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第一章 鷺沼崇の場合
十一 ◯鷺沼 崇【 1月10日 午後9時30分 】
しおりを挟む数時間前に日が落ち、空はどっぷりとした黒一色、夜の時間である。
しかしさすがに東京。日の光がなくとも、有象無象に建っているビルの窓、今まさに稼ぎ時である夜の店、また道路を走る車のヘッドライト等からの様々な色の光が、西街の夜の闇に彩りを加える。故に日中でなくても、人々は変わらず街中にざわめき合う。
俺は檜山から逃げるため、ホテルの外階段を一階まで転がるように降りた。二十階以上階段を駆け下りる経験など無かったからか、彼は一階に降り立った瞬間、足が攣りそうになった。
しかし攣りそうな足ごとき、何だというのだ。こんなもの、俺の歩みを止める要素には成り得なかった。なんたって後ろからは俺を捕まえようと、檜山が恐ろしい形相をして迫って来ているのだから。震える足に鞭を打ち、外階段から建物内への扉を開き、ホテルの中を駆け抜ける。
そして現在。このホテルに来た時と同様に、ホテル目の前の喫茶店の、窓際のカウンター席に俺は座っているのだった。
あれだけ苦労して侵入したというのに、檜山から逃げることに囚われ過ぎてしまい、気付いた時にはホテルの入口を背にしていたのである。
…俺という人間は、頭に血が上ると意識せずとも体が勝手に動いてしまう。小林の件然り、ちづるの件然り。
とりあえずそういった事情で、ホテルの外に出たのは致し方ないことであった。それに、たとえ中にいても、再度檜山と遭遇する可能性もある。あのままホテル内で、柳瀬川を探すのは少々リスキーな話であった。
故に、次に狙うべきは柳瀬川の退勤時。脅迫状を見れば、今日の柳瀬川の勤務は午後十時までのようで、その頃までこの喫茶店で時間を潰す必要があった。
柳瀬川の殺害の場所はスカイタワーシティホテルほかとなっている。あの男の勤務が午後十時、定められた殺害の期限は午前0時。奴の退勤後の二時間は、ホテルの外でも、どこで実行しても良い。そういうことだろう。そうであれば、わざわざリスクを犯してホテルに再度突入する意味はない…ということだ。
それにしても。この喫茶店に来て数時間経過したが、その間、どうして俺がホテルにいると檜山が知っていたのか。そのことについて暫く考えていた。
年末に俺がしたことを檜山が知っている、というのは何とか理解できる。何せ元々小林を殺すなんて予定していない無計画なものだったし、誰かに見られていたとしても仕方がない。げんに俺の過ちを目撃し、それをネタに脅迫する者がいるから。そういった目撃者が檜山に伝えたのか、はたまた檜山自身が目撃者だったのか、それは分からないが。しかし今日目の前のホテルに俺が来るということは、脅迫者以外誰も知る由が無い。
(…まさか、脅迫者が俺を嵌めたのか?)
一人かぶりを振った。その可能性は低いだろう。何せ、もしこれで俺が檜山に捕まった場合、脅迫者の祈願である「柳瀬川の殺害」という目的は達成されることなく終わるのだから。
(それでは脅迫者の真の目的が、柳瀬川の殺害ではなかったとしたら?)
例えば…そう。真の目的は俺、鷺沼崇を檜山に捕まえさせることだった、とか。そうであれば、柳瀬川を殺せと俺に命令し、ホテルまで向かわせ、その情報を檜山に流す。いわばネズミ捕りだ。俺というネズミが、餌である柳瀬川につられてやってきたところを、罠である檜山が捕らえる。そんなところだろう。
待て待て。それも少し違和感がある。そもそも本当の目的がそれだとしたら、何も今日、このホテルで行う必要は何もないのだ。檜山に情報を教えるだけで、あいつはすぐに俺の家に来て、目的を達成したはず。そこに脅迫者の関与は必要無い。わざわざ殺人なんて俺にさせる意味なんて、何も無いのである。
それならいっそのこと、檜山が脅迫者だったとしたら。だから俺がこのホテルに来ることも当然知っていた。そんなことはあるだろうか。
ううん、それは一番有り得ないことだ。もしそうであれば先述のとおり、直接俺の家に来ているはずなのだから。
そういえば…俺はふと思い出した。別れ際に檜山が言っていた言葉。「あの電話の内容は」と言っていた。恐らく檜山は次のような内容の電話を、何者かから受けたのだろう。
『鷺沼が小林を殺した。奴は一月十日午後五時過ぎにスカイタワーシティホテルに現れる。そこが奴を捕まえる良い機会だ』
大方、このような内容ではないだろうか。そして、内心疑いつつもここにやって来た。そういうことだ。その何者かが一体誰か検討もつかないが、それが檜山でもなく(檜山はその何者かに動かされている側)、ましてや俺の脅迫者でもなく(脅迫者が檜山を使って俺を嵌めるメリットはない)、まるで別の第三者であることは間違いない。
考え過ぎ、と言われればそうなのかもしれない。とにかく、檜山の登場というアクシデントはあったが、俺は俺で当初の目的を果たさなければ。そのためには仕事を終え、ホテルから出てくる柳瀬川を見つける必要がある。
目の前にある、小洒落たカップに入っているホットコーヒーを見た。ミルクを入れたことで、液体の色は抽出されたばかりのすっきりとした黒色から、薄い茶色に変貌している。
ブラックは苦手である。あの苦味が喉を通ると、眉間に皺を寄せる程に鳥肌が立ってしまう。しかしコーヒー自体は嫌いでは無いため、飲む際にはどうしてもミルクや砂糖が必須となる。スプーンでくるくるとかき混ぜ、口に運ぶ。ミルクによって苦味が緩和された、生温い液体が口内から喉を通り、胃へと運ばれた。そうしてカップをソーサーに置き、ぼーっとホテルの入口を眺めた。
ホテルの入口付近に数名の外国人の男女が現れた。そのまま建物の中に、吸い込まれるように消えていく。この数時間、ホテルへ入る宿泊客の数はまばらで、それ程多くはなかった。
しかし、先程より人の目は増えているだろう。あのままホテル内で柳瀬川を探して見つけたとしても、周囲の目によって目的を達成できなかったに違いない。したがって、俺が今できることは一つ。柳瀬川が退勤するまで、ホテルの入口を見張ることである。
溜息をついた、その時であった。俺にとって予想外の人物が、ホテル沿いの歩道に姿を現した。
あ、あれは。あの歩き方は、あの立ち居振る舞いは。
「ちづる…?」
それは、一年前に自分の元を去っていった新出ちづるであった。
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