殺人計画者

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第二章 檜山武臣の場合

一 ◯檜山 武臣【 12月29日 12時50分 】

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 冬の凍るような気温の中、師走末日と言うべきなのか、西街は騒々しい雰囲気を醸し出している。至る所の小売店が年末大特価、売り切りセール、在庫処分と今年の追い込みをかける。その値段の割引具合に、人々は湯水のように金を出す。
 それら小売店が嬉しい悲鳴を上げている中、西街の端の方では、正反対に悲痛の叫びが上がっていた。株式会社コモレビ。審査即終了、地域内最低金利の二つのキーワードを掲げる消費者金融会社である。
 この会社は何十年も前から、この西街の端に建物を構えている。建てられてから改装工事を行った試しがないのか、壁面は汚れており、全体的に古びていた。
 ここはいささか後ろめたい事情がある者にとって、また差し迫って大金が必要な者にとって、大変都合の良い会社であろう。審査基準は甘々も甘々、すぐに金を借りることができるし、言葉に掲げるだけあって、審査はすぐに終わり、借り始めの金利も微々たるものである。
 …しかし、それはあくまで返せる当てのある人間。返す当てもなく、ただ単純に遊ぶ金欲しさに金を借りた者には、厳しい未来が待っている。

「そ、そこを何とか…檜山さん」
「うーんしかしですね。たった二日だったとしても、あなた返済期限を超えてしまったっていう自覚はあるんですかねえ。もう少しだけ、待って欲しいと言われましても。あんた、それは私たちとしたお約束と反する内容なんじゃないですか」
 俺は、目の前でぶるぶると震えている男をじっと見つめた。
 この日は年末最後の営業日だった。今俺たち二人は、会社内の会議用スペース(椅子が四つ、それに合わせたテーブルが一つあるだけの小規模なものだが)に相向かいで座っていた。
 目の前にいるこの男。この西街にある零細企業で働く会社員である。ひょろっとしつつも腹の出た貧相な体型で、齢四十五と良い年齢であることもあって頭髪は禿げかかり、少々頭皮が見えている。
 こんな小男にも、妻が一人、娘が一人いるという。しかしこの男、どうやら家庭では差別的な扱いを受けているようで、そのストレスからかパチンコやスロットに執心していた。半年前に初めてここに金を借りに来た時は、それらによって自分の小遣いが底をつき、家計にまで手を出そうとした頃であった。
 それから、何だかんだ毎月の返済は滞りなく行ってもらっていた。しかし今月、返済期限であった一昨日を未返済で超過したのであった。今日は、そうした理由を俺に説明するため、ここにやってきたというのだが。
「い、いや。そんな、金はきちんと払いますって!ただ今月の返済期限までに支払う金が無かったんです。数日以内に、か、必ず支払えます。本当です!」
 話しだしてから十分は経過している。謝罪の言葉と期限延長のお願いばかりで、どうして期限を超過してしまったのか、その理由を未だに話してもらえていない。
「数日ねえ。それだけで済むなら、どうして期限を守れなかったのか、その理由を教えてくれませんか」目の前のテーブルに手を置き、指でかんかん、と音を鳴らす。
「え…いや、それは…その」
 これだ。俺が聞き返すと必ず吃ってしまう。本当であれば恫喝でもして、無理にでも聞き出す方法はあるし、更にはすぐに取り立てる方法もある。
 しかし、それには中々リスクがあった。昨今では少し強く言うと、法律事務所などに助けを求める債務者が多い。一重にメディアで多く取り上げられていることが要因だが、そういった事務所は文字どおり法律を掲げ、それを盾にし、重箱の隅をつつくような詰問をしてくる。相手にしても良いが単純に面倒なため、できる限り関わりたくなかった。
「はあ。なんかもう埒があかないので、良いですよ」
「え!」
 ぶっきらぼうな言い方ではあるが、俺の諦めにも似た言葉に、男は一瞬だけ明るい表情を見せた。
「あ、ありがとうござ…」
「ただし。その代わり、あんたにはこれを書いていただきます」
 間髪入れず、持って来ていた一枚の紙をテーブルの上に置く。彼はぽかんと、阿呆な表情でその紙を見る。
「こ、これは?」
「いわゆる誓約書です。『今回期限を超過しましたが、何日以内に必ず返済します、今後一切コモレビへの借金返済を超過しません』と、誓っていただくためのね。返済期限を待つのはもう分かりましたが、次も、そのまた次も期限を超過されたら、たまったもんじゃないですからねえ。そら、書いた書いた」
 加えて、ここでの約束は俺とこいつだけの単なる口約束であり、証拠などどこにもない。したがって、約束を反故にされないための、転ばぬ先の杖でもあった。
 ペンを紙の上に置き、書くように促す。しかし男は、書き出すそぶりさえ見せない。
「もしここでこれを書かないようであれば、金は期限までにきちんと返してもらう必要がありますね。こちとら商売なわけだ。強制的に取り立てる方法なんて、いくらでもありますし。家も、車も。あんたの財産は、まだまだ沢山残っているんでしょ?それに、あんたのご家庭の皆さんにも、尻拭いをして貰うのも良いかもしれませんなあ」
「そ、それだけは!それだけは勘弁してくだ…」
 彼が言いきらないうちに、俺はテーブルを強く蹴った。大きな音が辺りに響く。
「だったら!早く書いてくださいよ。今後ちゃんと返せりゃ何も文句ないんだ」
 そう凄むと、男はとうとう観念したのか、震えながらも紙に名前を記入し始めた。
 …こいつらはまさしく、金食い虫である。俺に頭を向け、汚くて読み辛い字を書いていくこの男をじっと見ながら、心の中で溜息をつく。こういった輩は、金を食物として喰らう。その金が自分の物でなく他人のものでも、容赦なく喰い齧る。その喰ったエネルギーで産み出すのは糞と二酸化炭素ぐらい。社会貢献などろくにしてもいない。
 しかし、その虫どもを客として扱い、虫どもから出た体液を栄養にしているのがこの会社である。そんな会社に勤めている時点で、俺も同類なのかもしれない。ここで働き出してもう五、六年…いや、もっと経過しているだろうか。すっかり慣れたものと思っていたが、今みたく、ふと考えることがある。  
「あ、あのぉ…」弱々しい声に我に返ると、目の前の男が俺の機嫌を伺っている。どうやら渡した誓約書への記入が終わったようだった。俺は、そんなどうでも良い考えを頭から吹き飛ばし、男の肩を二、三回軽く叩いた。
「どうも。でも正直言って、うちはまだ甘い方ですよ。世の中にゃあ、返済期限厳守、守れなければ即座に強制執行なんてところもありますし」
「は、はあ。へへへぇ」
 男の気味の悪い相槌を無視して、続ける。
「大丈夫ですって。お金なんて人間本気を出せば用意できるもんです。最悪さっき言ったみたいに家財を売ったり、内臓を売ったり。とにかく、今みたいに優しく言われているうちが花ですよ」

「檜山さん、お疲れ様でした」
 男が帰った後、昼の休憩をとっていなかったことに気がついた。そこで俺はこの寒空の下、コンビニで購入した冷たい缶コーヒーとサンドイッチを片手に、会社が入っているビルの屋上で煙草を吸っていた。
「おお。小林か」
 そんな俺に話しかけてきたのは、二年前に入社した小林賢一である。寒そうに震えながら、俺の横に立った。
「お前も煙草か。吸うなら灰皿、貸すぞ」そう言って、胸ポケットから携帯型の灰皿を見せる。小林はお構いなく、と首を横に振った。
「私は禁煙している身なので」
「…つれねぇなあ」
 きっぱりと断られ、また元いたところに灰皿を仕舞い直す。そんな俺を見た次の瞬間、小林は急に頭を下げてきた。
「お、おい?なんだよ」
「先程の客、私の担当でしたよね。申し訳ありません、お手を煩わせてしまって」
 確か、彼の今日の勤務時間は遅番で、午後一時からだった。つまり先程出社したばかりである。
 俺は掌を顔の前で軽く振る。「全然気にしなくて良いよ。勤務時間前のことだし、あいつがお前と約束したはずの時間を間違えて、早く来ちまっただけだからな」
 そういった場合はその時いる人間でやるしかないしな、と最後に続けるも、なお小林は申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ありがとうございます。しかし檜山さんに迷惑をかけてしまいました…次からはこのようなことがないよう、心がけます」そして再び、俺に頭を下げる。
(うーん…)
 昨今の若者は礼儀がなっていない、と憤慨する老人をテレビで見たことがある。しかしこの小林という男のように、礼儀がきっちりし過ぎている若者についても、少々目に余るものがある。
 小林はいわゆる転職組で、この会社に入る前はどこぞの営業職に数年就いていたそうだ。そこで学んだマナーなのか、今回のような大したことの無いことでさえ、わざわざ、また何度も謝りを入れてくる。
 もう少しフランクに、堅苦しくない感じでこう…やりとりしていけないだろうか。そう言ったとしても、目の前の若者の、俺に対する対応に変わりはないだろう。小林自身が構築している、上司という分厚いフィルターを取り払う以外は。
「ああ、もう気にしていないから大丈夫だって。とりあえず、勤務時間始まってんだから、持ち場に着いておきな。年末だからって、暇ってわけじゃないんだぞ。客はいつもどおり来ると考えておけよ」
「はい。午後から頑張ります」
 そそくさと建物の中へと引っ込む。その背中を見送りながら、俺は二本目の煙草を取り出し、火を付けた。スタンダードなマールボロ、アメリカ製の煙草で、火を付けた瞬間全身に広がる香ばしい香りが癖になる。大学生の頃からこれを吸っている。
 ふぅー、と煙を空に向け吐き出す。まあ、ああいった人間というのは、俺を含めた街金の業界に昔からいる者からすれば、新しい風と言えるのかもしれない。彼は客に対しても社員と同様、真摯な態度で接する。その態度のせいかは知らないが、小林が担当する債務者は、そのほぼ全てが返済期限までに金を支払う(そうだとしても、先程の男のように返済期限を超過する人間はいるものだが)。
 これまで脅しというか、威圧的なやり方を主流として金を取り立ててきた俺にはできないやり方である。そのため少し疎んではいても、彼の勤務態度は評価していた。
「さあて、午後も頑張るかあ」
 冷気漂う空に、白い独り言を煙と共に放ち、俺も小林の後を追った。

 しかし。そんな真面目な彼の姿を見たのは、その日が最後だった。
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