ、上目遣いで言った。
「そう考えると、俺は常連だから問題ないな」
「ふふ。まあ、そうね」彼女は口に手を当て、笑う。文句は言いつつも、俺がここに来たことに満更でもなさそうだ。
「もしかして。私に会いに来た…なんて嬉しい理由かしら?」
俺は黙って、目の前に差し出されたグラスを手に取る。酒ではなく水である。まだ営業もしていないこの時間に来た、しかも客としてではなく来た者には、たとえ常連客と言えども、酒など振る舞えないということだろう。この玲子という女は、商売に関しては本当にしっかりとしたものである。
「なあんて、そんな訳ないか。最近めっきりご無沙汰ですものね」
少々棘がある言葉を聞き流し、俺は水を一口飲んだ。
「それで。早く用件を話しなさいよ」
「ああ」と一息つく。
「…俺の部下で、小林って男を覚えているか。ここにも連れて来たことがあるんだが」
そう言いながら、俺は胸ポケットから取り出した小林の写真をテーブルの上に置く。玲子はその写真をまじまじと見た。
「小林さん。ああ、ひょろっとした背の高い、真面目な方よね。彼がどうかしたの?」
「いやそれがな。年明けから会社に来ていなくてな。携帯にも出やしない。自宅にも行ったがもぬけの殻だ。最後に会ったのが年末の二十九日だから、もう一週間以上姿を見ていないことになる」
「あらあら、それは大変。仕事が嫌になったんじゃないの?」
「それならそれで『仕事が嫌で休みます』と連絡するぐらいして欲しいね」
「そんなこと、できる訳がないじゃない」くすくすと玲子は笑う。
「まあ、冗談はともかく。一応部下だったもんだから、上司である俺がケジメつけないといけない訳なんだよ。もしもここに来ていたら、何か足取りが掴めるかもしれないと思って」
「ふーん。そうねえ」
玲子は俺の体から手を離し、腕を組む。
「檜山さんには残念だけど、小林さんは来てないわね。というか、あなたと一緒に来た時以外、来たことなんて無いわよ」
玲子はそうきっぱりと言った。
「いやに即答だな。毎日沢山客が来ているっていうのに」
そう言うと、片手の指を頭に当て、玲子は自慢げな顔をした。
「来店されたお客さんのことはちゃんとここに入ってんのよ。ほら、お客さんって檜山さんみたいに誰もが常連とは限らないじゃない」
「まあ、確かにそうだな」
「一回しか来ない方もいれば、月に数回程度の稀なお客さんもいる。そういった方は顔を覚えていると『自分のことを覚えていてくれた』って嬉しくなるものよ。そうすれば、来ていただける回数が増えるかもしれないでしょ?」
「ほう」
「こう言う業界って評判が物を言うから。『あの店の子たちは、客の顔をすぐ忘れる』なんてレッテルを貼られてしまうとお終いなのよ。でも店が開いちゃえば、私には彼女たちを見守ることしかできない。だから、最低限失礼の無いように、お客さんが満足してお帰りいただけるよう、彼女たちに教えているのよ」
そう、たとえ自分の店であっても、実際に客の応対をするのは商売道具である彼女たちだ。限られた時間内で彼女たちがどう客に応対するか、それでその店に対する満足度合は決まる。故に裏方の存在である玲子は、できる限り彼女たちの下地作りに尽力している。俺は納得するように、一度頷いた。
「なるほどな。その先頭に立つのであれば、それをお前ができていない訳にはいかないからな」
「うん、そういうこと。それに」
「それに?」
「小林さん、目立っていたから。ここに来る方…まあどの店も同じでしょうけど、羽目を外して粗相をされることが多いのよ。でもあそこまでお行儀の良い方は初めてだったわ。女の子たちの間でも少しの間話題に上がっていたようだし。そうそう。あの、特に物覚えの悪いカオルでさえも」
「あの子か…」
カオル。これは本名ではない。源氏名と言って、昨今の水商売の女性従業員の呼び名によく使われる。確か元々は源氏物語五十四帖の題名にちなんでつけられた、宮中の女官や武家の奥女中などの呼び名が起源である。以降は遊女や芸者につけられることが一般的で、それが現代まで続いているんだったか。
ちなみにカオルの本名は本多瑞季と言う(源氏名のカオルとは似ても似つかない。本名の露呈を守るために、あえて全く違う名前を付けているのである)。
喉が渇いたわ、と玲子は立ち上がり、店の奥へと消えた。俺は目の前のテーブルに置かれたグラスの水を飲み干す。ということは、だ。玲子の言葉を信じるとすると、年末以降今に至るまで、小林はここに来ていないことになる。本当にどこに行ってしまったのだろうか。まあ仕方がない。立ち上がり入口へ向かうと、玲子が駆け足で戻ってきた。
「なに、もう行っちゃうの。もう少しだけでもゆっくりして行けば良いじゃない」
そう言って、俺の腕に自分の腕を絡めてくる。
「悪い、今日はこれから忙しいんだ。またきちんとした時に、ここに来るからよ。その時は特別に相手してくれよ」
嘘ではなかった。小林の捜索はもちろんだが、今日は普段の仕事の合間を縫ってここに来たのだ。そろそろ会社に戻らなければならなかった。玲子の頬に手を置きそう言うと、彼女はむっとした顔で俺を睨んだ。
「嘘。そう言ってはぐらかしてばかりで、もう一か月もお店に来てくれてないじゃない。私のことが嫌いなの?」
絡めて来た腕に力が入る。…この女は嫌いではないが、時たまこう、鬱陶しい時がある。こちとら仕事がある中、毎日無断欠勤した部下を探すなんて面倒なことをしていると言うのに、俺のことをちっともわかっていない。
「嫌いとか、そういった問題じゃないんだよ。単純に年末年始シーズンで、うちは色々と事務作業が立て込むもんなんだ」
「…」
「玲子、頼む」
「それなら、まあ。仕方ないけど」
残念そうに、俺の腕から離れる玲子を見て内心うんざりしつつも、表情では笑顔を作り、彼女に言った。
「もう少しで終わるから、また近いうちにお邪魔するよ」
「…待っているわね。あ、そうだった」
今のやり取りのことなどまるで無かったかのようだ。玲子は何か思い出したかのように、俺の肩を叩いた。
「どうした?」
「檜山さん、うちのちづるに何かされてない?」
「ん?…ああ、いや何も」
そう答えるも、玲子は俺の目をじっと見つめてくる。そしてそれから一拍置いて、ほっとしたような、柔和な顔つきとなった。
「ふーん、そっか。それなら良いけど。なんだかあの子、お店の子たちに『檜山さんと私は親密な関係にある』なんて噂を広めているみたいなのよ。全くのでたらめでしょうし、それであなたに何か迷惑とか、かけちゃっていたとしたら…と思って」
またも上目遣いで、困ったような表情で眉をひそめる。
「…なるほど、面白い冗談だな。確か少し前に、ここで何度か相手してもらっただけだよ。特に何かある訳でもない」
「やっぱりそうよね。あの子、一ヶ月前ここに復帰してから今まで良い子で、今じゃお客さんからも人気があるんだけど、若いし少し天真爛漫なところがあるのよ。とにかく、もし粗相があったら教えてね。きつく指導するから」
「分かった、分かった。でも、あの子はもう指名せんから大丈夫だよ。それじゃあな。協力してくれてありがとな」
そう言って彼女の頬に軽くキスをし、店を出た。
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